作:英未
* Hollyhock・・・タチアオイ
じっ と、未夢は見つめていた。
目の前には、縁側の柱にもたれて寝入っている彷徨の顔。
(もうっ、久しぶりに西遠寺に来たのにっ)
両親の帰国に合わせて未夢が西遠寺を去ったのは、この春先のことだった。彷徨と離れて暮らすようになって、最初の頃はなんだかんだと理由をつけて遊びに来ていたものの、少しずつ向こうでの生活の慣れてくると、友だちからの誘いや学校の行事と、めまぐるしい毎日が続くようになった。
彷徨とのやり取りも少しずつ回数が減ってきて、なんとなく不安に思っていた未夢だったが、ふと思い出したことがあって、それを口実に、連休を利用して彷徨に会おうと決心してやってきたのに・・・
(感動の再会!・・・なんて、少女マンガみたいにはいかないか・・・)
深いため息をついて、未夢は庭をながめた。
あの頃と少しも変わらない、なつかしい風景。
ふっと、未夢はタチアオイに目をやった。
(まだ咲いてなかったんだ・・・)
ピンクや白の花をつけたタチアオイは、先ほどまで降っていた雨のせいか、重たそうに頭(こうべ)を上げようとしている。そんななか、てっぺんのつぼみだけは、まだ固くとじたままだった。
(まだ、来ちゃダメだったのかな・・・)
未夢はひざを抱えて、さびしそうにタチアオイを見ていた。
*****
『ねえ、彷徨。この花、何ていうの?』
昨年の夏、彷徨に教えてもらった花の名前・・・
『タチアオイ』
未夢の背丈ほどありそうな茎から葉が伸びて、つぼみをいっぱいつけている。
下から順にピンクや白の花が咲いているのを見て、未夢は思わずつぶやいた。
『タチアオイって、下から咲くんだ・・・』
『なんだ、知らなかったのか?』
『うん。でも、きれいだね、この花』
『母さんが好きだった花らしい』
『彷徨のお母さんが?』
『ああ』
彷徨の母が好きだった花。彷徨はいつも、母が好きだったという花をまぶしそうに見る。まるで母の姿を、その花に重ねて見ているかのように・・・
『あ、じゃあ、これも知らないだろ?』
『え? なに?』
『タチアオイのてっぺんのつぼみ、これが咲いたら梅雨明けなんだってさ』
『お母さんに教えてもらったの?』
『いや、親父に聞いた。母さんがそう言ってたって・・・。いつもは母さんのことを思い出すとすぐ涙ぐむから、そんな話、しないくせに・・・』
どうしたんだろうな?と笑う彷徨を、ぎゅっと抱きしめたくなったことをおぼえている・・・
*****
「この前、タチアオイのてっぺんのつぼみが咲いたら、彷徨に会いに行くねって言ったのに・・・」
でも、西遠寺のタチアオイは、まだ咲きそろっていなかった。
(うちのタチアオイは、ちゃんと咲いてたのにな・・・)
なんとなく拒絶されているようで、未夢の気持ちは沈む一方だった。
(でも・・・)
くすっと未夢は笑った。
(久しぶりに、彷徨の寝顔を見た)
サラサラの髪、整った顔立ち・・・ 間近で見るとドキドキする。
そっと手を伸ばし、彷徨の頬をつついてみた。
(ふふ、なんかかわいい)
彷徨が起きていたら、ぜったいこんなことはさせてくれない。彷徨は、未夢にお子様あつかいされるのをひどく嫌うから。
さわさわと、庭のタチアオイがゆれた。
(なんだか、私まで眠くなってきちゃった・・・)
あくびをしながら、未夢は彷徨の隣に腰をおろした。
(いいよね、ちょっとだけ・・・)
そっと彷徨にもたれ、未夢はゆっくり目を閉じた。
口元に幸せそうな微笑みを浮かべて・・・
*****
(雨がやんだ・・・?)
閉じたまぶたに陽射しを感じて、彷徨はふっと目を覚ました。
なんだかやけに、右肩が重い気がする。
でも、ここちよいぬくもりがあって、もう少しこのままでいてもいいかな、とも思えた。
(うちは寺だしな・・・)
妙なものでなければいいけどと、彷徨は首をめぐらせた。
そんな彷徨の目にうつったものは、明るい金色の髪に、白い肌・・・
「なっ・・・!?」
驚いたひょうしに、もたれていた未夢の上半身が落下する。
(マズイ!)
・・・危機一髪。床すれすれのところでなんとかキャッチしたものの、彷徨の頭のなかはパニック状態だった。
(・・・未夢か? でも、なんで? それとも親父の新しいイタズラか?)
