わんだりんぐ・どりーむず

#11

作:山稜

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 未夢はかぼちゃを手に、流し台に向かった。
 蛇口をひねる。水が冷たい。

「しっかり洗うんだよ、たわしとか使って」
 別の下ごしらえをしながら、優が後ろから声をかける。
「は〜いっ」
 冷たくても、一生懸命洗う。

「もうこんなもんかな」
 水を切って、持っていく。優がうなずいたのを見て、未夢はかじかんだ手に包丁を持った。
「どれくらいの大きさに切るの?」

 優はにこやかだ。
「うーん、そうだねぇ…切るのもいいんだけど、先にあっためようか」
「ええっ、切らないであっためちゃうのっ?」
「こうやってね、」優はかぼちゃを手にすると、電子レンジへ向かった。「ラップをかけないで、まるごと電子レンジに入れて…これ、結構大きいから5分ぐらいにするかな…、電子レンジであっためると、切りやすくって料理が楽なんだよ」

 思い出した。あまりにも皮が硬くて、包丁が抜き差しならなくなってしまって、電動ドリルまで持ち出そうとしたっけ…。
 未夢は自分の顔が赤くなるのを感じていた。

「どうしたんだい未夢、気分でも悪くなったかい?」
 首を振って応えた。ホッとして優は続けた。
「じゃ、あれができたら4つに切ろう」
 ちょっと少なかったか、とか、まぁいいか、とかぶつぶつ言いながら、優は次の支度を始めている。

「ところで、どうしてかぼちゃ料理なんだい?」
 不意にそんな質問をされて、未夢は口から心臓が飛び出そうになった。
「どどど、どうしてって、その…おいしそうだったから…」

 もう顔は真っ赤だ。絶対そうだ。
「んん〜?」優は怪訝な顔をした。「パパ、心配だなぁ」
 自分の心臓が脈を打っている様子が頭に浮かぶ。耳の中で、脈の音が聞こえるような気がする。
 まさか優にまで、彷徨のことを詮索されるとは思ってもみなかった…。

 優は未夢の顔を覗き込んで、言った。
「未夢が最初に取ったかぼちゃはひどかったぞ?あれをおいしそうだと思ったんなら、ちょっと考え直さないと。いいかい、かぼちゃはね、ズシッと重くて、皮につやがあって堅くって、ヘタがやわらかくないのがいいんだ。切り売りしてるやつだったら…」

 優は話すのに夢中になっている。
 未夢の気が抜けている間に、優の話はレシピに移っていたらしい。

「まず、ホワイトソースを作ろうか、それから…」



 台所から楽しげな話し声と、いい匂いが届いている。
 居間の未来は、嬉しそうにそれを聞いていた。

「どうです未来さん、晩飯までに我々は少しいただきましょうか」
 宝晶が瓶ビールとグラスをふたつ、持ってきていた。
「おいオヤジ、おじさんが一生懸命作ってくれてるのになんだよ」彷徨は咎めた。
「いーわよ彷徨くん、気にしない気にしない」未来はグラスを受け取りながら言う。

「でも…第一、あんだけ大騒ぎして行ってきた修行から帰ってきて、いきなり酒ですからね」
 彷徨は呆れ顔だ。
「なんじゃったらお前も飲むか?」
 いたずらっぽく笑う宝晶に、彷徨はかみついた。
「どこの世界に中学生の息子に酒、勧める坊主がいんだっ、ったくっ」
 大人たちは笑っている。彷徨はむくれ顔をした。

 未来がふと思い出して、尋ねる。
「そういえば宝晶さん、彷徨くんに修行の話、されたんですか?」
「いや、まだじゃ」
「修行の話っても、どうせまた瞬間爆睡とかバカなことなんでしょう」彷徨はまだ口を尖らせている。
「違うのよ、ねぇ宝晶さん」未来は宝晶にビールを注ぎながら言った。
「あ、ああ…まぁ、そうですな」

 宝晶は飲む前から少し赤い。彷徨はしびれを切らした。
「もったいつけてないで、言うんなら早く言えよ」
 注がれたビールを一気に飲み干して、ぷはーっ、と声を上げると、気恥ずかしそうに宝晶は話し始めた。

「わしはな…いろいろな修行をやったんじゃ。滝に打たれてみた。火が燃え盛る間を歩いてみた」
 彷徨はそれを聞いて即座に言った。
「でもお釈迦さんは、そういう苦行は否定してんじゃなかったか?」
「ふむ。しかし、そうとも限らんのじゃ。釈尊の直弟子にも、苦行をしておった人はおるからの。

