わんだりんぐ・どりーむず

#6

作:山稜

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「…みんな、帰ってしまいましたわね」

 そうなのだ。
 見舞いに来ていた彷徨も三太も、クリスと一緒に来た未夢も、ばたばたと帰ってしまった。
 たまたま空いていた病室には他の患者もなく、部屋にはもう、望とクリスしかいない。

「そうだねっ、…でも、美しい花小町さんがいてくれさえすれば、それで充分さ」
 望はそういうと「オカメちゃ…」呼びかけるが、返事はない。そのことを思い出して、望はがっくりした。オカメちゃんがいなければ、薔薇を取り出すこともできない。

「そういえば、オカメちゃんはどうなさったんですの?」クリスが尋ねた。
「オカメちゃんは三太君がうちまで送って行ってくれたんだ」望は少し笑った。「つつかれたりして大変だったんだぞーって文句を言われたけどねっ」
「そうですの、それは淋しいですわね」
「いやぁ、夕方にパピーか母さんがが迎えにくるまでの辛抱さっ」

 クリスは不思議そうな顔をした。
「そういえば、光ヶ丘くんってお父様のことを『パピー』って呼んでらっしゃるけど、お母様のことは『マミー』じゃありませんの?」
 望は苦笑いをした。
「パピーはそう呼べ、って言うんだけど、母さんは『そんなこっぱずかしい呼び方しないでちょうだい、私はお風呂あがりの飲み物じゃないわよ』って言うからねぇ…」

 クリスは目をぱちくりさせた。おかしくて笑った。
「光ヶ丘くんのお母様って、楽しい方ですのね」
「そうだね、割とユーモアのわかるほうだとは思うよ」望は続けた。「じゃないと、パピーと結婚したりしないと思う」
 クリスはまた笑った。

 話題が途切れた。
 クリスが切り出した。「あの…光ヶ丘くん…」
 望は明るく応じた。「どうしたんだい、そんな深刻な顔をして」

「ごめんなさい、わたくしのせいでこんなことになっ…」
 思い切って言ってはみたものの、やはり罪悪感に押しつぶされそうで、はっきりと最後まで声にならなかった。そのせいか、覆いかぶせるように言った望の声の方ばかりが目立った。

「ごめん花小町さん、ぼくの言い出したことでみんなに迷惑をかけてしまって」

 クリスはまた、目をぱちくりさせた。
 なぜ?
 自分のせいで、光ヶ丘くんはけがをしたのではなかったのですの?…いえ、それには間違いないですわ。たとえ、光ヶ丘くんが自分で転んだのだとしても―

「ぼくがあのとき、転んだりしなければ、花小町さんが罪悪感を感じることもなかったんだからね…」
 望はクリスの考えが読めるかのようだった。
 その微笑みは、窓に夕日が差し始めていたからとはいえ、神々しかった。

「そんな―」と反論しかけても、望はその先を言わせなかった。
「前にもこんなことがあったんだ…調子に乗ってとんでもない事件を起こしてしまって、友達を…」
 望は窓の外を見た。

 友達を―
 クリスの耳に、その言葉が響いた。

 黙っているのが怖いかのように、望は続けた。
「パピーの仕事の都合で、ぼくは転校が多かったから、もともと友達は多い方じゃなかった。
 行く先々の言葉に染まった頃にはまた次のところ、って具合だったから、なかなか新しいところに馴染めなかったんだ―…。

 やっと長いこと、ひとつのところに落ち着いたときに、やってしまったんだ。
 そして、友達を無くしてしまった。
 ぼくはだんだん、ひとりでいることが多くなったのさ」

 望は天井を見上げた。
「そんなぼくの心に、薔薇は何も言わず…感動を与えてくれた。
 この感動を誰かにわかってもらいたい、そう思って薔薇を作り始めたんだ。
 そして、クラスのみんなに配ったんだ。
 そうしたら、みんながぼくを見てくれるようになった。

