parallel story〜crusades〜

1・前編

作:OPEN

 →(n)



      物語を、始めよう
       
それぞれの想いを抱いた、幾多の人々が話の主役
       
彼らを巻き込み、時代とともに揺れ動く世界が話の舞台
       
自分の道を捜し求める者達の、出会いと別れの物語・・・・








ブルーメ公国。
豊かな自然と過ごしやすい気候の下で発展を続けてきたその国は、別名を「花と緑の国」と呼ばれていた。
誰がその名を最初に呼んだかははっきりしない。
気が付いたら定着していた、そんな感じだろうか。
ある意味、いい加減と言えなくも無い。
が、実際にこの国を目にしたものならば、その名に疑いを差し挟む余地など無いことを実感するだろう。

春には鮮やかな花達が咲き誇り、爽やかな風が訪れた旅人の頬を優しく撫ぜる。

夏には太陽の下で子供たちが駆け回り、美しい清水の流れる川がその輝きを増す。

秋は紅葉の葉が、山々をまるで赤い絨毯を敷き詰めたかのように彩って。

冬には降り積もった雪が、その白さ、美しさを持って人々の心を惹きつける。

そして、四季折々の風景に加え、皆の心を和ませる何かがこの国にはあった。

この国は、自然が人々に対して優しい。
全てを包み込み見守ってくれる大自然。そこで生まれ育った人間が持つようになる、この国独特の明るく柔らかな雰囲気の元である。
それがこの公国を、美しさと暖かさを兼ね備えたものにしていた。

だが、そんなブルーメ公国も、この大陸に存在する幾多の国家の一つである事に変わりは無い。
大陸全土を巻き込んだ、大きな流れが起きる時、その流れと無関係で居ることはできない。

大陸暦1157年、それは大きな流れとなってこの国にもやって来た。





公国の中心からやや北寄りの、周囲を森に囲まれた場所に街がある。
エーベンブルク、それが街の名前だった。
人口は7万人余りと少なめだが、公国の東西南北を結ぶ中継地点として、また周囲を鬱蒼とした木々や自然にできた窪みに囲まれた天然の要衝として、古くから公国の首都として機能してきた。

街の最北端、地形の変化によってできた丘が一際高くなっている場所には、雄大な城がその存在感を主張している。
公国を束ねるクレイン公爵の居城、クレイシュタット城。
城壁の殆どは上品な白で統一され、重厚な造りの城に壮麗さを加味している。
「花と緑の国」の首都の名に恥じない、美しい城である。

さらにこの城、ただの美しい城ではない。
投石器でも簡単には破壊できないような頑強な城壁の周りには、深い堀が張り巡らされ、物見やぐらには常に見張りの兵士が目を光らせている。
公国の首都城であると同時に、難攻不落の砦。
それがこのクレイシュタット城なのだ。



今、その城に向けて、一人の少年が馬を走らせていた。

年の頃なら14、5歳。
切れ長の目に、ダークブラウンの瞳が浮かんでいる。
一見すると少女と見間違えそうになるほど整った顔が印象的だが、彼の持つ強い意志を感じさせる雰囲気が、彼を男らしく見せている。

着ている服は質素だが、材料は仕立てのいい物を使っているのが見て取れる。
さらに左の腰にはずしりと重い両刃の剣を携え、服の胸元には星をかたどった紋章の刺繍。

どこをどう見ても、彼は正真正銘の騎士の家柄であった。


町の真ん中を貫いて城へと続く道を、少年を乗せた馬は全速力で駆け抜けていく。
全速力、と言っても今の時間はちょうど昼を回った頃であり、通りには人がごったがえしている。下手にスピードを出せば大怪我を負わせかねない。
それでも可能な限り急ごう、そう考えているのがわかる。



