作:英未
空が高い。
どこまでも続く青い空に、ところどころ筋状の雲が浮かんでいる。
流れてくる風が、時折ふくらんでは凪ぎ、それを繰り返したゆたっている。
そんな風に運ばれてくる香りに、ルゥは不思議そうに辺りを見回した。
これは昨日ママに教えてもらった・・・・・・
ルゥは洗濯物をたたんでいる未夢の袖を引っ張った。
「きんもっしぇ?」
一瞬きょとんとした視線をルゥに送り、未夢はぽんと手をあわせて笑った。
「そう、キンモクセイ。ルゥくん、昨日教えてあげたこと覚えてたんだ!」
「きゃいっ!」
「さすがはルゥちゃま! 末は博士か大臣か! わたくし、ルゥちゃまの将来が楽しみです〜〜〜」
たたみかけの洗濯物を振り回しながら、ワンニャーも大喜びしている。
・・・・・・が、つとその手を止めて、ワンニャーは未夢を振り返った。
「キンモクセイといえば、昨夜はまたケンカなさってましたね。未夢さんと彷徨さん」
「・・・・・・そうだっけ?」
気のない未夢の返事におやおやと首をかしげながら、ワンニャーは続けた。
「ま、ケンカするほど仲がいいといいますしね・・・・・・」
「なっ、なんでそうなるのよっ!」
聞き捨てならなかったのか、ワンニャーの言葉に未夢はすぐさま反応してきた。
「昨夜、未夢さんは、近頃キンモクセイの香りがするようになったとおっしゃいましたよね?」
「うん」
「そうしたら彷徨さんが、『あぁ、トイレの芳香剤を思い出すやつ』っておっしゃったんですよね?」
「そう! 信じられないよね! キンモクセイのいい香りがするようになって、なんだか気分もうきうきするっていうのに、『トイレの芳香剤』よ! あの人、ほんとデリカシーがないんだからっ!」
ぐっと拳を握りしめた未夢の勢いにたじたじとなりながらも、ワンニャーは言葉を続けた。
「・・・・・・で、毎度のごとくケンカになって、お二人とも『つーーーん!』って状態でしたよね?」
「う、うん。まぁね・・・・・・」
きまり悪そうにこたえる未夢をおかしそうに見ながら、ワンニャーは更に言葉を続けた。
「でもしばらくしたら、お互い『仲直りしなきゃ』って気になったんですよね?」
「・・・・・・彷徨は、分からないけど、私は・・・・・・・って、なんで知ってるのよ? ワンニャー!!」
「未夢さん、分かりやすいですから」
ぐっと言葉に詰まる未夢をニヤニヤと眺めながら、ワンニャーは決め手のひと言を言い放った。
「だから彷徨さん、『未夢、お茶いれてくれ』って」
「・・・え?」
「そしたら未夢さん、『お茶くらい自分でいれなさいよ』とかなんとか言いながら、ちゃんといれてあげるでしょ?」
「それは、まぁ・・・・・・」
「で、彷徨さんが『サンキュ』ってちらっと未夢さんの顔を見るんですよね」
「そ、そうかも・・・・・・」
「未夢さんが、彷徨さんと普段通り話すきっかけができてほっとした表情をしてると、彷徨さんもほっとしたように笑うんですよ。そしてお二人は、視線を合わせてにっこりするんですよね。これは私の想像ですが、きっと心の中で『ごめんなさい』って言い合ってるんでしょうねぇ」
・・・・・・絶句。
さすがは自称「有能」なシッターペット。ほんとうにワンニャーはよく見ている。
「な、なんで・・・・・・ 別にキンモクセイとは関係ないじゃない・・・・・・」
はずかしくてあわてて話題を変えようとしている未夢に、ワンニャーはさびしそうに言った。
