哀しみブルー

作:英未


※「プチみかん祭2004 〜宇治金時雲仕立て〜」参加作品







 夏休みも終わりに近づいたある日の朝。

 西遠寺の鐘の音が町中に響いた。
 何かを振り切るように鐘を突くと、彷徨は暗い目で空を見上げた。
 吸い込まれそうな青空に、ぽっかりと白い雲が浮かんでいる。
 そういえば未夢と二人、鳥のから揚げだの群馬県だの、雲を見ながら言い合ったことがあった。
 ふっと、彷徨は笑った。そうだった、二人の意見が一致したのは「宇治金時」。食べ物を連想するあたり未夢らしいと思うが、自分もそう連想したということは、いつの間にか未夢の影響を多大に受けていたのかもしれない。

「宇治金時ねぇ」

 くっくと笑いながら、彷徨は眼下に広がる町並みを見回した。
 いつもと変わらない町並み。そして、夏の青空もいつもと変わらない。そんないつもと変わらない日常。でも、彷徨の心には、とてつもなく大きな穴が開いたようで、今日の空の青さが、やけに哀しい色に映る。つい昨日まで、あんなに明るく輝いていた色だというのに……

 そんな彷徨の心を映しているのか、青空に少しずつ、黒い雲が広がってきた。






 ふいに、誰かの声がした。
 ひょいと石段の下を見ると、未夢がこちらを指差して何かわめいている。そうこうするうちに、未夢が石段を駆け上ってきた。

「どうしたんだよ?」

 未夢のあまりの勢いに驚いたように彷徨が問いかけたが、未夢は彷徨を指差すと、ゼイゼイと肩で息をしながら、口をパクパクさせている。

「……? あ、わかった。エサを待つ鯉のまね」

 ぽんと手をたたいて、彷徨がおもしろそうに言った。

「そ…んなわ…け……ない…でしょっ!」

 やっとの思いで声を出しながら、未夢は彷徨をにらみつけた。その彷徨はといえば、「恐るべき勢いであの石段を上がって来たことを考えたら、今の状況で声を出せるって、ものすごいことだよなぁ」と、半ば感心しつつ、未夢を見つめている。

「な…んで……」

 言いかけて、未夢は咳き込んだ。

「ほら、無茶するなって」

 彷徨があわてて未夢の背中をさすろうと手を伸ばすと、未夢はその手を払いのけた。

「もうっ、私、怒ってるんだからね!」
「未夢?」
「なんで、彷徨はそうなのよ!」
「え?」
「少しの間でも、一緒にいたいって思ってるのに!」
「……」

 ぷいと未夢が横を向いた瞬間、あまりにも怒りが激しく勢いづいてしまったのか、未夢は石段の上でバランスを崩してしまった。
「きゃ」
「おい、未夢!」
 とっさに彷徨が未夢の手を引く。
「うわっ」
 未夢を抱きとめる格好で、石段を上がりきった所に、二人は勢いよく倒れこんだ。



「…大丈夫か?未夢」
 これで何度目だろう、彷徨が未夢の下敷きになるのは。
「う、うん……」


 未夢の返事を聞いて、彷徨は大きく息を吐いた。
 背中にひんやりした石の感触、胸には熱いくらいの未夢の体温………間違いなく、未夢はここにいる。そう思ったとき、ふっと彷徨の緊張が解けた。

 雲の合間から太陽が見える。
 空は少しずつ、青さを取り戻していて……
 思わずぎゅっと、未夢を抱きしめた。
 その瞬間、未夢は体をこわばらせたが、少しずつ力が抜けていった。やがて未夢は安心したように彷徨に体を預け、彷徨の胸に耳を当てた。


「彷徨、どきどきしてる?」
「なんだよ、急に」
「ん、なんかうれしいなぁって」
 えへへと未夢が笑う。先ほどまでの怒りはどこに消えたのかと思うほどの豹変振りに、彷徨は目をパチクリさせている。

「ねぇ、なんで一人でこんなとこにいたの?」
「なんでって……」
「私が今日帰るって分かってるでしょ?」
「…うん」
「だから少しでも一緒にいようねって、ゆうべ……」

 言いかけて、未夢は口をつぐんだ。

 そう、昨夜、二人きりで花火をした。
 少しでも彷徨と一緒にいたくて、自分から誘った。
 もうすぐ夏休みが終わる。それはまた二人が離れ離れになるということだから……



 離れたくないと、泣いた。
 彷徨の腕の中で、離れたくないと、泣き続けた。
 昨夜、そんなことがあったのに…… そんな未夢の気持ちを、彷徨は理解してくれなかったのだろうかと不安になる。



「…分かってる」
「分かってないわよ」
「分かってるさ」

 苦しそうに言う彷徨に驚いて、未夢は起き上がろうとした。

「いいって、このままで」
「だって、彷徨…」
「いいから……」

 そう言って彷徨は未夢を抱きしめた。

 分かってる。
 自分たちはまだ子供で、どんなにずっと一緒にいたいと願っても叶わない。
 未夢が自分の隣で笑っていることが嬉しくて、この夏休みの間そんなことは忘れていたけれど、昨夜の未夢の涙に、不意に現実に引き戻された気分だった。

