作:中井真里
彼女が平尾町を去って数ヶ月
校舎の窓際に佇み、青々と広がった空を見上げながら
切なげに微笑む彼は、まるで天使のようだった。
そんな彼の姿を見るたびに、
自分の入る隙間が無いことを改めて思い知らされた。
気が付くと、頬に熱いものが伝っていた。
(彼の想いは彼女に届いたのだろうか?)
そんな疑問と一緒に。
彼の背中がいつも以上に遠く感じられた。
やがて季節は巡り、2年の月日が流れた。
自分の心とまっすぐに向き合えないまま。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
-朝
私は駅に向かって歩いていた。
桜の名所として有名な平尾町は、この時期になると
辺り一面、桜でいっぱいになる。
駅に続いているこの道も例外ではない。
ピンク色の可愛らしい花びらが、風に乗って舞っている。
「きれい・・・」
私はそう呟くと、思わず立ち止まって目を細めた。
同時に心の中を淋しい気持ちが支配していた。
頭の中に思い浮かぶのは、つい先日
この町を旅立った彼のことばかり。
この町に彼は、彼らはもういない。
そんな事実が、胸の痛みを一層強くしていた。
私は目を閉じると、あの日のことを思い起こしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それは中学の卒業を一ヶ月前に控えた
2年程前の2月のことだった。
「彷徨くん、県外の高校を受けるって本当ですの?」
「あぁ」
そんな私の問い掛けに、彼は真剣な表情を浮かべていた。
こんな彼の表情は、いままで見たことが無かった。
あの日の放課後。私達は、屋上にいた。
偶然職員室で目にした進路希望調査票に
居ても立ってもいられず、気が付くと
彼をここまで引っ張って来ていた。
彼の方も、そんな私の行動が大方予想出来たのか、
次の言葉を待っているようにも感じられた。
「未夢ちゃんのところに行くんですのね」
「・・・・・」
私がそう呟くと、彼は照れ臭そうに無言で頷いた。
同時に胸がズキリと痛む。
分かっていた。分かっていた筈だった。
にも関わらず、胸の痛みは一層強くなるばかり。
心の何処かで願っていたのかもしれない。
心の何処かで期待していたのかもしれない。
いつか、彼が自分の気持ちに答えてくれると。
しかし、それは空しい絵空事でしかなかったのだ。
「離れてみて初めて分かったよ。俺はあいつが好きなんだって。
あいつのいない毎日が、どんなに虚ろだってこともな。
そう思ったら、いても立ってもいられなくなった。
あいつとの時間を、取り戻したいんだ!」
彼の真剣な瞳が、私の姿を真っ直ぐに射抜く・・・。
いつの間にか、頬には冷たいものが伝っていた。
「未夢ちゃんも、彷徨くんも、どうして
この町を離れて行ってしまわれるんですか?
どうして・・・」
最後は言葉にならなかった。
これ以上、大切な人を失いたくは無かったのに。
どうして離れていってしまうのだろうか?