「おや、あれはヴェストヴァイトの若様じゃないかい?」
「おお、そうじゃ。彷徨様じゃ!」

少年の姿を見た街の人々が口々に声をかける。

「おおい、彷徨様!そんなに急いでどこに行きなさる!?」
「美しいご婦人でも待たせてらっしゃるのかね?」

「すみません!今は急いでるので、また今度!」
騎士の少年――彷徨は人々の声に軽く手を振って答えると、踵を返して一直線に城に向かっていく。

皆はそんな彷徨の様子に首を傾げる。
「なんか慌ててらっしゃったなぁ・・・。」
「何かあったのかねぇ?彷徨様があんなに慌てるなんて・・・。」
この街でずっと彷徨を見ていた彼らにとっても、慌てる姿というのは初めて見るものだった。


彷徨は市街地を抜け、左右が林になっている城への道に出ていた。
この辺りまで来ると、人の通りもめっきり少なくなるため、めいいっぱいスピードが出せる。

「もうちょっとだから、頼むぞ!!」
馬に声を飛ばしながらまっすぐ前を見据える。

そのまま10分程走り、ようやく城門前にたどり着いた。

「止まれ!何者だ!」
見張りの兵士が声を上げる。
「ヴェストヴァイト・彷徨!!」
馬から駆け下りながら叫んだ彷徨の言葉に、二人の兵士は互いに顔を見合わせた後、

「開門だ!!」

門前に待機している兵士に声を張り上げた。
ゴゴゴゴゴッという音と共に、城門が開かれる。
敬礼する兵士に礼を返しながら、彷徨は城の中へと踏み込んだ。


様々な草木が植えられ、美しく手入れされた中庭を通り、入り口の扉をくぐる。
正面にある螺旋階段が、上の階に続くルートになっており、そのあちこちには、大きな旗が躍っていた。
百合の花に星の刺繍がされたその旗の紋章は、この公国の国章だ。

彷徨はいつもそうしていたように上への階段を昇っていく。
ここ最近はあまり来ることも無かったが、こうして訪れてみると、変わらぬ優雅さを保っている城に感嘆させられる。


最上階まで来ると、人の気配が心なしか少なくなったのが感じられる。
この城の最上階は城の中でも最も高い地位に居る人物、すなわち公爵とその家族が暮らしている。
奥にある部屋の扉に侍女の姿を見つけ、彷徨は尋ねた。

「すまない、公爵様は?」
「まぁ、彷徨様・・・。ご案内致します。どうぞこちらへ。」
侍女は不意の問いかけにもかかわらず、丁寧に彼を案内する。
しつけが行き届いているのだろう。

部屋の扉の前まで来ると、侍女は扉を軽くノックして中に声をかけた。
「公爵閣下、彷徨様がお見えでございます。」

「何、彷徨が?」

帰ってきた声は、もうかなりの年配の男性の声だったが、貴族にふさわしい威厳があった。
「よし、通せ」という返事を待って、侍女はゆっくりと扉を開ける。
彷徨が部屋の中に入ると、まず真っ先に目に入ったのが大きなベッド。
一人の男がそこに横になっており、その周りに数名の侍女や召使い達が控えていた。

「公爵様!」
彷徨は横になっているのがクレイン公爵その人であるのを見て、ベッドに駆け寄った。
「おお、本当に彷徨か。元気にしておったか?」
公爵は顔を綻ばせ、ベッドの上にゆっくりと体を起こす。

「お倒れになったと聞いて、驚いて飛んできたのですが・・・。」
「いやいや、ただの過労じゃよ。何でも無いと言っておるのに、医者の奴が大げさにしおってな。おかげで昨日からこんな状態じゃ。」

軽い笑い声を上げる公爵の姿に彷徨はほっと胸を撫で下ろす。
もう50代の後半を迎え、髪の毛にも白いものが混じり始めている公爵だが、その生命力に満ち溢れた様子はそんな事を感じさせない。
数ヶ月前に見た公爵の姿とほとんど変わらないのを見て、彷徨も安心したように微笑んだ。

「けれど、大事に至らなくて良かったです。」
「何を言うか。これでも若い頃は荒馬を乗り回し、いっぱしの騎士をやっておったんじゃぞ。まだまだ死ぬわけにはいかんよ。おお、若い騎士といえば・・・。」
公爵は思い出したように話題を変えた。

