わんだりんぐ・どりーむず

#12

作:山稜

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 ことばの意味が、把握しがたい。
 そう宝晶の顔には書いてあった。
 とりあえず、きいてみんとわからんな、とも。

「もうしばらく預かれないかって、なんじゃ」
「だから…半月あとになったら、未夢の父さん母さん、帰ってくんだろ」

 扉のすき間から、そっとのぞいてみる。
 彷徨が真剣な顔をして、宝晶に向かっている。
 宝晶はいすに腰掛けて、いま取り出したビールびんの栓をぬいた。

「ああ、そうじゃな」
 あいづちを打つ宝晶に、彷徨はさらに言う。
「でも、そうなったらあいつ、また転校だし」
 宝晶はグラスにビールを注ぎ、コクリと一口飲んで言った。
「そりゃそうなる。光月さんとこからじゃ、こっちの中学には通えんだろ」

 さすがに今の時期では夜中にビールは寒いの、とぶつぶつ言っているのを気にも留めず、彷徨は続けた。
「だから、もうしばらく未夢をうちで預かれないかって」
 残りをグッと飲む。まだ半分ぐらいは残っている。宝晶は言った。
「そうじゃな、その方がよかろう」

 あまりにもカンタンな返事に、彷徨は絶句した。
「なんじゃ変な顔をしおって、お前が言い出したんじゃろうが」

「いや、そうだけど…」
彷徨の口は開いたままふさがっていない。
「いいのかそんなこと、カンタンに決めちまって」

 宝晶は彷徨の顔をまじまじと見つめた。
「かまわんじゃろ、どうせもう2学期も終わる。
 年内一杯はこっちで過ごして、年明けぐらいから帰ればちょうどキリもいいしのぉ」

 彷徨は肩を落とした。
「オヤジ…そうじゃなくて…」
「そうじゃなくて、なんじゃ」
 またひと口、グラスの中身を口に運ぶ。彷徨は宝晶をじっと見つめた。
「そうじゃなくて、その…」
 宝晶は何も言わず、じっと聞いている。

 確かに台所は少し寒かったが、それにしても彷徨の顔は赤い。
「もっと先…中学卒業するまでとか…それが無理なら、せめて2年生が終わるまで、うちで…っ」

 宝晶はビールをまた注いでいた。
 泡がこぼれそうになって慌てた。
 きーてんのか、と言う彷徨。
 泡がおさまるのを待っていた。
 ちょうど1センチ。
 うむ、よかろうとうなづいた。
 そして…彷徨の目を、じっと見た。

「なぜじゃ」

 ふだんは見ない、父の眼光。
 言葉がうまく出てこない。
「なぜって…そりゃ…」
 床に視線が落ちる。
「未夢だってこっちに友達、いっぱいできたし…中途半端に転校転校じゃ、勉強だって…」
「そうじゃなかろう」

 宝晶はグラスをとった。
 またひとくち運んだ。
 息子をじっと見る。
 息子が見つめていたのは、父の手の中のあわ立ちだった。

 その立ちのぼるのを、もったまま。
「未夢さん、そこにおるんじゃろう?寒いからこっちにお入りなさい」

 とつぜんだ。
 おどろいた。
 とびらを開けた。
 手をそれにぶつけた。
 ガン、という音。
 いたいっ、という声。

「あはっ、あはは、ごめんなさいっ」
 手を押さえながら入ってくる未夢に、目を丸くしていた彷徨は尋ねるともなく言った。
「きーてたのか…」
「ごめん…立ち聞きするつもりじゃ、なかったんだけど」
 小さくなる未夢に、ふぅとため息をついて、頭をかく。

「まあまあ」宝晶が声をかけた。「ええから、ふたりとも座んなさい」
 言われて、小さくなったまま座る。
 となりに彷徨が座った。頬杖をついて、あさっての方を見ている。
 未夢はちらっと彷徨を覗き見た。気がついて、彷徨も視線を未夢に向ける。

 目許、口元、指先、眉。
 視線が泳ぐ。
 再び目許に流れ着いたとき、彷徨の視線も同じところに漂着していた。

「未夢さん」
 不意に宝晶が声をかけた。
「はっ、はいっ」
 また小さくなってしまう。
「未夢さんも、そう思っとるんじゃな」

 何も言えなかった。
 彷徨を見た。
 彷徨は未夢の目を見ている。
 優しさと、とまどいをいり混ぜて。
 でも、それになぜか、安心してしまう…。

 そのまま、うなづいた。

「そおか…」
 宝晶はため息をひとつつくと、言葉をひとつひとつ、碁石を置くように言った。
「しかし、お前さんがた、優さんと未来さんの気持ちを考えたことは…あるかの」

