作:あゆみ
青々と茂った木々の隙間から木漏れ日。
まだ、桜が散ったばかりだというのに
すでに初夏を思い起こさせるようなある朝。
未夢は勤務先の風立病院へと向けて自転車をこいでいた。
未夢が通勤に自転車を利用している理由は
変則シフトだと、帰る時間もまちまちで。
必ずしもバスや電車が動いている時間に帰れるとは限らないからだ。
看護学生時代から付き合いとなるこの赤い愛車もついに6年目に突入した。
定期的にメンテナンスしているので、近所の自転車屋さんにも
「きれいにつかっているね。こいつも幸せものだ」
と言われるくらいどのパーツも未夢の動きに機敏に対応していた。
ペダルをこぐ力を込め一気に坂を上る。
快適な走行を続けていくと、一番の難所が視界に入ってきた。
丘の上に立っている病院だけあって病院までは緩やかな坂道が続いている。
いくら緩やかといっても、長距離の坂は体にこたえる。
なんだって、病院の前に心臓破りの坂があるのだろうか。
帰りは楽々と自転車を転がせるからいいものの、
この坂では具合の悪い患者さんにとってはきっと辛いはずだ。
とはいっても、病院へは定期的にバスが走っているからほとんどの患者さんにとっては関係ない。
また、病院関係者も皆、自家用車に乗って通勤している。
未夢同様、いつ何時呼び出しがかかってくるかわからないからだ。
電車もバスも当てにしていない。
よって車通勤が多いのである。
未夢もこの風立市立病院に勤めて早くも3ヶ月になろうとしている。
病院から近いアパートに住んでいるからというのもあるのだが、
実際『自転車』で通勤しているものは自分以外見ることがなかった。
「はぁ・・・はぁ・・・」
白いブラウスの襟が未夢の呼吸と風で
ゆらり。ゆらり。
なびいている。
あとすこし・・・
入り口が見えてきた。
未夢はしびれる足を奮い立たせてペダルを漕いだ。
木々がスロープのようになっている丘へと未夢の赤い電車がをゆっくりとかけて行った。
ドゥルルル・・・
突如、未夢の背後から車のエンジンとは異なる低い低音が響いていた。
車とは異なる軽快な音をたてて未夢の背後に迫ってきていた。
未夢は後ろを振り返るとまだ坂のはじめに差し掛かっているバイクの姿が目に留まった。
あ!あのバイク!
未夢はそのバイクを見て毎度利用者の少ない職員用の駐輪場に置かれているバイクを思い出した。
あれだ!あのバイクだ。
いつも未夢が病院について駐輪場に向かうと必ずひっそりとその身を
落ち着かせているシルバーのバイク。
バイクには興味がなかった未夢だが、毎日見るそのたたずまいに次第に
愛着が湧き、ひそかにバイクの車種を調べたのだ。
それで知ったバイクの名はがホンダCBR1100XXだった。
極端に自転車、バイクの利用者が少ない風立病院の駐輪場には
いつも未夢の 赤い自転車と
持ち主不明の シルバーのホンダCBR1100XXが並んで泊まっている。
未夢は常日頃から思っていた。
いつもきれいにしているきれいなバイク。
いったいどんな人が乗っているのだろう。
偶然とはいえ今日未夢はその持ち主がそのバイクに乗っている姿を見ることができた。
未夢はその病院とミスマッチのバイクの軽快な動きを見ていた。
シルバーの車体が、運転手の動きに機敏に反応し
車体に乱反射している光がまるで、舞台の照明のようだった。
あの子が動いているのを見るのはこれが初めてだな。
未夢はバイクの動きを目で追いつつ、そんなことを考えていた。
未夢は運転手が黒のヘルメットを着けているためどんな人物なのかわからなかった。
しかし、車体とは対照的なメタリックブラックのブルゾンを身にまとっている体つきと
バイクのセンスからきっと自分とさほど変わらない年の人なのだろうと未夢は思っていた。
いつの間にかペダルをこぐことをやめていた未夢の足は
その場に立ち止まったまま、そのバイクの様子を見入っていた。
ドゥルルル・・・
次第に距離が縮まる。
きっと、病院関係者のご家族だろう。
未夢がそう思ったときだった。
バイクはそれまでの滑らかな走りを緩やかに減速させ、丁度未夢の目の前で止まった。
「なんだ。誰かと思ったら未夢か。」
ヘルメットをかぶったままのその声の主は未夢に話しかけてきた。
「え?」
未夢は聞いたことのあるようなある低い通る声の人物の顔を一瞬思い浮かべた。
「えっ?じゃないだろ。分からないのかよ。
仕事中とは違う髪形をしているお前ですら俺はすぐに分かったのに。」
バイクの主は着けていたヘルメットに手を差し込み、
くぐもった音を少し鳴らして顔からそれを抜き取った。
黒のメットから出てきた顔。
そしてメット型にやや固まってしまった髪をなおすため無造作に髪を振ったその人物は、
「西遠寺先生!!」
未夢は、驚きながらいった。
未夢と同じ小児科に属している西遠寺彷徨だった。
「なんだよ。そんなに驚くことか?」
彷徨はぴょんと癖が付いてしまった前髪をつまみながらいった。
「だ・・・って、先生、バイク通勤なんですか?」
未夢は彷徨のとる仕草に目がいってしまうのを感じながらいった。
「あぁ、知らなかった?っていっても普段俺が通るときは人通り少ないからなぁ。
知らない人のほうが多いだろうな。」
彷徨は前髪をいじる手を下ろしてメットを抱え込む。
「それにしても、未夢は自転車か?それもうちの職員では珍しいだろう。」
メットを持ち替える動作にまで目が奪われていることに気づいていない未夢はいった。
「そうですね。私しかいません。それにしても・・・」
「なんだ?」
「いつもとなりに並んでた『シビルちゃん』の持ち主が西遠寺先生だったとは。」
「なんだ?その『シビルちゃん』ってのは?」
「え?あぁ、先生のそのバイクホンダCBR1100XXでしょ?
