作:山稜
「ふー、ここなら、だいじょうぶだろ…」
観覧車なら、じゃまは入らない。
やっとひと息、落ち着ける。
向かいの席で、レイコがうつむいた。
「ごめんね、サンタさん…」
何のことかが、わからない。
「なにが?」
「…あたしといっしょだと、メーワクかけちゃって…」
三太は赤く染まっていく山並みをながめて、言った。
「こんなこと、きいていーのかどーか、わかんねーけど…」
「…なに?」
「レイコちゃんってさぁ、ひょっとして…」
レイコの顔色が、かわった。
耳をふさごうと、手を上げた。
三太の口のほうが、それより早かった。
「どっかのお嬢さまなの?」
レイコの口は、ぱくぱくと音を失っていた。
「ごめん、きいちゃいけなかったなぁっ」
あわてて、ごまかす。
レイコは苦笑いをしてた。
「そ、そんないいもんじゃ、ない、ない…っ」
それにしても、追われてるとか、ねらわれてるとか、ただごとじゃない。
「とにかく…なんか、あったの?」
レイコの顔から、笑みが消えた。
「おれじゃ、たよりになんねーかもしれないけどさぁ…聞くよ、悩みごと」
…できたら、なんとかわらってほしい。
レイコが重い口を、開いた。
「家、とびだしてきちゃったんだ…ママと、けんかして」
家出…か。
だまって話を、聞く。
レイコはぽつぽつ、話しはじめた。
「ママはあたしに、自分のあとをついでほしいらしいんだけど…あたしまだ、そんなこと考える余裕なんてなくて…仕事だって、ぜんぜん休みなんかなくて…」
「家の仕事?」
「ん…そんなような、もんね…」
起業家のお嬢さま、か…。
そりゃいろいろあるだろうなぁ…。
「高校、通いながらだから、しんどくて…時間がないから、クラスの友だちとも遊びにいけなくて…誘われてもことわってばかりで」
レイコも山並みのほうを、見るでもなく向いた。
「そしたらこないだ、誰かがあたしのこと『お高くとまってる』って言ってるの、きいちゃって…」
口もとを手でおおう。
ぐすん、と、すすった。
ひくっ、と1回すいこんで、大きく息をはいて。
「来年、大学へ行くの、決まってるんだけど…やめようかと思って、ママと話してたら、けんかになっちゃって…」
三太はレイコの顔を見た。
ためた涙を、のみこんでいた。
「大学、行くの、いやなの?」
ありきたりのことしか、いえないのがくやしい。
「行くことじたいは、いやじゃないんだけど…」
また、うつむいた。
「行っても意味、ないんじゃないかなぁって…ちゃんといけるかどうか、わかんないし…」
「行くだけ、行ってみれば?」
レイコが顔を上げた。
見てる。
先を聞きたそうに、じっと。
「おれ、陸上やってんだけどさぁ」
三太は頭をひっかいた。
「…中学のとき、あんまりなんにも考えないで、人数あわせのためだけに陸上部入って、そのままずるずる…たいした成績もあるわけじゃねーし、やっててもな〜んにも意味ねーから、何回もやめようと思った」
窓の手すりにひじをかける。
ほお杖をついて、あのときのことを思い出す。
「けどさぁ、友だちに言われたんだ…やめることに意味があるんなら、やめろ…って」
「やめることの…意味?」
レイコが不思議そうに、聞いた。
「やってることに意味がないと思っても、そのうち意味がわかるかも知れねーし…それ以上に意味のあること見つけたときに、やめたらいーんじゃねーか…って、さ」
ほお杖をついた手を、頭にまわしてひっかいて。
「まだそれが見つかんねーから、大学入っても、しょーこりもなくやってるけどさぁっ」
レイコがつぶやく。
「それ以上に、意味のあること…」
三太がうなづく。
「そー」
三太は笑った。
「だからとりあえず、行くだけ行ってみりゃいーんじゃないかぁ?」
レイコも笑った。
「行ってから、意味がわかるかもしれないし?」
