作:あゆみ
「ふうん・・・これが西遠寺君の家なのね・・・」
未夢はしげしげとその家を見た。
平屋の広大な敷地にたっている住宅だった。
西遠寺彷徨の家は寺らしい。
大きな鐘楼、本堂と思わしきものが未夢の視界に入った。
台所があると思われる窓からは、明かりが漏れている。
空はもう暗くなっていた。
風立公園から西遠寺彷徨の家までは、確かに近かったが、
西遠寺彷徨の足取りがあまりにゆるやかだったため、
思ったより時間がかかったのである。
やはり、脇腹が痛むらしい。
しかし、未夢が肩を貸そうとしても、西遠寺彷徨は決して首を縦には振らなかった。
「ほんとに、強情なんだから・・・」
その西遠寺彷徨は、玄関の前に立つと、大きく深呼吸し、
前かがみになっていた姿勢を正した。
「どうしたの?」
「親父にばれるとうるさい」
西遠寺彷徨は苦痛の表情を押し隠して、ドアを開けた。
「ただいま」
「お帰り。」
静かに、通る声が返ってきて、トタトタと足音が近づいてきた。
現れたのは、頭の髪の毛をきれいにまるめた住職と思わしき男性だった。
「おや?」
未夢を見て、目を丸くする。
「めずらしいな。彷徨が女性を連れてくるなんて。」
「ふん。」
西遠寺彷徨は、邪険に答えて、靴を脱いだ。
廊下に上がりかけて、一瞬動きを止める、
痛みが激しいに違いないが、西遠寺彷徨はそれを表には出さなかった。
「彷徨の父の宝生です。」
西遠寺彷徨の父は、ゆっくりと微笑んだ。
「あ、光月未夢です。西遠寺君にはいつもお世話になっています。」
未夢が挨拶を返すと、西遠寺彷徨は小さく笑った。
「まったくだ。」
この一週間のことを振り返ればまさしくそのとおりだが、
いかにも西遠寺彷徨らしい、台詞である。
未夢は肩を竦めた。
見ると宝生も同じように肩を竦めている。
未夢と宝生は、お互いの動作を認めて、ともに顔をほころばせた。
「お邪魔します。」
未夢は、宝生に軽く会釈して、靴を脱いだ。
「大丈夫?」
宝生を気にしながらささやくと、西遠寺彷徨はからかうように言った。
「そっちこそな」
「何の話じゃ?」
怪訝な顔をする、宝生を、西遠寺彷徨は振り返った。
「光月は、段差を見ると、転ぶ癖があるのさ」
「え?」
「そうじゃなくって」
未夢は慌てて手を振った。
「ちょっと、おっちょこちょいなだけです。」
「ほぉ・・・」
宝生はおかしそうに笑った。
*******
やはり、今の西遠寺彷徨には歩くことは相当辛いようだった。
一歩一歩進むごとに体を震わせている。
「肩を貸すわ」
「いい。それより、親父が来たらおしえてくれ」
どこまでも強情な西遠寺彷徨だった。
脇腹を押さえながらやっとのことで進むと、西遠寺彷徨は壁に背をもたせ掛けて
大きく肩で息をついた。
しばらく廊下をまっすぐ進むと、正面にふすまがあった。
西遠寺彷徨の部屋のようだ。
あれ?
