作:山稜
未夢はかぼちゃを手に、流し台に向かった。
蛇口をひねる。水が冷たい。
「しっかり洗うんだよ、たわしとか使って」
別の下ごしらえをしながら、優が後ろから声をかける。
「は〜いっ」
冷たくても、一生懸命洗う。
「もうこんなもんかな」
水を切って、持っていく。優がうなずいたのを見て、未夢はかじかんだ手に包丁を持った。
「どれくらいの大きさに切るの?」
優はにこやかだ。
「うーん、そうだねぇ…切るのもいいんだけど、先にあっためようか」
「ええっ、切らないであっためちゃうのっ?」
「こうやってね、」優はかぼちゃを手にすると、電子レンジへ向かった。「ラップをかけないで、まるごと電子レンジに入れて…これ、結構大きいから5分ぐらいにするかな…、電子レンジであっためると、切りやすくって料理が楽なんだよ」
思い出した。あまりにも皮が硬くて、包丁が抜き差しならなくなってしまって、電動ドリルまで持ち出そうとしたっけ…。
未夢は自分の顔が赤くなるのを感じていた。
「どうしたんだい未夢、気分でも悪くなったかい?」
首を振って応えた。ホッとして優は続けた。
「じゃ、あれができたら4つに切ろう」
ちょっと少なかったか、とか、まぁいいか、とかぶつぶつ言いながら、優は次の支度を始めている。
「ところで、どうしてかぼちゃ料理なんだい?」
不意にそんな質問をされて、未夢は口から心臓が飛び出そうになった。
「どどど、どうしてって、その…おいしそうだったから…」
もう顔は真っ赤だ。絶対そうだ。
「んん〜?」優は怪訝な顔をした。「パパ、心配だなぁ」
自分の心臓が脈を打っている様子が頭に浮かぶ。耳の中で、脈の音が聞こえるような気がする。
まさか優にまで、彷徨のことを詮索されるとは思ってもみなかった…。
優は未夢の顔を覗き込んで、言った。
「未夢が最初に取ったかぼちゃはひどかったぞ?あれをおいしそうだと思ったんなら、ちょっと考え直さないと。いいかい、かぼちゃはね、ズシッと重くて、皮につやがあって堅くって、ヘタがやわらかくないのがいいんだ。切り売りしてるやつだったら…」
優は話すのに夢中になっている。
未夢の気が抜けている間に、優の話はレシピに移っていたらしい。
「まず、ホワイトソースを作ろうか、それから…」
◇
台所から楽しげな話し声と、いい匂いが届いている。
居間の未来は、嬉しそうにそれを聞いていた。
「どうです未来さん、晩飯までに我々は少しいただきましょうか」
宝晶が瓶ビールとグラスをふたつ、持ってきていた。
「おいオヤジ、おじさんが一生懸命作ってくれてるのになんだよ」彷徨は咎めた。
「いーわよ彷徨くん、気にしない気にしない」未来はグラスを受け取りながら言う。
「でも…第一、あんだけ大騒ぎして行ってきた修行から帰ってきて、いきなり酒ですからね」
彷徨は呆れ顔だ。
「なんじゃったらお前も飲むか?」
いたずらっぽく笑う宝晶に、彷徨はかみついた。
「どこの世界に中学生の息子に酒、勧める坊主がいんだっ、ったくっ」
大人たちは笑っている。彷徨はむくれ顔をした。
未来がふと思い出して、尋ねる。
「そういえば宝晶さん、彷徨くんに修行の話、されたんですか?」
「いや、まだじゃ」
「修行の話っても、どうせまた瞬間爆睡とかバカなことなんでしょう」彷徨はまだ口を尖らせている。
「違うのよ、ねぇ宝晶さん」未来は宝晶にビールを注ぎながら言った。
「あ、ああ…まぁ、そうですな」
宝晶は飲む前から少し赤い。彷徨はしびれを切らした。
「もったいつけてないで、言うんなら早く言えよ」
注がれたビールを一気に飲み干して、ぷはーっ、と声を上げると、気恥ずかしそうに宝晶は話し始めた。
「わしはな…いろいろな修行をやったんじゃ。滝に打たれてみた。火が燃え盛る間を歩いてみた」
彷徨はそれを聞いて即座に言った。
「でもお釈迦さんは、そういう苦行は否定してんじゃなかったか?」
「ふむ。しかし、そうとも限らんのじゃ。釈尊の直弟子にも、苦行をしておった人はおるからの。
とにかくなんでも、やれる機会に恵まれたものはやってみようとおもったんじゃ。
