作:英未
手塚がいない関東大会。
氷帝学園との試合において肩を壊した手塚の穴を埋めるべく、リョーマが、桃城が、海堂が、大石部長代理にその負けず嫌いな性格を上手く利用されて(?)奮戦,し、青春学園(東京)の決勝進出が決まった。続いて昨年の優勝校立海大附属(神奈川)、シード校六角(千葉)。そしてつい先ほど、シード校の山吹(東京)を破り、不動峰(東京)がベスト4進出を果たした。
青春学園、全国大会へ!
「リョーマくん、どこ行っちゃったんだろう…」
今は昼食休憩。
歓喜に湧く青学メンバーの中に、1年生レギュラーのリョーマの姿がなかった。
準決勝進出を果たした彼に差し入れしようと思ったのに……
困り顔で、きょろきょろと辺りを見回す。
「河村先輩に、こっちのほうに行ったって教えてもらったんだけどなぁ」
リョーマといると、男テニの先輩たちに、よく「ご両人!」と冷やかされるのでいつも恥ずかしい思いをするのだが、彼を探す自分に気付いてくれたのが穏やかな河村だったため、桜乃はほっとしたのだった。
(でも、河村先輩がラケット持ってたら、やっぱ冷やかされたかも…)
軽くため息をついた。
(そんなんじゃないんだけどな…)
たしかに、リョーマはかっこいいと思う。けれど、自分がテニスを始めた理由は、リョーマのフォームがとてもきれいで、とんでもなく強くて自信に満ち溢れていたから… もしかすると、自分もテニスを始めれば、このドジで少々引っ込み思案な自分を変えられるかもしれないと、あの時桜乃は思ったのだった。
そんな決心をさせてくれたのがリョーマだから、桜乃は何かと彼を応援する。出来ることは限られているけれど、応援することで少しでも彼の力になれればと思っている。彼のおかげで、世界が変わったような気がするから、感謝を込めて少しでも何かを返したい。
(ほんとに、それだけなんだけどな…)
そんなことを考えながら、また辺りをきょろきょろと探す。
「あ!」
見つけた。
傍若無人な青学ルーキーは、木陰ですやすやとお昼寝中。
(すごい余裕……)
半分呆れ顔で、桜乃はリョーマを覗き込んだ。
「よく寝てる…」
無理もないかもしれない。リョーマの身長は桜乃とかわらない。そんな小柄な彼が体格のいい先輩選手たちと激闘を繰り広げているのだ。
すごい、と思う。
コートに立つリョーマを見ていると、可能性は無限に広がっているのだと信じさせられる。
こんな小さな体で、彼は臆することなく、強敵に立ち向かっていく。
もう、応援せずにはいられない。
「かっこいいな…」
ぽそっとつぶやいて、顔を赤らめた。
ほっ、とした。
リョーマが寝ていてよかった…
外した視線をリョーマに戻し、桜乃はくすっと笑った。
無防備なリョーマの寝顔は、普段のクールな彼とは別人のようだ。
(なんか、かわいい…)
そういえば…と、桜乃はまじまじとリョーマを見つめた。
たしか、リョーマは先輩に「おチビ」と呼ばれている。
なんとなく、生意気なルーキーと言いながらも、レギュラーたちはリョーマをかわいい末っ子のように扱っている気がする。青学の母はもちろんのこと、青学の父(?)さえも、彼の言動にため息をつきながらも、よく面倒を見ているような…… なかにはライバル心むき出しのレギュラーもいるが、そんな彼でさえ、リョーマが怪我をしたときには気遣いを見せていた。入部当初は彼のクールな性格を誤解されたものだが、今は……
(先輩たちが、リョーマくんって存在を認めてくれたんだよね)
何故か、自分のことのように嬉しくなった。
今では桜乃も、リョーマのことについて少しずつ知るようになった。知るたびに嬉しかった。ほんの些細なことでも、リョーマのことなら何でも知りたい。そして、リョーマのほうでも、今では自分の名前を覚えてくれて、「竜崎」と呼んでくれる。名前ではなく名字だけれど、呼び捨てにされると、なんとなくそれだけ親密な気がして嬉しい。