でも、このぬくもりは嘘じゃない。
そっと未夢を自分にもたれさせかけ、彷徨はわけが分からないといった態(てい)でしばらく未夢を見つめていた。
さわさわと庭のタチアオイがゆれた。
風はタチアオイをゆらすと、今度は彷徨や未夢の髪をそっとなでていった。
ふと思いついて、彷徨は庭を見やった。
「・・・まさか」
今朝はまだつぼみだった。ずっと見ていたけれど、まだ咲くような気配はなかった。なのに、タチアオイのてっぺんのつぼみは、ほこらしげに開いて風を受けている。
タチアオイを見、未夢を見て、彷徨はくすくすと笑い出した。
「すごいな、未夢」
そっと未夢の頬をつついて、彷徨はつぶやいた。
「ちゃんとおぼえてたんだ、あの約束・・・」
朝から降り続いていた雨が嘘のようにあがり、雲間から光が射(さ)している。
梅雨の空のように沈んでいた彷徨の心にも、光が射(さ)し込んでいた。
風がそっと頬をなでるように、彷徨はゆっくりと未夢に顔を近づけた。
*****
ぼんやりと、未夢は目を開けた。なんだか久しぶりに、ぐっすり眠った気がする。
ふあ、と小さくあくびをして、未夢は辺りを見回した。
「え? なんで??」
そこにいるはずの彷徨の姿がない。
いつのまにか鳴きだしたセミの声。誇らしげに風に揺られるタチアオイの花。目が覚めた途端、世界の全てがいっぺんに動き出したような中で、未夢は、眠っている間に自分だけが取り残されてしまったのではないかと感じていた。
そう、彷徨にも・・・
いったい、彷徨はどこにいってしまったのだろう。
自分がどんなに彷徨に会いたくてたまらなかったのか、そんなことさえ気にかけてはくれなかったのだろうか・・・
「彷徨?」
震える声で呼んでみた。
「彷徨っ!」
その瞬間、冷たいものが未夢の頬に押し当てられた。
「ひゃあっ!」
「なんて声出してんだよ・・・」
振り返ると、麦茶のグラスを持った彷徨が、あきれたように未夢を見ている。
「かなた・・・」
「・・・泣いてたのか?」
「な、泣いてなんかいないわよっ!」
(なによ、彷徨のやつ! 人の気も知らないでっ!!)
ぷいっと横を向く未夢に、彷徨はグラスを差し出した。
「そろそろ起こそうかと思ってたけど・・・」
「・・・『けど?』・・・なに?」
まだ許したわけじゃないからね!という態度をとりつつグラスを受け取って、未夢は彷徨の言葉をうながした。
久しぶりに聞く彷徨の声。受話器越しじゃない、彷徨の声・・・ もっと聞いていたい・・・
「自分で起きたのなら仕方ないよなぁ」
残念そうにつぶやく彷徨を、未夢は首をかしげながら見ていた。
「自分で起きちゃ、ダメなの?」
「もう少し楽しませてもらえたほうが・・・」
ふと口をついて出た言葉にあわてながら、彷徨は言い直した。
「どうせ起きるなら、オレがいるところで起きてほしかったんだけど?」
さあっと風が通り抜けた。
庭のタチアオイが、彷徨の言葉にうなずくように揺れている。
「・・・?」
楽しむとはいったい何を楽しむのか、それに何故彷徨の前で起きなければいけないのか・・・?