「そーそー、とりあえず、深く考えないでさぁっ」
「とりあえず、深く考えない…かぁ…」
「そーだよ」
レイコはバッグから、ハンカチを出した。
メガネを外して、目もとをぬぐった。
そのまま、笑った。
「うん、そうねっ、やってみるわ…」
ほおに夕日がさしこんだ。
このコ…ホントに…かわいいよなぁ…。
このまま、時間が止まってしまえば…。
「ありがと、サンタさんっ」
声をかけられて、自分の考えが読まれたような気がして。
「いーやぁ」
というのがせいいっぱい。
なにか、ないかと探してみて。
夕日をうつす、山並みを。
「ほら、あれ、きれいだぜっ」
あたりまえのことしか、いえない。
「ほんと…」
それでもレイコは、うれしそうだった。
こっちを見て、にっこり笑った。
なにを言うでもなく。
笑いかえすと、笑みをいっそう深くして、レイコはまた、山並みをながめた。
◇
観覧車を出て、しばらく歩く。
おりるときに引いた手を、そのままにして。
「また、見れるといーな…っ」
つぶやくと、レイコがうなづいていた。
「また、見に来たい…な…」
レイコがじっと、見つめてきてる。
気づいて向くと、ひと息ためてた。
それを思い切り、はくように言った。
「ね…ねぇ…ケータイとか…」
「ん?あ、いーよ」
三太がポケットに手を伸ばしたときだった。
うしろから、大きな声がした。
「みつけたっ!」
「きゃっ!」
レイコは小さく悲鳴をあげた。
30ぐらいの女性が、肩をつかんでる。
ふりはらおうとしたとき、その女性はどなりはじめた。
「仕事ほっぽりだして、何日もほっつき歩いて、なにしてるんですかっ!」
「ナマコちゃん!」
「ナマコじゃありません、真名古ですっ!」
真名古は三太に、申し訳なさそうに言った。
「すいません、ちょっとこのひと、急いで連れて行かないといけないんで…」
拍子抜けしてしまって、なにもいえない。
レイコはまだ、反抗している。
「いやよ、行かないからっ」
「なに言ってるんですかっ、あなたのことをたくさんの人が待ってんですよっ!」
「もういや、仕事なんてやめるもんっ!」
「お嬢!」
「お嬢って呼ぶの、やめて!あたしには、キョ…」
レイコは三太の顔を見て、言い直した。
「ちゃんと、名前があるんだから!」
「あのさぁ…」
そっとレイコに、話をする。
「おれ、事情、よくわかんねーし…それにクチ出しできることじゃないけどさぁ…」
でもこのままじゃ、いけないだろうし。
「とりあえず、やめる意味が見つかるまで、がんばってみたら?」
「やめる…意味?」
こわばった顔を、レイコはゆるめた。
「とりあえず…深く、考えない?」
うなずいた。
うなずいていた。
真名古も、手をはなした。
だまって、きいていた。
レイコは大きく、うなづいた。
悲しそうだった顔の、口もとがゆるんだ。
左手に残った夕やけを見て、目を閉じた。
ぽつりと、言った。
「また…会えるかな?」
はっきり、言った。
「ああ、きっと会えるさ」
レイコが右手を、のばしてきた。
「きょうはありがと…」
その手をしっかり、にぎった。
「じゃ…またっ」
真名古がレイコの先に行く。
レイコは何度も手をふった。
名残おしげに、ふりかえって。
姿が見えなくなってからしか、思い出さなかった。
「あ…ケータイの番号…」
◇
西遠寺の、茶の間。
彷徨の前に、三太が置物になっていた。
「はぁ…っ」
彷徨が見かねて、声をかける。
「三太…なんでわざわざウチに来て、ため息ついてんだよ…」
「だってさぁ…ひとりでいると、レイコちゃんのことばっか、考えちまって…」
本を読みながら、きいてみる。
「あのコとは、うまくやってんのか?」
「いーや…連絡とる手段が、なくてさぁ…」
心ココにあらず、という返事。
あきれたもんだ。
一日中、一緒にいたんじゃなかったのか?