どこかで見たことがある。
未夢は思った。
どこかでこんな光景を、確かに見た。
これがデジャブというものだろうか。
「こっちだ」
西遠寺かなてゃふすまに手をかけて開けて中にはいった。
落ち着いた感じの部屋だった。
机、壁にずらりと並んだ本棚。
いずれも主の性格を反映しているかのように整然と片付けられていた。
「・・・」
「どうした?」
立ち尽くす未夢に、西遠寺彷徨は怪訝な顔を向けた。
「う、ううん・・・なんでもない。」
未夢は首を振った。
西遠寺彷徨は鞄を机の上に置くと、畳に座り込んだ。
そして苦しげに息を吐く。
「・・・おなか診せて」
「手当てなら自分でやるよ。」
「診せて」
「いいって」
「診・せ・な・さ・い。さもないと・・・」
未夢が拳を固めてみせると、西遠寺彷徨はため息をついた。
「南の奴・・・ろくでもないこと教えやがって・・・」
学生服を脱ぎ、ワイシャツを捲り上げる。
それから、西遠寺彷徨はぎっちりと巻きつけられたさらしを解き始めた。
締め付ける力が緩んだからだろう。
さらしが解かれるにつれて、西遠寺彷徨の顔に苦痛の色が浮かぶ。
「手伝うわ」
見かねて未夢はひざを突いた。
くるくると、手早くさらしを巻き取ると、
その間からつぶした空き缶が転げ落ちた。
一個、二個、三個、四個・・・どれも新しく、桃やみかんやパイナップルが描かれている。
その中のみかんの缶詰に大きくはないが深い凹みができていた。
ナイフの跡だ。
それと同じ形のあざが、西遠寺彷徨の脇腹に浮き上がっている。
凝縮されたような色合いの青黒いあざだった。
「ひどい・・・」
そっと指先で触れてみる。
「うぐっ…」
とたんに、西遠寺彷徨が身を硬直させた。
「ごめんなさい」
「もう少し、優しくしてくれよ。」
文句をつけながら、西遠寺彷徨は自分でも点検する。
「色はひどいが、たいしたことはなさそうだな」
「少し、熱を持っているみたいよ。冷やしたほうがいいかしら・・・」
「場所は悪いが、要するに打撲だからな。 ・・・さっきの湿布をだしてくれよ。」
「うん・・・」
未夢は、途中の薬局で買い込んできた、においのしない湿布薬と包帯を鞄から出した。
湿布薬を、ぺたりと西遠寺彷徨の脇腹にはる。
「じゃ、ちょっと、ワイシャツを持ち上げててね。
はがれないように、包帯を巻いておくから。」
「分かった。」
西遠寺彷徨の腹に包帯を巻きつけながら未夢は聞いてみた。
「それにしても・・・どうして逃げなかったの?」
「時間を再構成させて、それでもなお、光月を助けられると思うほど、
おれは自分の能力に自身がなかったんでね。」
『彷徨が刺される過去』
それがあったから、西遠寺彷徨は『刺されなければならなかった』のだ。
だがそれを回避すれば、時間は再構成されてしまったはずである。
だから、西遠寺彷徨は、刺されることを前提とし、
その上で自分のみを守る方策を練ったのだ。
「それにしたって・・」
腹をさされることが分かっていたにしても、さらしと空き缶がそれを食い止めてくれるという確証はなかったはずだ。
現に、西遠寺彷徨はこうしてかなりのダメージを受けてしまっている。
「さすがに、すこし覚悟が言ったけどな。
だけど、光月に逃げるなといったのに、自分だけ逃げるわけには行かないじゃないか」
「・・・」
なんと言っていいかわからなかった。
あの時・・・未夢が『他人事だとおもって』
といったときも、西遠寺彷徨は自分が刺されることを知っていたのだ。
腹に来ることが分かっていたとはいうが、未来も過去も不変ではない。
本当に刺されてしまう可能性も絶無ではなかったのに、それなのに、
西遠寺彷徨は逃げなかったのだ。
時間を再構成させないために。
未夢を助けるために。
何も分からずに、西遠寺彷徨を非難さえした未夢のために。
*******
とたとた。軽快に廊下を歩いてくる音が聞こえた。
「親父だ」
西遠寺彷徨は、急いでワイシャツを直し、さらしと空き缶を学生服の下に隠した。
「失礼するよ」
宝生は手にしたお盆を掲げるようにして入ってきた。
「ほら、彷徨テーブルを出しなさい。」
「あ。私が」
西遠寺彷徨を動かせたくなかったので、未夢は立ち上がり、
隅にあった小テーブルを部屋に運んだ。
