白い雪が降り積もる。
家も木も草も、何もかも白く変えながら。
静かに静かに、重なっていく。
目の前の景色が、どんどん白くなる。
それはあくまで、綺麗で儚くて。
聖夜に雪が、降り続いていく。
一年に一度の、祝福の夜に――――。
12月の冷たい風が、頬を吹きすぎていく。
未夢は両手を前に持ってくると、ほうっと息を吹きかけた。
白い吐息が一瞬だけ宙に浮かんで消える。
その掌に、ふわりと白いものが落ちた。
冷たくて軽い、それを目にして、思わず空を見上げる。
厚い雲の中から、白いものがふわふわと落ちてくる。
未夢の顔が、ぱっと輝いた。
「彷徨っ!見て!」
隣を歩いていた彷徨に声を掛ける。
不思議なくらいに、声が弾んだ。
「ん?」
彷徨が視線を横に向けた。
薄茶色の髪が、風に吹かれて揺れている。
「雪!降ってきたよっ!」
「ああ・・・そうだな。」
頷いて彷徨は、未夢と同じように上を向いた。
徐々に増えながら、静かに舞い降りてくる雪。
この町は、良くも悪くも季節感の豊かな町だ。
年ごとに小さな差はあるが、少なくとも自分が生まれてからは、例外無く毎年雪をきっちり降らせている。
たぶん、今年も結構降るだろう。
「ねっ、この雪、積もるかな?」
「じゃないのか?天気予報でもそう言ってたし。」
彷徨の答えに、未夢の顔がますます嬉しそうな物に変わる。
「そっか!じゃ、雪だるま作れるよね。後、雪合戦と・・・かまくらは、無理かなあ・・・。」
しきりに首を捻りながら、思いつく限りの雪遊びを検討し始める未夢。
そんな彼女を、彷徨は少し呆れ気味で見つめた。
「そんなにはしゃぐような事か?」
「何よ。」
未夢はぐるんと彷徨のほうに向き直る。
少しむっとした顔で。
「彷徨は楽しみじゃないの?雪。」
「別に。」
頭にかかってきた雪を払いのけながら、気のない返事を返した。
別に取り立てて雪が嫌いというわけでは無いが、かと言って楽しそうにはしゃぐ気にもなれなかった。
それに、雪が大量に降ってしまうと、意外に広い敷地を持つ西遠寺の雪かきがその分大変になってしまう。
父・宝生と二人でやっていた去年と比べ、今年は未夢、ワンニャーを含めた三人。
数の上ではましだが、それでも大変なことに変わりはない。
そんな心情の彷徨とは対照的に、未夢は腰に左手を当て、右手の人差し指を立てて顔の前で交互に振りながら言った。
「もう、夢が無いな〜、彷徨さんは。やっぱり、普通のよりもホワイトクリスマスで過ごしたいじゃない!」
「そうですね〜。」
後ろを歩いていたワンニャーが賛成する。
もちろん、「親戚のお兄さん」姿に変身している。
その腕には、暖かそうな格好をしたルゥを抱きかかえていた。
「オット星の雪も似たような感じでしたが、何といいましょうか、雪が降るとワクワクしてきますな〜、子供心に戻ってくるというか・・・。」
「でしょ!?」
ワンニャーの言葉に、未夢が勢いよく相槌を打つ。
「ね?ルゥ君もそう思うよね〜?」
「あーい!」
ワンニャーの腕に抱かれていたルゥが、元気よく返事して未夢の所へ飛び込む。
未夢はルゥを抱っこすると、得意げに彷徨に向き直った。
「ほら、二人ともそうだって!」
「あっそ・・・。」
さっきと似たような彷徨の返事。
未夢は最早気にしていない。
ルゥと一緒になってはしゃいでいる。
「この雪積もったら、一緒に雪だるま作ろうね。ルゥ君。」
「あーい、マンマァ!」
バンザイをして、満面の笑顔でルゥが応える。
未夢は微笑んで、ルゥをぎゅっと抱きしめた。
彷徨は、そんな二人を何気なく見つめていた。
彼の―――家族の姿を。
「彷徨さんは・・・本当に雪には興味ないんですか?」
横からワンニャーが聞いてくる。
「ああ。雪かきが大変になるだけだから。積もったら、お前らにもちゃんと手伝ってもらうからな。」
ニヤリと笑って彷徨は言った。
ほんの少しの嫌味を含めて。
だが、ワンニャーはなおも聞き返してくる。
「ホントにホントに、ですか?」
「だからそう言ってるだろ。何なんだ?一体・・・。」
少しむっとした顔になった彷徨に、ワンニャーは慌てた。
「い、いえ・・・ただ、その割には彷徨さん、とっても楽しそうなお顔でしたから・・・。」
彷徨は眼を見開いた。
楽しそう?俺が?
