作:宮原まふゆ
「クシュン…クシュン…」
未夢が横でハンカチを口元に抑えながらくしゃみする。
球技の観戦中に倒れた未夢は、まだ熱があるせいか、顔色が少し悪い。
彷徨は未夢の辛そうな症状に、眉間を寄せて心配げに覗き込んだ。
「おい、本当に大丈夫か?」
「うん。先生から薬貰って飲んだから、大丈夫だよ」
「今日は何もしないで早く寝ることだな」
「ん…そうする・・・・・・ああっ!!」
突然、未夢がすっとんきょうな声を張り上げた。
「な、なんだよ。ビックリするじゃねーか」
「今日…」
「あ?」
「今日…ウチの両親居なかったんだ……」
聞けば、光月夫妻は今日から宇宙科学研究所の学会で2〜3日出張に行っているらしい。
そういえば昨日の夜、未夢の母親である未来が西遠寺に訪れて、玄関先で宝晶と何やら話しているのを彷徨は部屋越しから聞いていた。
(ああ…あの時訪れたのはこの事でか…)
しかし…である。
「ったく…オヤジもオヤジだよな…。肝心なこと言わずにホイホイ出て行きやがって…」
「おじさんが、どうしたの?」
「ウチのオヤジも寺の集まりで居ねーんだよ」
「ええっ!?」
こんな時に限って肝心な両親が居ないとは……。
二人はガックリと肩を落として、諦めに似た深い溜息をついた。
しかし二人にとって両親が居ないことは日常茶飯事で、どちらかが居ない時には一人きりにならない様、必ず夕飯には互いの家に邪魔していた。
大半は未夢が西遠寺に訪れて、未来が作っている料理を温めて食べるか、時には未夢が作った。
味は…想像にお任せしよう。
「お前んことも俺んことも、放任主義っていうか、無責任っていうか…。よくグレないよなぁ〜俺達」
「う・・・、うん…」
「どうした?」
「え?あ、なんでもないよ。あははは…」
「?なんだよ、ちゃんと言えよ。保健室でのこと、もう忘れたか?」
一人で悩んで無いで、ちゃんと言えよ…と、彷徨は未夢に言った。
もうこれ以上未夢を辛い目に合わせたくなかった。
優し過ぎるから何でも深く考えてしまう…そんな未夢だからこそ彷徨は好きになったのだ。
未夢は小さく頭を振った。
「ちゃんと覚えてるよ…」
「じゃあなんだよ」
「…その…両親がいないってことは…それは…」
未夢はどこか言い憎そうな顔をし、頭を少し俯かせて瞳を下に落とした。
その様子を怪訝な表情で見た彷徨は、思いついたようにポンと手を叩いた。
「ああ、夕飯のことか?」
「え?…あっ、そうそう。夕飯夕飯〜」
「しょうがない俺が作るよ。お前風邪引いてるからな…。丁度かぼちゃもあるし」
「か、かぼちゃ…」
一瞬、うんざりとした表情で、未夢は視線を逸らす。
「なんだよ。文句あるか?」
「や、ないないっ!わぁ〜い嬉しいなぁ〜」
「…わざとらしい言い方だな…」
風邪を早く治す為に栄養のつくのを食べさせないとな…考えながら未夢をふと見ると、未夢の頬がやけに紅潮しているように見えた。
夕日が頬にあたってるせいなのか、それとも熱が高くなったのか?
彷徨は何も言わずに、未夢の額に手を当てた。
「ひやっ!」
「そんなに驚くなよ…少しまだ熱があるな…」
額から手を離すと、未夢は眉間にシワを寄せながら自分の指で前髪を整え始めた。
「急に彷徨が触るからいけないんじゃないの。こっちだってビックリするわよ」
「わりぃ。…でもお前さ」
「な、なに?」
「まだ俺に何か言いたいんじゃないか?」
「へ?…あ、別に…ないよぉ〜……」
ニッコリと笑ってはいるが、口の先が引きつっている。
「嘘だ。ちゃんと言え」
未夢の癖は全部お見通しである。
彷徨は未夢の正面に立ちはだかると、じっと下から見下ろした。
もじもじと未夢は顔を赤らめながら、「えっ…とね…」と繰り返す。
「未夢っ!」
彷徨は痺れを切らして、強い口調で言い放った。
ビクリと肩を振るわせた未夢も、躊躇いがちに言い始めた。
「だからね…その…今日はぁ……」
「『今日は』なんだよ」
「……きり…だなぁ…・・・・って…」
あまりにも小さな声だったので、彷徨は思わず「ん?」と聞き返した。
「だ、だからね…」
スルリと、未夢は俯いたまま彷徨の腕に自分の腕を絡めた。
そして少し甘えた声で。
「二人っきり…よね?」
その途端。
彷徨の体は硬直し、顔全体が熱く火照ったのを覚えた。
思わず瞳を泳がせる。
「あ…そっ、そうだな…」
(そうだよな…そうなんだよな…二人っきり…なんだよな……)
近くに家があるから毎日のように会えるが、それは本当の意味での二人きりではない。
例え二人きりで一緒の部屋にいても、別の部屋にはそれぞれの両親がいた。
それが判ってか、二人とも夜遅くまでは居ずに自分の部屋へと戻る。
そして、いつの間にか当たり前のようになっていた。
二人の両親がどちらも居ない事は、未夢が西遠寺に居候に来て以来かも知れない……。
(こういうのを“チャンス”…というのだろうか…?)
「彷徨ぁー、変なこと考えてるでしょぉ〜?」
赤くなった頬を膨らませながら、上目で未夢は彷徨を睨んだ。
考えて無いと言えば嘘になる。
しかし彷徨は平然とした顔を装って、未夢をチラリと見下ろした。
「べ、別にぃ〜。そういうお前だって妄想膨らませてただろ?」
「かっ!考えて無いわよっ!」
「じゃあなんだよ…この腕は」
絡ませた腕を見てぎょっと目を大きくさせた未夢は、それでもしがみついたままそっぽを向いた。
「べ、別にいいじゃない?!ちょっとふらついただけよ」
「ほぉ〜」
彷徨は自分の腕から未夢の腕を剥がした。
戸惑った様子の未夢に彷徨はニッコリと笑うと、少し屈んで未夢の膝の裏に腕を廻し、ひょいと未夢を持ち上げた。
彷徨の背中で未夢はバタバタと足を動かし、肩に手を当てて突っぱねようとする。
「きゃあっっ!!な、なにするのよぉ〜っ!」
「こらっ!暴れるなって。ふらつくんだろ?」
「そ、それは…」
躊躇うように言葉を濁した未夢に、彷徨はクスッ笑った。
彷徨は未夢を背中に抱っこしたまま、歩き始めた。
西遠寺がある山に夕日が当たり、燃えてるように木々が赤く染まっている。
二人であの場所に帰ることが、とても幸せなとこだと、今さらながら想う。
通い慣れたこの道でさえ、愛しく感じる。
彷徨は山から見える西遠寺を真っ直ぐ見ながら、後ろの未夢に言った。
「今日は俺がずっと看病してやる」
「……え?」
「美味しい栄養のあるのも作ってやる」
「……」
「ずっと、今日は一緒にいてやる」
すると、未夢の腕が彷徨の首をきゅっと抱き締めた。
彷徨の肩に未夢の頭の重みが軽く掛かる。
そして、小さな声で囁かれた。
「…お願ね…」
END