作:山稜
時代は、すでに新世紀。
だからといって、
ずっとこのままとは、かぎらない…。
「っ…アメリカっ?」
「そう」
ほのあたたかな春の、朝。
うららか気分が、ふっとんだ。
「だって、講師って…」
「しかたないでしょ未夢、呼んでくれたのはむこうの大学なんだから」
母はコーヒーを、ひとくち。
「そーじゃなくてっ、またそーゆーことをわたしにだまって急にっ」
「なにいってるのっ」
また、ひとくち。
「ついてこなくても、だいじょーぶでしょ?いつまでも子どもじゃ、あるまいし…」
「それは、まぁ…」
彷徨の顔が、浮かんで消える。
「…ってだからっ、そーゆーこといってるんじゃなくてっ!」
父の右手に、バタートースト。
ハムエッグは、左手で。
「えっ、未夢は来ないのかい!?」
「パパもいつまでも、未夢を子ども扱いしないでいーわよ」
「でもママ…」
「どーせこの子、彷徨くんといっしょのほうが、いーんだから…」
「う〜ん、さびしーなぁ」
「あなたにはわたしがいるでしょ、パーパっ」
親どうしのあまあまなんて、はずかしくてしかたない。
「はいはい、もー勝手にやっててっ」
食べるだけ食べて、外に出た。
なんだか、うまくごまかされた気がしないでも、ないけど。
◇
彷徨はこのこと、知ってるのかな…。
うちの親のことだから、宝晶おじさんには話してるだろうし。
…あ、でもおじさん、彷徨になんか言わないか?
でも…。
ママもパパも、大事なこと、いっつも相談なしにきめちゃうのって…。
…家族、なのに。
…とにかく、彷徨にぐちっちゃおう。
家を一歩、出る。
西遠寺の、境内。
きたときは、だまされた…って、思ったっけ。
どこから行けばいいのかわからなくって、本堂の方へ行ったなぁ…。
毎日毎晩いるトコなのに、なんだか妙になつかしく。
ふらっと、本堂へ行ってみた。
朝は毎日、お勤めがある。
彷徨も最近、おじさんの脇。
修行というか、お経、読んだり。
おじさんの用のあるときは、彷徨が代わってたりもする。
きょうは…そうだ、おじさん、留守だっけ…。
この時間だと、もう静か。
終わったのかな。
彷徨は…。
「あ〜」
なっ?
なんで赤ちゃんの声、するのっ?
「よーしよし、いい子だね…」
彷徨の声だ。
まさか…
小走りで、声の方。
気づいた彷徨が、ふりかえるなり、
「おまえ…ルゥかと思ったり、しなかったか?」
うっ。
考えてみれば、わかること。
あれから、もう10年ほどになる。
ルゥくんだっていつまでも、赤ちゃんのままなわけがない。
またさんざん、ばかにするんでしょーよこの人は…。
「そう身がまえるなって、おれもそー思ったんだから」
え…。
彷徨のほおに、笑み、ふわり。
それを今度は、赤ちゃんに。
「ほらほら、ママがきたぞ?」
「あ〜」
わらったように、見えた。
ホントにわらったのかなんて、わからない。
ただ、たしかに自分は、わらってた。
「かして、彷徨」
「ん」
くび、すわってない。
ぐらぐらの、あたま。
胸もとに、すとん。
お目めがくるんと、こっちを見た。
泣いちゃうかな…?
じっと、見つめてる。
かわいいな…。
口もとが、ゆるむ。
赤ちゃんは顔を、ゆるませた。
そのまま目を、つむった。
寝た…の、かな。
「でも…こいつ、どこの子だろうな」
「えっ、彷徨があずかったんじゃなかったのっ」
「しらねーよ…読経し終わってでてきたら、ここに寝かされてたんだから」
ふと、よぎる。
「捨て子…かな…」
ことばのひびきに、かなしくなった。
自分で、言ったくせに。
ほうっておかれて、どっか行かれて。
親の都合が、あるのはわかる。
でも…。
ぶわっと、おさえきれなくなって。
まばたきした拍子に、あふれた。
彷徨が、となり。
背中、ぽん。
やさしく、ぽつり。
「泣くな」
もうながいこと、いっしょなのに。
ちっとも、わかってないんだから。
やさしかったら、よけいに、なのに。
彷徨の胸に顔、おしつけた。
赤ちゃん、起こさないように、そっと。
◇
「きーてないな…」
茶の間に寝かせて、そのそばで。
「まっ、オヤジも東大寺に行ったっきりだし…おばさんもおじさんも、話はオヤジが帰ってきてからって思ってんだろーな」
この時期は、むこうで修二会を盛大にする。
昔お世話になったからと、おじさん、よく手伝いに行っている。
もっとも「口実にして、向こうであそんでんじゃねーか?」とは、彷徨の弁。
「でも…わたし、どーなんだろ…」
「どうって…なにが」
「ママやパパにとって、どーでもいい存在、なのかな…って―…」
はぁっ、と彷徨が、ため息をはく。
その息の最後に、付け加えて。
「バカ」
きた。
「なによっ、ひとが真剣になやんでるってのにっ」
「真剣に悩んでるから、バカだって言ってんだよ」
たしかに、バカだ。
子どもを大切に思わない親なんて、ない。
わかってる。
でも、わかんない。
それじゃどうして、この子はここに…。
待ちきれなかったらしい。
出してた舌を、もどして言った。
「どーでもいい子のために、こんなトコわざわざ家、建ててまで引っこさねーだろ…」
家、建ててまで…。
「…そう、だよね」
それは、わかるけど。