「きっとこの先、キンモクセイの香りをかぐと、そんな未夢さんと彷徨さんを自然と思い出すようになるんでしょうね・・・・・・」
そう言うと、ワンニャーは視線をルゥに戻した。
時折濃くなるキンモクセイの香りに手をたたいてよろこびながら、ルゥは外を眺めている。
「ルゥちゃまはまだこんなに小さくて、大きくなられたときどれだけ地球のことを覚えていらっしゃるか分かりませんが・・・・・・」
「・・・・・・ワンニャー」
風が一瞬ふくらんだ。
キンモクセイの香りが濃くなり、二人のまわりをたゆたって消えた。
「大丈夫ですよ。このキンモクセイの香りが思い出させてくれます。あ、キンモクセイだけじゃないですよ。お茶の香りとか、教えていただいた季節のお花とかこいのぼりとか、他にもみたらしだんごとかみたらしだんごとかみたらしだんごとか・・・・・・」
ぽりぽりと頭をかきながら、ワンニャーがにっこり笑った。
「オット星に帰っても、わたくしは未夢さんと彷徨さんのことは忘れませんし、ルゥちゃまとも地球の思い出話をたくさんしますよ!」
「・・・・・・ワンニャー」
涙ぐむ未夢に笑いかけると、ワンニャーは洗濯物をたたみ始めた。
「さ、未夢さん、これらをかたづけてしまいましょう」
「うん。そうだね」
その言葉に、未夢は涙を浮かべたままうなずいた。
「ね、ワンニャー、さっきの話ね・・・・・・」
「はい?」
「オット星にもキンモクセイってあるんだね」
「・・・・・・ありましたっけ?」
未夢とワンニャーは、え?と顔を見合わせた。
「・・・・・・ないの?」
「・・・・・・わたくしは地球に来て初めて知りました」
「え〜と、それじゃあね、オット星のお茶と地球のお茶って、やっぱりちがう?」
「はい、ちがいますね」
「オット星にはこいのぼりもないんだよね?」
「それも地球に来て初めて知りました」
「みたらしだんごも・・・・・・」
「はい、みたらしだんごも・・・・・・」
「・・・・・・それじゃ、どうやって私たちのことを思い出してくれるの?」
「・・・・・・そういったものがなくてもちゃんと思い出せる、と思います、けど・・・・・・?」
あはは、とひきつった笑いを浮かべながら、未夢とワンニャーは再び顔を見合わせた。
「ワンニャー?」
ぴきっと未夢のまわりの空気が凍った・・・・・・ようにワンニャーには思えた。
「未夢さん・・・・・・」
たらりと冷汗を流しながら、ワンニャーは硬直している。
凍てついた空気に首をかしげながら、ルゥが未夢に近寄ってきた。
「マ〜ンマ?」
そして不思議そうにワンニャーを見る。
「ワンニャ?」
ルゥの呼びかけが合図だったかのように、ワンニャーはぽんと手を打った。
「未夢さん! いい方法を思いつきました!!」
「え? なに??」
「トイレの芳香剤です! オット星に帰るときには、キンモクセイの芳香剤を大量に持って帰りますっっ!!!」
いや〜、わたくしってホント有能です〜〜〜と照れ笑いするワンニャーに、未夢の絶叫が突き刺さった。
「な、なんで彷徨もワンニャーも、こうデリカシーってもんがないのよーーーーー!!」
未夢の渾身の絶叫は西遠寺中に響き渡り、更にはちょうど外の石段を登りきった彷徨の耳にまで達した。
「おい・・・・・・」
聞き捨てならない未夢の台詞に目をすがめた彷徨の手には、スーパーたらふくの買物袋ともうひとつ、ビニール袋に詰められたキンモクセイがあった。
こんな台詞をぶつけられたとあっては、昨夜のお詫びにと思ってとってきたこのキンモクセイ、どうしてくれようか・・・・・・?
