夏の残り香

作:英未



 
 夏休みも終わりに近づき、明日は西遠寺に遊びに来ていた未夢が自分の家に帰るという、そんな日の夜。ゆったりしたワンピースに身を包んだ未夢が、花火を手にして、彷徨の部屋を訪れていた。
 にっこり笑いながら花火をしようと誘う未夢を、彷徨は不機嫌そうに、でもどこかうれしそうな、そんな複雑な表情で見ていた。

 風呂上りということもあって、未夢の白い腕や首筋がほんのり上気していて、また髪も乾ききっていないからか妙に濡れたような色気があって、一緒に住んでいなければちょっとお目にかかれないような未夢の様子に、彷徨はため息をついた。

(・・・ったく未夢のやつ、オレが男だって意識してないな)

 それに、そのワンピースは・・・・・・

「あ、気がついた? これ、今日彷徨に見立ててもらったワンピだよ」

 えへへ・・・と照れくさそうに笑う未夢を前に、彷徨も思わず顔がほころぶ。

 今日の昼間、未夢に強引に連れ出されて、二人でOMACHIデパートに行ったのだった。あれこれ試着する未夢に付き合うのは正直うんざりだが、試着するたびに自分を呼んで、上目づかいではずかしそうに似合うかどうか尋ねられると、ま、たまにはいいかという気になってしまう。全くあきれるくらい、自分は未夢に弱い・・・と思う。

 今も状況は全く同じで、こう上目づかいに「ダメ?」なんてきかれたら・・・・・・

「・・・ったく、しょーがないな。バケツ用意してくるよ」

 自分の負けは目に見えている。

「ほんと! じゃ、先に縁側に行ってるね!」

 そんなふうにうれしそうに駆け出す未夢をみると、

(ま、たまにはいいか)

 思わず彷徨は苦笑した。
 本当にあきれるくらい、自分は未夢に弱い。





*****





「見て見て彷徨! この花火きれ〜だね〜」

「ああ、そうだな・・・」

 花火を始めてからずっと大はしゃぎしている未夢を、彷徨は縁側に座ってじっと見ていた。時々未夢に手渡されて花火に火をつけるものの、花火のあざやかな輝きより、未夢のあでやかな笑顔のほうに目を奪われる。
 当の未夢はといえば、彷徨のそんな気のない返事を聞くたびに、彷徨を軽くにらんでいるのだが・・・

(また、デリカシーがないとか思ってるんだろうな)

 心の中で苦笑しつつも、彷徨は未夢から視線をはずそうとはしない。
 こんな未夢の姿を見られるのは、今しかないから・・・・・・
 明日には、未夢はまた自分のそばから消えてしまう。会おうと思えばいつでも会えるけれど、会おうとしなくても顔を見られる今の状況は、本当に“今”しかないから・・・・・・



 ふっと最後の輝きがやんだ。



「あ〜あ、終わっちゃったね・・・」

 ぽつりとつぶやいた未夢の表情は満たされたものではなく、むしろどこか不安そうな色をしていた。

 手にした花火の残骸を、ため息とともにバケツに入れると、バケツの水に映った月が、ゆらゆらと揺れた。しばらくそんな様子を、未夢は物悲しげに見ていた。

「・・・未夢?」

 彷徨の問いかけに答えるように、未夢がちょこんと彷徨の隣に座った。

 そのまま二人とも何も言わず、月を眺めた。
 思い思いに・・・・・・
 でも、思っていることはきっと同じ・・・・・・



 ふいに、未夢が彷徨にからだを預けてきた。

「未夢・・・?」

 ため息をつきながら、あいかわらず未夢は月を眺めている。



「かくすなよ・・・・・・」

 びくっと、未夢のからだが揺れた。

「思ってることは、ぜんぶはきだせばいーだろっ?」

「・・・二度目だね、彷徨にそう言われるのって・・・・・・」

 ほっ、と息をはき出すように、未夢がつぶやいた。
 そう、あのとき初めて彷徨の腕の中で泣いたんだっけ・・・・・・

 思い出すだけで不思議となごんで、未夢は元気よく立ち上がった。

「だーいじょうぶっ! なんでもないよっ!」

 振り向きざまに、にっこり笑って未夢が言った。
 長い髪とワンピースのすそが、月明かりの中でふわっと広がった。それが彷徨には、なんだか未夢がそのまま空へ飛んでいきそうに思えて、思わず手を伸ばして未夢の腕をつかんでいた。