「先日、騎士叙任式を終えたそうじゃな。」
彷徨は頷いた。
「はい。町外れの教会で、叙任の儀式を行ってもらいました。」

このブルーメ公国も含めた大陸の西方諸国では、騎士の家に生まれた者は満14歳になると叙任式典を受ける資格を得る。最も、叙任を受けるまでには幾つもの困難な試験をクリアしなければならないため、彼のように14歳で正式な叙任を受けられるということはごく稀である。
「さすがといったところじゃな。儂でも叙任は16の時だったというのに。」
公爵の言葉は単純な家臣への褒め言葉というだけでなく、自分の息子の成長を喜ぶ父親のような感があった。
「ところで・・・宝生はどうしておる。元気にしておるか?」
「相変わらずです。一日中ダラダラしているばかりで・・・全く、あれが元・ブルーメ公女の神学教師だなんて・・・。」
「信じられんか?」
公爵は愉快そうに目を細めた。
「まぁ無理はないかの。あやつの仕事を見る機会などそなたには無かったであろうからな。じゃが、そなたの父は優秀じゃぞ?少なくとも、そなたが思っておるよりはずっと、な。」
彷徨は納得できない、という顔で黙り込んでしまった。

彷徨の父、ヴェストヴァイト・宝生は公爵の一人娘である、クリスティーヌ公女の神学担当の家庭教師だった。彷徨の母は彼が三歳の頃他界していたため、彷徨は父が仕事に行く際に共に城を訪れ、クレイン公爵、そして公女とも小さい頃から接してきた。
その頃の父がどんなだったかは、父が公爵婦人や公女に講義を行う間、部屋の外に追いやられていた彷徨には知るすべはない。
だが、この頃の父のグータラ加減を見るに付け、今の公爵の言葉を素直に信用することができないで居た。

彷徨の顔色を読み取ったのか、公爵は苦笑しただけでその話題を終えた。
「叙任式に出てやれず、すまなかった。」
「いえ、構いません。」

彷徨は心遣いに感謝しながらも首を横に振った。いくら自由な国風のブルーメとは言え、一介の新米騎士のために公爵が出かけて行くのは何かと問題になるだろう。
それよりも・・・・

「大事な話があるのですが。」
彷徨の口調が真剣なものになる。
公爵はそれを察して、控えていた召使たちに眼で合図をした。
部屋に居た従者達がその意味を理解して席を外す。
全員が退出した所で公爵はゆっくりと切り出した。彷徨の大事な話とは何か、大体の見当は付いている。

「“十字軍”に参加致します。」                       


彷徨ははっきりと言った。

「ウィルランドの望王子が指揮を取り、聖地への遠征軍を出すそうなのです。ぜひそれに参加したい。私ももう正式な騎士なのですから、資格はあるはずです。」

公爵は沈黙している。
それをどうとったのか、彷徨は尚も言葉を続ける。

「今までお世話になった恩も返さないまま東方へ旅立つなどと、厚かましいのは重々承知です。ですが、私は騎士です!戦いのある所にあるのが、私の使命と考えます!」


公爵はしばらく彷徨を見ていたが、やがてふっと視線を外し、

「そうか。」

それだけ呟くと、窓の外に目を向ける。
春を迎えた城の中庭は、美しく咲き誇った花で華やかに彩られていた。




―――十字軍。
東方へ向かう巡礼者の保護と、聖地ヴェルディアの異教徒からの奪回を目的とする軍隊のことを、この大陸の人間は総称してそう呼んでいた。

はるか昔から、この大陸には2つの宗教が存在する。

1つは十字を象徴とし、主に大陸西方に広まっている、「クルゼア教」。
もう一つは三日月を象徴とし、東方の民が信仰する、「イリス教」。

分類するならば、前者は唯一絶対の神をおく一神教、後者は多数の神を擁する多神教ということになる。
この2つの宗教はそれぞれ東西に別れ、信仰する民族の違いなどから、この2つの宗教は長年に渡って対立と抗争を繰り返してきた。
そしてそれは、近年になってますます激しくなってきている。


