花散らしの風がふくとき

(前編)

作:山稜

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 水道水をはじく、やかん。
 そっと手を、ふれてみた。
 もう、あつくない…かな。

「未夢、甘茶…」
 台所のはしから、彷徨が声をかけた。
「あっごめん、すぐ持ってくから」
 取っ手に手をかけた。

「いや…もう、いいぞ」
「へ?」
「みんな、帰っちまったからな…オヤジが見送りに行ってる」

 手から力が、急に抜けた。

「な〜んだもう、それならそうって、はやく言ってよっ」

 花祭り。
 降誕会というのが、ちゃんとした言い方らしい。
 お釈迦さまの誕生を祝う日で、どこのお寺も法要をする。
 で、どこの寺でも来るのはだいたい、檀家のおじーちゃんおばーちゃん。
 ふるまいの甘茶が熱いと、やけどしちゃいけない。
 わざわざ水でさましてみた。
 …のに。

「おまえがナベまちがわなきゃ、そんなにあわてることもなかったけどな?」
 彷徨はあさっての方へ、ペロッと舌を出してみせた。
「ちょっとまちがえたぐらい、しょーがないでしょっ、いそがしーんだからっ!」
 未夢は肩をいからせた。

「まぁ…、昼からもお参りのひとはくるから、本堂の前に出しといてくれ、それ」
 気にもしてない、と言わんばかり。
 彷徨はふらっと、行ってしまった。

 その、ふらっと…の感じが、妙に義父に似て。
 なんだかちょっと、おかしかった。



 ろうかの先をわたると、本堂。
 静かだった。
 赤ん坊の釈迦像が、本堂の前で立っているだけ。

 …ちょっと、さびしそうかな。

 みんながするように、自分も甘茶をかけたくなった。
 やかんが重くて、急げないけど。

 表の入り口の前まで来た。
 降りようとした。
 ガタン、と音がした。

 本堂の、中からだ。

―だれか、まだ残ってるのかな。

 それにしては、静かだ。
 いや、よく聞いてみると、ガサガサ。
―ねこ…かな。
 こないだから、お供えを荒らしに、よくくるし。
 えーいもうっ、こんなときにっ。

 未夢は腹たちまぎれに、障子をひいた。

「こらっ!!」
「ニャーッ!!」

 とびあがったのは、細身の男。
 …どっ…―
「ドロボーっ!!」
 大声をあげた。
 やかんを、ほうりなげた。

「あぶないっ」
 おもてから、飛び込んできた少年。
 くるくると宙を舞う、やかん。
 ひっくりかえって、中身が少年の頭から、ざぶん。

 男は少年にかけよった。
「ルゥちゃまっ」
 それでも少年は、男に向かってかまわず言った。
「だめだろっ、ワンニャーっ!!」

 男の顔からは、ねこのようなヒゲがのびていた。
 おしりからは、しっぽも出てた。

「あわわわ、ごめんなさい〜っ…あまりにもおいしそうな、おだんごだったもので、つい…」

 未夢はぼぉっとしていた。

 ルゥちゃま…?
 ワンニャー…?

 声をあげようとした。
 後ろから、ろうかを走る音がした。
「未夢っ、どうした…」

 彷徨は目の前のふたりを、見た。
 一呼吸おくと、そっと、言った。
「ルゥ…だな?」
 少年は、しっかりうなずいた。
「ってことは…こっちは…ワンニャーかっ?」
「彷徨さん…ってことは、こちらは未夢さん!」

 やっと、飲み込めた。
 ルゥくんと…
 ワンニャーなんだ…。

 未夢は目から涙がこぼれるのを、押さえ切れなかった。
 かけよったのは、彷徨と同時だった。

「ワンニャーっ!」
「未夢さん彷徨さん、ごりっぱになられて…」
「おまえはあいかわらず、みたいだけどな」
「そんな〜、ひどいですよぉ」

 ようやく涙がおちついた。
 おちついたら、笑えてきた。
「だってやっぱり、おだんごを前にしたらわれを忘れてるじゃない」

「あっ、あれはですねぇ、あのおだんごは特別だからなんですよ、なにせひさしぶりの『みたらしだんご』、しかもひとつの串におだんご5つついて、最初の1コがあとの4コと間があいてるっていう、ちゃぁんと伝統にのっとった作り方なんですよ、」