 今の自分には、未夢をそばに留めておくことさえ出来ない……

 分かってる。
 大人になれば叶うであろうことも分かってる。
 でも、願っているのは今だ。他でもない、今なのだから……

 また、未夢の背中を見送るのかと思うと、無性にやりきれなくなる。
 こんなカッコ悪いところを、未夢に見せてしまうとは情けない。

「ほんと、情けないよな…」

 そんな彷徨のつぶやきが、未夢に届いたのだろうか……
「彷徨、ちょっと起き上がってもいい?」
「え? あ、あぁ」

 ゆっくりと起き上がると、未夢は彷徨の顔をのぞきこんで、にっこり笑った。

 青い空と、金色のひまわり。
 あんなに哀しい色に見えた青空が、明るく輝いている。
 彷徨には、そんな風に見えた。

「…彷徨、私……」

 ふいに、青空がまた哀しい色に戻った。

 ぽつ、と彷徨の顔に涙が落ちた。
 はっとして、未夢が顔を背ける。

「未夢」
「なんでもない、なんでもないから…」

 そう答える未夢の声は、切ないくらい哀しい。

「未夢」
「なんでもないから、ちょっとだけ、待って……ね?」

「未夢」
「…………」

 ゆっくりと、未夢が振り向いた。
 目に涙をためて、でも、にっこり笑って、彷徨にしがみつく。

 たまらなくなって、そっと、しっかりと、彷徨は未夢を抱きしめた。



 未夢の背後に広がる青空は、どこか哀しかった。

 彷徨の肩越しに見える青空は、どこか哀しかった。

 こんなにきれいな青なのに……


 でも、この青空の下で、二人は生きている。
 離れて暮らしていても、この空はつながっているから……
 だから、ちゃんと生きていける。



 でも……
 あと何度、こんな哀しい青空を見ることになるのだろう。

 それでも、それでも、いつの日か…………







 ふっと、彷徨の表情がゆるんだ。

「なぁ未夢、あの雲、何に見える?」
「え? どれどれ?」
「ほら、あの雲」
「えーとね、あれは…」

「「宇治金時!」」

 同時に答えて、二人は顔を見合わせて笑った。

「あのときと一緒だな」
「どうせ食べ物しか思い浮かばないわよ」

 すねたように言う未夢がかわいくて、彷徨は、顔がゆるんでいくのを止められない。


「あ、そうだ、彷徨」
 未夢の顔が輝いた。
「今から宇治金時食べに行こ!」
「おまえ、ほんとよく食べるよな」
「う… い、いいじゃない! ほら、宇治金時!今食べなきゃ!」
「なんで“今”なんだよ」
「もうっ! 彷徨と一緒に食べるのっ!」
 真っ赤になりながら、未夢が言う。

 そう、一緒に。残された時間はわずかだけれど、それでも……

「一緒にって、オレに食べさせろってこと?」
「…へ?」
「つ・ま・り…」

 にやりと笑って、彷徨が未夢の耳元でささやく。

「間接キス」

 ボンッと、スペースシャトルが打ち上げられそうな勢いで、未夢の顔がさらに赤くなる。

「誰もそんなこと言ってないでしょーーー!」
「なんだ、オレは別にそれでもよかったのに」

 しれっと言う彷徨に、未夢は思わず聞き返した。
「え? いいの??」
「…そうしたかったのか?」
 未夢の台詞に、彷徨も思わず聞き返してしまった。

「そ、そうじゃなくて……えと、えーっとねっ……」


 彷徨が笑った。

 未夢も笑った。



 空は、少し哀しみをたたえた青に映るけれど、きっといつか、こんな風に毎日笑って過ごせる時が来る。

 きっと、いつか、そんな日が……



「行こう、未夢」
「うん、彷徨」

 未夢の手を取って、しっかりと握った。それに応えるように、未夢もしっかり握り返してきた。



 二人の眼が合った……



 哀しい青色の空も、今だけは、ひまわりと一緒に明るく輝いている。
 この先何度哀しい青空に出会っても、今の空の青さを、また手に入れることができる。
 未夢がそばにいる限り、ずっと、ずっと……

 彷徨には、そんな風に思えた。









 青空と未夢の哀しそうな微笑、そんなイメージだけが頭の中にありました。それをどう表現すればよいのか分からないまま書いた小説が、昨年公開した「夏の残り香」でした。そうして今年、再度チャレンジしたのが「哀しみブルー」です。とはいえ、これもどう表現してよいのか分からないまま書いてしまいました。進歩ないですね(涙)

 ただ、壁紙だけは雰囲気を重視して、青空を用意していただきました(←進歩?)。自分で撮った空の写真を、山稜しゃんに加工していただいて、夏企画用に壁紙に加えて頂きました。写りの悪い写真でしたが、こんなにきれいにしていただいて感謝です。これで山稜しゃんも「“蕪”式会社スタジオ・エレガンス」の一員です(笑) さぁ、蕪の配当を増やしましょう♪(←嫌やって、そんなん)

 最後まで読んでいただいてありがとうございましたm(__)m
 少しでも、皆様の心に何かが残れば幸いです。


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