作:宮原まふゆ
平尾高校、秋恒例の球技大会。
男子はサッカー、女子はバレーとそれぞれクラス対抗で試合をすることになっていて、今朝から学校中が大騒ぎだ。
天気は雲一つない、すがすがしい秋晴れ。
でも風があるせいか、少し肌寒い。
秋から冬へ向けて、紅葉も徐々に色付き出している。
学校の校庭に飢えてある金木犀の香りが、風でグランドまでふわりと漂う。
そんな秋風の中、生徒達は歓声を上げて駆けずり回っていた。
「未夢ちゃん、ななみちゃん、ここ空いてるよ」
「よかったぁ〜。さっきの試合でクタクタだもん…」
「はーい!ここゲットッ!!」
綾とななみ、そして未夢は、午前中に行われた女子バレーの試合が終った後、同じクラスの男子たちの試合を応援する為に、サッカー場に駆けつけていた。
三人は、観戦用に作られた小高い丘の一番下に座った。
その丘は皆が座れるように芝生で階段状に作られており、一番上では眺めが良いのか、かなりの生徒達が座って混雑していた。
観戦している殆どが女子生徒だった。
勿論それぞれクラスの応援をしているとは思うが、大半の女子生徒の視線は『西遠寺彷徨』の姿を追っているように見える。
それもそのはず。
彷徨がボールを蹴る度に、悲鳴にも似た歓喜の声が響き渡るからだ。
「相変わらずモテるねぇ〜、西遠寺くん」
「未夢ちゃんも大変だね。さっきから此方に向けてみょ〜な視線が突き刺さってるんだけど…」
「判ってるわよ、綾ちゃん。私も感じてるんだから…」
どうやら彷徨の親衛隊が未夢を見つけ、恨めしそうに睨んでいるらしいのだ。
綾がわざと後ろを振り向くと、さっと視線を逸らして背を向けたので判ったらしい。
「まったく諦めが悪いっていうか、しつこいっていうか…。中学から付き合ってるっていうのに、しかも同棲までしてるっていうのにねぇ〜」
「ど、同棲…って、違う違うっ!居候だよぉ〜っ!」
「同じことじゃない、ねぇ〜」
「そうそう」
「全く違うよぉ〜っ!」
「今朝だって一緒に学校登校して来るしね」
「しょうがないでしょ?同じ敷地内に家があるんだから…。それに彷徨が待っててくれるから…」
「かぁーっ!ご馳走様。さらりと惚気られたわ」
「え?してないよ!惚気なんてっ!」
「未夢ちゃん、可愛い〜」
「もう二人してからかうんだから…」
ななみと綾の意地悪なからかいに、未夢は困った顔をして唇をつんっと尖らせた。
(一応、彼女だけどさ…)
膝に肘をついて前屈みになり、手を頬に当てながらじっと前を見る。
男の子達の中に紛れて、汗を流しながら走る彷徨の姿は、誰から見ても一際目立つ存在だ。
確かに彷徨はモテる。
それは中学の時から変わっていない。
だけど未夢と付き合い始めた頃は、一時は落ちついた様子だった。
受験という時期が重なった事もあったが、周りでは既に公認の仲で通っていて、誰も二人の邪魔をする人がいなかったというのが、幸いしていたのかも知れない。
彷徨のことになると我を忘れて暴走するほど夢中だったクリスも、未夢ならと諦めて、今現在は他の男の子と恋をしている。
クリスが恋愛をしていると聞き、二人とも正直いってほっとした様子だった。
もしクリスが恋愛をしていなければ、学校が破壊するほどの暴走が日常茶飯事起きて、おちおち二人で歩くことさえ叶わなかったことだろう。
クリスのことはいいとして…この二人のことである。