3年前、東方のイリス教国の中でも屈指の大国グランドールにより、クルゼア教の聖地であるヴェルディアが陥落・占領された。

この出来事は西方諸国の危機感と怒りを煽り立て、ついに国同士が合同で軍を派遣するまでに至った。
それが「十字軍」なのである。



公爵は大きくため息をついた。
それを否定的な意味と取った彷徨は真剣な目をして公爵を見る。

「言い訳がましいとは思いますが、あの地で戦う事は、この国の為にも、そして公爵様の為にもなるかと・・・。」
「彷徨よ。」

言葉を遮るように公爵は厳かに言った。

「誤解するな。そなたの生涯はそなたのもの。確かにそなたは幼い頃から儂が面倒をみたが、だからと言ってそなたの決意を縛ろうなどと言うつもりは無い。だが、」

鋭い眼光が彷徨を射る。

「そなたは分かっておらぬ。東で戦われるであろう戦はそなたが思い描くようにはならぬ。輝かしい未来など約束されておらぬぞ。いや、むしろ死より辛い運命が待っているやもしれん!」

彷徨は息を呑んだ。
目の前にいる公爵が、かつて自分が行こうとしている地で、騎士として兵達の最前で戦い、つい3年前には侵攻してくる敵の大軍を西方領の目前で撃破した人物だということを、否応なしに思い起こされる。

「しかし、現実に敵は迫っています!グランドールは数万を数える軍を召集し、属国となっている東方の各国にも出兵させようとしていると!敵がここまで迫ってきてからは遅い。そうなってから俺が無意味に・・・!」

彷徨はそこでハッとなる。
自分の言葉遣いが礼を失していた事にようやく気付き、恥じ入ったように目を伏せた。

「・・・私は、戦いたい。皆と、共に。」

公爵はしばらく何も言わなかった。
部屋の中を静寂が支配する。

「・・・旅の資金は明日用意させよう」

彷徨は驚いて顔を上げた。

「合流して以降はともかく、途中までは資金も居るであろう。食料なども、それで用立てるが良い。」
「公爵様・・・。」

公爵は思わず呟く彷徨に背を向ける。

「そなたが望んで決めた事。途中で泣き言など口にするな。ブルーメの騎士よ。」
「・・。」

彷徨はしばらくの間の後、黙って頭を下げ、静かに部屋を出る。
入れ違いに部屋に入ってきた侍従長のシカダが静かに問いかけた。

「よろしいのですか?」
「どのみち儂がいくら止めても、あの者は無理にでも行くであろう。内に眠る魂に押し立てられてな。」

公爵は、心の中で一人ごちた。

(宝生・・・あれは、やはりお前の息子だ。)

子供の頃から面倒をみてきた。
本当の息子だったら、と思ったこともあった。
いっそ養子にとさえ考えたこともある。
立場上それはできなかったが。

(あの者の幸福は、儂の手で作ってはやれんのだ。)

この花と緑に囲まれたブルーメで一生を終えさせてやりたい。
しかし、それが彷徨にとっての幸福ではないのだ。

公爵の顔には、哀しみが微かに浮かんでいた。



公爵の部屋を出た後、彷徨は東の塔に向かった。
この城でもう一箇所、訪ねておくべき所がある。

東の塔は外見こそこの城の一部にふさわしく美しいが、内部はあまりそうとは見えない。
長い間使われていなかったのを、必要に迫られて、慌てて改装した。

所々に塗装漏れがあるのも、そんな印象を高める。
最上階にある部屋に向かうつもりだった彷徨は、階段を昇ろうとしてふと足を止めた。
聞き覚えのある声が響いてくる。
(歌・・・か?)
聞き覚えの無い音律だが、確かに歌だ。