その頭のアルファベットを勝手に読んで『シビル』
そして、いつもきれいに磨かれていて綺麗な女の子のような体つきだったから
『シビルちゃん』。」
未夢はヘヘッ♪と肩を竦めて見ていた。
「ふぅーん。そっかじゃああの赤い自転車は未夢のだったのか。」
彷徨は鼻の頭をぽりぽりとかきながらいった。
「えぇ。そうです。」
「わざわざ自転車で通勤か?」
「はぁ・・・まぁ。ちょっと疲れますけど気持ちいいんですよ風が!」
そこに丁度、二人の間に初夏のやや湿った風が通り抜けた。
未夢の髪が風に流れてなびく。
彷徨は普段アップにされている髪をおろしている未夢のその長い
金色の髪の動きに目を奪われていた。
風がふわりとやみ。
また二人の距離にはいつもの空間が残された。
「髪・・・」
「え?」
「髪・・・長かったんだな。」
「えぇ・・・」
彷徨は無意識に未夢のその髪を凝視していた。
未夢はその視線に気づきながらどきまきしていた。
な・・・なに?
「仕事中は邪魔ですからアップにしていますけどね!」
未夢は少し慌て始めようとしている自分の心を平常に戻そうと平静を装った。
「うん・・・」
彷徨は視線を離さない・・・
「せんせ?」
「うん・・・」
「せんせい?」
空返事の彷徨に未夢は呼びかける。
「きれいだ・・・」
「えっ?!」
未夢は聞き取れなかったその言葉を聞き返した。
その声に彷徨はハッ!と やっと反応を示した。
今まで未夢の髪を凝視していたことに驚く。
俺・・何みて・・・
それに何口走って・・・
彷徨は無意識に口走った一言に思わず赤面しそうになった。
とっさに隠そうと手で口を周りを覆い隠す。
目の前の未夢ははてなマークを浮かべている。
「西遠寺先生?なんておっしゃいました?」
「別に・・・」
「気になりますよー」
「気にスンナ。」
彷徨は口を手で覆ったまま視線を上に向けた。
未夢はぷぅっと頬を膨らました。
そんな未夢を前に彷徨はニヤリと不適な笑みをこぼす。
その笑顔に良い意味を持たないということをこの2ヶ月で直感的に悟った未夢は
ギクリ と肩を強張らせた。
「な・・・なんですか。先生。」
「ん?未夢が自転車通勤なのってさ・・・」
「・・・?」
「ダイエット?」
といった彷徨はこれ以上無い満面の不敵な笑みを持っていたヘルメットで
覆い隠した。
「ダ!・・・なッ!!」
彷徨はエンジンキーをまわしてエンジンをふかす。
ドゥッドッドッ・・・
「早くしないと遅刻するぞ ドジナース。」
ヘルメットの所為でこもった声が未夢の耳に届く。
「な!ひど!!」
未夢は見る見るうちにこめかみに青筋を立ててもう見えない彷徨の顔をにらみつける。
「じゃ おさき!」
ドルルル・・・
軽快なエンジン音を立てて彷徨はその場を立ち去った。
「ダイエットって・・・どうせ私は豚ですよー!!!
先生のばかぁぁ!!」
未夢はそんな彷徨の後姿に向かって叫んだ。
ばぁか。聞こえてんだよ。
彷徨はそう思いながら、まだ曳かぬ頬の熱の意味を考えた。
あいつの髪を見てついついいっちまった一言。
思っていたことを口走るなんて子供じゃあるまいし
どうなってんの俺・・・。
その日の朝礼に遅刻ぎりぎりだった未夢を尻目に
何食わぬ顔でカルテのチェックをしていた彷徨を
未夢は1日中にらみつけていた。
そんなある朝の出来事。
かほしゃんとの突発コラボ企画「D/N/A」掲載作品です。