「・・・彷徨?」

 真剣なまなざしで自分の腕をつかむ彷徨を、未夢はふしぎそうに見ていた。
 でも、未夢のその瞳は、自分でも気がつかないうちに涙があふれそうになっている。

「彷徨? どうしたの?」

 つっと未夢の頬を涙が伝った。

「あ、あれ? なんで・・・私・・・」

「素直に言えばいいだろ? オレのそばからはなれたくないって」

 んべっと舌を出して彷徨が冗談めかしていう言葉に、未夢は思わず笑ってしまった。

「なに? その自信は」

「あのとき、未夢がそう言ったんだぜ?」



 二人の脳裏に、“あのとき”のことが浮かぶ。
 未夢の両親の帰国が決まり、彷徨の父親も西遠寺に帰ってくることになり、そして、ルゥとワンニャーもオット星に帰れると分かり・・・・・・



「あ、あのときはっ、彷徨だけじゃなくてルゥくんやワンニャーともはなれたくないっていう意味で言ったのっ!」

 かーーーっと赤くなりながら、未夢はむきになって言い返す。

「でも、今はオレだけだろ? ルゥもワンニャーもオット星にいるんだから」

 彷徨が未夢の目をのぞきこむ。

「う・・・、ほんとは、ちょっと・・・・・・」

 じーーーっと彷徨に見つめられ、未夢はしどろもどろに言い訳を始めた。

(や、やだ。なんでそんなに見つめるのよっ!)

「ちょっと?」

「またはなれるのは、いやだなぁって・・・。だって・・・・・・」

「だって?」

「・・・彷徨、もてるんだもん・・・・・・」

「は?」

 わけが分からないといった表情の彷徨に、未夢はずいと詰め寄ると、一気にまくし立てた。

「だって、彷徨ったらなんでか分かんないけどすごくもてるんだもんっ! 今日だってデパートでずっと女の子の視線浴びてたじゃないっ! おかげで試着してる間気が気じゃなかったわよっ! そんなの目にしたら、またはなれてる間不安で不安でしょーがないじゃない!!」

 ぜーはーと肩で息をしながら彷徨をにらむ未夢とは対照的に、彷徨はやけに落ち着いていた。・・・というより、未夢のあまりの勢いに、あっけにとられているといったほうが正しいかもしれない。

 それにしても・・・と彷徨は思う。自分にはそんな覚えは全くないけれど・・・、それって未夢のことじゃないのか・・・? デパートで未夢と並んで歩いているだけで、何人の男が未夢に色目を使っていたか・・・・・・。不安になるのはこっちのほうだ。



 一瞬、彷徨の眼がいたずらっぽく輝いた。
 そんな気配を察して、未夢ははっと身を硬くしたが、腕をひっぱられるまま彷徨のそばに引き寄せられると、いきなり彷徨のひざに座らされた。

「ちょっと、彷徨!?」

あわてる未夢などおかまいなしに、彷徨は未夢の目をのぞきこむ。

「・・・で、光月未夢さんは、なんでそんなに不安になるんでしょうねぇ?」

 にやり、と笑って、彷徨が尋ねた。
 こんなふうに、未夢が自分に友達以上の好意を持っていることは分かるのだけれど、未夢の口からハッキリ言われたことはない。「好きだよ」・・・そんな簡単なひと言を、自分だってまだ未夢に伝えられていないのだから、おあいこと言えばおあいこだが・・・・・・

