作:宮原まふゆ
何もかも真っ白な空間。
未夢はその真中に一人、ポツンと突っ立っていた。
「ここ…どこ?」
小さな呟きだったが、未夢の声は白い空間に木霊するように響き渡った。
どこが地面で、どこが天井なのか。
左右上下どこを見渡しても、白い空間はどこまでも続いていた。
地平線さえ見えない。
辛うじて下だと判るのは、足元から伝わる固さだけだった。
だが1歩踏み出せた、まっさかさまに落ちそうな、そんな恐怖を思わせた。
人の気配さえ感じ無い――――白の空間。
キリキリとした息苦しい痛みを感じる。
未夢は微かに恐怖を覚え、確かなモノに触れたくて、両腕で自らの体を抱き締めた。
「これって・・・夢だよね?うんうん、夢よ夢っ!こんなの夢に決まってるよねぇ〜」
と無理やり納得するが、恐さのせいで声がうわずっているのが判る。
「おーいっ!早く起きなさぁーいっ!こんな夢じゃなくて、もっと良い夢見なさいよぉーっ!!」
この夢を見ている“はず”の自分に問い掛けてみる。
無駄だとは思っていたが、それでも声にしないと不安で押し潰されそうなのだ。
案の定、返事は返ってこない。。
無駄だったか…とがっくりと肩を落す。
「夢って、これから起こる事を知らせてくれるって言うよね…予知夢って言うんだよね…なんか嫌な事があるのかなぁ〜。それにしてもなんなの?この夢・・・・・・」
未夢は何もない空間を、眉を潜め不安そうに見上げた。
「未夢…」
「ひぃええええええええっっっ!!!」
突然後ろから自分の名を呼ばれて、未夢は素っ頓狂な声を上げた。
未夢が怖る怖る振り向くと、どこから現れたのか彷徨が無表情で立っていた。
「か、彷徨っ!もうっ驚かせないでよーっ!いつの間にいたの?」
かなり驚いたが、彷徨が側にいるというだけで、未夢をほっと安心させた。
だが当の彷徨は、黙ったまま未夢をじっと見据えているだけだった。
いったいどうしたのだろう・・・?
不思議そうに小首を傾げると、彷徨がすっと未夢の肩を掴んだ。
「未夢!」
「え?な、何?」
強く掴まれる肩が痛い。
こんなに強く掴まれるのは始めてかもしれない。
未夢は眉を寄せて、戸惑いの表情を見せた。
彷徨の頬が微かに赤い。
熱を帯びた瞳が、未夢の瞳を捕えて離さない。
肩に置かれた彷徨の手に力が入り、未夢をぐいっと引き寄せる。
「あっ…」と未夢は小さく声を上げた。
(ど、どうしたっていうのよぉーっ!。ここにいるの本当に“彷徨”なの・・・?)
さっきの恐怖も孤独もぶっ飛んでしまった未夢は、目の前の出来事にかなり動揺していた。
夢だと思っても、掴まれた肩の痛みは夢とは思えなくて。
熱い視線は未夢の心を掻き乱し、ドキドキと鼓動を高めさせた。
「未夢っ…好きだ……っ!」
彷徨の口から発せられた言葉は余りにも衝撃的で、未夢を更に困惑させた。
(う、嘘っ?まさか…嘘でしょ???)
驚いて声さえ出ない未夢を更に引き寄せて、徐々に顔を近寄らせていく彷徨。
目を大きく見開いている未夢の目の前に、彷徨が目を細くしながら徐々に覆い被さっていく。
このままいけば、必ず・・・・・・・・・。
未夢の唇に掠めた生温かな空気に、彷徨の唇の存在を意識した。
ビクッと肩を硬直させる。
そして――――――。
(ひやぁああああああああああああっっっっ!!!!!)