くすっと笑うと、彷徨は何事もなかったように門をくぐった。
まぁ、いいか。未夢のよろこぶ顔が見られれば文句はない。
それでも未夢が何か言い返してくるようなら、芳香剤代わりにトイレにぶちまけてやろう。
にやりと笑うと、彷徨は勢いよく玄関の戸を開けた。
数分後、未夢とルゥの歓喜の絶叫に重なるように、ワンニャーの懇願の絶叫が西遠寺を貫いた。
「彷徨さんっ! このキンモクセイをわたくしに譲ってくださいっっ! トイレの芳香剤を用意しようものなら、未夢さんが二度とわたくしにみたらしだんごを買ってくださらないっておっしゃるんですぅぅぅっっっ」
「は?」
「がなださ〜〜〜ん! もうがなださんだげがだよりですぅ〜〜〜」
ワンニャーが、涙ながらに訴えかけている。
「おい、未夢、説明してくれ・・・・・・」
三太ばりの大粒の涙をまき散らしながら抱きついてくるワンニャーにへきえきしながら、彷徨が言った。
「う〜〜〜ん、キンモクセイの香りが、ワンニャーにとって忘れたくても忘れられないものになったっていうのかな〜〜〜」
「・・・・・・? なんだよ、それ」
「デリカシーのないもの同士、ゆっくり話し合えば?」
べぇっと舌を出して、未夢が答えた。
「おまえなぁ、誰のために・・・・・・」
言いかけて、彷徨は、はっと口をつぐんだ。
これは、恩着せがましく未夢に話すことではない。
「・・・・・・・彷徨?」
何か言いたそうにする未夢に気づかぬふりをしながら、彷徨はワンニャーに向き直った。、
「・・・・・・ったく、ほら、ワンニャー、いいかげん離れろって」
もがきながらワンニャーを引っ剥がしにかかる彷徨に、未夢のためらうような声がかかった。
「あ、あのね、彷徨・・・・・・」
「なんだよ?」
面倒くさそうに未夢を見た彷徨は、未夢の真剣な表情に一瞬たじろいだが、ため息をつくと、意味ありげに言った。
「未夢、お茶いれてくれ」
未夢の顔が、ぱぁっと明るくなる。
「うんっ!」
そんな二人を見て、ルゥが笑った。
そんな二人を励ますように、キンモクセイの香りが濃くなった。
「ほらワンニャー、わかったから、いいかげん離れろって・・・・・・」
彷徨の苦りきった声に、未夢のうれしそうな声が重なった。
「ワンニャー、心配しなくても、ちゃ〜んとみたらしだんご、買ってあげるわよ」
「ほ、ほんとうですか!? ほんとうですね!?」
ぱ〜っとワンニャーの顔が明るくなり、うっとりと目を輝かせている。
「ワンニャッ! きゃーいっ!!」
キンモクセイの香りの中、ルゥが笑う。そして未夢も彷徨も、ワンニャーも。
この幸せな「時」を忘れない。
キンモクセイの香りとともに、いつまでも胸の中にしまっておこう。
みんなの笑顔が、そう語っていた。
この小説を頭の中で書いているうちに実生活で異動が決まりまして、その後は皆様ご存知の通り、himiという存在を極限まで消し去りました。多くの方にご心配をおかけしたようで申し訳なかったのですが、この「himi」という存在を今まで通り自分の中で認めていたのでは、正直現実世界から逃避していたと思われますし、きっと心が砕けていたと思います。何もそこまで・・・と思われるでしょうが、そこまでやるから「西遠寺英未」が存在するわけでして、そうでなければ何事においてもいい加減なことしかやらないでしょうね。教育課のポスターもメルマガも。いい加減なことをすると、結局他の方にご迷惑をおかけすることになりますのでやりたくないのです。
そんな状態の中で、ようやく「書いてみよう」という気持ちになりまして、少しずつ「himi」の存在を認めても良いかという方向にむかいつつあります。この小説もそんな気持ちで書いてみましたが、何しろ季節を外してしまいましたので、持越しかな(苦笑)。来年までデッドストックさせていただきましょう。
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・・・というあとがきを書いておりますが、けっきょく来年のキンモクセイの頃に公開予定を思いっきり繰り上げて、公開することとしました。新作をお待ちいただいていた方々へのお詫び代わりに・・・・・・