ふいに、
「う〜」
赤ちゃん、うめいて。
「そういえばこの子、どこの…」
そこまでで、やめた。
捨て子…だったら、「どこの子か」なんて意味がない。
「ん…ま、警察には言っとかねーと…さがしてるだろーし」
意外だった。
「さがしてるって、どーしてわかるの?」
「こいつ、見つけたときに何もなかったからな…子どもを置いてこうとするときだって、親は心配んなってミルクとか、おむつとか、置いてくもんだろ」
心配んなって。
「そう…だよね、ちがうよね、うん」
なんだかすこし、軽くなった。
…のはいーけど、そういえば。
「おむつ!」
「な…なんだよ急にっ」
「ずっとこのままだったんでしょっ!?」
彷徨も両まゆ、ひきあげた。
「…やってる…よな…」
おそるおそる。
見た。
…ほっとした。
「やってなかった…」
彷徨もふぅっと、息、はいた。
「でもおしっこはいっぱいしてるみたい…替えてあげないと」
「替えなんて、ないぞ?」
「いーよ、わたしちょっと行って買ってくるから」
彷徨の目尻が、さがった。
「だいじょうぶか? おまえ、すぐまちがえて買ってくるから…」
わたしのクチのはし、あがった。
「だいじょーぶよっ、わたしだってルゥくんのママ、やってたんだからっ」
◇
すこし行ったトコの、スーパー。
いつも買い物してるとこ。
ルゥくんがいたときは、よく買ってたもんね、おむつぐらい。
楽勝、楽勝。
あんまり売り場、変わってない。
いろんな商品、並んでる。
ひさしぶりだな、このヘン、ゆっくり見るの。
えーと、おむつ、おむつ…と…。
あ、ここか。
新生児用?
Sサイズ?
Mサイズ?
パンツタイプ?
ワンニャーがいたから、「どんなの」って言われたとーりに買ってたけど。
いったいどんなのを、買ったらいーのっ!?
「あ〜も〜、また彷徨にバカにされるよ…」
落とした肩を、ひろわれた。
「未夢ちゃんっ」
ほんのり、バラの香り。
「あ、クリスちゃん!」
ひさしぶりだ。
「帰ってきてたの?」
「ええ、大きくなったって言っても、まだまだ手もかかりますのよ」
買い物かごには、離乳食やらいろいろと。
すっかり、ママっぽい。
「スーパーで買っちゃうんだ?」
「こういうものは、スーパーのほうが案外よかったりするものですわ」
しっかり、主婦っぽい。
すごいなぁ、環境って。
クリスちゃんが、棚を見た。
「おさがし…ですの?」
「うん…まぁ」
「いつ?」
え?
まぁいいか、
「きょう…だけど?」
「きょう、ですの?それじゃ、もう?」
「もう、って?」
「もう退院したんですの?」
「退院?」
「だって、生まれたのでしょ?」
「なにが?」
「ですから、その…西遠寺くんとの…」
ぴしっ…という音が、ひびいたかもしれない。
かたまってしまった。
あんまりなんで、スキがあったのかもしれない。
とめられなかった。
「それはまぁ、もう長いですわよね、中学のときからですものね…。
でも未夢ちゃん、そういうことはやっぱり、結婚してからのほうが…。
いや西遠寺くんと未夢ちゃんのことですから、
未夢、責任はとるよ…。
いますぐ、結婚しよう…。
うれしいわ彷徨、これから親子3人、なかよく暮らしましょうね…。
男の子だったら、やっぱり名前はルゥかしら…。
な〜んて会話があって、それから…
そういえばわたくし、未夢ちゃんと西遠寺くんが結婚したのって、
きーてなかったんじゃありませんこと?
それはやっぱりアレですの、西遠寺くんが、
おなかの大きな姿でウェディングドレスを着せるのはなぁ…
結婚式は一生に一度のことだし、やっぱり、生んでしまってからにするか?
とか言って、それに未夢ちゃんが…」
ギャラリー、できはじめてる。
さすがに、はずかしい。
「ストップストップ、クリスちゃんっ!」
「あらごめんなさい、わたくしったら」
「それはそうですわね、きょう産んで、きょう退院なんて、ムリですものね」
ひと通り説明すると、クリスちゃんは頭を下げた。
「ごめんなさい、思い込みがはげしいもので…」
「いーよいーよ」
さすがに慣れてるとは、いえないけど。
「それで…その子、いまどれぐらいですの?」
「何ヶ月、って、よくわかんないんだけど…」
「何センチぐらい?」
「え〜と…こんなもんかな?」
両手で持った感じ、見せてみる。
「それでしたら…うちの子のときなら、3〜4ヶ月ぐらいかしら…」
さすがは、母親。
話が早い。
「それじゃ、このぐらいのサイズので、いいのかな?」
「いいと思いますわよ?」
「そういえば、ミルクも買っといた方がいい?」
「そうですわね…ちょうど特売みたいですから、買っておくといいかもしれませんわね」
ほっとして。
「あ〜よかったぁ、クリスちゃんがいてくれて…助かったぁ」
にっこりして。
「いーえ、どーいたしまして…また何かわからないことがあったら、いつでも」
にっこり、しかえして。
「うん、ありがとクリスちゃん」
手を振って。
…送り迎えの車があるのが、やっぱりそこはお嬢さま。
こっちは…重くて、ひきずりそう。
こんなに買わなくても、よかったかな?
それでも…なんとか、がんばれそう。
あの赤ちゃんの、ためだもの。