わんだりんぐ・どりーむず

#3

作:山稜

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「だ〜か〜ら〜ぁ、ごめんって言ってるじゃなぁい」

 学校へ向かって歩きながら、未夢はそろそろ嫌になってきていた。
 朝ごはんの当番は自分だった。…だったのだが、考え事で眠れず、眠ってしまったらそれはそれで昨日の疲れが出てしまって、気が付いたら寝坊していたのだ。

「おこってないって言ってるだろ、別に」

 今朝の彷徨は何となくおかしい。今朝は彷徨の声で目が覚めた。そのときは確かに、怒るわけでもなく、代わりに朝ごはんを作ってくれた。そのときは確かに、機嫌が良かった。ごはんがおいしいと言ったら、嬉しそうな顔を見せていた。
 それなのになぜか、突然に機嫌が悪くなった。
 別に何か気に入らないことを言ったわけでもなさそうなのに…。

 未夢は彷徨の顔をのぞき込んだ。
「もうっ、じゃあなんでそんなに―」そこまで言ったところで彷徨にさえぎられた。
「離れろよ」
 胸が痛んだ。
 そんな―…。

 彷徨の言葉の意味は、すぐにわかった。
「おはよう未夢ちゃん、西遠寺くん…そんなに近づいて、ふたりは本当に仲がよろしいんですのね―」
 やっと思いを通じたというのに、このまま死にたくはない。
 未夢はとにかく、彷徨から急いで離れた。

 でも、本当に通じたのかな―…。
 ほんとは彷徨、わたしをなぐさめるためにあんなことを言ったんじゃ―…。
 さっきの言葉の意味がわかっても、胸の痛みは、あまり治まりはしなかった。



「さあっ、美しい女子のみんなに薔薇をプレゼントするよっ!」
望はいつものパフォーマンスをひとしきりやり終えると、彷徨に近づいていった。
「おはよう〜彷徨くん」
 彷徨くん、のフレーズにひっかかりながら、彷徨は「あぁ…昨日は助かった、礼を言うよ」それだけ無表情で言うと、席についた。

「おぉっ、彷徨が光ヶ丘に礼を言ってるぞ」三太が茶化す。「俺、今日傘もってこなかったけど大丈夫かな」
 んだよ、と小声で悪態をついてから彷徨は尋ねた。「なんか用か、ふたりとも」
「九日十日」と応じた三太は冷たい視線にさらされた。「まぁそういうなよ、朝から愛想悪りぃな」
「無愛想なのは元からだ」本当に無愛想だ。

 望はそのやり取りを聞かなかったかのように彷徨に言った。
「さぁ、ぼくと勝負だ、彷徨くん」
「なんでいきなり勝負なんだ…第一さっきからお前、おれのことなんで名前で読んでんだ」
「ぼくのライバルだからねっ、名前で呼ぶのは当然じゃないか」天を仰いでポーズを決めた望は、彷徨に向き直ってこう言った。「君もぼくのことを『望』と呼んでくれたまえ」

「朝からバカなことばっか言ってるなよ」あきれかえってはいたが、もうひとつの質問は忘れてはいない。「で、勝負って何なんだって」
「ほら、」三太が割って入った。「冬の球技大会、今年はサッカーだろ?あれのキャプテンを誰にするか、って話が出てたじゃないか」
「だからってなんでお前が出てくんだよ」
「おもしろそうだからに決まってんだろ?男同士の勝負、決闘だぞ?男のロマンじゃないか!」

「そんなもんやりたいやつがやりゃいいだろ」知らん顔をして彷徨は言った。「おれは勝負なんて、きょーみねーからな」
「じゃあこういうのはどうだ」三太がおもしろがって言った。「勝った方が未夢ちゃんとデートできるってのは」
 望も「ふぅむ、いいね」と面白げだ。
「お前らなぁ…」
 その後の言葉は、ちょうど入ってきた教師のドアの音でうやむやにされてしまった。