「う・・・なんでって・・・・・・」

「なんで?」

「なんでもいいじゃない」

「よくないって。考えてみろよ? オレに見立ててもらったってワンピースをうれしそうに着てさ、夜も遅くにわざわざオレの部屋まで来るんだぜ? 期待しろって言ってるようなもんだろ?」

 かーーーーーっっと未夢の顔が上気する。

「そそそそそ、そんなつもりじゃないわよ! ただ、花火しよーと思って誘っただけだもんっ!」

「未夢、おまえさ、オレが男だって分かってるか?」

 真っ赤になりながら、こくんと未夢がうなずいた。
 時々、彷徨は男なんだと感じるときがある。今日だって彷徨の隣を歩きながら、思っていた。しばらく会わない間に、彷徨は身長が伸びた。肩幅も広くなった気がする。手も自分よりずっと大きくて、今だって自分の腰にまわされた彷徨の手を、妙に意識してしまう・・・・・・

「・・・分かってる。ちゃんと・・・分かってる・・・・・・」

「本当に?」

「ちゃんと分かってるからっ! ね、もう降ろしてよ・・・」



 彷徨が何か言いたげに未夢の目をのぞきこむ。

 はっと、未夢が目をそらす。

 彷徨を見ていたら、また涙が出そうになる。
 また明日から会えなくなってしまうから・・・・・・
 たしかに、会おうと思えばいつでも会えるけれど、会いたいと思ったその時に会えるのでなければ、未夢にとって、それは会えないことと同じだった。





*****





「分かった・・・・・・」

 ため息をついて、彷徨が急に立ち上がった。

「え? ちょ、ちょっと!」

 急に彷徨のひざから落とされそうになり、未夢はあわてて彷徨にしがみつく。
 その瞬間、彷徨が未夢を抱きしめた。



「・・・彷徨?」



 彷徨は、何も言わない。

 未夢も、何も言わない。

 それでも、お互いに、お互いが心の中で何と言っているのか、分かっていた。





「・・・か・・・なた・・・・・・」
「・・・ん?」
「・・・くない・・・・・・はなれたくないよぉっ・・・」



 離れて暮らすことになったとき、「いつでも会えるよね」とお互い笑いあった。それから何度かこうして会っているけれど、そのたびに思うことがある。



(会うたびに、別れがつらくなっていく・・・・・・)



 それでも、別れはやってくる。

 また会えると分かっているけれど、お互いの心は「ちがう」と叫んでいる。

 それでも・・・・・・

 それでも別れは、やってくる・・・・・・



「明日、ちゃんと駅まで送るよ・・・」

「うん・・・」

「だからさ、そのかわり・・・ってわけでもないけど・・・」

「・・・?」

「もう少し、このままでいてもいいか?」

「・・・うん」

 未夢がほほえんだ。

「私も、こうしていたい・・・・・・」

 彷徨の背中にまわした未夢の腕に、力がこもる。
 未夢を抱きしめる彷徨の腕にも、力がこもる。

 毎日そばにいられた夏休みのことを、また会える日まで鮮明におぼえていられるように、願いを込めて・・・・・・

 お互いの香りを、肌がおぼえるまで・・・・・・
 お互いの香りを、心がおぼえるまで・・・・・・

 そんな夏の香りが、いつまでも続くようにと願いながら・・・・・・

 二人は、決してはなれようとしなかった。






 
 最初に浮かんだラストシーンのイメージは、青空の下、未夢が髪をなびかせて、涙を浮かべた瞳でにっこり微笑んでいる・・・・・・そういうものでした。なのに、何故・・・(汗)
 多分ね、未久しゃんのイラスト(プチみかん祭参加作品「西遠寺の夜の出来事」)のイメージが強かったのだと思います。あのイラストは私のお気に入りでして、無意識にイメージしながらこの小説の花火のシーンを書いていたように思います。未久しゃん、どうもありがとう。


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