そもそも奥手で照れ屋な二人が、すぐさま進展するわけではない。
ほんの僅かなひとときに訪れる、優しく振れるようなキスだけで満足しているような…じれったい関係が今も続いていたりしている。
しかしそれが一辺したのは、二人が同じ高校に入学し、一学期の終りに密かに開催された『平尾高校美男子コンテスト』に見事彷徨が優勝してしまってから、急に彷徨を見る周りの視線が違ってきたのだ。
入学式で彷徨が新入生代表で式辞を述べた時から、一部の女子から注目されているとは噂で聞いていたが、このコンテストで一挙に注目されてしまったらしい……。
彷徨がゴールに向けて、ボールを蹴る。
ゴールキーパーの手を擦り抜けて、網に吸い込まれた。
グラント中に生徒達の歓喜の声が響き渡った。
「わぁーっ!」
「やったぁーーーっ!!」
男の子達の中心で彷徨が嬉しそうにはしゃぐ。
どこかキラキラしてて、眩しくて。
目を細めて、羨ましげに見つめてしまう。
すっと見ていたい…と、思う。
それはきっと、他の女の子達も同じで……。
彷徨が活躍している姿を見るのは嬉しい。
凄く嬉しい。
自慢の彼氏だ。
だけど、その自慢の彼氏に恋する女の子達が増えてしまうのは、ちょっと困る。
彷徨の名を叫ぶ女の子達の声が聞こえてくると、なんだか胸の奥がモヤモヤしてきて、息苦しくて堪らない。
胸が苦しくて、思わず逃げ出したくなる。
全てに拒否したい。
でもその近くには彷徨がいる。
彷徨が側にいる。
それだけが未夢をこの場に居留める、たった一つの理由だった。
「クシュンッ」
何度目のくしゃみだろうか?
今朝も何度かくしゃみを繰り返し、彷徨から「お前風邪なんじゃないのか?」と心配げな様子で見つめられたが、未夢は「大丈夫」と言って明るく振舞った。
実際その時点は、熱もなかったし身体もだるくなかった。
学校に着く頃にはくしゃみも治まっていたし、バレーの試合中にもくしゃみをすることもなかったので、ただの鼻炎だろうと未夢は思っていた。
だが、彷徨の試合を見に来て暫らくしていたら、そのくしゃみが再発してきたのだ。
一度目はただのくしゃみ。
二度目は気にせずに。
三度目は誰かが自分の噂をしているのだろうと。
四度目は、ちょっと妖しく思った。
五度、六度…そして数え切れなくなった時には、自分でもヤバイかな?と感じ始めた。
「未夢ちゃん、大丈夫?」
「うん?大丈夫だよ」
「でも少し声が変わってきてるよ。教室に入る?」
どうしようか…と迷っていると、彷徨の応援する声が聞こえた途端、ピクリと心が動いた。
「…ううん。今はいいよ。この試合みたいから」
と、笑って答える。
心配そうな二人をよそに、未夢は目の前の試合に真剣な眼差しを向けた。
試合は一対一で、接戦だ。
何度かゴールを試みるが、ゴールキーパーの手に阻まれて、なかなか得点が取れない。
それは相手クラスも同じだった。
相手クラスは二年生。
しかもサッカー部に所属している人間が三人もいる強敵だ。
それを考えると、彷徨達のクラスは頑張っているほうだと思う。
ゴールされそうになるボールを、ギリギリのところで彷徨と三太がカットしているからだ。カットする度に歓喜の声がグランドいっぱいに響き渡る。
「凄い凄いっ!彷徨も三太くんも凄いっ!!」
大声で応援はしないものの、未夢は両手を胸元で合わせ、まるで祈るような仕草で見ていた。