 ワンニャーは、こぶしに力をこめた。

「そういうおだんごがですね、ひさぁしぶりにやってきた地球で、目の前で『ほ〜らおいしそうでしょう、おいしいんだぞぉ』って手まねきしてたら、わたくしじゃなくたって、だれだってとびつくじゃありませんかっ」

 未夢が苦笑いをする。
「ワンニャーだけだと思うよ、それは…」
 ヒゲを隠しもせず、ワンニャーはさらに、こぶしに力をこめた。
「このおだんごを見ていないから、そんなにあっさり言えるんですよ未夢さん、見てくださいこの色つや…」

 さしだした手には、何もない。

「あ…れ…?わたくしのおだんごが…」
 ワンニャーは我が目をうたがった。
 ついさっきまで、その手ににぎっていた、2本の串。
 夢のような、完璧なおだんごが、ない。
 ない…。

「ないーっ!!わたくしのおだんごがぁ〜っ!!」

 彷徨がため息を、ひとつ。
「いや…だいたい、おまえのじゃないって、もともと…」
「そんなぁっ、彷徨さぁんっ」

 ルゥが、プッとふきだした。
「ワンニャー…ほら、そこと、そこ」
 両手で指さす、天井と床。
「うわぁぁぁぁ、ど〜してあんなところにっ」

 きっと、びっくりしたときに飛ばしたのよ。
 そう言おうとしたときだった。


「なんじゃ、さわがしいのぉ」
 宝晶の、姿。


 にぎやかだった本堂が、水を打った。


 顔からひげ、おしりからしっぽを出した男。
 天井と床にささる、みたらしだんご。
 それを両手でゆびさす、笑顔の少年。

 …ぜったい、見られた。


 すずめの鳴き声だけが、きこえる。


「こっ…」
 宝晶が口を開いた。
「これは…」
 じりじりと、ルゥに進み寄る。

 彷徨が割って入った。
「あのなオヤジ、これは…」
「彷徨、どきなさい…わしはこのひとと話をしたいんじゃ」

 近ごろめずらしい、父の気迫。
 気おされる、というのは、こういうことだろうか。
 彷徨はだまって、ひき下がった。

 ルゥはあげていた手を下ろした。
 近よる宝晶に、向きなおった。
 背すじを伸ばした。

 宝晶はルゥの一歩手前で、立ち止まった。
 じっと、ルゥの目を見た。

 両ひざをついた。
 頭を下げて、言った。
「こんなへんぴなところまで、ようお越しくださった」

 未夢はただ、口をぽかんと開けていた。
 まったく何がなにやら、さっぱりわからない。

 それは他の3人も、同じようだった。
 彷徨は眉間にしわを寄せたまま、動かない。
 ワンニャーは顔を手でかくそうとしたまま、動かない。
 ルゥは苦笑いのまま、動かない。


 すずめの鳴き声だけが、きこえる。


 宝晶が頭を上げた。
 ルゥのシャツを見て、言った。
「未夢さん、すまんがこちらに、着替えを出してさしあげてはくれんかの」

 そうだった。
 甘茶をかぶってしまったのを、すっかり忘れてた。
「あっ、やだ、ごめんルゥくんっ」

「ルゥさんとおっしゃるか…わたしはこの寺の住職、西遠寺宝晶と申しますでな、気軽に『宝晶ちゃ〜ん』とでも呼んでくだされったらええです」
 宝晶はさぁさぁこちらへ、こちらへと、住居のほうへルゥを案内していた。

「どう…なってるの?」
「さぁ…な…」
 彷徨は腕を組みながら、ルゥのあとをついていった。
 だまって未夢も、したがった。


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