 お弁当を食べながら、未夢はどっと疲れていた。「あ〜もうっ」
「どうなさいましたの」後ろから心配そうな声がかかる。
「あ、クリスちゃん」
 ちょっと顔がひきつったかもしれない―クリスが相手では、さすがに彷徨のことは言えない。いま食べているお弁当だって、彷徨が作ったものだと知れたら、教室中がどうなることだかわからない。

 幸いというかなんというか、未夢の疲れている原因はもうひとつあった。そっちの方を話してみよう…。
「あのね〜、会う人会う人、わたしの顔見るたびに『昨日のテレビ見たよ〜』とか『娘孝行してもらうんだって〜』とか、声かけてくれるのはうれしいんだけど、あまりにもたくさんだから…なんか疲れちゃった」

「そう…」
 正直なところ、クリスは困っていた。未夢は自分にとって数少ない、何でも話せる友達だ―数少ないどころか、たったひとりの、かも知れない。できることなら力になりたい。でも、自分にはどうしていいかわからない。自分には、会う人会う人に声をかけられるような経験はなかったし、たぶんこれからもないだろうから…。
「有名な方のご家族というのは、大変ですわね…」としか言えない自分に、もどかしさを感じた。
「別に有名でいてほしくないんだけどなぁ…普通の家族がうらやましいよ」

 クリスは思った。
 自分から見たら、未夢は充分に普通だ…自分のような人間と違う―

 うらやましい。

 なんとなくその場にいるのがつらくなった。
「わたくし、図書館に行かなければなりませんの」突然に言葉を発してしまって、不自然に感じられなかっただろうか?そんなことが気になって、言わなくてもいいことを言うはめになった。「未夢ちゃんも、いらっしゃる?」
「いいいい、私はいいよ」未夢はあわてた。「また人に会って、いろいろ言われるのはちょっと…。それに、お弁当まだ残ってるし」
 助かった。「じゃ、わたくし行ってまいりますわ」

 クリスが行ってしまうと、今度は三太と望がやってきた。
「みゆみゆ〜、ぼくとデートしよう」
「へ?」何を言うんだろうか、この人は。
 三太が面白そうに話を始めた。「いやぁ、彷徨と望の大決戦パート2ってところでさぁ、冬のサッカーのキャプテンを賭けて勝負!ってことにしたんだけど、彷徨が棄権するらしくってさぁ」
 ちら、と三太は彷徨のほうを見て、彷徨に聞こえるように大声で言った。「その副賞にしてた未夢ちゃんとのデートの権利は当然、望のものに…」

「だからぁ、」未夢は肩をこわばらせた。眉間には縦じわが集まってきた。「なんでわたしの知らないところで、そういう話になってるわけ…」
 そこまで言ってから、彷徨の視線に気がついた。
 彷徨はわたしのこと、ほんとはどう思ってるのかな―…。
 次の瞬間、未夢は態度を変えた。
「いいよ、どこに行く?」

 驚いたのは当の望と、話を持ちかけた三太の方だった。まさか未夢が、彷徨を差し置いて他の男子と「デート」ということを承知するとは思っていなかった。望にすれば、ただただ、彷徨をひっぱり出す口実になればよかったし、三太にすれば、彷徨が困る顔を見て面白がってみたかっただけなのだ。
 望と三太は、顔を見合わせて立ちすくんでしまった。

 ガタン、という大きな音で、短い硬直は破られる。
「しょうがねーな、ったく」彷徨は廊下に向かいながら、振り向きざまに望に向かっていった。「棄権なんかしてねーだろ、先に行ってるからな」
 あ然とした。
 「待ってくれよ、彷徨くん」望は追いかけた。
 三太は呆けていたが、ふふん、と楽しげに声を発すると「わかりやすいヤツだよなぁ」とぶらぶら後を追った。

 なにが?
 三太くんは彷徨と付き合いが長いから、わたしのわからないこともわかるのかな―…。
 ずっと彷徨のそばにいて、わかったつもりになってたけど、ほんとはわたし、彷徨のこと何にもわかってない―…。
 未夢はただ、悲しかった。彷徨の作ったお弁当が、しょっぱく感じた。


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