月の海のある日

(上)

作:山稜

 →(n)



 時代は、すでに新世紀。
 だからといって、
 ずっとこのままとは、かぎらない…。


「っ…アメリカっ?」
「そう」

 ほのあたたかな春の、朝。
 うららか気分が、ふっとんだ。

「だって、講師って…」
「しかたないでしょ未夢、呼んでくれたのはむこうの大学なんだから」
 母はコーヒーを、ひとくち。
「そーじゃなくてっ、またそーゆーことをわたしにだまって急にっ」
「なにいってるのっ」
 また、ひとくち。
「ついてこなくても、だいじょーぶでしょ?いつまでも子どもじゃ、あるまいし…」
「それは、まぁ…」

 彷徨の顔が、浮かんで消える。

「…ってだからっ、そーゆーこといってるんじゃなくてっ!」

 父の右手に、バタートースト。
 ハムエッグは、左手で。

「えっ、未夢は来ないのかい!?」
「パパもいつまでも、未夢を子ども扱いしないでいーわよ」
「でもママ…」
「どーせこの子、彷徨くんといっしょのほうが、いーんだから…」
「う〜ん、さびしーなぁ」
「あなたにはわたしがいるでしょ、パーパっ」

 親どうしのあまあまなんて、はずかしくてしかたない。
「はいはい、もー勝手にやっててっ」

 食べるだけ食べて、外に出た。
 なんだか、うまくごまかされた気がしないでも、ないけど。


 彷徨はこのこと、知ってるのかな…。
 うちの親のことだから、宝晶おじさんには話してるだろうし。
 …あ、でもおじさん、彷徨になんか言わないか?

 でも…。
 ママもパパも、大事なこと、いっつも相談なしにきめちゃうのって…。
 …家族、なのに。

 …とにかく、彷徨にぐちっちゃおう。

 家を一歩、出る。
 西遠寺の、境内。

 きたときは、だまされた…って、思ったっけ。
 どこから行けばいいのかわからなくって、本堂の方へ行ったなぁ…。

 毎日毎晩いるトコなのに、なんだか妙になつかしく。
 ふらっと、本堂へ行ってみた。

 朝は毎日、お勤めがある。
 彷徨も最近、おじさんの脇。
 修行というか、お経、読んだり。
 おじさんの用のあるときは、彷徨が代わってたりもする。
 きょうは…そうだ、おじさん、留守だっけ…。

 この時間だと、もう静か。
 終わったのかな。
 彷徨は…。


「あ〜」


 なっ?
 なんで赤ちゃんの声、するのっ?

「よーしよし、いい子だね…」
 彷徨の声だ。
 まさか…

 小走りで、声の方。
 気づいた彷徨が、ふりかえるなり、

「おまえ…ルゥかと思ったり、しなかったか?」

 うっ。

 考えてみれば、わかること。
 あれから、もう10年ほどになる。
 ルゥくんだっていつまでも、赤ちゃんのままなわけがない。

 またさんざん、ばかにするんでしょーよこの人は…。

「そう身がまえるなって、おれもそー思ったんだから」

 え…。

 彷徨のほおに、笑み、ふわり。
 それを今度は、赤ちゃんに。

「ほらほら、ママがきたぞ?」
「あ〜」

 わらったように、見えた。
 ホントにわらったのかなんて、わからない。
 ただ、たしかに自分は、わらってた。

「かして、彷徨」
「ん」

 くび、すわってない。
 ぐらぐらの、あたま。
 胸もとに、すとん。
 お目めがくるんと、こっちを見た。

 泣いちゃうかな…?

 じっと、見つめてる。
 かわいいな…。
 口もとが、ゆるむ。

 赤ちゃんは顔を、ゆるませた。
 そのまま目を、つむった。
 寝た…の、かな。

「でも…こいつ、どこの子だろうな」
「えっ、彷徨があずかったんじゃなかったのっ」
「しらねーよ…読経し終わってでてきたら、ここに寝かされてたんだから」

 ふと、よぎる。
「捨て子…かな…」
 ことばのひびきに、かなしくなった。
 自分で、言ったくせに。

 ほうっておかれて、どっか行かれて。
 親の都合が、あるのはわかる。
 でも…。

 ぶわっと、おさえきれなくなって。
 まばたきした拍子に、あふれた。

 彷徨が、となり。
 背中、ぽん。
 やさしく、ぽつり。

「泣くな」

 もうながいこと、いっしょなのに。
 ちっとも、わかってないんだから。
 やさしかったら、よけいに、なのに。

 彷徨の胸に顔、おしつけた。
 赤ちゃん、起こさないように、そっと。


「きーてないな…」
 茶の間に寝かせて、そのそばで。
「まっ、オヤジも東大寺に行ったっきりだし…おばさんもおじさんも、話はオヤジが帰ってきてからって思ってんだろーな」

 この時期は、むこうで修二会を盛大にする。
 昔お世話になったからと、おじさん、よく手伝いに行っている。
 もっとも「口実にして、向こうであそんでんじゃねーか?」とは、彷徨の弁。

「でも…わたし、どーなんだろ…」
「どうって…なにが」
「ママやパパにとって、どーでもいい存在、なのかな…って―…」

 はぁっ、と彷徨が、ため息をはく。
 その息の最後に、付け加えて。

「バカ」

 きた。
「なによっ、ひとが真剣になやんでるってのにっ」
「真剣に悩んでるから、バカだって言ってんだよ」

 たしかに、バカだ。
 子どもを大切に思わない親なんて、ない。
 わかってる。
 でも、わかんない。
 それじゃどうして、この子はここに…。

 待ちきれなかったらしい。
 出してた舌を、もどして言った。

「どーでもいい子のために、こんなトコわざわざ家、建ててまで引っこさねーだろ…」

 家、建ててまで…。
「…そう、だよね」
 それは、わかるけど。

 ふいに、
「う〜」
 赤ちゃん、うめいて。

「そういえばこの子、どこの…」

 そこまでで、やめた。
 捨て子…だったら、「どこの子か」なんて意味がない。

「ん…ま、警察には言っとかねーと…さがしてるだろーし」

 意外だった。

「さがしてるって、どーしてわかるの?」
「こいつ、見つけたときに何もなかったからな…子どもを置いてこうとするときだって、親は心配んなってミルクとか、おむつとか、置いてくもんだろ」