淋しくて、切なくて。
私の心はやり切れない想いでいっぱいになっていた。
「俺はもう自分の気持ちに嘘をつきたくないんだ」
「・・・彷徨くんの気持ちは分かりましたわ。
ただ、ひとつ私と約束して下さいませんか?」
思わず目を閉じて、深呼吸。
「なんだ?」
彼の真剣な瞳が覗かせる。そんな彼の表情に
胸の高鳴りを抑えながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「いつか、おふたりでこの町に帰ってきて下さいませんか?」
思った以上に自然と言葉が出てきた。
目の前の彼は私の言葉に驚きつつも
黙って何か考え込んでいる。
「・・・・あぁ、分かった。約束する。
そのかわり、お前も元気でいろよ。
って俺が言えることじゃねえけど」
「それは未夢ちゃんのためですか?」
「・・・・」
「いいんです。気を使って下さらなくても。
私の方こそいろいろごめんなさい。気が付けば
おふたりの邪魔ばっかりしてましたわ」
目を閉じて、振り返る。彼には随分と
自分勝手な想いを押しつけてしまった。
彼の想いがどこにあるのか、とっくに分かっていたはずなのに。
そう思ったら、胸の奥が悲しみで満ちてきた。
「ホント・・・ごめん・・・な・・さい。わたくし・・・」
涙で言葉が続かなくなる。
「・・・もういいよ」
「でも・・・」
「もう遅い。お前も帰れよ」
『元気でな』
彼は帰り際に小さくそう呟いた。
今まで聴いたどの言葉よりも
胸に強く強く響いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ふと、肩に感触がして振り返った。
「おはよう、クリスちゃん」
「望さん、おはようございます」
自然と微笑み合う。
こうして二人で交わす挨拶は、
いつの間にか毎朝の日課になっていた。
あれから私達は同じ私立高校に進学。
以来、駅に続く道を毎朝並んで歩いている。
「桜、凄く綺麗だね。あのふたりも見てるのかな?」
「・・・ええ。そうかもしれませんね。こんなに綺麗なんですもの」
私はそう言ってニッコリ微笑んで見せた。
胸の奥に燻っている小さな痛みを感じながら・・・。
「そっか。君は優しいんだね」
「・・・・」
望は優しい。私の気持ちを全部分かった上で
こうしていろいろと気を使ってくれている。
今の私にとって、そんな彼の存在が強い支えになっていた。
同時に後ろめたい気持ちでいっぱいになる。
「・・・私は優しくなんかありません」
(単に逃げているだけですから)
私は小さく呟くと、心の中でそう付け足す。
「クリスちゃん・・・」
「ほら、急がないと電車に乗り遅れますわよ」
「あぁ、そうだね。行こう」
私達はお互いにそう言い合うと駅に向かって駆け出す。
自然と繋がれた彼の手が、いつも以上に暖かく感じられた。
この温もりには覚えがあった。
そうだ・・・あの日と同じ・・・。
心の中で、何度もそう繰り返していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼が去った屋上。
私は手すりに肘を掛けると
何も考えず、ただ前だけを見つめていた。
どのくらいそうしていただろうか?
時間の流れがあまり感じられなくなっていた。
(もう帰りましょう・・・)
内心そう思いながら、鞄を手にとって
歩き出そうとしたときだった。
「クリスちゃん」
ふと自分を呼ぶ声がして、振り返った。
そこには蒼く綺麗な瞳が覗かせていた。
突然の事にその場を動くことが出来なかった。
(てっきり誰もいないと思いましたのに。もしかして、
今の話・・・聞かれてしまったでしょうか?)
そんな疑問ばかりが頭の中を支配していた。
「・・・ごめん。さっきの話、聞いちゃった。
ホントにたまたまなんだ。ここでちょっと気分転換
してたら君達がやってきて・・・」
「・・・いいんですのよ。お気になさらないで下さいな
じゃあ、私はこれで。もう夕方ですし」
それだけ言って、立ち去ろうとしたが
望の大きくしなやかな手に阻まれた。
「待って。話があるんだ」
「・・・・何なさるんですの?」
私は彼をキッと睨み付けると、その手を強く振り払った。
そんな私を見つめる彼の表情は妙に哀しげで、切なかった。
「・・・いきなりごめん」
「私の方こそ、突然振り払ったりしてごめんなさい」
「君が謝ることないよ」
「・・・・望さん、どうかなさったんですか?」
思わず振り返ると、透き通った蒼い瞳が
こちらを真っ直ぐに見つめている。
(わたくし・・・彼に何かしましたかしら?)
心の中でそう呟きながら頭の中で
さまざまな出来事を巡らせてみるが、
思い当たることはひとつも見つからなかった。
「好きだ」
「!?」
彼の口から突然紡がれた言葉に、目の前の時間が
まるでスローモーションのように感じられた。
(望くんが私を?まさか・・・)
私の心はそんな想いでいっぱいになっていた。