「彷徨くんも凄いけど、三太くんもやるじゃない」
「あの2年生、サッカー部だよ。あの生徒にあれだけ付いて行けるって凄いことだよ。他の皆も凄いよ」
同じクラスの大活躍は、未夢達にとって凄く自慢だった。
普段何げに話しているクラスの男の子達が、こんなに凄いなんて。
その凄い生徒達と一緒のクラスだと思うと、嬉しくて、未夢達は手を叩いては必死になって応援を繰り返していた。
「きゃぁーっ!西遠寺くぅーんっ!」
突如後ろから大きな歓声が上がり、未夢はビクリと肩を上げた。
そっと後ろを見ると、自分と同じように胸元に手を合わせ、嬉しそうにはしゃぐ女子生徒達が目に飛び込んで来た。
そして自分もその彼女と同じような姿をしているのに気づき、慌てて手を離す。
気恥ずかしくて、未夢は少し俯き加減で頭を下げた。
(なに気にしてんだろう…私ってば……)
自分は違う…と、どこかでそう言い続けていた。
私は彷徨の彼女なのだ。
相思相愛なのだ。
だけどふと感じる不安が、ドクンと胸を痛ませる。
そっとまた横目で見ると、彼女はじっと前を見て一点に集中しているようだった。
その目線の先には、彷徨がいる。
彷徨が笑うと、彼女も笑い。
彷徨が痛そうに顔を歪ませると、彼女も辛そうに眉をひそめる。
一致一様するその表情が、彼女の想いを物語っていた。
(ああ…彼女も彷徨が好きなんだ―――――)
そして、つい考えてしまう。
――――もし、彷徨があの子と付き合うことになったら、私はどうなるのだろう――――
誰もその尋問に答えてくれるわけもなく、心の中で容赦ない尋問だけが、次から次へと積み重なっていく。
その度に、未夢の中で重苦い痛みだけが、胸いっぱいに広がっていった……。
「クシュンッ…クシュンッ!」
未夢は二度ほどくしゃみをすると、「はぁ…」と熱い息を吐き出した。
「未夢ぅ〜、本当に大丈夫?」
「保健室、行ったほうがいいんじゃない?」
「大丈夫だよ。ただ今日はちょっと寒いから…。それに気になるじゃない?試合」
「未夢の場合は西遠寺くんでしょ?」
ムフフ…と口に手を当てて含み笑いするななみに、カッと顔を赤らめて否定した。
「ちっ、違うわよっ!」
「未夢ちゃん、誤魔化したって無駄だよん。顔に出てるもん」
「ほ〜んとっ!正直だよねぇ〜」
「…だから、違うってば…」
彷徨が気になるのを図星されて、正直慌てたのは確かだった。
そんな時必ず照れて顔が紅潮してしまう癖も、二人の親友はお見通しだったりする。
でもそれが全て正直だとは限らないと、未夢は思う。
正直だったら、もっと素直に振舞えたと思う。
こんなには、悩まない。
ピーッ!
前半の試合が終り、彷徨達はコートから出た。
試合は一対一の同点のままだ。
観客も一息ついて、それぞれ駄弁り始めていた。
未夢も肩の力を解いて、小さく息をつく。
「ハックシュンッ!」
未夢は何度もくしゃみを繰り返していた。
ポケットから取り出したハンカチで口を抑えて、周りに気を使いながらくしゃみをする。
もうくしゃみをする度に、頭がクラクラし始めていた。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。
でも、まだ見たい。
自分の身体の中で、それぞれの意思が格闘しているようで、妙に熱い。
それとも本当に熱があるのだろうか?