まぁしかし、釈尊が否定したと言われておるだけあって、そういう苦行は何の効果もなかったのぉ。
むしろ考えさせられたのは、托鉢じゃ。
10人以上の集団になって、黄色い袈裟1枚だけを着て、村々を練り歩くんじゃ。
向こうの経文はまるで歌のようでな、皆で合唱をして歩いているようなものじゃが、
ずっと同じことを歌いながら、途切れてはいかんのじゃ。これはこれで辛い」
彷徨はじっと聞いている。宝晶はさらに続けた。
「自然の中で瞑想もした。大僧正と問答もした。いろいろなことを尋ねた。聞いた。しかし、結局は、その中から何も得るものはなかったんじゃ」
「なんだよ、それじゃ無駄だったんじゃねーか」
彷徨は呆れ顔で宝晶に毒づいたが、宝晶は穏やかに応えた。
「いいや、無駄ではなかったぞ」
そう言うと、未来が注いでおいたビールグラスに手を伸ばし、その半分ほどをぐいと飲み干すと、グラスの中に昇る細かな泡を見つめた。
「わしはなぁ、どんな修行をしても、彷徨のことが頭から離れんかったよ」
ぽつりとそう言うと、宝晶はグラスの残りを空けた。
「世俗の全てを離れて、悟りを開こうと思おた。
思おたが、何をするにしても日本に残してきたお前のことが頭に浮かんでの…。
それがまた、焦りになり、焦って焦って、またどんどん悟りから遠ざかるんじゃ。
そんなときに、光月さんから誘いを受けたんじゃ。
アメリカへこんか、あるいは日本にもどらんか、と。
わしもどうしようか迷おたが、ここは素直に行ってみるか、帰ってみるかと。
そしてお前の顔を見て、わかったんじゃ。
どれだけ心を無にしようとしても無にならないのであれば、
お前のことが気になってしまうのであれば、
それがわしじゃ。わし自身なんじゃ。わしの本質なんじゃ。
悟りを得て迷いを無くすのも結構じゃが、
そのために子供を思う気持ちまで捨てねばならんのなら、
もう悟らんでもよいわ、と思ったんじゃ。
そう思おたら、いままで抱えておった苦しみや悲しみは、みぃんなどうでも良ぉなった」
未来の目には少し、光るものがあった。
宝晶は彷徨に、照れくさそうに言った。
「要は、曲がりなりにも、わしもひとりの人間じゃということじゃ」
手元のグラスを口元に持っていこうとして、中身がないことに気がついた。
そばの瓶を取るが、軽い。
「彷徨、無くなっとる。もう1本持ってきてくれんか」
「ったく、だまって聞いてりゃこれだからなっ」
ひとこと言うと、彷徨は軽く腰を上げた。
◇
彷徨が台所に入ってみると、もうほとんどの料理ができていた。
「あっ彷徨、もうできるから、そのへんのから持ってってっ」
「あ…あぁ」
彷徨が見てみると、かぼちゃ料理ばかりだ。
「おまっ…これっ」
目を丸くしている彷徨に、未夢は嬉しそうに言った。
「すごいでしょ、かぼちゃのチーズグラタンに、かぼちゃのラタトィユ、かぼちゃサラダに…こっちはかぼちゃのピクルスなんだよっ」
彷徨は言葉をなくしている。居間から未来が来た。
「あらぁ、かぼちゃづくし?」
未来は皿を一通りながめると、未夢と彷徨の顔を交互にのぞき込んだ。
「そっかぁ、彷徨くんってかぼちゃ、大好物なのよねぇ?」
のぞき込まれたふたりは顔を真っ赤に染め、うつむいている。
「えっ、そうだったの?」
驚いているのは優ひとりだった。
◇
一旦はふとんにもぐった未夢だったが、眠れなかった。
あーあ、なんだかなぁもうっ…。
せっかく彷徨が喜ぶかと思ったら、パパ、なんか妙な顔してるし…。
味は…よかったよねぇ、今日の料理…?
なんか…のど渇いちゃったな…。
お水、もらおう…。
◇
台所からは、話し声が聞こえてきた。
だれだろう…。
「またビールかよっ、飲みすぎだぞっ」
彷徨…
「まぁそうカタいこと言うな、彷徨」
と、おじさん?
まぁいいや、お水もらって寝よ寝よっ。
未夢が台所の戸に手をのばしたとき、彷徨の声が聞こえてきた。
「なぁオヤジ…」
「なんじゃ彷徨、妙な顔をしおって」
「未夢のことなんだけどな…」
自分の名前が出てきて、かけた手を止めた。
彷徨の声が続いた。
「もうしばらく、うちで預かれないか―…?」