裏庭に出たところで、彷徨は歌の主を見つけた。
庭に据えられた休憩用のベンチに腰掛けている、一人の少女の姿が目に入ったのだ。

「クリスティーヌ公女。」

彷徨が呼びかけると、少女は驚いたように振り向いた。

そこに立っているのが彷徨だとわかった瞬間、彼女の眼は大きく見開かれる。
そして次の瞬間には、その顔が花のような笑みに変わった。

「まぁ、彷徨!」

満面の笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってくる少女。
抜けるように白い肌に青い瞳。
どちらかといえば桃色に近い赤い髪が、緩やかに波打ちながら腰まで届き、青いドレスを纏った、華奢な少女の体つきが美しさを引き立てる。

ブルーメ・クレイン・クリスティーヌ。
現公爵ブルーメ・クレイン・レグルスの娘であり、この公国の第一公女だ。


クリスはドレスの裾を持ち上げて、彷徨のほうへ小走りに走り寄って来る。

「本当に貴方ですの?ああ・・・何ヶ月ぶりかしら!」

感激した様子で彷徨をまじまじと見つめてくる。
彷徨はそんなクリスに一礼し、改まった口調で言葉を返した。

「ご無沙汰しております、クリスティーヌ公女。お元気そうで、何よりです。」
「・・・!」
途端にクリスの表情がムッとしたものに変わり、プイッとそっぽを向いてしまう。
「?どう致しました・・?」
何か失礼なことを言ったのか?
彷徨が怪訝な顔で尋ねると、クリスは向こうを向いたままで、怒ったように言った。

「クリスティーヌ公女、では無いでしょう?」
「?」
まだ分かっていない様子の彼の態度に、クリスは一段と語気を強める。

「皆がいない場所では、“クリス”!そう言いました!」
彼女の言葉に、ようやく彷徨は合点が言った。

公女はかしこまった呼び方、話し方をされたことを怒っているのだ。

小さい頃から親しくしているため、また彼女の親である公爵があまりそういったことにはこだわらないために、二人は昔からお互いに「カナタ」「クリス」で呼び合い、特に敬語を使うのも決められていなかった。

これは何も彷徨だけではない。クリスは親しい相手に堅い言葉を使われたり、「公女様」と改まって呼ばれるのを本当に嫌うのである。
とは言ってもさすがに、家臣の皆のいる場所ではちゃんとケジメをつけていたし、怒り出すことも無かったが、こういうプライベートの時にうっかりそれを忘れると、今のように機嫌を損ねるというわけだ。

彷徨もその理由については何となく想像がついていたし、忘れていたわけでもない。ただ、騎士として認められ、公爵家の正式な家臣となった今でもその呼び方を続けていいものか迷った。単にそれだけの理由だった。

「すまない・・・。」
彷徨は謝罪すると、言葉遣いを普通に戻して再度話しかけた。
「久しぶりだな、クリス。」
昔どおりの言葉にようやくクリスは顔を彷徨の方に向け、さっき見せたようにニコリと微笑んだ。
「ええ。久しぶりですわね、彷徨。」
一国の姫に呼び捨てにされて、初めは戸惑ったものの、何度も聞くうちに気にならなくなっていた。
慣れとは恐ろしいものだ。
そんな言葉が頭に浮かび、思わず笑ってしまった。

クリスはそんな彼の様子を不思議そうに見ながらも、ふわりと優雅に一礼する。
「騎士叙任、おめでとうございます。14でもう騎士だなんて、さすがですわ。」
「ああ、ありがとう。」
彷徨は礼を言いつつも、周囲に目をやった。

花壇は確かに美しいが、あまり手入れがされていない。
塔の壁や窓もほぼ同じ。
人が立ち入っていないのだ、この東の塔には。

彷徨がそれについて思いを巡らせていると、クリスは目を輝かせながら言った。
「ねぇ、久しぶりに会ったのですから、お話を聞かせてくださらない?」
「お話?」
「はい!昔よく話してくれた、聖典の中のお話ですわ!」
じっと彷徨のほうを見つめてくるクリスを、彷徨は少し呆れて見返した。

彼女の言う聖典の話とは、クルゼア教の教本であり、聖書である「アーク」の中に出てくる数々の神話のことだ。
クルゼアの唯一神である「ルゥレス」についての物語を中心に、根本的な教義やその成り立ちも記されている。
が、彼女が聞きたがっているのはそう言ったものではなく、はるかな昔にあったとされる物語、一言で言うなら「神話」の方なのである。