 とにかくなんでも、やれる機会に恵まれたものはやってみようとおもったんじゃ。
 まぁしかし、釈尊が否定したと言われておるだけあって、そういう苦行は何の効果もなかったのぉ。
 むしろ考えさせられたのは、托鉢じゃ。
 10人以上の集団になって、黄色い袈裟1枚だけを着て、村々を練り歩くんじゃ。
 向こうの経文はまるで歌のようでな、皆で合唱をして歩いているようなものじゃが、
 ずっと同じことを歌いながら、途切れてはいかんのじゃ。これはこれで辛い」

 彷徨はじっと聞いている。宝晶はさらに続けた。

「自然の中で瞑想もした。大僧正と問答もした。いろいろなことを尋ねた。聞いた。しかし、結局は、その中から何も得るものはなかったんじゃ」
「なんだよ、それじゃ無駄だったんじゃねーか」
 彷徨は呆れ顔で宝晶に毒づいたが、宝晶は穏やかに応えた。
「いいや、無駄ではなかったぞ」

 そう言うと、未来が注いでおいたビールグラスに手を伸ばし、その半分ほどをぐいと飲み干すと、グラスの中に昇る細かな泡を見つめた。

「わしはなぁ、どんな修行をしても、彷徨のことが頭から離れんかったよ」
 ぽつりとそう言うと、宝晶はグラスの残りを空けた。

「世俗の全てを離れて、悟りを開こうと思おた。
 思おたが、何をするにしても日本に残してきたお前のことが頭に浮かんでの…。
 それがまた、焦りになり、焦って焦って、またどんどん悟りから遠ざかるんじゃ。

 そんなときに、光月さんから誘いを受けたんじゃ。
 アメリカへこんか、あるいは日本にもどらんか、と。
 わしもどうしようか迷おたが、ここは素直に行ってみるか、帰ってみるかと。
 そしてお前の顔を見て、わかったんじゃ。

 どれだけ心を無にしようとしても無にならないのであれば、
 お前のことが気になってしまうのであれば、
 それがわしじゃ。わし自身なんじゃ。わしの本質なんじゃ。

 悟りを得て迷いを無くすのも結構じゃが、
 そのために子供を思う気持ちまで捨てねばならんのなら、
 もう悟らんでもよいわ、と思ったんじゃ。
 そう思おたら、いままで抱えておった苦しみや悲しみは、みぃんなどうでも良ぉなった」

 未来の目には少し、光るものがあった。

 宝晶は彷徨に、照れくさそうに言った。
「要は、曲がりなりにも、わしもひとりの人間じゃということじゃ」

 手元のグラスを口元に持っていこうとして、中身がないことに気がついた。
 そばの瓶を取るが、軽い。
「彷徨、無くなっとる。もう1本持ってきてくれんか」

「ったく、だまって聞いてりゃこれだからなっ」
 ひとこと言うと、彷徨は軽く腰を上げた。



 彷徨が台所に入ってみると、もうほとんどの料理ができていた。

「あっ彷徨、もうできるから、そのへんのから持ってってっ」
「あ…あぁ」

 彷徨が見てみると、かぼちゃ料理ばかりだ。
「おまっ…これっ」
 目を丸くしている彷徨に、未夢は嬉しそうに言った。
「すごいでしょ、かぼちゃのチーズグラタンに、かぼちゃのラタトィユ、かぼちゃサラダに…こっちはかぼちゃのピクルスなんだよっ」

 彷徨は言葉をなくしている。居間から未来が来た。
「あらぁ、かぼちゃづくし?」
 未来は皿を一通りながめると、未夢と彷徨の顔を交互にのぞき込んだ。

「そっかぁ、彷徨くんってかぼちゃ、大好物なのよねぇ?」
 のぞき込まれたふたりは顔を真っ赤に染め、うつむいている。
「えっ、そうだったの?」
 驚いているのは優ひとりだった。



 一旦はふとんにもぐった未夢だったが、眠れなかった。

 あーあ、なんだかなぁもうっ…。
 せっかく彷徨が喜ぶかと思ったら、パパ、なんか妙な顔してるし…。
 味は…よかったよねぇ、今日の料理…?

 なんか…のど渇いちゃったな…。
 お水、もらおう…。



 台所からは、話し声が聞こえてきた。
 だれだろう…。

「またビールかよっ、飲みすぎだぞっ」
 彷徨…
「まぁそうカタいこと言うな、彷徨」
 と、おじさん?
 まぁいいや、お水もらって寝よ寝よっ。

 未夢が台所の戸に手をのばしたとき、彷徨の声が聞こえてきた。
「なぁオヤジ…」
「なんじゃ彷徨、妙な顔をしおって」
「未夢のことなんだけどな…」

 自分の名前が出てきて、かけた手を止めた。
 彷徨の声が続いた。

「もうしばらく、うちで預かれないか―…?」


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