わけがわからないと顔にかかれた未夢を見ながら、彷徨は深いため息をついた。
「未夢・・・、おまえってホント、にぶいな・・・」
むっとして、未夢が言い返す。
「私のどこがにぶいのよ!」
つめよってきた未夢を、彷徨はいきなり抱き寄せた。
「ちょっ、ちょっと、彷徨」
「こうしてる時間はさ、長いほうがいいだろ?」
彷徨の言葉を頭の中で繰り返すうち、未夢は真っ赤になって、がばっと彷徨から身をはなした。
「彷徨っ、私が眠ってる間に・・・」
何をしたの?・・・とは言葉にならず、未夢は期待と不安が入り混じった顔で彷徨を見つめていた。
*****
「聞きたい?」
にやりと笑う彷徨を、未夢はドキドキしながら見つめている。
「バ〜カ、何もしてないって」
つい、と、彷徨は腰を上げて、庭に下りた。
風に揺れるタチアオイ。突然目を覚ましたかのようなセミの声。
未夢が西遠寺に来た途端、夏の様相を見せ始めた庭・・・。西遠寺の全てが未夢を歓迎しているようだと、彷徨は思った。
そんな彷徨を見ながら、未夢は、ほっとしたような、少しがっかりしたような複雑な思いに気づいて、あわてて気持ちをごまかすように、かける言葉を探していた。
「彷徨、ちょっと待ってて。靴取ってくるね」
「靴? なんで?」
「だって、私も庭に下りたいもん」
玄関に向かいかけた未夢を制するように、彷徨が声をかけた。
「未夢!」
おもわず、未夢は振り返った。
こんなふうに名前を呼ばれると、ドキドキしてしまう・・・
「来いよ」
すっと彷徨の手が、未夢に向けて伸ばされる。
「・・・え?」
「いいから・・・」
引き寄せられるように、未夢は、彷徨の手に自分の手を重ねた。
彷徨は、ゆっくりと、縁側に未夢を座らせる。
「彷徨?」
彷徨は、ふいに未夢を抱き上げた。
「か、かなたっ」
未夢の白いワンピースが、ふわっと花開いた。
「彷徨ってば!」
未夢がおどろいて声を上げるのを気にしたふうもなく、彷徨はそのままタチアオイのほうへと歩き出した。
未夢が西遠寺に来るまでは、重い雨にうなだれていたタチアオイ・・・
今は誇らしげに頭(こうべ)を上げている。
「あ、てっぺんの花・・・」
「気がついたか?」
うれしそうに彷徨が言った。それだけで、未夢は胸がいっぱいになった。
「彷徨・・・」
泣きそうになりながら、未夢はぎゅっと彷徨にしがみついた。
「うちのタチアオイってさ・・・」
彷徨の目がいたずらっぽく光る。
「誰かさんと違ってよくわかってるよな?」
「・・・誰かさんって、誰よ?」
むっとしたように、未夢が問いただす。
「さあ?」
未夢の問いかけに、彷徨は「んべっ」と舌を出して、はぐらかした。
「もうっ、なによ!」
つかみかかろうとする未夢を横目で見て、彷徨は淡々と言い放った。
「そんな態度をとると、どうなると思う?」
「え?」
未夢を抱く彷徨の力が、すっと弱まった。
「や、やだ、ちょっと待ってよ!」
そう叫んで、未夢は彷徨の首にかじりついた。
さわさわと、タチアオイが風に揺れる。
そっと、未夢は目を開けた。
そんな様子を見て、彷徨はくっくと笑っている。
「なっ、だましたわね!」
「これ、いい手だよなぁ」
満足そうに彷徨がつぶやく。
「いい手・・・?」
「だって、そう言えば、未夢が自分から抱きついてくるだろ?」
ぼんっと、未夢の顔が赤くなった。
そんな未夢を見て、彷徨はますます満足そうに笑っていた
(もう、彷徨ったら・・・)
「あ、未夢に言い忘れてた」
「え? な、なに??」
彷徨にじっと見つめられると、ドキドキする。
「おかえり、未夢」
ぱあっと未夢の顔が晴れわたる。
「ただいまっ! 彷徨!!」
おもわず、ぎゅっと抱きしめた。あのとき抱きしめられなかった分もいっしょに、強く、やさしく・・・
「ほう、これはこれは・・・」
そんな二人を、まぶしそうに見守る影があった。
「やはり、彷徨のタチアオイが一番きれいじゃのう」
彷徨の腕の中でやわらかく笑う、白いタチアオイ。西遠寺のタチアオイの中で、一番きれいだと、宝晶は思った。
「やれやれ、彷徨も、ようやく梅雨明けじゃのう」
先ほどまで雨にぬれていた庭のタチアオイが、今では夏の陽射しを一身に浴びている。
「彷徨のタチアオイが、夏を告げてくれたようじゃ・・・」
にこやかに、宝晶は仰ぎ見た。
空は、抜けるように青く、西遠寺の上に広がっていた。
(注)前・後編に分けておりましたが、書棚の整理にあたり、ひとつにまとめました。とりあえず、あとがきは当時のまま残しております。
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校正もかけずに投稿とは、なんて大胆な・・・(^_^;)
書いては消し、書いては消しの繰り返しで、いいかげん決心しないとずっと投稿できないような気がして・・・
いつもと違って、思いつくまま書きました。まるで1年前に戻ったようです。どう収拾つけるつもりなんだろう、私・・・(T-T)
・・・というわけで、続きます。
(↑前編終了時コメント)
(そして・・・後編終了時コメント)
・・・書けてほっとしました(笑)
ご感想頂けるとうれしいです(^^)
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。