父の仕事柄、彷徨もその本を何度も読んだし、彼女にねだられてその内容を話して聞かせたこともあった。
だが正直、彷徨には何が面白いのかさっぱりわからない。海が割れたとか、巨人が出てきたとか、およそありそうも無いことばかり並べてあるのだ。

子供の頃ならともかく、成長するに従って興味を無くしていったその話を、目の前にいる公女は昔から眼をキラキラさせて聞いていた。
幼かったあの頃も、そして今も。

彷徨は一つ溜息をつくと、側にあったベンチに腰掛ける。
そして、不安そうに佇んでいるクリスに、
「座れよ。」
と呼びかけた。
クリスはパッと明るい顔になって、いそいそと彷徨の隣に座る。
それを確かめてから、彷徨はゆっくりと語りだした。
聖書アークの、天地創造の物語を。


はるかな昔、まだ闇しか無かった世界に至高神ルゥレスが降り立ち、光をもたらした。
彼は自分の力を用いて、自らの分身を作り、大陸のあちらこちらに散らばらせた。
それが今の国家の元である。

そんな出だしで始まる、古から受け継がれた、神話の世界を。


全て話し終えると、彷徨はふぅっと息をついた。
ふとクリスを見ると、感慨極まった様子で目を潤ませ、腕を手の前で組んでいる。

(やれやれ、やっぱりこうなったか。)
彷徨は子供の頃からこんな風になったクリスを何度も見ている。

「ねえ、彷徨。この話、ホントあったのかしら?」
彷徨は首を振って答える。
「あるわけが無いだろう。みんな後世の誰かが付け加えた寓話か何かだよ。」
クリスはぷうっと頬を膨らませて抗議した。

「もう!夢がありませんわ!」
「俺は現実派なんだよ。」
「はぁ・・・剣も乗馬も学問も優秀、美男で優しく礼儀正しい。これで乙女の胸をときめかせる、詩歌でも口ずさめたら完璧ですのよ?なのに貴方ときたら・・・。」
「教典に載ってる説教なら暗誦できるが。」
「結構です。」

ピシャリと言った姫に彷徨はやれやれと肩を竦めながら、胸のうちにしまっていた事を切り出した。

「大事な話がある。」
「何ですの?」

改まって話す彷徨に、クリスも居住まいを正す。

「あっ、もしかして、騎士になったのを機に、わたくしと・・・ダ、ダメですわそんなっ・・・いえっわたくしは一向にかまいませんわよ?でも、いきなりそんな事、心の準備が・・・!」
「違うっ!聞いてくれ!」

