作:日秋千夜
「は〜〜っ」
ずっしりと重い鞄を下ろして,彷徨は額の汗をぬぐった。
このところ連日図書館通いをしている。
目的は当然,未夢の記憶を戻すことだ。
それらしい文献を探しては持ち帰り,
ワンニャーにも手伝ってもらって,こつこつと調べた結果
わかったことは,
・放っておいてもいずれは直る。が時期はわからない。
・何か元にもどるキーワードがある可能性がある。
・混乱させるようなことをすると,精神的にダメージを与えることもある。
…こと。
たったそれだけ。
「あ〜っ,これだけ調べても,ちょっとの情報しか集まらないな〜」
読んでいた本を放り出して
彷徨は床に寝転がった。
ワンニャーも苦笑いを浮かべている。
ことがことだけに,騒ぎを大きくしたくない。
未夢を混乱させて,状態を悪化させるのは避けたかった。
そんなわけで,友達の協力をあおぐこともできない。
「こういうこと」には滅法強い友達の顔が
ぽわんと浮かんで消えた。
「まあ夏休みだったっていうのがよかったか…
幸い天地や小西,綾小路も旅行中らしいし。
そのへんにバレる心配はないな。
…でもこのまま戻らなかったら,さすがにどうしていいか…」
前髪をぐしゃぐしゃっとかき回して,ため息をひとつつく。
おずおずと,ワンニャーが麦茶のグラスを彷徨のそばに置いた。
「すみません,彷徨さん…こんな大変なことになって…」
「ほんとにな。…まあ今回はワンニャーばっかりが悪いとも言えないし。
元々はじめたのは未夢だしな。
―――――その当人は……」
彷徨はごろりと身体を横にして,縁側を眺める。
視線のその先。
夏の日差しがまぶしく照りつける西遠寺の庭で,ビニールプールに入って
水遊びに興じる未夢とルゥの姿があった。
焼くのがもったいないくらい白い肌を陽に輝かせて。
無邪気にルゥと水の掛け合いっこをしている未夢。
…人の気も知らないで…
そう思うものの,楽しそうな様子の二人の姿はほほえましくて。
しばらくぼーっと眺めてしまう。
その視線に気づいたのか,未夢がふと顔をあげて彷徨の姿を見つける。
ぱっと笑顔になって。
「おにいちゃーん!!
プール,すごく気持ちいいよ〜。おにいちゃんも一緒にあそぼうよ」
まっすぐと彷徨を見据える,曇りのない笑顔。
それに動揺して,思わず赤くなりそうになるのをぐっとこらえる。
「…あ,そ,その。ありがとう。
でもオレはいいよ。まだ勉強終わってないし。
その分,ルゥのこと頼むな。」
「そっか,ざんねん〜。おわったらまたあそぼうね〜
勉強がんばって!!」
笑顔で手を振ってくる未夢に,彷徨も小さく手を振り返す。
背中に不穏な視線を感じて振り向くと,ワンニャーが口元を
ニヤリと歪めていた。
「…なんだよ,その顔」
「彷徨さん,未夢さんのことじっと見つめてらっしゃいましたね。」
「べ,別に見つめてなんか…」
「そりゃそうですよね。未夢さん,いつもより素直でかわいらしいですし。
おまけに家で水着姿になられることなんてそうそうないですもんね〜
目が離せませんよね〜」
口元に手をあてて,ぐふふふ…と笑うワンニャー。
「気持ち悪い笑い方すんなっ!