「すみませんな。」
そういいながら、宝生は小テーブルの上に運んできたものをのせた。
「なんだ。こりゃ」
西遠寺彷徨があきれたのは、それが大きなガラスのボウルに盛り上げられた、
果物の山だったからである。
「なんだじゃないじゃろ。片っ端から缶詰をあけてしもうて。
早く食べないと痛んでしまう。責任もって片付けるのじゃ。」
「わかったよ。」
西遠寺彷徨が苦笑いを浮かべたとき。
「未夢さんとおっしゃったかな。」
「はいっ。」
いきなり呼ばれて、未夢はとびあがってしまった。
「うちの倅のことを、よろしく頼みますよ。それから彷徨。」
「なんだよ。」
「突っ張るのもいいが、たまには丸くなるのじゃ。そのほうが、人間が大きくなるぞ。じゃ。」
そういって、宝生はくるりと体を翻しゆっくりと去っていった。
「利いた風なこといいやがって・・・親父の奴。」
「ふふ。素敵なおじ様ね。」
「そうか?」
西遠寺彷徨は未夢に向かって両手を広げてみせた。
「これで本当に片がついた。
ザッツオールフィニッシュってわけだ。」
「・・・そうね。」
未夢はあいまいに頷いた。
そうではないのだ。
西遠寺彷徨にわからないのは当然だが、まだ、もう一幕残っているのである。
だが、それは・・・。
******
西遠寺彷徨は机の目に腰掛けていた。
机の上には例のスケジュール表が広げられている。
「何をしているの?」
机の端に宝生が持ってきてくれたコーヒーカップを置きながら未夢はたずねてみた。
「順序良く整理してる。・・・ああ、ありがとう。」
西遠寺彷徨はカップを取り上げて、一口すすった。
「思い返してみると、やっぱり厄介だな。」
「でしょうね。」
未夢は心の底から同意した。
未夢は、ミルクをたっぷりめにいれたコーヒーを一口飲んだ。
それからそっと、深呼吸する。
「ね、西遠寺君。」
「うん?」
「今度のことは、これで終わったかもしれないけど・・・。
また、なにか怖いことが起こったりするんじゃないかしら」
「そのときは、また言いに来いよ。助けてやるさ。」
「起こってからじゃ、手遅れかもしれないじゃないの。」
「・・・?それじゃ、なにか?俺はこれからもずっと光月のそばについてなきゃいけないのか?」
西遠寺彷徨はゆっくりと体の向きをかえ、からかうように未夢の顔を見上げた。
「だめ?」
未夢は、じっと西遠寺彷徨の目を見つめた。
「・・・光月?」
西遠寺彷徨は、驚いたように未夢を見返した。
未夢は目をそらさない。
西遠寺彷徨の視線がちょうど『思考時間』に入ったときのように鋭くなったが
それでも目をそらさなかった。
ややあって、西遠寺彷徨の表情が緩んだ。
「危なっかしくて、とてもほおって置けないな。」
肩の力が抜けたような、どこか晴れ晴れとした笑顔だった。
未夢が始めてみる、いや誰も見たことがないであろう笑顔だった。
「ほんと?」
「嘘はつかない」
「じゃ…」
未夢は、頬が火照るのを感じながら言った。
「態度で示して。」
未夢は首を振り、目を閉じた。
「光月…?」
西遠寺彷徨の驚いたような声が聞こえたが、未夢は動かなかった。
ただ、じっと待った。
頬が熱い。
羞恥に心と体を震わせながら未夢は待った。
西遠寺彷徨の立ち上がる気配がした。
はずかしい・・
心が体の中で暴れているようだ。
未夢は思った。
そして未夢はそのときを待った。
どこまでも際限なく高まっていく胸の鼓動を感じながら・・・。
(おわりははじめに 完)
(明日は昨日 完)
あとがき
長きに渡りご愛読ありがとうございました。
HPの閉鎖とともに、この『明日は昨日』も途中で投げ出してしまおうかとも思っていました。
が、皆様の応援があって、続けることができました。
本当に感謝の気持ちで一杯です。
お気づきかもしれませんが、『おわりははじめに』は『始まりと終わり』に続きます。
そして、ささやかですが『おまけ』をこの後に書かせていただきました。
原作のだぁ!とはかなり雰囲気の違うシリアス・ファンタジーになってしまいましたが
いかがだったでしょうか?
力不足だった事ちょっぴり後悔し
書き終えたことをうれしく思っています。
では、また別の作品でお会いできることを楽しみにしています。
おしまい。
2007/4/15