張り詰めた声に、さすがのクリスも表情が硬直する。
彷徨は息を吸い込んで、一息に言った。

「十字軍に行く。俺も東方で戦う。」
「・・・!」

クリスが青い瞳を見開く。
震える白い喉から、掠れた声が零れた。

「う・・・そ・・でしょう?ねえ、冗談、ですわよね?」

冗談でない事は彼女が一番よく知っている。
彼をずっと側で見てきたのだから。
こんな事を、冗談で彼は言わない。

「明日の朝、出発する。公爵にはもう話をしておいた。当分会えなくなるが・・・。」
「いやっ!!」

張り裂けそうな声が響いた。

「いやっ!いやっ!絶対にいや!!行ってはダメ!!」
「クリス、聞き分けのない事を言うな。」
「いやです!貴方が言ってしまったら、わたくし・・・わたくしは・・。」

彷徨の服の袖をギュッと掴んで、消え入るような声で言う。

「一人に・・・なって・・・しまう・・・・。」

彷徨はハァとため息をついた。

「バカな事を言うんじゃない。公爵様がいるじゃないか。それにシカダさんだって・・・。」

クリスは首を何度も振る。

「先日・・・お医者様が言っておいででした。もう、あまり無理はできない身体だと。普段の生活ならともかく、強い負担をかければ、命が危ないと・・・。」
「!?」

彷徨は言葉がなかった。

あんなに健康そうに見えたのに。
公爵は、そんなにまで弱っていたのか。

クリスは涙に塗れた瞳で彷徨を見上げる。

「行かないで・・・側に・・・居て・・。」

彷徨はくるりと背を向ける。

「それはできない。」

背後でクリスが泣いている。
けれど彷徨は振り返らない。

「・・・彷徨なんてっ・・・。」

歩き出した彷徨に、幼い頃から花のような笑顔を見せていた姫が、初めて口にするであろう言葉を投げつける。

「だいきらいっ・・・・ですわ・・・・・!!」
「・・・そう、か。」

彷徨はそれだけ言って、部屋を出た。





彷徨が立ち去った後の部屋で、クリスは泣いていた。

何て事を言ったのだ、自分は。
彷徨は騎士として、やるべき事のために旅立つのだ。
自分は元より、誰にも非難する権利などない。

自分は何をしたのか。
ただ自分の想い、それだけをぶつけて。
あげく、彼が応えてくれない事に一方的に腹を立て、酷い言葉をぶつけた。

涙が後から後から出てくる。

何でこうなってしまったのか。
なぜ今まで通りでいられないのか。

なぜ・・・・みな自分の元から去ってしまうのか。


突然に、クリスの身体が熱くなった。

熱病に浮かされた時の様な、気持ち悪い浮遊感と共に、クリスには周りのものが酷く軽く、脆弱に移る。

コワシテシマエ――――いけない!

ミナハオマエカラサッテイク――――仕方ないことでしょう!?

ミナハオマエヲステル――――違う!違います!

コワシテシマエバイイ、ミンナ、ミンナ――――――!!

カッと目を見開いたクリスは、側にあったもの―――よく覚えていないが、彼といつも腰掛けたベンチだったと思う―――に手を伸ばした。

数瞬後、轟音が響き、警護の兵が部屋になだれ込んでくる。
急激な脱力感に襲われ、倒れこんだクリスを取り囲み、しきりに何か騒いでいるが、意識は急にぼんやりとしてよくわからない。

もういい、どうにでも・・・

そこまで考えて、クリスの意識は闇に落ちた。







城を後にした彷徨は、その足で町の南の方に向かっていた。

クリスの別れ際の言葉が耳にまだ残っている。

(大嫌い、か)

そう言われても構わないと思った。
が、流石に実際に言われると堪える。

ブンブンと頭を振った彷徨の目の前に、目指す場所が見えてきた。
遠征に旅立つ前に、城と並んで一度は訪ねておきたかった場所だった。

この大陸では王を頂点に、公爵のようなそれに仕える貴族がおり、その下に農民や職人、商人などが居る。
この町も例外ではなく、城を含めた街の北側には貴族や騎士の邸宅が並び、下って南側には一般市民の住居や商店街などが立ち並んでいる。

彷徨が訪れたのは街の南側の一般街、石造りの丈夫そうな建物のうちの一つだった。
二階建てのその家の前には、「シュバルツフット」と書かれた表札。

彷徨は扉の前に立ち、呼び鈴を2回鳴らす。
ややあって、家の中から大きな声が返ってきた。

「何だぁ!?おばちゃんかい!?悪い、今ちょっと取り込み中なんだ!回覧だったらまた後で・・・。」

全く変わる事のない、あの賑やかな声。
知らず知らずのうちに顔が綻んでくる。

「そう言うなよ。今日を逃したら、もう挨拶には来れないんだぜ、三太。」

「その声・・・彷徨か!?」

驚いたような声が返ってきたその数秒後には、扉の向こうにドタバタと盛大な音が響き、ドアが勢いよく開け放たれ、一人の少年が転がるようにして出てきた。

彷徨と同じくらいの年だが、こちらは雰囲気がだいぶ違う。

白目に対して極端に小さい黒目が特徴的な、言わば猫目とでも言えばいいのだろうか。
好奇心の申し子のような、すばしっこそうな体つきに、木綿で織られた平民の標準的な服。