 …でも、それでもぼくは何か淋しかった。
 その頃はなぜか、わからなかったけど。
 わからなかったから、ぼくはもっと、みんながぼくを見てくれるようになれば、淋しくなくなると思ったんだ―…パピーは『男の子なら、たくさんの女の子に笑顔を』って言っていたから、この際、女の子だけでも喜んでくれればいいと思った。それでもっともっと薔薇を作るようになり、もっともっとみんなに配るようになり、―もっともっと、人気者になりたくなったんだ」

 望はクリスの方に向き直っていった。そして笑った。
「友達ができた今ならわかるよ、ぼくが淋しかったのは、本当の友達がいなかったからなんだって、ねっ」

 似てる―…
 直感的にクリスはそう思った。自分には、その気持ちが、わかる。

「でも本当の友達ができたと言っても、やっぱりそう簡単に変われるもんじゃないね―…
 まだ、何となくみんなの気を惹きたくて、薔薇を配るのをやめられないんだ…。
 どんなに薔薇をささげても、自分の方を向いてくれない女の子もいるってわかってても、ね」

 ふぅ、とため息をつきながら、望は窓の外をもう一度見た。クリスは黙って聞いていた。

「最初は、どうにかして自分の方を向いて欲しいと思っていただけだったんだ。
 どうしたら自分の方を向いてくれるか、それを見つけようと思って、ずっとその子を観察していたんだ。
 そうしたら、その子の真っ直ぐな気持ちと優しさばかりが、きらめいて―
 ぼくはその子のことばかりが気になるようになってしまったんだ」

 クリスは思った。
 未夢ちゃんのことね…。
 誰が見ても、未夢ちゃんは西遠寺くんのほうしか見ていない。いくらケンカしているようなときでも、ふたりはお互いを心配しあっていて、他人の入り込む余地なんて、ない。

 でも、未夢ちゃんって、やっぱりうらやましい…。
 あの素直さは、みんなにもわかるのね…西遠寺くんだけじゃなくて、光ヶ丘くんも。
 わたくしも未夢ちゃんのように、真っ直ぐで優しくて、素直な人間だったら、どんなにいいか―…。

「ぼくは本当に馬鹿な人間だと思うよ―…」
 望はうつむいた。
「今まで、みんなの気を惹くために薔薇を配って、みんなの気を惹くためにキザなセリフを言い尽くして、…だから、ぼくが『綺麗だよ』って言っても、もういつものことだと思って適当にあしらわれてしまうんだ―だから本当にその子のことを好きだって言っても、信じてなんかもらえない」

 今の望の気持ちに嘘はない。
 クリスはそう感じ取った。
 どんなに想っても、届かない気持ち―その痛みもわかった…。

「―って、はははっ、ぼくは一体、何を言っているんだろうねっ」
 望が照れ笑いをし始めたとき、クリスの口からは強い言葉が出た。

「いけませんわ」

「え…?」
「光ヶ丘くんは、まだ嫌われてはいないんですのに…いつかあきらめなければならないとしても、せめて気持ちを伝えてからでなければ、本当にあきらめることなんて…できませんわ」

 クリスの真剣な眼差しに、望は目を見張った。
「いくら光ヶ丘くんがいつも、同じように振舞っているとしても、本当に心のこもった言葉でしたら…わたくし、きちんと伝わると思いますわ―心に、響くはずですわ」
 クリスの言葉は凛として、力強かった。

「花小町さん…」
 夕日に照らされて、クリスの顔は女神のようだった。
 その言葉に、勇気づけられた。
 今しか、ない。

「花小町さん、聞いてくれるかい」

 決心されたのですわね…。
 未夢ちゃんなら、光ヶ丘くんを傷つけるような断り方はなさらないでしょうし…。
 こんなわたくしでも、少しは役に立てたのかしら…。
 こんなわたくしでも、光ヶ丘くんの役に立てたのなら…。

「ええ」
 クリスは満面に笑みをたたえた。
 望はその笑みに息を飲みながら、言った。

「ぼくは、きみが…好きだっ」

 クリスは満面に笑みをたたえたまま、何も動作をしなかった。
 今、耳の中に入ってきた音韻が、何を意味するのか―
 頭が理解しようとするまで、少なくとも10秒はかかっただろうか。