…前言撤回。
やっぱお前にもかなり責任あると思うから
これからは「みたらしさん」の姿になって家事やってもらうから」
「え…ええっ?!か,彷徨さ〜ん,それはひどいですよ〜ぅ」
「うるさい。はい決定。
…じゃ,オレは買い物行ってくるから,それ以外の家事頼むわ」
「か,彷徨さ〜〜ん」
情けない声をあげるワンニャーを背に,部屋を出た。
障子をぴしりと閉めて,ふっと息をつく。
―これ以上赤くなった顔をワンニャーに見せるわけにはいかなかった。
そして夕方。
テレビを見つつ,彷徨とワンニャー(みたらしさんバージョン)の二人は
インゲンの筋取りをしていた。
「はぁ〜…いつごろ記憶が戻られるんでしょうね。未夢さん」
「そんなのこっちが聞きたいよ…」
「あ,未夢さんのお母さんが出ていますよ」
何気なくテレビに目を向けると,ちょうど未夢の母・未来が
NASAでの訓練を受けているシーンが映っていた。
テレビのレポーターが,訓練を終えたばかりの未来にマイクを向ける。
「おつかれさまです。そろそろ慣れてこられました?」
「ええ,もう毎日しっかり訓練してますから☆
もう一年経つんですよね,月日が流れるのは早いなぁって実感してます」
「光月さんには中学生のお嬢さんがいらっしゃいますよね。
日本で生活されてるとのことですが,連絡は取ってるんですか?」
「娘ですね。はい,時々は電話で。
時差があるからそんなにしょっちゅうはできないんですけど。
日本に帰るのも年に数えるほどですね」
「寂しかったりすることはないですか??」
「…ええ,そりゃあすこしは。
でも今は,小さい頃からの夢に一歩一歩近づいてる
実感があって,毎日とっても充実してるんです。
未〜夢〜。見てる〜?ママがんばってるわよ〜!!」
― カタン。
何かが床に落ちる音がした。
はっと振り向くと,そこには未夢が立っていた。
星座早見盤が足元に転がっていて…
呆然とテレビを眺めている。
「ママ…?
え……?アメリカ,1年前に行って…??」
かすれるような,小さい声でそういった後。
未夢の身体の力がふぅっと抜けて,その場にくずおれる。
床に倒れこむ直前に,彷徨が慌てて抱きとめた。
「未夢…?未夢!!」
呼びかける彷徨の声は届かない。
こころなしか青ざめて見える未夢の瞳は
固く閉ざされたままだった。
そのあとはちょっとした騒ぎになった。
泣きやまないルゥをワンニャーが懸命になだめて…
彷徨は未夢を布団に運び,看病に追われた。
――――――。
何か声が聞こえたような気がして。
彷徨は夜中にふと目覚めた。
周りを見ると,自分の部屋ではなくて…
がばりと身体を起こす。
連日の図書館通いと家事につかれていたせいか,
未夢の傍で看病しているうちに,そのまま眠ってしまったようだ。
―― そうだ,未夢は…??
目を上げると,布団に寝ていたはずの未夢がいない。
あわてて廊下に飛び出すと,縁側にぽつんとひとり
座っている未夢がいた。
「…ここにいたのか」
ゆっくりと近づいて。
背後から声をかけても未夢はじっと座ったままだった。
「隣…座ってもいいか?」
少し間があいたあと。
未夢がちいさく,こくりとうなずいた。
西遠寺の縁側に二つの影。
今宵は満月。
明るく輝く月が,闇にぽかりと浮かんで見える。
しばらく黙って月を見つめたあと。
未夢がぽつりとつぶやいた。
「彷徨おにいちゃん…アメリカって,どれくらい遠い?」
「どれくらい…そうだな…」
彷徨が答えあぐねてると,重ねて未夢が問うた。
「…月くらい遠い?」
「いや,月よりは近いよ」
「でも,月は見えるけど,…ママは見えないね。」
「………オレやルゥの母さんは,
月よりもずっと遠いところにいるよ」
「………。」
沈黙が訪れる。
膝をぎゅっとかかえて,どこか思いつめたような感じで。
未夢は月光に照らされた,西遠寺の庭を見つめている。
その横顔には,どうしようもない寂しさが浮かんでいて…
彷徨が何か言おうと口を開きかけたとき,
ほんとうにちいさな,震えるような声が未夢の口からもれた。
「…心は,うちのママもとても遠いの。
月の向こう,ううん…宇宙の果てに行ってるような気もするの。
ママの小さい頃からの夢は,
「大好きな人の赤ちゃんをうむこと」と「宇宙飛行士になること」。
ひとつめは,もうかなっちゃったから。
……それでもう,わたしのことは……」
あとは言葉が続かない。
未夢は膝に顔をうずめて,肩を震わせていた。
どうしようもない「哀しみ」や「苦しみ」や「寂しさ」。
こんな細い肩で背負うには,あまりにも大きすぎる。
彷徨の身体が勝手にうごいた。
未夢の頭に手をおき,ゆっくりと撫でる。
未夢は最初少し身じろぎしたが,あとはおとなしくじっとしていた。
頭を撫でながら,彷徨はできるだけ優しく聞こえるよう気をつけて
未夢に語りかける。
「…オレ,昼間テレビ見てて思ったんだけど。
未来さんは,星に近いんだ。
夢を追って,がんばって,自分で輝く。
でもそれは,輝いてるのは。
遠くにいる未夢にも見えるように。未夢にもその光を届けるために。
そうなんじゃないかな…?
