作:杏
「………悪い、言い過ぎた」
眉を寄せた未夢が彷徨の袖を掴んだ。不意に引かれて、ようやく蓋をした口元。
未夢だって、恋人の存在は知っているかもしれないし。
一回り以上離れた相手に望みがないとわかっていても、それを第三者から指摘されれば、いい気はしないだろう。
「一体、誰の話をしてるのよっ?」
けれど、しかめた顔は言い募った暴言に怒っているのではなく、それを向けられた相手がわからないからだったらしい。
「誰、って……」
彷徨も、未夢の言葉がわからなくなる。口調にも表情にも、嘘や誤魔化しは微塵もない。
ちゃんと聴いていれば、それが誰を指すのかは未夢にもわかったはず。
だけど未夢は、彷徨が“アイツ”と言ったそれ以降は、耳に流していただけで聴き留めていなかった。
三人称で示した時点で、ハズレなのだから。
「彷徨、わたしが誰を好きだと思ってるの? きっと、そのひと違うよ?」
言葉を切って、十分に未夢を観察して、考えを巡らせて。彷徨は自分が思い違いをしていたことに、気が付いた。
「誰よ、いつもわたしを早とちりだ、勘違い魔王だ、ってゆーのはっ!」
ぷうっと頬を膨らませて、拗ねたように言ってみる。言葉を失くした彷徨を楽しそうに見上げた。
「………。 じゃー誰だよ、おまえの好きなヤツ。 あの中には、いるんだろ?」
「…っ!」
いつもと立場が逆転。その余裕に身を委ねてクスクスと笑っていた未夢に、彷徨が反撃。
あのとき、いつになく慌てていたことは忘れていなかった。
「あと三人。 …いや、ふたりか」
「なんで、あとふたり?」
六人いた中の、武岡と、“アイツ”が除かれて。あと二人はどこへ消えたのだと、指を立てながら確かめる。
「光ヶ丘はないだろ? ……おまえ、まさか…?」
「ないないっ! ない、けど、それでも数、が……」
何故こんな話になったのかは、もはや二人もわからない。そんな疑問すら感じなかった。
「…もっ、もーいいじゃない! この話はっ! おっしまーいっ!」
これ以上続ければ、確実に正解に行きついてしまう。はっとその事に気付いた未夢は、石段を駆け上がって逃げようと片足を上げた。
蹴った瞬間に、忘れかけていた靴擦れが痛んだのも、構わずに。
「……なんで、数が気になる?」
二段上った先で、ミュールを持った手首をとられた。振り返ると同じ高さの目線。勢い、そちらに傾く。
「ひゃ……!」
コトン、と石段を転げた片われ。彷徨の背後に見えていた赤が、消えた。
「――あ、危ないじゃないっ!」
「俺は引いてない。 おまえが勝手に落ちてきたんだろ」
「……そんなことないわよっ! は、な、して…っ!」
「俺の質問に答えたらな」
両腕を振ろうにも、片手は掴まれたまま、もう片方は身体と一緒に抱き込まれてしまっていた。
捕まえてくれたのは助かったのだけど、いかんせん足場が狭すぎて、傾いた未夢の身体は自身の脚で立つことが出来ていない。
ぱっと解放されようものなら、反射の鈍い自分ならそのまま石段を落ちかねない。飛び込んでしまった胸に、大人しく縋るしかなかった。
「…なによ、質問!」
身体中が熱い。どくどくと心臓がうるさい。
何を訊かれていたかなんて、吹っ飛んでしまっていた。
「だから、なんで数が合わないのが気になるんだよ」
「……引き算が出来ないと思ってるの?」
そこまでバカにすることないじゃない、と口元を曲げる。彷徨にその顔は見えていないけど、声のトーンで簡単に伝わった。
揺れる肩が、笑う振動を未夢に教える。ひとしきり笑ってから、彷徨は小さく深呼吸をした。
「5、引く、武岡と岩本。 …と光ヶ丘。 答えは、2。 北川先輩か、3組の宮下」
どっち?と訊ねた視線を上から感じたけど、未夢は顔を上げなかった。引かれる数がおかしい。
首を振ったら、彷徨はそれをどんな意味で捉えるのだろう。
「……未夢? 俺の計算、間違ってる?」
何も言わずに、脚を立てられる場所を探る未夢を支えたまま、彷徨はさらに繋ぐ。
「文章問題って、式の答えが合ってても、そもそも式の作り方を間違ってるときあるよな。
残りふたりなら、確率はそれぞれ50パーセント。 …けど、もしそうじゃなかったら?」
「………?」
「5じゃなくて、6だったら。 答えは3。 だけど確率は、0、0、100になる」
その声に躊躇いはなく、確信さえ含んでいる、芯のある強さ。
「…………」
「…なぜなら、式が6引く3、…引く2になるから。 したがって、答えは1」
「…引く2ってなに?」
小学生でもわかる、簡単な式。未夢の胸のうちの、証明。
(バレてるんじゃない…)
好きなひとが、好きなひとに晒されたのに。ゆっくりと紐解かれた答えは、意外にも未夢の胸の音を落ち着けた。
けれどやっぱり、顔の熱は退くどころか、じわじわと温度を上げていく。
「今のおまえの反応から、の…消去法? ……俺の希望的観測かもな」
「きぼう、てき…?」
「そうだったらいいって、俺が勝手に思ってる」
彷徨に寄りかかったままだった身体が一瞬重力を無視して、浮き上がる。
(そうだったら、って…?)
