作:あゆみ
この作品はリーマンの提供でお送りします。(しかも続編・・・がふっ!)
チリン…チリリン…
人の出入りを知らせる鈴が
ドアノブで高く小さな音色を奏でたとき
その店の主、マスターは丁度、店のカップを磨き終えたところだった。
「あのぉ…失礼ですがここはどこでしょうか?」
恥ずかしすぎる
とでも言わんばかりに顔を赤くした少女、
いや女性がドアのノブに軽く体を寄せて店の中を覗き込んでいる。
…これはまた、大層な美人さんが迷い込んだもんだな
マスターは左手に持っていた布巾を台に乗せる仕草のまま
ついついその女性に見とれてしまった。
…やれやれ、私もまだ若いって事かな
と心の中で若干の照れを感じつつも
マスターは平常心を装った表情と声で答えた。
「ここはどこかとは、また妙な質問ですな。」
マスターの返答にその女性はより一層頬を赤らめた。
「すみません///あの、人と待ち合わせをしたのはいいのですが
早く来すぎてしまった上に、変な探索気分で入ったこともない道に入ったら
現在位置が分からなくなってしまって…。」
金色の長い髪をなびかせたその女性は
頭をペコリと下げながらドアを背にゆっくりと店内へ体を滑り込ませてきた。
チリン…
その女性の入店を確認したかのように
再び鈴は高く、先ほどよりも小さく音を奏でた
事情はわかった。
「なるほど、なるほど、それはお困りでしょうな。
ここは常連しか来ないような喫茶店、まぁ立地条件からいっても
仕方がないことですがね。
ちなみにお嬢さんはどちらへ行きたいのかな?」
自分の趣味で始めたこだわりの店だけど
場所が場所だけに人通りは悪い。
自分のペースでやっていけるから割と気に入っていたけど
まさかこんな美しい女性が迷い込んでくるとは、なんというラッキー
「風立公園の噴水前なんですけど…」
コッ…コッ…
と軽いヒールの音を店内に響かせ
困り顔を浮かべながらこちらへやってくる。
「風立公園というとN大学が近いあそこの噴水?」
マスターは裸電球のバウンスを効かせただけの店内の照明に感謝しながら
自分が年甲斐もなく頬が赤くなっていくのを感じた。
「えぇ、そうなんです。」
白いワンピースを着た女性はもうすぐ目の前にいて
マスターの視界に収まった。
「風立公園はこの店を出るとゆったりとしたスロープが右に続いていくから
そこを100mも上れば目の前だよ。」
「えっ!そんなに近いんですか!」
近くに来て判ったのだが、この子はどうやら走ってきたらしい
軽く息を切らせ頬を赤く染めている。
「あぁ、そうだよ、意外でしょうな?位置的には丁度N大学と風立公園の対角線上にありますなぁ。」
「なぁんだ!私ったらこの辺の地理にあまり詳しくないから焦っちゃった…。
そっかーここは公園の近くのお店なんですね。」
「人通りは少ないですがな。」
「そんな、とても雰囲気のあるお店ですよー」
安心した女性は気が抜けたようで、本来の?
おしゃべりを始めたようだ。
人見知りというものがないらしい、
私も始めての人間との付き合いはかなり得意なほうだが
この子はどうも人を引き付ける雰囲気を持っている。
薄暗い店内が
いつもよりやや明るく見えるもの
私の気のせいではないだろう。
「待ち合わせの時間までにはまだ余裕はあるのかな?」
「えっ?えぇ!あと30分くらいなら」
女性はハンドバックにしまっていた携帯電話を出し、時間を確かめた。
「なら、コーヒーでも飲んでいかれてはどうかな?息を整えたほうがいいでしょう」
まるでナンパだ。。とマスターは思った。
いくら喫茶店だからといって
こんなナンパマニュアルに載っているような発言は自分でも初めてだ。
「…そうですね!じゃぁそうさせてもらおうかな。」
始めは大きな眼をキョトンとさせていた女性も
次の瞬間にはにっこりと笑ってカウンターの席にスカートの皺をのばして座った。
☆
私はいつも通りにコーヒー豆を丹念に引き
それをサイフォンを使って落とした。
手間は掛かるが私はこのスタイルをもう10年は続けている。
会社を途中退職してからずっとだ。
一人身だし、自分が生きていければ
大金が必要というわけではない。
この店もこつこつ溜めた金と、退職金をはたいて建てた。
これが私の「子供」とでも言うべき宝の店だ。
今ではこのスタイルが気にってくれた人がリピーターとして
私の作る空間に訪れてくれる。
流行りもなにも関係ない古い店だ。
「へぇーそれじゃあ、マスターは一人でこのお店を経営していらっしゃるんですね。」
この店に訪れたこの女性は名を『未夢』というらしい。