***
はッと目を見開き、目に飛び込んできたのは、何度も見た事のある古びた木目の天井。
「・・・あれ?」
頭の横で微かに動く気配を感じて見やると、いつの間に入ってきたのか、ルゥがすやすやと寝息を立てながら眠っていた。
夢での肩の重みはルゥの仕業だったようだ。
未夢は深く長い溜息を一つ付いた。
「なんだ・・・やっぱり夢だ・・・・・・」
自分の寝言・・・しかも悲鳴で起きるなんて、最悪。
未夢はまだ眠たげな体をやっと動かし起き上がると、眠っているルゥを起こさないようゆっくりと移動させ布団の中に入れる。
最近は夢遊病のけがあってか、ふわふわとどこでも行って寝てしまう。
この間なんかトイレの蓋の上で寝ていた姿を見た時は、流石に呆れてしまった。
しかもあの悲鳴で起きないとは・・・おもいっきり爆睡中である。
「まったく・・・ワンニャーってば、ちゃんとルゥくんのお守してんのかしら?疑われるのも無理ないわよねぇ〜」
と、スヤスヤ寝息を立てて気持ち良さそうに眠るルゥの顔に、溜息混じりに呟いた。
突然。
バタバタと慌しい音が廊下から聞こえたかと思うと、部屋の障子がバンッと激しい音を立てて大きく開かれた。そして血相を抱えて彷徨が飛び込んで来た。
「どうした未夢っ!!」
「きゃあっ!」
悲鳴を上げたと同時に、未夢は枕を彷徨に投げ付けた。
女の子の、ボサボサ頭でしかもはれぼったい顔を見られるのは屈辱でしかない。
一応、寝起きはこの西遠寺に来てから何度もある。
が、やっぱり起きた直後は何度見られたって嫌なものは嫌なのだ。
未夢が投げた枕は見事、彷徨の顔に命中した。
「いってーっ!何すんだよっ!!」
「急に入ってきた彷徨が悪いんじゃないっ!」
「お前が馬鹿でかい悲鳴を上げるからイケナイんだろ?!」
「馬鹿でかいですってっー?!そんなにでかくないわよ!まったくデリカシーの欠片もないんだからっ!何にもないんだからっ、さっさと部屋から出てってよっ!」
彷徨は未夢の捨て去るような言い方にカチンときた。
今の未夢には恥ずかしさが上回って、彷徨が何故急いで駆けつけたかなど、その理由も判っていないだろう。彷徨も未夢の今の心境など判るはずもない。
でも、少しくらいは自分の心を判って欲しいと、お互いに思う。
判らないから今だ進歩がないのだけれど……。
頬を膨らまして怒る未夢を、彷徨は一瞬睨んだが、すっと目線を外して不機嫌そうに吐いた。
「判ったよ・・・出ていきゃ良いんだろ。でもお前だって色気の欠片もねーぞ」
「は?何言って……っっっ!!!!」
見るとパジャマは無防備に胸元が見え、丈の長いパジャマは肌けて太ももの付け根まで上がっていた。
「きゃあああああああああああああああっっっ!!!!」
未夢の声は再び西遠寺家に響き渡った。
***
(信じらんないっ!信じらんないっっ!!信じらんなぁーーーーーいっっっ!!!)
未夢は口を尖らせながらズンズンと歩いていた。
一緒に歩いているのは綾とななみ。そして後ろには三太と、いかにも不機嫌そうな顔の彷徨。
向かう先は平尾町にある神社だ。
去年から皆で初詣をしようと約束をしていたのである。
「未夢ちゃん、朝からふっきげーん」
「どうしたの?未夢」
心配げに見る二人に、未夢はちょっと渋い顔をしてうなだれた。
「ちょっとね、夢見が悪くてねぇ〜」
「へえ。それは新年早々最悪ですなぁ〜」
「そうなのよそうなのよぉ〜。なんであんなの見たかなぁ〜」
コンコンと頭を叩いて、唇を尖らせる。
「全くだ。未夢の悲鳴のお陰でこっちまで朝早く起こされてしまったもんなぁーああ眠ぅ〜」
いかにも眠たそうに彷徨が後ろでアクビをした。
わざとらしい言い方に、未夢はすぐさま反応し言い返す。
「悪かったわねっ!見たくてみたんじゃないもんっ!!」
「未夢ちゃん、それってどんな夢?」
「え?え〜っとぉ〜・・・・・・」
綾の問い掛けに、思わず顔が強張る。
それもそのはず。
綾の手にはしっかりとメモ帳と鉛筆が握られていたからだ。
(ぜ、絶対言えない…っ!)