そして未夢はそんな未来さんの子どもだけど,
星っていうよりも…
どちらかというと月に近いイメージなんだ。
月は自分で光ってるわけじゃなくて,
太陽に光をわけてもらって輝いてるんだけど。
やさしく光るその姿に,元気をもらう人だって多い。
未来さんや,ワンニャーや,ルゥや…
未夢を好きな人はいっぱいいるんだよ。
月だって昼間に出てる時は,光ってないから見過ごされがちだけど
ちゃんとそこに「ある」んだ。
未来さんが未夢を想う気持ちも,見えないけどあるんだよ。
君の存在があるから,がんばろうって思っている人たちはたくさんいる。
月のようなやさしい光でも,未夢は自分で光ってる。
自分では気づいてないかもしれないけどね。
そんな未夢を,みんなが好きなんだよ。
…だから,そんな顔しちゃだめだ」
彷徨はぽんぽんと,優しく未夢の頭をたたいた。
ずっとうつむいていた未夢が,ゆっくりと彷徨に顔を向ける。
「…おにいちゃんも?」
「え?」
「おにいちゃんも,未夢のことすき?」
未夢の瞳は,切なくなるくらい真剣だった。
だから彷徨も,逡巡することなく…
未夢の頭をゆっくりと抱き寄せ,答えた。
「…もちろん。
大好きだよ,未夢。」
じっと聞いてた未夢が,花咲くように笑った。
それは本当にキレイな笑顔で。
彷徨も思わず目を奪われるほどだった。
しかし,その笑顔も一瞬。
未夢の身体が,またふぅっと前に傾く。
彷徨があわてて抱きとめると。
すやすやと,安らかに眠る未夢の寝息が聞こえた。
「寝ちゃったか…」
苦笑して,そっと縁側に未夢の身体を横たえる。
動かして目を覚ますのもしのびなく思えて…
―そうだ。
今晩は布団を縁側に持ち出して,眠らせることにしよう。
目が覚めたとき,いつでも月が見えるように。
さびしい気持ちにならないですむように ―――――
「…た……
……なた……
…………かなたっっ」
軽く肩を揺すぶられるのを感じて
彷徨はうっすらと目を開けた。
目の前には,見慣れたきれいな緑の瞳。
「あれ…未夢。おはよう。早いな。」
軽く微笑んで応えると,未夢が少し驚いたような顔をする。
「あ,お,おはよう…彷徨。」
…ん?
今,「彷徨」って言ったか??
寝ぼけてるのか,まだうまく頭が回ってない気がして。
彷徨はふるふるっと頭をふる。
「あ,あの…彷徨??」
「…え?」
やっぱり。
確かに彷徨って言ってる。
…ということは。
じっと見つめると,未夢は少し目をみはって,やがてもじもじとその瞳をそらしてしまう。
間違いない,いつもの未夢だ。
8歳じゃなくて,14歳の未夢。
「え,えっと…。
わたし…なんでこんなところに寝てるの?
さっきまでワンニャーとルゥくんと遊んでたのに…」
未夢は不思議そうに周りを眺めている。
そして,はたと自分の手の先が,彷徨のシャツの裾をつかんでるのに気がついた。
小さく声をあげて,慌てて彷徨から離れる。
「やだっ,なんで彷徨もここで寝てるのよ〜〜っ!
まさか,えっちなこととか……///」
顔を真っ赤にして叫ぶ未夢につられて,彷徨の熱も上昇してしまう。
「ばっ…そんなわけないだろっ。
誰がオマエみたいな幼児体型に手出すかよっ!!」
「なっ…なんですってぇ〜〜っ!!
