乙女の祈り

作:英未



 
 オルゴールの音色が響いている。
 澄んだ、清楚な音色が部屋中に響き渡り、心の中にしみこんでくる。
 同じフレーズを幾度となく繰り返し、ゆっくり、ゆっくり・・・・・・


 やがて、読み終えた本をそっと閉じた後のような、満たされた静寂が訪れた。



「『乙女の祈り』ですか・・・ 実にうつくしい音色ですね、クリスお嬢様」

 紅茶をカップに注ぎながら、執事の鹿田が、感嘆のため息をついた。

「えぇ、ほんとうに・・・」

 うっとりと、クリスが答える。

「私のお誕生日に、お母様がくださったのよ」

 そう言ってにっこりと笑ったクリスを、鹿田はうれしそうに見ていた。

「ようございましたね、お嬢様」

 ゆっくりうなずきながら、クリスは誕生日のことを思い出していた。





*****





『お誕生日おめでとう、クリスティーヌ』

 誕生日の朝、母が満面の笑みを浮かべてお祝いの言葉をくれた。

『誕生日おめでとう、クリス。また一段とすてきなレディになったね』

 母に負けないくらいの笑顔で、父もお祝いの言葉をくれた。

『ありがとうございます、お母様。それにお父様も』

 普段多忙な両親が、自分の誕生日に家にいてくれる。ほんとうは、家でこんなにゆっくりしている暇などないだろうに・・・。クリスにとって、こうして両親がそろってそばにいてくれることは、なによりもうれしいことだった。

『さぁ、クリス。これを開けてみて』

 そっと母が差し出した贈り物を、クリスは驚きながら受け取った。

『お母様、お誕生日のプレゼントなら、今夜のパーティで着るドレスをもういただきましたわ』

 そうは言うものの、毎年誕生日プレゼントは、事前に自分の意向を聞いて用意してくれるため、今まで誕生日当日に驚かされることはなかった。そのため、わざわざ今日まで秘密にしてあったこのプレゼントを、クリスはとてもうれしく思った。
 また、そんなクリスを、両親はにこにこしながら見守っている。

『何でしょう?』

 わくわくしながら、クリスは、きれいにかけてあるリボンをすっとほどいた。



『ま・・・ぁ・・・』



 それは、どうやら手作りのようで・・・・・・
 クリスは不思議そうに両親を見比べた。

『これは・・・?』

『クリスのおじい様が作られたオルゴールだよ』

 やさしく、父が言った。

『おじい様が・・・?』

『そうよ、クリスティーヌ。私の父、つまりあなたのおじい様が作られたの。ちょうど手紙が入る大きさで、ちゃんとオルゴールをつけて・・・』

 ふふ、と母が笑った。

『あなたのおばあ様にプレゼントなさったのよ。「婚礼の日を迎えるまで、これに二人の秘密をつめましょう」って・・・』

『まぁ・・・』

『そして、このオルゴールは私に譲られて・・・・・・ 今はこうして、あなたに譲ろうとしているのよ』

 そっと、両親が視線を交わした。照れくさそうに、幸せそうに・・・・・・

『どうして、わたくしに・・・? お母様の大切なものではありませんの?』

 とまどうクリスに、母はにっこり笑って答えた。



『だって、もう願いをかなえてもらったんですもの。次はあなたの番よ』



『願い・・・? それに、わたくしの番って・・・?』

 母は幸せそうに、父と視線を交わしながら、クリスに説明をしてくれた。



 母の母、つまりクリスのおばあ様からこのオルゴールを贈られたとき、母も今のクリスと同じことを尋ねたこと。すると「もう願いをかなえてもらったから、次はあなたの番よ」と言われたこと。その願いとは、すてきな殿方と結ばれて幸せに暮らすというものだったこと。そして、今度は、娘であるあなたの番だと手渡されたこと・・・



『お、お母様!!』

 驚いて、クリスはあやうくオルゴールを落としそうになった。

『あら、その反応まであのときのわたくしにそっくり・・・』

 くすっと笑う母を、父が困ったような面持ちで見ている。

『父親としては、正直複雑な気持ちだが・・・』

『お、お父様?』

『でも、私たちは、誰よりもクリスの幸せを願っているよ』

 やさしく微笑む両親を前にして、クリスは一生懸命涙をこらえていた。

『お・・・お父様・・・、お母様・・・』

 うれしくてうれしくて、涙がこぼれそうになる。
 普段めったに会えない両親が、こんなにも自分のことを愛してくれていることに、今さらながら気付いた。
愛されていないのかもしれないと思ったこともある。そんな自分がはずかしかった。