「あ、あははぁ〜。もう忘れちゃったぁ〜。嫌な夢だった事は一目瞭然だったけどぉー」
未夢はにっこり笑って答えると、その後彷徨をジロリと睨んだ。
だいたい彷徨が夢に出て来るのがいけないのだと、心の中で呟きながら。
「それは残念・・・」
綾は渋々バックにしまい込んだ。
「初夢って言えば、『一富士・二鷹・三茄子』と言って、この三つを見ると今年は縁起が良いって聞いたぜ」
と、得意げに三太が言った。
「へぇ〜。そうなんだ」
「でも富士と鷹は目出度いって感じだけど、なーぜ三つ目に茄子なんだろうね?」
「目出度いって言えば"鯛"とか"伊勢海老"とかゴージャスなイメージがあるんだけど」
「『事をなす』の『なす』からきてるって聞いたことがあるけどな」
「「へぇ〜へぇ〜へぇ〜〜〜〜」」
皆が彷徨のうんちくに感心している中、今度は未夢がわざとらしく「ふふっ」と声にして笑った。
目をすっと細めて、彷徨は未夢を睨んだ。
「なんだよ、未夢」
「彷徨だったら『茄子』じゃなくて『南瓜』のほうがさぞかし良いだろなぁーと思って」
「言えてるー」と、一同爆笑した。
彷徨は苦笑いした様子で頭を掻いていたが、未夢と目が合うといかにも嫌そうな顔でそっぽを向いた。
未夢は彷徨が見ていない事を良い事に、お返しにとべーっと舌を出すと、くるりと背を向けた。
(だいたい彷徨が・・・・・・・・・ううん、違う。そうじゃ、ない・・・・・・)
嫌な奴だと、未夢は思った。
嫌味を言って彷徨をわざと怒らせる自分が、とても嫌だと思った。
たかが夢に、彷徨が出て来ただけなのに、こんなにも動揺している自分がいる。
彷徨が悪いわけじゃないのに、ムキになって、言いたくない言葉さえ口にしてしまう。
言った後で悔やんだって、もう、遅いんだけれど・・・・・・。
未夢達が神社に辿り着くと、地元で近いということで大勢の人々で神社はごった返していた。
人波にもまれながらもなんとか参拝を済ませた未夢達は、御守りが売っている売店へと移動した。
「これ可愛いーっ!このハートマークの縁結び御守り〜♪」
「縁結びの御守りはやっぱりゲットでしょぉ〜。今年は受験もあるし…。あっ!おばあちゃんのも買ってあげなくっちゃならないんだったっ!」
あのぶんだと、お店に並んであるありとあらゆる御守りを、全部買い占めていそうだ。
未夢もどれにしようかと並んで、御守りを数個買った。
彷徨達も買ったらしい。三太など受験の御守りを4つも買ってホクホク顔だ。
「これで受験は安泰だなっ!」
「お目出度い奴だなぁー」
「4つ買って無事に合格したら良いじゃんか」
「お前には受験に対する努力の欠片もないのか」
「三太くんの場合は全て神頼みなんだよね」
「あ、綾・・・」
三太らしいと未夢はクスクス笑った。
そして三太の隣で笑う彷徨を見て、右手に持っていた御守りが入った小さな紙袋を、両手できゅっと包み込んだ。
何故か、未夢の胸が小さく痛んだ。