彷徨のバカーっっ!!!」
しばらく二人でぎゃあぎゃあと言い合ってると。
その声に気づいたのか,ワンニャーがひょっこりと顔を覗かせた。
「未夢さん…??」
「あっ,ワンニャー。ちょっと聞いてよ,彷徨ったらね…」
勢い込んで話そうとした未夢だったが,ワンニャーの滂沱の涙を見て
言葉を失ってしまった。
「ど,どうしたの,ワンニャー??」
溢れる涙をぬぐおうともせずに
ワンニャーは未夢に駆け寄り,その手をひしと握り締めた。
「未夢さ〜ん,よかったですぅ〜〜っ。
このまま記憶が戻らなかったらもうどうしたらいいか…
すっごくすっごく心配してましたよ〜ぅ。
ほんとにほんとによかったです!!
あ,そうだ!
ルゥちゃまもきっと喜びます!連れてまいりますね!!」
ワンニャー丸出しの走り方で去っていく。
その後姿を,二人はしばし呆然と眺めた。
やがて顔を見合わせて,くすっと笑う。
さっきのケンカのイキオイは見事にそがれてしまった。
「は〜〜……まあよかったよ。ほんと。
お前催眠術で,8歳の頃に戻ってたんだ。」
彷徨の言葉に,未夢は目を見張る。
「えっ…そうなの??」
「そうなのって…
ここ数日のこと,全然おぼえてないのか?」
彷徨が問いかける。
少し眉間にしわをよせて,口元に指をあてて。
未夢は一生懸命考えていたようだったが,やがてあきらめたのか
ふっと表情を崩した。
「なんだか…長い夢を見ていたような気がする。
詳しくはおぼえてないんだけど…
とてもあたたかくて,やさしくて…そんな夢。
ずっとずっと支えてくれたひとがいたんだけど…
だいすきって伝えたかったのに,そのままになっちゃった。
またいつか,夢で会えるかな。」
…?彷徨。なんで赤くなってるの?」
記憶を確かめるように,虚空を見ていた瞳が
まっすぐに彷徨を見つめていた。
その瞳に余計どぎまぎとしてしまい,つい目をそらしてしまう。
「き,気のせいだろ,気のせい」
「ほんとに,ちょっと顔赤いよ?…熱でもあるの??」
彷徨に近寄り,額に手を当てようとする未夢。
―今触られたらまずい。
彷徨は反射的にそう思って,そうとは気取られないように
未夢の手を逃れるために,すっと立ち上がった。
「そんなんじゃないって。
…日なたで寝てたから,日焼けでもしたんじゃないか?
んじゃオレ,まだ眠いからもう一度自分の部屋で寝直してくるわ」
彷徨はくるりと後ろを向いて,そのまま歩きだした。
「ほんとうに大丈夫ーーー??」
その背中に,少し心配そうな未夢の声が届く。
彷徨は振り向かず,軽く右手をあげて,ひらひらと振った。
そして左手には,星座早見盤。
またいつか,星の話をすることがあるかもしれない。
そのときまで,これは置いておこう。
実際眠気を感じだした頭で,そんなことを考えながら。
彷徨は自分の部屋の扉に手をかけた。
―――そしてまた,いつもの西遠寺の一日がはじまる。
おわり
な…なんとか間に合いました…orz
それでもなんかもう全然テーマに沿ってないし
急いで書いたからいろんな箇所が「ああああ〜!!」という感じですが〜。
イキナリ題名も変えてるし。すみません!!
この「祭り」が終わって,また正式にUPするときに手直ししますので
お許しを。
久しぶりに書いたので,内容も文章もグダグダですけれど
「今のわたしの精一杯」を書いたつもりです。
楽しんでいただけると幸いです。
今度また,「お話の鉱脈」を掘り当てるときまで,みなさんお元気で♪
このお話,実はわたしのだーいすきな漫画家さんの某作品のネタを
使わせてもらってますが,どなたか分かった方いらっしゃいますか?
原作が本当に好きで,いつかこのお話を土台に,みゆかなで書いてみたいと
思っていたのです。
「わかった!」という方いましたら,ゼヒ掲示板で教えてくださいね(@^^)/~~~