 そして、頭が働き始めると、呆然とした。
 今度は耳を疑った。

「何て…おっしゃったの?」

 望は真っ直ぐにクリスを見つめた。
 オカメちゃんはいない。彼女にふさわしい薔薇は、いま手許にはない。
 しかし、いまこの偽りのない気持ちは―きっと彼女に伝わってくれるはずだ。
「きみが好きなんだ、花小町さんっ」

 どうして?
 未夢ちゃんじゃありませんの?
 わたくし?
 うそ―…

「そんなことって、そんなことって…うそですわ」
 首を振るクリスに、望はもう一度言った。
「うそなんかじゃない、きみが好きなんだっ―本当なんだよ」

 もし胸骨という骨がなかったら、心臓は飛び出して転げ落ちていっただろう。
 その心臓が、体中の隅々に、ものすごい勢いで、血液を送り出していく。
 指の先まで鼓動が、痛い。
 胸を突き抜ける電気が、耳へと走る。キーンという音が、頭のてっぺんへ抜ける。
 抜けていったそれが、もう一度戻ってきたとき、クリスの視界は波を打った。

 行儀良く、ひざの上に置かれた手の甲に、次々と涙がこぼれ出した。

「ごっ…ごめんっ」
 慌てた望はクリスの手を取った。
「急にこんなことを言って…きみを傷つける気はなかったんだ」望は握ったクリスの手から、涙をふき取った。

「―の」クリスの言葉は声になっていなかった。
 望は気づかずに続けた。
「でも、ぼくの気持ちが本当だっていうことだけは…わかっていてほしいんだ」
「ちがいますの」
 ようやく口に出たクリスの言葉を取って、望は応えた。
「ちがわないよ、ぼくはきみが―」
 クリスは大きく首を振った。
「ちがいますの、ちがいますの」

 今朝までは、あんなに西遠寺くんのことが好きだった。
 西遠寺くんのことばかりが気になって、
 ―ばかりが?

 うぅん、それでもあんなに憧れて、気になって気になって、気になっていたというのに、
 いま、光ヶ丘くんにこう言われて、こんなに胸が、胸が―…。

 この気持ちは、いったい何だろう―…。
 驚いただけ?
 ちがう―…。

「本当に、わたくしです…の?」
 クリスは恐る恐る聞いた。答えを聞く前に、次々と尋ねたいことができた。
「こんなわたくしですの?
 こんな、どうしようもないわたくしですの?
 こんな、ひとの気持ちがわからないわたくし、
 こんな、素直じゃないわたくし…ですの?」

 望の答えは決まっていた。
「きみでなければ、いけないんだ」
 さらに続けた。
「ひとに優しくできるきみが、真っ直ぐなきみが、好きなんだ…っ」

 クリスは何かを言おうとしたが、望の言葉の方が早かった。
「きみが彷徨くんのことを想っているのも知ってるし、きみがぼくのことをどう思おうと構わないっ」
 望はじっとクリスの眼を見つめたまま、言った。
「それでも、ぼくがきみのことを好きなことには、変わりはないんだ」

 クリスは自分の手を握っている望の手をどけた。

 望は落胆の表情を浮かべたが、クリスは自分の涙をぬぐうと、望の手を握り返していた。
「花小町さん…」
「クリス、とお呼びになって…」

 クリスは望の目をじっと見つめた。
 望も目をそらす理由はなかった。

 クリスは言った。
「ありがとう…」
 望は何と答えていいかわからなかった。が、胸の奥底から湧き出る嬉しさに、思わず顔がほころんだ。それを見たクリスもまた、微笑んだ。

 そう、わたくし、嬉しいんですわ―…。

 花鶏が1羽、飛んできた。花鶏は振り向いて、フィッフィっと鳴いた。
 もう1羽の花鶏が飛んできて、寄り添った。


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