 心配んなって。
「そう…だよね、ちがうよね、うん」
 なんだかすこし、軽くなった。

 …のはいーけど、そういえば。
「おむつ!」
「な…なんだよ急にっ」
「ずっとこのままだったんでしょっ!?」
 彷徨も両まゆ、ひきあげた。
「…やってる…よな…」

 おそるおそる。
 見た。
 …ほっとした。

「やってなかった…」

 彷徨もふぅっと、息、はいた。

「でもおしっこはいっぱいしてるみたい…替えてあげないと」
「替えなんて、ないぞ?」
「いーよ、わたしちょっと行って買ってくるから」

 彷徨の目尻が、さがった。
「だいじょうぶか? おまえ、すぐまちがえて買ってくるから…」
 わたしのクチのはし、あがった。
「だいじょーぶよっ、わたしだってルゥくんのママ、やってたんだからっ」


 すこし行ったトコの、スーパー。
 いつも買い物してるとこ。
 ルゥくんがいたときは、よく買ってたもんね、おむつぐらい。
 楽勝、楽勝。

 あんまり売り場、変わってない。
 いろんな商品、並んでる。
 ひさしぶりだな、このヘン、ゆっくり見るの。

 えーと、おむつ、おむつ…と…。
 あ、ここか。

 新生児用?
 Sサイズ?
 Mサイズ?
 パンツタイプ?

 ワンニャーがいたから、「どんなの」って言われたとーりに買ってたけど。
 いったいどんなのを、買ったらいーのっ!?

「あ〜も〜、また彷徨にバカにされるよ…」

 落とした肩を、ひろわれた。
「未夢ちゃんっ」
 ほんのり、バラの香り。
「あ、クリスちゃん!」

 ひさしぶりだ。
「帰ってきてたの?」
「ええ、大きくなったって言っても、まだまだ手もかかりますのよ」

 買い物かごには、離乳食やらいろいろと。
 すっかり、ママっぽい。

「スーパーで買っちゃうんだ?」
「こういうものは、スーパーのほうが案外よかったりするものですわ」

 しっかり、主婦っぽい。
 すごいなぁ、環境って。

 クリスちゃんが、棚を見た。
「おさがし…ですの?」
「うん…まぁ」
「いつ?」

 え?
 まぁいいか、

「きょう…だけど?」
「きょう、ですの?それじゃ、もう?」
「もう、って?」
「もう退院したんですの?」
「退院?」
「だって、生まれたのでしょ?」
「なにが?」
「ですから、その…西遠寺くんとの…」

 ぴしっ…という音が、ひびいたかもしれない。
 かたまってしまった。
 あんまりなんで、スキがあったのかもしれない。
 とめられなかった。

「それはまぁ、もう長いですわよね、中学のときからですものね…。
 でも未夢ちゃん、そういうことはやっぱり、結婚してからのほうが…。
 いや西遠寺くんと未夢ちゃんのことですから、

  未夢、責任はとるよ…。
  いますぐ、結婚しよう…。

  うれしいわ彷徨、これから親子3人、なかよく暮らしましょうね…。
  男の子だったら、やっぱり名前はルゥかしら…。

 な〜んて会話があって、それから…
 そういえばわたくし、未夢ちゃんと西遠寺くんが結婚したのって、
 きーてなかったんじゃありませんこと?
 それはやっぱりアレですの、西遠寺くんが、

  おなかの大きな姿でウェディングドレスを着せるのはなぁ…
  結婚式は一生に一度のことだし、やっぱり、生んでしまってからにするか?

 とか言って、それに未夢ちゃんが…」

 ギャラリー、できはじめてる。
 さすがに、はずかしい。
「ストップストップ、クリスちゃんっ!」
「あらごめんなさい、わたくしったら」




「それはそうですわね、きょう産んで、きょう退院なんて、ムリですものね」
 ひと通り説明すると、クリスちゃんは頭を下げた。

「ごめんなさい、思い込みがはげしいもので…」
「いーよいーよ」

 さすがに慣れてるとは、いえないけど。

「それで…その子、いまどれぐらいですの?」
「何ヶ月、って、よくわかんないんだけど…」
「何センチぐらい?」
「え〜と…こんなもんかな?」
 両手で持った感じ、見せてみる。
「それでしたら…うちの子のときなら、3〜4ヶ月ぐらいかしら…」

 さすがは、母親。
 話が早い。

「それじゃ、このぐらいのサイズので、いいのかな?」
「いいと思いますわよ?」
「そういえば、ミルクも買っといた方がいい?」
「そうですわね…ちょうど特売みたいですから、買っておくといいかもしれませんわね」

 ほっとして。
「あ〜よかったぁ、クリスちゃんがいてくれて…助かったぁ」
 にっこりして。
「いーえ、どーいたしまして…また何かわからないことがあったら、いつでも」
 にっこり、しかえして。
「うん、ありがとクリスちゃん」
 手を振って。

 …送り迎えの車があるのが、やっぱりそこはお嬢さま。

 こっちは…重くて、ひきずりそう。
 こんなに買わなくても、よかったかな?
 それでも…なんとか、がんばれそう。
 あの赤ちゃんの、ためだもの。


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