さらっ、と風がリョーマの前髪を揺らした。
その風が、桜乃の髪も揺らしていく。
なにか、ひっかかった。
少し考え顔になって、桜乃はリョーマの隣に寝転んだ。
青い青い空が、どこまでも広がっている。
まるでリョーマが見せる可能性のように、果てがない。
でも、手を伸ばしても届かない、高い高い所にある空。
ゆっくり、リョーマを振り返る。
そっと、震える手で彼のジャージの袖をつまむ。
そのまま、すっと目を閉じた。
ほろっと、涙が出た。
とくん。
(私……)
とくん。
(私……、リョーマくんのこと………)
きゅっ、とジャージを持つ手に力を込める。
ふとひっかかった何かが形になって、桜乃の心を占めていく。
そんなんじゃないと思っていた。
ただ、リョーマが放つ輝きにあこがれているだけだと思っていた。
でも……
それだけじゃ、なかったんだ……
いつの間にか……
リョーマくんのこと………
突然気付いた気持ちに、血の気が引いていく。
(どうしよう……)
思わず顔を覆った。
(これじゃ、朋ちゃんとライバルになっちゃう……)
親友の小坂田朋香は、いつも全身でリョーマにラブコールを送っている。明るく元気で、運動神経抜群の朋香。一緒にリョーマにテニスを教えてもらったとき、あのリョーマが軽く驚いて興味を示したくらいだ。
「きっと、リョーマくん、朋ちゃんみたいな女の子が好きなんだろうな…」
かないっこない。
あの空と同じ。
手を伸ばしても、きっとリョーマには届かない……
「こら桜乃。なんで泣くの? 朋ちゃんの想いが通じるかもしれないのに…」
力なく自分を叱って起き上がった。
気付かなければよかった。
そうすれば、こんな悲しい気持ちにならなかった。
親友として、朋香の笑顔が見られるのは嬉しいけれど、自分の気持ちはどうすればいいのだろう。リョーマを想う、この気持ちは……
(あきらめるしかないのかな……)
そう、気付いた気持ちを押し隠して。
気付かなかったふりをして。
いつものように、笑顔で二人を見ればいい。
ほろほろと、涙がこぼれた。
(それで、いいの……?)
ふと、空を見上げた。
無限の可能性が広がる青空。そんな青空に、リョーマの姿が重なる。
『諦めの早い奴』
そんなふうに言われた気がして、はっとリョーマを振り返った。
準決勝を前にして、リョーマに気負った様子は全くない。
不安はないのだろうか? でも、彼のことだ。例え不安があっても表には出さない。どんな窮地に陥っても必ず道を開いていくだろう。彼は、本当に強い。それに比べて自分は……
「まだまだ…だね」
そっと自分に向かってつぶやいた。
何のために、自分はテニスを始めたんだろう。自分を変えるためではなかったの?
「そう、だよね…」
最初から諦めちゃダメ。それはリョーマが教えてくれたこと。
テニスと恋では勝手が違うのかもしれないけれど……
「いろんなこと頑張るために、テニスを始めたんだもんね……」
リョーマと約束。
青空と約束。
先のことなんて分からない。
でも、いつかきっと、変われる気がする。
(好きでいても、いいよね……?)
ふわっ、と桜乃が笑った。
ふっ切れたように、目を輝かせた。
「リョーマくん……」
伝えたいことがたくさんある。
でも、言葉が浮かばない。
もどかしくて、そっと、リョーマの腕に手を置いた。
「私… 応援してるから」
そのひと言にたくさんの想いを込めて、差し入れと簡単なメモを置くと、桜乃は立ち上がった。今日は新しい自分が歩き始めた日なのだと感じながら、青空を見上げた。
桜乃の目に、青い、青い、無限の可能性が映った。
「テニスの王子様」#tp-s002西遠寺英未(2005.6.13)