『いつも忙しくて、なかなかクリスのそばにいてあげられないけど・・・』

 そっと、母がクリスの髪をなでた。

『子供の成長って、本当に早いわね。あなたも、もう恋をする年頃なんですもの・・・』

 はっと、クリスは母の顔を見た。
 そんな話は、父にも、そして母にもした覚えはない。

 そんなクリスを見ながら、母はにっこり笑って言った。



『わかりますよ、私の大切な娘のことですもの』



『・・・願いがかなうといいね、クリス』



 あたたかく包み込むように母が言うことを、また、複雑そうな面持ちでありながらも、やさしく父が言うことを、クリスは感謝しながら受け止めていた。




*****





「そう、なんですけど・・・・・・」

 ふぅ、とクリスはため息をついた。

 誕生日の夕べに開かれたパーティ・・・ 両親は仕事があって出席はできなかったが、未夢や彷徨、その他大勢の友だちがお祝いに来てくれた。皆それぞれ工夫を凝らしたプレゼントを用意してくれていて、クリスは本当にうれしかった。

(でも・・・・・・)

 かすかな痛みがあった。ほんの小さな痛み・・・・・・
 いや、そう思いたいだけなのかもしれない。



「いやな人間ですわね、わたくしは・・・・・・」

 ふと頭をかすめた思いに、クリスはつらそうに言葉を吐いた。



 あの日、未夢と彷徨は、二人からだと言ってかぼちゃを使ったケーキをプレゼントしてくれた。

『まぁ、手作りですのね』
『うん、彷徨と二人で作ったんだよ』
『よく言うよな。ほとんどオレが作ったんじゃないか』
『いいじゃない、ちゃんと手伝ったんだから!』
『へぇー、つまみ食いのことを手伝いって言うんだ』
『な、なによっ、彷徨のイジワルッ!』

 そんな二人のやりとりは、周囲をなごませるようなほほえましいものだった。
 でも、そのほほえましさが、クリスの胸に突き刺さっていた。

 二人はいとこ同士だから、お互いを呼び捨てにしていても不思議ではない。
 二人はいとこ同士だから、彷徨が自分には見せたことがないような表情も、未夢に向けても不思議ではない。
 二人はいとこ同士だから・・・・・・
 それらはなにも特別なことではない・・・・・・

 でも・・・・・・

 なんとなく、それだけではないような気がする・・・・・・

 未夢と彷徨は、血のつながりといったことに関係なく、心の底から理解し合い、信頼し合い、かたく結ばれている気がする・・・・・・



 ふぅ、と、またため息をついたクリスの目に、ピンクのバラの花束が飛び込んできた。



(これは・・・・・・)

 誕生日に望がくれたバラ・・・・・・

『いつもなら赤いバラを贈るところだけど・・・』

 そう言って、望はマジシャンのようにどこからかスッと花束を取り出した。

『花小町さんのイメージなら、このピンクのバラが似合うと思うよ』

 差し出された花束は、花弁を幾重にも重ねた、可憐なイングリッシュローズだった。

『ありがとうございます、光ヶ丘くん』

 にっこり笑って受け取ったとき、ハチミツのように甘い香りが、ふわっと漂った。

『まぁ、いい香り・・・・・・』

 望がうれしそうに笑った。
 
 どきっ・・・とした。



『あ、花小町さん・・・・・・』

 呼び止めて、望は胸のポケットからスッと赤いバラを取り出すと、そっとクリスの髪に挿してくれた。

『僕としたことが、うかつだったな・・・・・・』

『え・・・?』

『花小町さんをイメージしてそのバラを選んだけど・・・・・・』

 ちらっとバラの花束を目に留めて、そして今度はクリスの髪に飾ったバラに視線を移し、望は言った。

『花小町さんの髪の色には、赤いバラのほうが映えるよ。そのリボンと同じように・・・・・・』

 どきっ・・・とした。
 以前父も、同じことを言ったから・・・・・・
 それ以来、クリスはいつも赤いリボンをつけている・・・・・・

『あ、あの、ありがとうございます。これ、も・・・・・・』

 髪に飾ってもらった赤いバラにそっと触れ、クリスはどぎまぎしながら望にお礼を言った。
 たいしたことないよと、笑って手を振る望の姿に、また、どきっ・・・とした。





*****





(おや・・・)

