作:山稜
ほっぺたにほ乳ビン、おしつけて。
「こんなもんか?」
それを、受けとる。
自分も、ほっぺたに。
「いーんじゃない?」
「むずかしーもんだな…ひと肌のあたたかさ、っていっても」
彷徨が腕を組む。
いかに頭のいい彷徨でも、こーゆーところじゃわたしといっしょ。
「だって彷徨、熱湯で作るんだもん」
「おまっ、ちゃんとビンだってなんだって、わかして消毒しなきゃいけねーだろっ」
「えっ、そうなの?」
はぁ…と声をあげて、彷徨が右手を顔にやる。
「だいたい、ルゥが置いてったやつなんだから、かなり古いんだぞ」
あ〜、と手が伸びてきた。
「はいはい、いまあげまちゅからね〜、パパのおこごとは、ほっときまちょうね〜」
「あのなぁっ!」
おこったような言い方の、ひびきの楽しそうな声。
…うれしいな。
このまま…。
…わたし、いま、なに考えた?
「そういや…」
彷徨の声で、引きもどされた。
「もう夕方だってのに、警察から何の連絡もないな…」
「そう…だね…」
このまま…。
むこう向いてた彷徨がこっち、ふりかえって。
「…未夢?」
そんなこと、いっちゃ、いけないことなんだよ…。
子どもは、ちゃんと親のそばにいるのが、いちばんいーんだよ…。
わかってるよ…。
でも、わかんないよ…。
彷徨は、いじわるだ。
「言ってみろよ」
なんて、言うんだから。
そんなこと言われたら、言っちゃうよ…。
「彷徨、この子、わたしと―…っ」
助けは、電話のベル。
「ごめん、ちょい待ち」
彷徨が立った。
ほっとしたような、しないような。
うつむいたら、赤ちゃんの顔。
飲むのをとめて、じっと見て。
「あれ、もう?」
そんなわけない。
「え〜と、げっぷ出してあげないといけないんだよね…」
たてにだっこして、体重をあずかって。
背中をかるく、とん、とん、とん。
…でないな……。
もう1回、とん、とん、とん。
「けふ」
抱きなおして、おでこくっつけて。
「うんうん、いいげっぷ出たねっ」
わらった?
まだ、わらうほど育ってないんだっけ?
でも…わらった…よね。
「さ、残りも、のんじゃいまちょーねっ」
なんで、幼児ことばで話してるんだろ。
思いながら顔、わらってる。
彷徨がゆっくり、もどってきた。
すぐとなりに、腰かけた。
「未夢…、あのな…」
◇
すっかり、暗くなって。
「ホントに、ありがとうございましたっ」
頭を深々と、下げる夫婦。
なんでも、ダンナさんのおばーちゃんが連れ出したらしい。
「ちょっとボケかかってて…」
なんて、言ってたけど。
「親父にちゃんと見とけって言っといたんですけどね、んとに」
赤ちゃんのパパの、そのことば。
胸がつまった。
「あの…」
そろり、ひとこと言いかけた。
びしゃり、彷徨がさえぎった。
「でも、子どもさんはやっぱり、ご両親が一番なんですから」
「そう…ですね…、ホントに…」
赤ちゃんのママ、うなだれて。
「あ〜」
声が、あがる。
「よしよし、ごめんねトオル」
泣きそうな、笑顔。
見てられない。
「あ…そうだ!」
茶の間に。
走った。
取ってきた。
ママさんに、さしだした。
「これ、つかってくださいっ」
おむつと、ミルク。
「え、でも…」
「だって、うちにあってもしょーがないですからっ」
「そうですか…お世話になった上に、こんなものまで…ホントにすみません」
「いーんですよ、わたしも…」
「え?」
あ〜、と、ひと声。
「よかったね、トオルくんっ」
しぜんに、笑顔が出る。
やっぱり、わらってくれた気がする。
ママさんを向いて、言いかえた。
「わたしも、楽しかったし」
「そうですか…
「ホントにありがとうございました」
夫婦は西遠寺の石段を、おりていった。
何度も何度も、頭を下げて。
すがた、見えなくなった。
ぽっかり、穴があいた。
ふぅ…。
それが、聞こえたらしい。
「バカ未夢」