「そんな顔してたか?」
「はい。楽しそうでしたよ〜。いつものぶっちょー顔からは想像もできないくらいに。」
やけに自信満々に言うワンニャー。
言葉の後半、かなり失礼なことを言われた気もしたが、とりあえずその事は忘れることにする。
(楽しい・・・のか?俺・・・。)
楽しそうにしてるなんて、そんなつもりはなかった。
面倒くさいな、そう思っていただけで。
もし、そんな事があるとしたら・・・。
彷徨は前に視線を戻した。
舞い降りる雪の中で、ルゥを抱きかかえた未夢が空を見上げている。
彼女お気に入りの、赤いワンピースがふわっと翻る。
金色の髪が、白い雪の中で淡く光っている。
気が付くと、彼女をじっと見つめていた。
その口元が知らない間に緩んでいたことに、彷徨は気付いていない。
彷徨の視線に気付いたのか、未夢はくるりと振り返った。
「?どうしたの、彷徨?」
不思議そうに聞いてくる未夢。
緑色の瞳が自分を覗き込んでいるのに気付いて、彷徨は慌てて視線をそらした。
「・・・何でもない。」
そう言って、スタスタと歩き出す。
三人は?という顔をしたまま、その場に佇んでいる。
数歩彼女たちを追い越したところで、彷徨は振り返った。
「何やってんだよ、遅れるぞ?」
「あ、うん!」
その言葉に頷いて、未夢達も小走りでついてくる。
足を止めて、それを見守る彷徨。
その瞬間、彼の顔には間違いなく、微笑が浮かんでいた。
平尾町商店街は、すっかりクリスマス一色に飾り付けられていた。
お祭り好きで、どんなことでも大騒ぎするのを忘れないこの町の人達にとっても、やっぱり特別な日らしい。
あちこちに置かれたサンタ人形にクリスマスツリー。
暗くなるのにつれて光り出すイルミネーション。
決して乱雑にならないよう配慮された飾り付けが、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「・・・何とか間に合いそうだな。」
腕の時計に目をやって、彷徨は呟いた。
今日はクリスの家でのクリスマスパーティー。
そして、彷徨の誕生日祝いも兼ねているのだ。
クリスも鹿田も、前日のイヴの夜まで、ももかを喜ばせるための「サンタさんと夜のお散歩」に関するあれやこれやで力尽きる寸前まで駆けずり回り、正直クリスマス当日の準備が整うかどうか微妙と言っていたが、こうして招待が来るところを見ると、何とか間に合ったらしい。
そして今、4人はそれに参加するため、平尾町の外れの花小町邸に向かっている。
「どんなのかなっ、クリスちゃん家のパーティーって!」
未夢が期待に胸を膨らませながら言う。
イヴの夜にはまだ本格的な飾りつけはされていなかった。
従って、彼女の家のクリスマスを見るのは、今日が初めてだ。
「さあ・・・俺も行ったこと無いからな。」
彷徨は呟いた。
去年までは、クリスマスにとんと縁の無い生活をしてきた彷徨だから、仕方ないのだろう。
ただ、クリスの家は母がフランス人だけあって純洋風形式だから、クリスマスの飾りも幾分しっくり行くだろうな、とは思う。
「未夢さん彷徨さん!!ご馳走は?ご馳走あるでしょうか!?」
横からワンニャーが口を挟む。
今にも涎を垂らしそうな勢いだ。
「あると思うよ。もう食べられな〜いってくらいに。」
「ホントですか!?楽しみですぅ〜〜。」
ワンニャーが目を輝かせる。
「ルゥ君も楽しみだよね?」
「あーい!」
未夢の言葉に元気よく答えるルゥ。
「ルゥは、あれだろ?ご馳走よりも、ももかちゃんに会えるのが楽しみなんだよな。」
彷徨が半分からかう様に言った。
「そうなの?ルゥ君。」
「あいっ、モ〜ンモ!」
さっきまでよりも一層嬉しそうになったルゥに、
未夢とワンニャーは眼を細めた。
「ラブラブだねえ〜、ルゥ君。」