 クリスの表情がなごんでいることに、鹿田は気付いていた。
 先ほどまでのつらそうな表情とは一転して、今はおだやかに微笑んでいる。

「お嬢様、実にいい表情をなさっておいでですね」

 やさしく話しかける鹿田の声に、クリスははっとした。

「・・・鹿田さん?」

 鹿田は、冷めた紅茶をいれなおすと、ゆっくりと話し始めた。

「お嬢様、おつらいことがあった後は、必ず幸せが訪れるものですよ」

 何のことを言われているのか思い当たり、鹿田の観察力に驚きつつ、クリスは素直に話し始めた。

「・・・・・・わたくし、お母様から、願い事がかなうようにとこのオルゴールをいただきましたけど・・・・・・」

 そっと、クリスがオルゴールに手を触れた。

「願い事なんて、そう簡単にかなうものではありませんわね・・・・・・」

 そう言って、クリスはさびしそうに笑った。

「お嬢様、願い事が必ずかなうとは、わたくしも思いません」

 すっと、クリスの表情が硬くなった。

「願いごとをかなえる為に、その人も努力しなくてはなりません。けれど・・・・・・」

 すっと紅茶のカップを差し出して、鹿田がにっこり笑いかけた。

「願い事をかなえるコツというものがあるのですよ」



「コツ・・・?」



 半信半疑の面持ちで、クリスは尋ねた。

「願い事というものは具体的すぎてはいけませんし、段階を踏まねばなりません。でないとそれをかなえる神様も、そこまで手を回そうとしたらいったい何年がかりの大仕事になることか・・・。ですから、願い事は簡単に、かつ段階を踏んで。これが一番です」

「・・・でも、わたくしは・・・・・・」

 段階と言われても、どういう段階があるというのだろう。

 彷徨と寄り添って歩いていくための、段階・・・・・・?

「西遠寺様と・・・と思っていらっしゃるのですね」
「・・・!」
「その思いをとげようとすることは、大変すばらしいことだと思います。ただ、お嬢様・・・」
「無理だとおっしゃりたいのでしょう? わたくしも、なんとなく分かります・・・・・・」
 そう言って目を伏せたクリスに、鹿田はやさしく話しかけた。

「お嬢様、いきなり大きなお願い事をされても、神様がお困りですよ。まずは西遠寺様と、もっと気軽にお話できるようにお願い事をされてはいかがですか? 先は長いかもしれませんが、あきらめてはいけません。ですが、思い込みもいけません。ゆがんだ思い込みはお嬢様を幸せから遠ざけてしまいます。何事も柔軟に・・・・・・」

「鹿田さん・・・・・・」

「この鹿田、いつでもお嬢様を応援しておりますよ」

 両親だけではない。
 本当に自分の幸せを願ってくれているのは、両親だけではない。

「ありがとう、鹿田さん・・・・・・」

 にっこり笑ったクリスの目に、ピンクのバラの花束が留まった。

(あ・・・・・・)



『そのリボンと同じように・・・・・・』



 自分を心から愛してくれている父と同じことを言った望・・・・・・



(よく、見てくださっているのね・・・・・・)



 ピンクのバラが生けられた花瓶の隣には、望が髪に飾ってくれたバラを、クリスタルの鉢に浮かべて飾っている。

 なぜ、そんなことをしたのか、自分でもよくわからない・・・・・・



「お嬢様、オルゴールのねじを巻きましょうか?」
「ええ、お願いしますわ」



 オルゴールの音色が響き始めた。
 澄んだ音色が部屋中に響き渡り、心の中にしみこんでくる。



 祖母から母へ受け継がれた想い・・・・・・
 母から自分へ受け継がれた想い・・・・・・

 いったい、自分の未来はどうなるのだろう。

 誰と共に歩んでいくのだろう。
 誰と共に幸せになるのだろう。


 かなうものなら・・・彷徨と・・・・・・


 でも、もし、かなわないのなら・・・・・・



 それでも、自分は幸せになれる気がした。

 それはやさしいオルゴールの音色のせいか・・・・・・

 それとも・・・・・・自分の胸に突然咲いた、甘い香りのバラのせいか・・・・・・





 澄んだ、清楚なオルゴールの音色が部屋中に響き渡り、心の中にしみこんでくる。
 同じフレーズを幾度となく繰り返し、ゆっくり、ゆっくり・・・・・・



 やがて、読み終えた本をそっと閉じた後のような、満たされた静寂が訪れた。





 
 突然ですが、西遠寺英未のつっこみ。
>「オルゴールの音色が部屋中に響き渡り・・・」
まぁ、なんて音の大きなオルゴールなんでしょう(^^ゞ

 で、何が書きたかったのでしょうね、私は。・・・というより、どうして未夢も彷徨も望もクリスも、人が寝ようとすると頭の中で喋りだすのでしょうねぇ・・・(T-T) 私、また寝不足です・・・・・・(ため息)
 そんな状態ですから、ろくに見直さずアップ・・・大丈夫かしら(^_^;)


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