少年は彷徨の姿を見るや否や、破顔して彼の手を握り締めた。

「やっぱり彷徨かぁ!!ひっさしぶりだな〜!!」

「お前も元気そうだな、三太。」

お互いに硬く手を握り締める。

「どうしたんだよ、明日は出発だろ?準備とか、忙しいんじゃないのか?」
「今、その事で城に行ってきたんだよ。で、その帰りだ。」
「そうなのか・・・。まぁとにかく上がれよ!」

言って三太は彷徨を促して中に入る。
その後に彷徨も続いた。



シュバルツフット・三太。
彷徨の母親が亡くなった後、ヴェストヴァイト家で働いていた家政婦の息子である。

宝生は自分が仕事に出る際は彷徨を一緒に連れて行っては居たものの、やはり家の内部の仕事や彷徨の世話などを男手一つでするのには不安を感じ、三太の母親に家事諸々や、彷徨の世話などを頼んでいた。
と言っても、三太の両親も多忙だったため、彷徨と三太は必然的に一緒に居る時間が増える。
そして、長い間行動を共にするうち、二人はいつしか身分を越えた仲となっていった。


それは三太の母が家政婦を退職し、離れて暮らすようになった今でも変わっていない。


「実は今、俺のお袋ちょっと留守なんだよな〜!ったく残念だよ。お前が来たの見たら、お袋飛び上がって喜ぶぜ〜!もうちょっとタイミングずれてりゃなぁ。」


奥の部屋に通された彷徨は、三太に出された茶をすすりつつ、久しぶりの雑談に花を咲かせていた。

「お袋さん、元気か?」
「ああ、ピンピンしてるよ。こないだなんて、安売りの商品めぐって隣のおばちゃんと死闘を繰り広げてさ!ったくいい年して・・・。」
「あの人らしいな。」

彷徨は笑って相槌を打つ。
三太の母はそういう人だった。
たぶんあの人ほど、「老化」とか「老衰」なんて言葉の似合わない人は居ないだろう。

三太は彷徨のほうにググッと顔を近づけて言った。

「で?いよいよ行くんだな?」

彷徨は頷いた。

「ああ。明日の朝早く、ここを発つ。」
「従者は何人連れてくんだ?」

軽く首を振る彷徨。

「・・・何だよ。お前もしかして・・・・一人も居ないのか!?」
「ああ。」

三太は面食らった様子で後ろに大きく仰け反った。

「何もそんなに驚く事ないだろ。うちは騎士の家柄と言ったって、領地もあの屋敷とその周りしかない下級貴族だ。お前のお袋さんみたいに厚意で働いてくれる人なんてそうそういない。」
「まぁ、そりゃそうかもしれないけど・・・。」

三太は渋々ながら認めつつも、心の中ではため息を付いていた

(しかし、それでも金借りて誰かを雇おうともしないのは、馬鹿正直っつーか何と言うか。)

大方、何も知らずに付いて来る従者を、自分ひとりで守れる自信がない、とか考えているのだろう。


「ま、ある意味、お前らしいけどな。」
「?」


三太は笑って言った。
彷徨のこの生き方は、彼の性格をそのまま表している、と思う。

冷たく見えて、実は馬鹿みたいに真っ直ぐで。
三太もクリスも、この街の人々も、彷徨のそんな所に惹かれているのだ。
愛想がいいとはお世辞にもいえない彷徨が不思議と人望があるのも、たぶんそのせいなのだろう。

彷徨は窓の外に目をやった。
つられて三太も外を見る。

もう夕暮れを迎えた路地は、帰宅する子供たちの声が響き渡っている。

「14年間か・・・。」
「ん?」
「この街で暮らした時間。」
「あ、ああ、そうだよな。生まれてからずっとだもんな。」

彷徨の瞳が、夕日の光を映し出す。
「長かったな・・・。」


彷徨の言葉は、赤く染まり始めた街並みに消えていった。

それを背に受けて、子供たちは無邪気に駆けていく。

幼かった頃の自分たちのように、ただ、今の幸せだけを小さな胸に、詰め込んで。



(06/05/13 大幅改訂)















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