作:あゆみ
未夢は、体育の授業を見学した。
別に体調が悪かったわけではないのだから、見学する必要もないのだがこのような精神状態ではスポーツどころではなかったからである。
西遠寺君のあの話し振り。あの態度…。
確かに何かを知っているらしい。だがそれは一体なんなのだろう。
五時間目に一体何があるというのだろう。
『演技』とは何のことなのだろう。
そんな事が頭に引っかかっていたため昼食もほとんどのどを通らなかった。
「大丈夫?未夢?このところ具合が悪いんじゃないの?」
ななみちゃんたちが心配そうな表情をするので
「ううん。大丈夫よ」
未夢は無理にでも笑顔を作らねばならなかった。
未夢には五時間目が始まるのが待ちどうしかった。
数学の授業が待ち遠しいなど、未夢にとっては始めての経験である。
時計の針はなかなか進まなかったがそれでも着実に時間は過ぎ、待ちわびていた五時間目が始まった。
未夢のクラスの数学担当教師は教室に入ってきたとき両手にプリントの束を抱えていた。
「この間のテストを返します。」
開口一番の先生の台詞に未夢は首をかしげた。
『この間』っていつかしら?
二度の『記憶喪失』を経て、未夢の時間間隔は少なからず信頼性を欠いていたのである。
「はい、鈴木君。67点。飯田君。はい58点。」
先生はいつものように点数を読み上げながらテストを生徒達に返し始めた。
数学の得意なものは良いだろうが未夢のようなものにとっては少しいやなやり方だった。
今回のテストはかなり難しかったらしく、押しなべて点数は低かった。
平均点は60点というところだろう。
出席番号順に読み上げてゆき次は西遠寺彷徨の番だった。
「西遠寺君、はい97点。」
おお、と微かなどよめきが教室に満ちた。
「…どうも。」
西遠寺彷徨は特に喜ぶふうでもなく、答案用紙を受け取った。
「さすがね、西遠寺君。」
先生がそう表したのは数学の成績において、このクラスでは西遠寺彷徨に並ぶものがいないからである。
未夢の記憶にある限り、西遠寺彷徨は数学のテストで90点以下を取った事がない。
「でも、今回は、あなたより上手がいるわよ。」
教室にざわめきが生じた。
しかし、西遠寺彷徨は軽く目礼しただけで、そのまま席に戻った。
相変わらず感情の起伏が分かりにくい男である。
「天地さん、70点。伊藤さん、59点…」
先生の読み上げが続いた。
そして、
「光月さん」
「はい」
未夢が立ち上がって、答案を受け取りに行くと、先生はにっこり笑った。
「頑張ったわね。私が受け持っている三クラスの中で、ただ一人、満点よ。」
おおおおおおお……!!!。
西遠寺彷徨の時に数倍するどよめきが沸き起こった。
嘘でしょ…
未夢は耳を疑った。算数が数学と名前を変えてこの方、満点どころか平均点を取る事さえまれだった未夢なのである。
だが手渡された答案には確かに赤い時で100と点数が記されていた。記名欄にあるのも光月未夢の文字である。
未夢は席に戻ると答案用紙に見入った。未夢の名前が、未夢の筆跡でかかれている。
一面に書かれた数式も未夢の筆跡だ。だがこのテストを受けた覚えが未夢にはなかった。
「ねぇ、ななみちゃん」
未夢は前の席のななみをつついた。
「このテスト、いつやったっけ?」
「月曜日よ」
やっぱり。
覚えがないのは当然だった。
これは未夢が未夢でないときに受けたテストなのだ。
それにしてももう一人の『未夢』はとんでもない才能の持ち主である事は間違いない。
未夢本人には逆立ち下って、こんな点数は取れはしない。
「それにしてもすごいじゃない未夢。」
ななみは無邪気に感心している。
「………まぐれだよ。」
とりあえず、その程度しかいえる言葉がなかった。
「それにしても未夢が数学で万点取るなんてね…。西遠寺君も驚いているみたいだよ。」
ななみの言うとおりだった。西遠寺彷徨は腕組みしてじっと未夢の方を見ていたのである。
たしかに、西遠寺君は驚いているようだった。
だが違う、その驚きはななみが行っているような単純な驚きではない。
それが未夢にはわかった。
西遠寺君が言っていたではないか。
『五時間目が終わってから』
と。西遠寺彷徨はこの事を予想していたに違いない。