三太らしくもない。
彷徨もため息が出た。
「未夢でもいりゃあなぁ…」
話題に困って、三太の荷物。
「で…その袋、なんなんだ…?」
「あぁ、これ…」
三太は袋を開けた。
「古本屋で見つけた、キョウコの写真集…絶版になったやつ…」
話の流れが、よくわからない。
「おまえ、キョウコのファンだなんて、いままで言ってたか?」
「いーや…なんか、キョウコって…レイコちゃんに似てるから…」
それだけかよ…と、言えた雰囲気じゃ、ないのがつらい。
どうしたものか迷っていると、がばっ、と三太が頭を上げた。
「そういや、いまごろ『今年の重大ニュース』やってんじゃなかったかぁっ!?」
「ん…そんなの、何がおもしろいんだよ」
「出るんだよっ」
ちゃぶ台の上のリモコンを、三太が奪い取る。
テレビをつけると、キョウコが出てた。
「それで、キョウコちゃんの今年の重大ニュースは?」
「やっぱり、デビューしたのが一番のニュースですねっ」
「あぁ…かわいーよなぁっ、」
三太がつぶやくのには、慣れてる。
…つもりだった。
そのあとを、聞くまでは。
「レイコちゃん…」
「これはキョウコだろ…っ」
今回に限っては、手のつけようがない。
とりあえず、ほっとくしかない、か。
まだ、キョウコが話していた。
下世話なタレントが、にやにやと尋ねて。
「他に…たとえば、恋人ができた、とか?」
にっこりと、キョウコが笑った。
「さすがにそれはありませんけど…生まれてはじめて、男のひととデートしましたね」
超アイドルの、衝撃発言。
出演者が色めきたった。
「ど…どんなひとなんですか、相手の方はっ!?」
「サンタさんです」
「サンタさんっ…って、サンタクロースですか?」
「はいっ!」
なんだよ〜とか、そ〜ゆ〜のかよ〜とか、出演者からくちぐちに、声。
たずねたタレントも、笑って一応、話を続ける。
「どこで?」
「遊園地ですっ」
「じゃあ、クリスマスプレゼント、何かもらった?」
「これ…」
取り出したのは、クマのキーホルダー。
くちぐちに、かわい〜ね〜とか、苦笑い混じり。
横目で見ていた彷徨が、つぶやいた。
「まー、こーゆーとこ、芸能人ってうまいよな」
彷徨は、くびをかしげた。
三太の返事が、ない。
玄関先から、ただいま、と声。
やっと帰ってきたか。
「あれっ、三太くん来てたんだ?」
ちゃぶ台の写真集。
テレビにうつる、超アイドル。
未夢はちょっと、むくれてみた。
「なによっ、ふたりしてキョウコにでれでれしてたのっ」
「おれじゃねーって…」
さらっと彷徨はながしてしまう。
ちょっとからかってやろうと思ったのに、おもしろくない。
こだわってても、しょーがない。
三太くんがファンなら、あまりごちゃごちゃ言うのもなんだし。
とりあえず、当りさわりのないことを言っておく。
「まーすごいよねぇっ、松戸礼子と親子2代で超アイドルだもんねぇ…」
三太はボーっとしたまま、つぶやいた。
「松戸…レイコ…」
「三太くん?」
声をかけても、うわの空。
彷徨も心配そうに見てる。
CMが流れはじめて、2本、3本。
三太が急に、立ち上がった。
「おれ、帰るわ」
どうこたえたものか、わからない。
「えっ、あ…うん」
「またな彷徨っ」
彷徨もなにやら、こまった感じ。
「ああ…っ」
三太はふらりと、茶の間から出た。
どこを見てるかわからなそうな、そんな目つきと足どりで。
テレビはまだ、キョウコをうつしていた。
◇
日暮れは早い。
夕やけが、あの日のように。
買ってきたキョウコの写真集。
表紙のほおに、夕日がはえて。
「レイコ…ちゃん…」
彼女がだれでも、関係ない。
あのときの気持ちは、忘れられない。
≪また…会えるかな?≫
きっと、会えるよな…きっと…。
三太はバイクのエンジンに、火を入れた。