「ルゥちゃま、モテモテですからね〜。今日もいっぱい、おめかししてきましたから、きっとももかさんもメロメロですよ〜。」
「きゃーい!」
意味が分かっているのかいないのか、ルゥはあっさり肯定した。
随分とませているものだ。
彷徨は苦笑した。
からかったつもりが、何だか見せ付けられてしまっている。
ビュウウッ
不意に吹き付けてきた風に、彷徨は思わず手で顔を隠す。
雪が激しくなっていた。
少しずつ、少しずつ、積もり始めているのが分かる。
「・・・急いだほうがいいな。」
「うん・・・そうみたいだね。」
彷徨の呟きに未夢は頷いた。
マフラーをもう一度、首の周りに巻き直して歩き出す。
寄り添って歩く、4人の姿。
雪の中、白い風景に溶け込んでいく。
薄暗くなり始めた平尾町の町並みも、少しずつ冬景色へと変わりつつあった。
クリスの家に着いた時、既に準備は整っていた。
さすがに、この広い敷地全部をクリスマス色にするのは無理だったようだ。
だが、門を入ってすぐの所にある大きな屋敷は、すっかり飾り付けが終えられている。
「わあ・・・。」
未夢は思わず感嘆の声を上げた。
門から屋敷へ至る道、その横の並木、そして屋敷の随所に繊細な飾りつけがされていて、
抑え目になった照明に照らし出されて幻想的な雰囲気を生み出している。
「綺麗・・・。」
うっとりとした顔で呟く未夢。
ルゥもワンニャーも、そして彷徨も、しばらく目の前の風景に眼を奪われてじっと佇んだ。
「あっ、あれ・・・。」
「ん?」
未夢の声に、彷徨は奥の方に目をやった。
扉の前で、鹿田と何やら話し込んでいるクリスが見えた。
「クリスちゃんっ!」
呼びかけられて、クリスは振り向いた。
ゆっくりと振り返るその瞬間が、
「未夢ちゃん、彷徨君!」
弾んだ声を上げ、小走りに駆け寄ってくるクリス。
彼女の服装は、お馴染みのものだった。
青いドレスを腰の紐で留めて、桃色の豊かな髪はやはり青いリボンで結っている。
「こんばんは、クリスちゃん。」
「お待ちしてましたわ。」
そう言って嬉しそうに微笑む。
未夢も笑顔と共に頷いた。
「彷徨君も・・・。」
「ああ、お邪魔させてもらうぞ。」
「はい・・・。」
彷徨に声を掛けられた途端、一転して恥ずかしそうに俯く。
彼女の顔が紅潮しているのは、寒さの反動だけではないだろう。
「あの、こういうのみんな、クリスさんがやったんですか?」
ワンニャーが辺りを見回しながら聞く。
クリスは頷いた。
「ええ。わたくしと鹿田さん、あと、ももかちゃんも手伝ってくれましたわ。」
「たった3人でか?すごいな。」
「そんな、恥ずかしいですわ・・・。わたくしも、ももかちゃんも、鹿田さんの指示に合わせて動いただけですもの。」
頬に手を当てて、クリスは真っ赤になって答えた。
ワンニャーは鹿田を見る。
範囲を限定したと言っても、これだけの広さを飾り付けるのは、並大抵の苦労では無いはずだ。
にもかかわらず、彼はいつものにこやかな笑顔のままで、直立不動で待機している。
(う〜〜む、やりますね、鹿田さん!ワタクシに家庭内作業で並ぶとは・・・。)
シッターペットの血が騒ぐ。
クリスは、そんな彼を不思議そうに見つめた。
「・・・みたらしさんは、どうかなさいましたの?」
「あ〜、あれはね、つまり・・・。」
しどろもどろになりだした未夢に、彷徨が素早く助け舟を出した。
「みんなは、もう来てるのか?」
「あ、はい。ほとんどの方は、中に入ってお待ちになってますわ。たぶん、未夢ちゃん達で最後だったと・・・」
クリスは屋敷の中を指差して言った。
今日のパーティーにはお馴染みの四中のメンバーだけでなく、普段世話になっている人々も招いたらしい。
「世話になっている」と言っても、あくまでクリス個人の事だから、ほとんど未夢達も
知っている面々なのだが。
降ってくる手をかざしたクリスは、振り返って促した。