いや…予想していたなら驚きはないだろう、ではなんらかの予言のようなものを与えられていたのだろうか。
それが的中した事に驚いているのかもしれない。
「それでは、答えあわせします。」
先生はいった。
五時間目が終わると西遠寺彷徨が立ち上がり未夢のほうへやってきた。
「君の勝ちだな。」
などといわれても実力で取った点数ではないので、ぴんと来ない。
「…どうだっていいよ。そんなこと」
「何言ってるの未夢。」
ななみが笑った。また変な気を回しているのかもしれない。
「なるほど…そう来るか。確かに昨日の君の話からすればそういう答え方になるのかもしれないな。」
「昨日の…『私』?」
その言葉が未夢の頭に引っかかった。
やはり知っている。西遠寺君はもう一人の『未夢』の存在を知っているのだ。
「西遠寺君。お願い、教えて。昨日の昼休みに一体。」
勢い込んでたずねてくる未夢に西遠寺彷徨は右手を広げた。
「まあ。まてよ光月。」
「なんでよ。五時間目が終わったら説明してくれるっていったでしょ?」
「言った。だけど、それは俺が態度を決めるのに必要だったという意味だ。すぐに六時間目が始まる。話は放課後にしよう。」
「でも…」
「それに、君から聞かされた話を、そのまま君にするのも馬鹿馬鹿しい。時間の…。」
西遠寺彷徨はそこで薄く笑った。
「無駄だ。文字通りの意味でだ。君に聞いた話から判断すると、おそらく今日の放課後の君なら、俺の言っている事が理解できるはずだ。」
「ちょっと待ってよ。貴方の言っている『私』は私じゃない『私』でしょ?そうじゃなくて私に説明してよ。そうじゃないと私頭がおかしくなりそうなの」
「同じ事だよ、光月、君も君の言う『君』も結局のところ同じ君になんだ」
「…えっ?」
それは、どういう意味なのだろうか。
同じ体を共有しているから、という意味にしては少しおかしい。
未夢は首を傾げたが、ななみの方はあからさまに『理解不能』の文字を頭に浮かべている。
「ねぇ…いったい、何の話をしているの?」
「単なる言葉遊びだよ。」
西遠寺彷徨は軽くあしらって、未夢に視線を戻した。
「とにかく光月。約束は守る。君に付き合ってやるよ。だから、放課後まで待て。話はそれからだ。」
西遠寺彷徨はそういうと、さっさと自分の席に戻ってしまった。
「ねぇ…未夢。何なの一体?」
ななみに問われたが、未夢は首を振るほかない。
何がなんだかわからないのだ。
ただ一つ確かな事は、西遠寺彷徨が、未夢の身におきた事を、ただ知っているというだけでなく、かなり明確な形で把握しているらしいという事である。
「放課後…か…。」
随分勿体つけられたが、放課後になればなにもかも、明らかになるのだろうか。
「それにしても良かったじゃない。」
ななみが、ぽんと未夢の肩に手を乗せた。
「?なにが?」
「西遠寺君と付き合えて、よ。嬉しいでしょ?」
未夢は気づいた。ななみは勘違いしているのだ。
西遠寺彷徨は『君に付き合う』といったのであって『君と付き合う』といったのではないのだから。
「嬉しくなんかないよ。」
「そんな事言っちゃって…。」
ななみは笑い、それから声を潜めるようにしていった。
「こんどくわしくやり方教えてね。」
「?」
「なんか、効果抜群みたいだから。」
「??」
いったい、もう一人の『未夢』はどこで何をしていたのだろう。
お陰で分からない事ばかりが増えていく。
早いとこ、何とかしなくちゃ。
未夢は心底そう思った。
六時間目が終わった。
帰りのホームルーム。そして、掃除。
視聴覚室へ行った。
そこにはすでにななみと蒼井がいて掃除を始めていた。
「光月さん。悪いけどこのゴミを捨ててきてくれない?」
蒼井が落ちあげたプラスチックのゴミ箱には、紙くずがぎゅうぎゅうづめに押し込まれていた。
「うん。わかった。」
未夢は、ゴミ箱を受け取って視聴覚室を出た。
ゴミ箱を抱えて、とんとんと、警戒に階段を駆け下りた未夢は、踊り場に足をつけようとしたとき、誰かが拭き忘れた水溜りを踏んだ所で足を滑らせた。
「あ!」
このところつくづく、廊下にはたたられる。
頭の隅で、チラッとそんな事を考えながら未夢は倒れていった。