取るに足らない物語

はじまり

作:五月 芽衣


   今日、なんだか予感がしたの。

   ―――・・予感?

   そう、予感。

   ―――どんな予感がしたの?

   今日、ずーっと笑顔でいられそうって。ずっと、幸せな気持ちでいられそうって。

   ―――へ〜ぇ、良かったね!

   うん!





 朝の教室はいつもと全く変わりが無くて。
 なんだか小さくため息をついた。
 なんでなのか、わからないけど。

「おはよーっ!」
「おっはよーっ!!」
 パタパタと小枝子のそばへ行った。
 相変わらずの、小枝子の胸元。
「まーたリボン忘れたでしょ。」
「えへっ、ばれた?」
 いつもの会話。
 いつもの眺め。

 
 朝の会。日直の声。ガタガタと鳴る30余りの椅子。そろうことの無い制服姿。
 別に何をするわけでもない。
 新学期、あれだけ気にした挨拶の声も、あれだけ頑張った係りの仕事も、二学期に入ってからは、一生懸命まじめにやるということがなんだかつまらなく、ちっぽけなものに思えて。

 一時間目も二時間目も、何事もなく過ぎていった。
 がやがやした教室は、本当に落ち着きが無くて。人事ながら心配になる。
(皆、いいの?あたしたち、来年は先輩なんだよ・・・!もっと皆仲良く楽しくやろうよ!こんな教室嫌だよ!!)
 独りよがりな思いは、表を見ることなくしゅるしゅると消えていった。
 何もできない自分が情けなくて歯がゆくて、いつもの癖で指を重ねる。

(神様・・・本当にいるのなら、どうして私はこんな目にあわなくてはならないの・・・?私はただ、明るくて楽しい学校生活を求めているだけなのに・・・。ねぇ、どうしてなの・・・?)

 私に勇気があれば。
 皆に訴えて、呼びかけて、学級会を開いて、あの賑やかで笑いの耐えないクラスに戻れるかもしれない。
 私が信頼されているのなら。
 道をそれようとしている仲間たちに、正しい道を示せるかもしれない。
 少しでも今の状況に、波紋を広げることができたなら。
 少しでも今の状況から開放されれば。
 
 そこまで考えて、私は笑った。
 今の私に、そんなことができるはずも無かった。
 また、私が仲間だと思っている人たちが、それを望んでいるとも思えなかった。
 考えるだけ、時間と労力の無駄なのだ。
 わかっている。わかっているのだ。
 けど、割り切れない。
 どこか望みを捨てきれない。

 担任など、あっても無くても変わるまい。
 どうせ、一年の付き合いなのだ。
 ここまで荒んだ我が教え子を見ても、何も感じない先生になど、用はありはしない。
 あるのは、やり場のない怒りや不満を含んだ軽蔑の声のみ。

 不幸な先公だ。
 私たちのクラスになったばかりに。

 (お願い、助けて。)

 届くはずも無かった。
 期待もしなかった。



 

 三時間目、数学の時間。
 廊下側の小枝子と由紀が、いつの間にか居なくなっていた。
 後ろのドアは半開きで、すぅすぅと隙間風が通っていく。
 
 一人の男子がわめいた。

「さみーんだよ。誰だよ、開けっ放しの奴はよぉ。」
 窓際から応対する声が聞こえる。
「あれーっ?いねーのは、いつもドアを閉めろ閉めろってうるさい奴らじゃねー?」
「はんっ、言えてるーっ。」

 ぎゃははと品のない笑い声。
 調子付いた、奴が言った。

「おい、良幸ぃ、てめー閉めて来いよぉ。あぁ?」

「・・・・。」


 大柄な良幸が、肩をいからせる。
 眉間にしわが寄り、口を真一文字に結んで、彼は耐える。
 いつもいつも、何かとパシリに使われる、彼。
 奴のその言いがかりに、周りは笑って反応するだけ。
 なぜって?まともにやりあえるほど、常識のあるやつではない。彼のバックグラウンドには、学年一の不良がついていた。
 やりきれない彼の胸のうちを思うと、胸のそこから、大きくてどす黒いものがこみ上げてくる。








「・・・んじゃ、あんた閉めてくれば?」








 無意識のうちに、声が漏れた。
 一瞬の静寂。
 聞き逃してくれる・・・・はずがない。





「ぁあ?あんだとてめー。」



 あいつの目を、見ることすらできなかった。






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