ふわりと視界が広がった。
彷徨より一段上に着地させられたけど、思いがけない彷徨の声を脳内に巡らせていた未夢の脚は、力を入れることをしなかった。
「…きゃ……!」
落ちるより先に、再度、彷徨に助けられた。持っていたもう片方のミュールが未夢の手から滑り落ちた。
腰から攫われた身体。
奪われた唇。
「……っ…!」
呼吸を呑み込んだ。
「な、なにする、の…っ!」
「…言えよ、おまえの好きなヤツは?」
片手で包んだ柔らかな頬が熱いくらいの熱を持っていた。唇を離した僅かな距離で、じっと見つめる。
確率は100パーセント。残された“1”は自分。
こんなに自信のない証明は初めてだ。
「…い、言わない…っ」
ようやく自分の脚で降り立った、同じ段。彷徨の影にいるのに、その頬は夕日を受けたように赤い。
「未夢」
「…いや」
逃げることができなくて、せめてもの抵抗に目線だけは逸らした。
「まだ何も言ってないだろ」
「なによ、きぼうてき、なんとかって…」
「希望的観測」
「そうだったらって、どーゆー意味よっ?」
「この状況で、わからない?」
「こんなのっ、彷徨には何でもないことなんでしょっ!? わたしばっかりドキドキして…っ、バカみたいじゃないっ!」
ちょっとからかい過ぎただろうか、未夢は本気の抵抗をし始めた。力の限り、両手で反発。
涙半分で吐き捨てたときには、ドンっと彷徨の胸を叩いていた。
「…ばぁか。 痛いっつーの」
二発目は届く前に止められた。覗きこまれた顔は少しだけ痛そうに歪んでいたけど。
さっき触れられた唇に意識が向いてしまって。
「はなし、て…っ!?」
真っ赤になった未夢が掴まれた手に力を入れた矢先、そのまま引かれて、その腕の中に納まってしまった。
耳に届いた音は自分の脈と重なる。同じくらい、速い。
「……何でもない訳ないだろ、おまえの中の俺はどんなヤツだよ…」
自分の鼓動を聞かせるように、彷徨は腕に力を込める。
「…なぁ、アレってまだ有効?」
「…?」
次第にリズムがずれていく。自分の音は速いままなのに、耳を当てた彷徨の鼓動は、徐々に、ゆるやかに、落ち着いていく。
それがなんだか悔しくて。でも、その速さがまた心地よくて。
紛れた問いかけは耳に残らなくて、未夢は不思議そうに顔を上げた。
「残念賞。 俺、欲しいものあるんだけど」
「な、なに…? さっきのタクシー代で、今月のお小遣い残り少ないんだけど…」
「……あぁ、忘れてた。 帰ったら返す。 それに、売ってるもんじゃないし」
首を傾げる未夢。髪が隠していた肩が現れて、夕日を受けた鎖骨がキレイな陰影をつくる。
(……こんなカッコ見せてんじゃねーよ…)
確か、昨日のファッションショーでは。露出の高い服には、微妙だとか、似合わないとか、心にもないことを言って止めさせたつもりだった。
決定権は本人にあるから仕方のないことだけど、この恰好を見た武岡が何を思ったのか。
「彷徨? …ねぇ、何か、作るもの?」
自分の不器用さを自覚してだろうか、渋面になる彷徨を見上げる目が不安げだった。
「…おまえ」
「―――な…っ!?」
赤くなる未夢を満足そうに見下ろす。
優勝賞品よりも豪華だけど。勝ってたらきっと、副賞とか言って、同じものをもらっていただろう。
からかわないでと、腕を振り上げた未夢に。
本気だ、とキスを落とす。
それから、あぁ、まだ言ってなかったかと、気が付いて。
「好きだよ」
fin.
こんばんは。杏です。
何とか完結いたしました〜ご覧戴きありがとうございます!
背景描写がなさすぎる!もういい!気にしない!
こんなにもラストに右往左往することもない…(と思う)のですが。。
最初は彷徨くんに暴走してもらうつもりが、なんかイロイロ変わってきて。
引き算の証明が書けたら、どーしてもそれが使いたくなって。
それも上手くいかず、もっかい暴走させてみて、やっぱり書けず…ってな感じでした。
伏線を全部回収出来たのか不安です…。
武岡くんがだんだんと訳わかんないキャラになっていきました。
失敗は未夢を名字呼び捨てにさせたこと。キャラに見合わない呼称は性格がわかんなくなる…。彼をまず確立させなければならなかったと、反省です。
いわもっちゃんはたぶん、あんなんでいいのですが…。
彷徨くんを動かしたきっかけも、弱かったなと思います。彼の葛藤を表現しきれていないのも反省。
反省ばっかですね…しょぼん。次にいかそう!うん!
あと数日悩むようなら、クリスマスはやめようと思ってましたが、これで心おきなく次に進めます!
クリスマスがいつ完結するかはわかりませんが…今回で、出来る限り時期を合わせて書こうと決めました(^^;
タイトルが稚拙です。あはははは…。
何かいいタイトルあったら分けてくださいw
何ヶ月かかったのでしょう、このお話。
見捨てずに読んでくださったみなしゃん、ありがとうございます。
元のPOOLSIDEから数えると、結構な話数ですね。…そうでなくてもか。
温存してた短編とかクリスマスとか御礼とか。今は何も考えられません。アタマ真っ白ww
また次の作品でお目にかかれることを楽しみにしております。
もしよろしければ、ご感想お寄せください。
2014.12.03 杏