「なっ…なによっ」
わかってる。
「どーせ『もっと言ってやりゃいーのに』とかなんとか、ゆーつもりでしょっ」
「よくわかってんじゃん」
わかってる。
けど、そんなこと。
だまってたら、「来いよ」って彷徨、すたすた行った。
「ちょっと、ドコ行くのよっ」
「出よーぜ、たまには」
◇
銀色のバイクが、月あかりに光る。
わたし用のヘルメット、ひさしぶりにかぶる。
彷徨の背中、おおきく見える。
「行くぞ」
しっかりつかまると、舟はすべりだした。
どこへ行くのか言いもせず、
どれだけ走るか聞きもせず、
それでも、不安はぜんぜんない。
背中を見てさえいれば、いい。
小高い山の、大きな道。
バイクのスピード、落ちてきた。
ここ…そういえば、いつかの…。
とまった。
「ついたぞ」
ヘルメットをぬぐと、ひんやりとした風。
「ふわっ、まだ冷えるね…っ」
「寒いか?」
…上着でも、かけてくれるのかな?
「ぶ厚いの、だから着てこいっていったろ」
…それで、おわりっ!?
「ちょっと彷徨っ!?」
「…んだよ」
「んだよじゃないよっ、こーゆーときはさぁっ…」
「あとだ、あと」
ん〜っ、ムカツクっ!
「あのねぇっ」
「おこってないで見ろよ、ほら」
指の先、おおきな、まるい月。
「月ってな…母親、なんだってな」
「母親?」
「星占いじゃ、そーらしいぜ…」
「ふうん…」
そういわれてみれば、やさしい光。
なんとなくママに見えてくるのが、ふしぎ。
「おれにはオヤジのハゲ頭にしか、みえねーけどなっ」
それ反則。
ふきだした。
「やっと笑ったな…おまえ」
…そう、なんだ。
ずっと、考えてて。
「おまえさ…ちょっと、考えすぎ」
「だって…」
「トオルくんだっけか…育てられたら、また楽しくなるかとか思ってたろ」
ばかだと思う。
また彷徨と、ルゥくんみたいにできたらいいって、そう思ってた。
でも、いつかは…
月を見上げたままで。
彷徨が、口を開いた。
「ずっと言おうと思ってたんだけどな」
「はいはい、また『おまえってバカ』とかでしょっ」
「そーゆーとこがまたおまえ、バカ」
「なによそれっ」
「きけよハナシを…」
「彷徨がバカバカ言うからでしょっ」
「1回しか言ってねーだろ」
「1回言えば十分よっ」
なんでだろ。
言い合えば言い合うほど、楽になっていくのって。
「だからさ…きけよ、ハナシっ」
「はいはい、で?」
「おまえさ…」
彷徨は、なかなか言わない。
じっと、待ってた。
ようやく出たのは、言いにくそうだった。
「…自分が、母親になりゃいーじゃん」
へ?
わたしが…って…。
「そしたら、もう返さなくていーだろ…」
それってちょっと、ねぇっ、
「いやそれはそーだけどさっ、ちょっとっ、彷徨っ」
「んだよ」
「ちょっと待ってっ、そんなっ、いきなりっ、わたしだってっ」
なに言ってるのか自分でも。
「…おまえ、わかってる?」
「わかってるわよっ、だってわたしがお母さんになるってことはっ、まず妊娠してですねぇっ」
はぁっ、と彷徨が、ため息をついた。
あきれた声で、肩をつかまれた。
「…だからさぁ、するんだよ」
「するって、ねぇ、ちょっと、こんなトコ」
「なに言ってんだ、バカ…」
「またバカって言ったっ!」
「いーからだまってろっ」
彷徨の顔がおりてきて、
くち、ふさがれた。
「…彷徨のバカ」
「バカはおまえだよ、ほら、かせっ」
かせと言われて、とられた左手。
ポケットから出た、彷徨の右手。
すぅっと、はまっていく感触。
「…オヤジの手伝いしかしてねーから、3か月分ってもこんなもんだけどな―…」
母親になりゃいい。
するんだよ。
3か月分。
公式にあてはめて、出た答えが、しんじられない。
「かっ…彷徨っ」
「まだ言わせる気かよっ…するのっ、おまえはおれと、結婚っ」
月には海があるって聞いた。
だとしたら、
いま見えてるのは、月の海…?