コーヒーの準備をしている間に、互いに自己紹介のようなものをした。
彼女は、私が客から「マスター」と呼ばれているよといったその次の瞬間から
私のことをマスターと呼びだした。
これまで、マスターなんて堅苦しい呼ばれ方はなんとなく
恥ずかしい気がしていたが、今日その恥ずかしさは嬉しさへと変わっていた。
「そうですね、もうかれこれこの店も10年ですな…。」
私は十分に温まった空のカップを取り出し、
たった今サイフォンから落ちてきたコーヒーを注いだ。
「へぇーこんな素敵なお店、4年もこの近辺を通っていたのに気づかなかったなんて
すごいショック!!」
彼女は入れたてのコーヒーカップを両手で包み込みながら香りを楽しんでいる。
「こんな位置に喫茶店があるとは誰も思わないでしょうな…。これまでのお客さんも
道に迷ったついでに入ってくるようなところだからね。」
私は、最近お茶菓子にも凝るようになってきた。
一番の人気ともいえるかぼちゃクッキーを彼女のお茶請けに出した。
彼女はしばらく両手で包んでいたカップを持ち替え
そっと口へと運んだ。
こくり
と彼女は小さくのどを鳴らしてコーヒーを飲んだ。
そしてお茶請けに出したクッキーをひとつつまみ
さくっと音を立てて飲み込んだ。
「おいしい!」
「…」
「おいしいです!このコーヒーもクッキーも!
おいしいコーヒーって、こんなにもおいしいんですね!」
「まぁ、手間は掛かるけどそのおかげで喜んでもらえるのは嬉しいねぇ…」
「クッキーも!これ!かぼちゃですね!」
「ほぉ!よくわかりましたね。」
「わたし!かぼちゃ料理には結構うるさいんですけど、プリン以外でかぼちゃを使っているお菓子は
初めてです!おいしー!!!」
「未夢ちゃんに喜んでもらえるとうれしいですよ。」
私は彼女が目の前でおいしそうにお茶を飲んでいる様を観察し
幸せな気分を味わった。
しばらく彼女は私の入れたコーヒーとクッキーに没頭し
しゃべることも忘れて、時折、頬を押さえながら満面の笑みを浮かべて味わっていた。
そのコーヒーとクッキーがなくなると再び彼女は口を開いた。
「ご馳走様でした。」
「お粗末さまでした。」
「あの、マスターこのクッキーを少し売ってはいただけませんか?」
「えっ?」
「ぜひ、このクッキーを食べさせてあげたい人がいるんです。」
「そうですかーでもこのクッキーは販売せずにお茶請けとして毎日少しだけ作っているものですからなぁ。」
「その人は私以上のかぼちゃ好きなんですけど、このクッキーの味を知ったらきっと、こちらへ足を運ぶに決まっています!
私は口で説明するのは苦手なのでこの感動を伝えたいんです。」
「うぅーん…。」
「お願いします。」
彼女は終いにカウンターに指先を立てて頭を下げる格好まで取っている。
そんなにまで必死になる『理由』を私は知りたくなるほどの熱意だった。
「その『食べさせたい人』というのは未夢ちゃんにとってどんな人なのかな?」
「えっ……」
彼女はしばらく考え、そして口を開いた。
「いつも私の喜ぶことをしてくれる人で、でもそれをひけらかしたりしない人、
家族ではないけれど、家族以上に近い存在で、
ものすごく器用な人なのに、自分の感情を出すのは不器用なんです。
これまで私にたくさんの「嬉しい」と心を暖かくしてくれた人で、
うまくいえないけど…。」
彼女は人差し指でこめかみをぽりぽりと掻きながら一つ一つ言葉にしていった。
それだけで、相手への気持ちがわかってしまうような
そんな雰囲気だった。
頬を少し赤くし、
相手への愛しさを感じるものだった。
今日初めてあった私でさえ
その相手がうらやましい、
と感じてしまうくらいの彼女の思いを感じた。
おそらくその相手というのは
彼女の恋人なのだろう。
それも長い付き合いのようだ。
互いに思い
思いあっている。
そんな感じがした。
最後のほうは私も彼女を夢中で観察してしまい
言葉は聞えていなかった。
売り物じゃないとか
すでにどうでもいいことのように感じたそのとき私は次の言葉を発していた。
「お譲りしましょう。但し条件があります。」
「…なんでしょうか?」
「またのご来店をお約束ください。」
私はニッコリと彼女に微笑み
頭をペコリと下げた。
「ありがとうございます!」
「『彼』喜んでくれるといいですね。」
「はい!きっと彷徨、コーヒーにもうるさいし…って何でマスターわかって///」
「なんででしょうね。」
フフフと
私はその答えを濁した。
『彼』の名は『彷徨』というらしい。