 未夢の耳に、昼間の優の嬉しそうな声がよみがえった。
≪クリスマスには、また一緒に暮らせるな…≫

 ルゥの両親の姿が浮かんだ。
 やっと手許に子供がもどったときの喜びを、目の当たりにした。
 そういうの、よくわかってるじゃない…。

 彷徨は黙っている。
 目を閉じて、口をゆがめていた。
 未夢が見ているのに気がつくと、視線をそらせた。
 また少しだけ、未夢を見る。
 結局、視線を落とした。

 彷徨…。

 彷徨はテーブルに、手で言葉を押し付けた。
「…寝るわ、おれ」
 立ち上がった。
 未夢の肩に手を伸ばしかけたが、ほんの10センチも手を動かさないうちにやめた。
「…おやすみ」
 ひとり、出て行った。

 かなた、と声を出そうとして、背中に押し戻された。
 押し付けられた言葉が、テーブルの上でしおれている。

 宝晶はその様子を見て、言った。
「未夢さん、冷えてしまったじゃろ。ミルクでもあたためてあげよう」
 冷蔵庫から牛乳のパックを取り出すと、手付鍋に入れた。チッチッチッとコンロが音を立て、青い炎が広がる。それを少し絞り、鍋をかけると、宝晶は、ぽつ、と言った。

「未夢さんには、本当にすまんことをしたのぉ」

「えっそんなっ」未夢は慌てた。何と応えていいか、わからない。
 親指で出て行ったほうを差しながら、宝晶は続けた。
「あれの顔を見ると、あれの母親を思い出すで、なかなかまともに話す事はできんのじゃが…
 あれの母親が亡くなってからもう10年になろうかというのに、まだ悲しゅうてなぁ。
 わしは僧侶としては失格じゃと思っておったんじゃ」

「それは…でもっ」
 未夢は言葉に困った。そんな話があるものか…と漠然とは思うのに、うまく言えない。

「いいんじゃよ、未夢さん。あんたはやっぱり優しいのぉ。
 しかし僧侶と言うもんは、この世のひとびとを救わねばならん。
 そのためにこの世の迷いを捨てねばならん。
 その僧侶が迷うておって、何のための僧侶じゃ、わしゃ何のために生まれてきたんじゃ、と。
 世界の人々を救いたいという、瞳の願いも叶えられん、
 瞳は何のために生まれてきて、わしのところにやってきて、
 そして何のために先立ったんじゃ…と。
 修行でそれがわかるかと思ったんじゃ」

 宝晶は深々と頭を下げた。
「慌てて出てしもうて、本当にすまんことをした。許してくだされ」
 未夢は手をぶんぶん振りながら、あわてて言った。
「おじさんっ、そんなに頭、下げないでくださいっ、わたしホントになんともっ」

 沸いてきた。
 火を止め、マグカップを取り出し、注ぐ。
 それを未夢の目の前に置くと、宝晶は言った。
「しかし…彷徨とふたりだけでは、だいぶ不便も強いたじゃろ」
 申し訳なさそうな宝晶に、未夢は応えた。
「でもっ、彷徨のおかげでさびしくなかったんですっ、彷徨はいっつも私のことを…」

 はっと自分の言っていることに気がつく。彷徨の親を相手に、何を言っているのだろう。
「…わっわたし、それまでいつも、ひとりだったからっ」
 宝晶は笑いながら応じた。
「えぇえぇ、わかっとるわかっとる」
 泡のほとんど消えてしまったグラスを一気に開けてしまい、瓶の中身が空なのを確かめながら、宝晶は言った。
「しかし、子供のことを思わん親は、おらんよ」

 わかっている。
 わかっているから、余計にどうしていいかわからなくなった。

「さ、もう遅い。今晩はもう寝なされ」
 そう言うと、宝晶は自分のグラスとビール瓶を流しに持っていった。ミルクを温めた鍋も、流しに入れる。未夢の目の前のマグカップを見て、付け加えた。
「ミルクは、部屋まで持っていきなさるか」
 未夢はうなづいて、マグカップを持って立ち上がると、軽く会釈をして台所を出た。



 部屋に戻ると、未夢は畳の上にマグカップを置いて、その場に座った。
 湯気の向こうから、聞こえてくる。

≪しかし、子供のことを思わん親は、おらんよ≫

 わかってる。

≪クリスマスにはまた、一緒に暮らせるな≫

 わかってるけど、

≪こぼれるんだ―…≫

 わたしは、約束したんだもん―…。

 涙がひとつ、大きな瞳から、こぼれた。
 グジュグジュと、鼻の奥が鳴る。

 静かに襖の開く音がした。
「未夢?」

 母の声は、胸の奥にしみて、少しいたんだ。

「ママ…」
 見上げると、優しそうな母の顔がある。
 ひざを揃えて畳につけて、未来は未夢を見つめた。
 少し首をかしげて、顔を覗いている。

 どうしたらいいの…。
 どうしたら…。
 ママを、パパを、悲しませたくない…。

 話したら、どう思うだろう…。
 でも、ママなら―…。
 ママなら、わかってくれるかな―…っ。

 未夢は思い切った。

「ママっ、わたし、…」
 母の目を見た。
 また少し首をかしげて、黙って聞いている。

「わたし、…ここに、いたい―…っ」


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