少し寒気もする…。
開け放していた上着のジッパーを喉元まで上げて、足を折り曲げて体育座りをし身体を小さく丸めた。
「未夢」
つんつんと、ななみが脇を小突き顎をしゃくる。
怪訝そうに顔を上げると、此方に近付いてくる彷徨と三太の姿があった。
彷徨は肩にタオルを掛けて、汗を拭きながら歩いて来る。
片手にはスポーツドリンクを持っていた。
三太の足が、まるでスキップするかのように弾んでいた。
「おーい、未夢」
まだ側に来ないうちに彷徨は未夢を呼んだ。
一斉に女子生徒の視線が未夢に集まる。
かなり居心地が悪い…。
「ば、馬鹿っ!そんな大きな声で呼ばないでよっ!」
未夢は彷徨に向かって、小さな声で怒った。
「別にいいだろ?」平然と言い、未夢の前で立ち止まる。
「だけどさ…」
と、不機嫌そうに口を尖らせて言葉を濁らす。
この視線が気にならないの?…と、言っても彷徨に「何気にしてんだよ」と馬鹿にされるだけだ。
常に注目を浴びている彷徨には、慣れてしまっていて判らないのかも知れないけれど。
(気にし過ぎなのかな…私って……)
自分の性格に呆れるのは毎日なのだが、今日はかなり堪える。
未夢は気がつかれないように、小さく溜息をついた。
「皆見てたかぁ〜?俺の勇姿を!カッコ良かっただろぉ〜」
三太が得意げに胸を張る。
その姿は思わず笑っちゃうほど、愉快だ。
「見てたよぉ〜!凄いじゃない!」
「だろ?2年のクラスに一点で抑えて前半を終えるなんてさ。試合やる前はメッタメタにやられて惨敗すると思ったもんなぁ〜」
「そういえば、女子達は?」
すると、ななみが手が腕を上げてお手上げな表情で、ひょいと肩を上げた。
「はは…そのメッタメタでやられたわよぉ〜」
「しょーがねぇーなぁー、ウチの女子は」
「未夢がいるからじゃないのか?」
「どうせ私は運動音痴よっ!」
「わかってんじゃん」
頬を膨らませて睨んだ未夢を見て、彷徨は口先を上げてニヤッと笑った。
(まったく…)
はあ…と深く溜息を付く。
痛い視線は今も後ろからひしひしと感じている。
羨ましさと妬ましさ、二つの視線が絡み合って、自分に巻きついて絞め付けるような重みを感じる。
気にしていたら切りがない。
でもどこかモヤモヤとした苛立ちが、未夢の表情を徐々に曇らせていた。
暫らくは大人しく皆の話しに耳を傾けていたものの、どこか身体の一部だけが別の場所にいるような、気だるい脱力感を感じていた。
楽しげな、皆の声。
風の冷たさ。
周りの視線。
身体の重たさ。
その全てが、あの甘ったるくてむせ返るような金木犀の香りと共に、未夢の息を詰まらせる。
(なんか…イライラする…)
「未夢?どうかしたか?」
彷徨がふいに声をあげた。
「どうって?」
「いや、なんとなく大人しいなと…」
心配げな彷徨の視線が下から落ちてくる。
「そう?」
未夢は短く言葉を切る。
もう何も考えられなくて、笑うことも出来ない。
(私、どうしちゃったんだろう…。やっぱり風邪なのかな…。)
(なんかやだなぁ…。凄く、やだ…)
「お前、熱でもあるんじゃないか?」
未夢の前髪をかき揚げ、すっと額に手をさし込まれた。
「やっ!」
咄嗟に彷徨の手を振り払い、顔を背ける。
彷徨が目を丸くし驚いた表情で自分を見た。
いけない、そう思った時には遅かった。
ザワザワと生徒達の声が、耳元に聞こえて来る。
ドウシタノ?
ケンカ?
イインジャナイ?
ワカレテクレタラ。
(――――嫌ッ!)
「おい、未夢?」
「未夢ちゃん?どうしたの?」
振り払った時にぶつかった手が、ズキンと痛む。
うろたえる彷徨達の視線も痛くて、未夢は慌てて立ち上がった。
もうここには、いたくない――――。
「ゴメン私、教室にい……」
突如、未夢の身体がグラリと揺れた。
(あれ?)
目の前が霞んで、突如視界が真っ暗になった。
急速に意識が遠のいていく。
ふわりと身体が浮き上がったような、感覚。
さっきまで凄く重くて堪らなかったのに。
もうなにも聞こえない。
うるさい雑音も、感情も。
突き刺さる視線も。
(どう…なって………)
『…っ!』
遠ざかる意識の中で、誰かが叫んだような気がした。
その声が誰なのか、もう未夢には判らなかった―――――