だきとめられた背中の上に、上着のぬくもり、おりてきた。
あたまのうしろを何度もなでる、彷徨のてのひら、おおきくて。
もうながいこと、いっしょなのに。
ちっとも、わかってないのは自分。
このひとだから、ずっと…。
ひくひく言うのを、なんとかこらえて。
「よろしくね…パパ」
「ああ…たのむぜ、ママ」
なかなか、とまらなかった。
◇
ママが帰ってた。
≪あいさつの都合もあるから、おばさんとおじさんの今後の予定、きーといてくれよなっ≫
彷徨にそう、言われてた。
「あのね…ママ」
「なに?」
「アメリカ、いつ行くの?」
「あら、言ってなかった?あさって発つの」
「そんな急なのっ!?」
「うん…だって講演が今度の土曜だから、あさってには発たないと」
なんだか、ハナシがヘンだ。
「…講演?」
「そーよ、向こうの大学でっていったじゃない」
「講演って、それ1回やって終わり?」
「そーよ?」
「じゃ、すぐ帰ってくるの?」
「パパと羽根ぐらい、少しのばしてこさせてよ」
「ずっと行ってるんじゃなかったのっ?」
「講演ぐらいでずっと行ってちゃ、たまらないわよ」
「講師っていってたじゃない」
「講演する人は講師でしょ、なに言ってんの、ヘンな子ねぇ」
ちょっと、ちょっとまって、
「ってことはママ、行ってすぐ帰って来るのねっ?」
「だからねぇ未夢、1週間ぐらいは羽根のばしてこさせてよ」
「1週間ぐらいすぐのうちじゃないっ、わたし、また何ヶ月も…」
「そんなだったら真っ先に相談するわよ、未夢ももうコドモじゃあるまいし…それぐらいの相談、のってくれるでしょ?」
きょうは、なみだがよく出る日だ。
「ねぇ、おとっときのワイン、あけよーよ」
「いーけど…未夢、弱いのにだいじょーぶ?」
「だいじょーぶよ、もうコドモじゃあるまいしっ」
コルクを抜いて、なみなみ注いで。
あとのことは、記憶にないけど。
あとからきいたら、寝言で「しあわせ」って言ってたらしい。
は〜い、そんなわけで「HAPPY FLOWER 春花の無礼講」ちょっと出遅れましたが、テーマは「変化」。ちょっと前のチャットで「みゆかなの結婚話も書かないとなぁ」って予告してたのを、覚えているひともいるかもしれませんね。交際相手から婚約者への、変化。重大なコトなんで(^^;、ついぞ長くなりました。
この話の構想は、ずいぶん前からあったんです。「まいおうん〜」が書き終わってから書こうと思っていたんですが、あれがなかなか進まなくて(汗) 今回のテーマにちょうどいいかなと、思い切って書いてみたわけです。
いままでの短編数編のなかで、プロポーズ手前…っていうのは何度も出てきてますが、そこからのきっかけがなかなかつかめずに前へ進めない彷徨。そんな彼を後押しするのは、いつも「迫られた環境変化」なんですね(笑)
ただ、これですんなり結婚できると思ったら大間違い。書き手は山稜ですからね(^^;、ここから小さな事件がいくつも起こるんですよ…ええ、結婚しようと思ったら大変なんだから(^^;
そんなわけでこれ、シリーズ「らぷそでぃ・いん・まりっじぶるー」の最初の話になるんですが、続きは…いつ書き始めることやら(@_@;