「寒いでしょう?中に入っていてらしてください。わたくしも、鹿田さんと二つ三つ確認したらすぐに行きますから。」
「確認?何の?」
小首をかしげる未夢に、クリスは軽くウインクしてみせる。
「後でのお楽しみ、ですわ。今日は『びっくりパーティー』なんですから。』
クリスの言った通り、中に入ると既に皆は到着していた。
それぞれ、思い思いの場所でくつろいでいる。
その一角の、ソファに腰掛けておしゃべりしていた二人の少女の姿が未夢の目に入った。
「ななみちゃん、綾ちゃん、お待たせ!」
声を掛けられ、二人は振り返る。
「未夢ちゃん!」
「遅いぞ〜、未夢。」
腰に両手を当てたななみが言う。
彼女の服装もいつも通りだが、髪を止めているピンは小さな花をあしらった可愛らしい物だ。
スラリとしたななみのスタイルにアクセントとなって、よく似合っている。
「ごめんよ〜、二人とも。」
「何かあったの?」
綾が聞いてきた。
以前に未夢達と小物屋に行った時に買った、綺麗な髪留めを付けている。
彼女の三つ網が揺れる度に、光を反射しているのが印象に残った。
「彷徨が早くしないから・・・。」
「何言ってんだよ。俺はもう30分前に出られるようにしてあったのに、未夢の支度が長かったせいで遅れたんだろ?」
いつの間にか傍にやって来ていた彷徨が、幾分むっとした口調で言った。
未夢は一瞬、言葉に詰まる。
「・・・何よっ、私のせいで遅れたって言うの?」
「他に誰が原因なんだよ。」
睨み合う二人。
一食即発、一線勃発の空気
ワンニャーがおろおろしているのも眼に入らない。
と、その時。
「け〜んかし〜ても〜。わ〜がままい〜っても〜。
こころのなか〜では、らぁ〜ぶらぶ〜。」
聞こえてきた独特の音律に、未夢と彷徨は睨み合いの体勢のままで固まった
ふと気がつけば、いつの間にかななみ達は安全圏へ避難している。
「す〜なおになれない、さぁ〜いれんな〜い。や〜さしくできない、ほ〜りぃな〜い。
ふた〜りのひ〜とみは・・・。」
「おいっ、花子町!」
彷徨の声に歌の主は、先程まで発生させていたオーラを一瞬の内に引っ込める。
「あら?わたくしったら、何を・・・。」
正気に戻ったクリスに、一同はほっと息をつく。
最近、この恥ずかしい歌も、バリエーションが増えてきたような気がする。
未夢はふと、あることに気付いた。。
「クリスちゃん、その服・・・。」
彼女の服が、先程と変わっている。
未夢の問いの意味に気付いて、クリスは照れくさそうに笑った。
「あ・・・どう、でしょうか。」
大体の意匠はさっきまで着ていた服と同じ。
色も同じくブルーだ。
ただ、所々に外国語らしい単語の刺繍がしてあるのが目を引く。
腰を止めているのは紐でなく、細かい彫刻がされた銀色の金属帯だった。
「似合いません?」
「ううんっ、そんなこと無い!すっごく綺麗だよ!」
未夢が勢い込んで言う。
本当に、クリスにはこういうドレスが良く似合う。
彼女の桃色の髪も、服の魅力をうまく引き出していた。
ありがとう、と微笑んでから、クリスは一同を振り返った。
「お待たせしました、皆さん。用意が出来ましたので、どうぞあちらの方へ。」
そう言って示された奥の部屋。
開け放たれた扉から見えるテーブルの上には、既に美味しそうな料理が所狭しと並べられている。
「おおっ、すげ〜!早く行こうぜ!俺もう待ちくたびれちまってさぁ〜!」
「黒須君はいつだって『待ちくたびれてる』じゃない。」
目を輝かせた三太にお約束のように襲い掛かる、ななみの絶妙のツッコミ。
部屋中が、笑いで満たされた。
雪が降り積もる、聖なる夜。
仲間と一緒の、祝宴が始まる。
願わくばこのひと時は
皆の胸に幸せが、舞い降りますように・・・。
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