聖なる奇跡 作:神山楓華

(この作品は、2002年12月から2003年1月にかけて開催された「Little Magic Da!Da!Da! Special Christmas」の出品作品です)


「何で俺だけ残らなくちゃならないんだよ!」


シャープペンシルの芯がポキっと音を立てて折れる。

危うくシャープペンシルごと机に叩きつけるところであった。

どうして彷徨がこんなに怒っているのかというと、理由は簡単だ。

半日しか授業が無かったのだが、委員会の仕事で一人だけ残された、ただそれだけ。

他の生徒はすぐに帰ってしまい、残っていても手伝おうとしない。

というよりも、あまりにも彷徨が怖いので近寄れないのだ。


「やっほーい!今日はクリスマスだぜ!!」

「…俺、告白したけどフラれたんだ。すっごいショック」


彷徨の神経を逆立てるように、クリスマスを喜ぶ声が廊下に響く。

あまりにも開放的な彼らを見て、ガタン、と荒々しい音を立てて椅子が床に落ちた。

その音からして、彷徨がどれだけ怒っているかが分かる。

廊下で騒いでいた彼らは、ピタリ、と硬直していた。


「…うるさいぞ。用が無いなら早く帰れ」

「「す、すいませんー!!」」


鋭い視線で睨まれていたので、すぐに彼らは立ち去っていった。

表面上から見るとそうには思えないのだが、彷徨は羨ましかったのかもしれない。

クリスマスを喜べず、誕生日を一人で過ごしてきた彼にとって、先程のは見せ付けられたのだと思う。

それで怒りを抑えられなかったのかもしれないのだ。


「何であんな奴らに怒ったんだろうな…」


溜息混じりに出てくる呟き。

その答えは自分自身も分からなかったのだ。

改めて、彷徨はまだ途中である作業を進めることにした。

教室が静かになると、普段聞こえない音が聞こえるものだ。

時計の秒針、窓から入ってくる風の音、廊下を歩く人の足音…


「あら、まだ残っていたの?ご苦労様」


教室のドアが開いたかと思うと、担任である水野先生が入ってきた。

手には最近買ったばかりのノートパソコンを持って。

彷徨は驚いたのか、持っていたシャープペンシルを床に落としてしまった。


「もう5時だから早く帰ったほうがいいわよ。…光月さんが1人で待っているかもしれないし」

「作業がまだ半分までしか終わってないんですけど…」


床に落としたシャープペンシルを拾いながら彷徨は言った。

相変わらず水野先生はニコニコと微笑んでいる。


「半分も終わっていれば十分よ。明日に作業が終われば間に合うわ」


何事も無かったかの様に、水野先生はまたニコニコと微笑んだ。

反対に、彷徨は水野先生を睨んでいる。

それもそのはず、この作業を今日中に終わらせなくても良かったのに、こんなに遅くまで居残りをさせられたからだ。


「先生…そういう事は早く言ってください」

「ごめんなさいね、こんなに遅くまで残すような事をして」


キーボードを叩く音が教室に響く。

彷徨は仕事の邪魔をしないよう、そっと残っている紙を机の上に置いた。

ふと窓の外に視線を移すと、チラチラと雪が降っているではないか。

白い雪を見ながら、彷徨はある事を考えていた。


『早く帰らないと未夢に怒られるな、きっと…』


帰りを待つ未夢の様子がありありと浮かんでくる。

それと同時に、未夢が心配で堪らなくなってきた。

というのも、一人で帰りを待っていてくれているのだ。

それなのに何一つしてやれない自分がとても恥ずかしい。


「西遠寺君、大丈夫?」

「あっ…大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけなので」


いつの間にかキーボードを叩く音が消えていた。

そう、いつの間にか。

未夢の事を考えている間の事は何一つ記憶に無いし、どれだけ時間が経っていたかも分からない。

この時、彷徨はモヤモヤとしたものが何なのかが分かった。

未夢に対する想いが本能を支配しているのである。

彷徨はそれを誤魔化すことも否定することもしなかった。


「あのー…もう帰ってもいいですか?」

「いいわよ。本当は早く帰りたかったのに引き止めちゃ悪いでしょ」


ありがとうございます、彷徨はそう言うと急いで帰り支度を始めた。

水野先生は先程から「私にも彼氏が欲しいなぁ」とキーボードを叩きながら言っている。


「それじゃあ気をつけて帰るのよ」


片手に鞄を持って教室を出ようとする彷徨に、水野先生は一言。

彷徨は頷くと静かに教室のドアを閉める。

そして、また静寂が訪れ、窓の外を見ながら呟いた。


「西遠寺君が羨ましいわ―…」


水野先生の呟きは白い息と共に消えていった―…










「ただいまー」


母屋の玄関を開けると、彷徨は未夢を目で探していた。

パタパタと廊下を走る音、僅かに頬を紅潮させながら未夢は玄関に来る。


「おかえり。今日は遅かったね」


彷徨は意外な言葉に吃驚した。

こんなに遅くまで待たしておいたのに、何一つ言わないでくれる。

これも未夢に惹かれた一つの理由であろう。


「本当にごめん、こんなに遅くなって…」

「ううん、全然気にしてないよ。彷徨が謝る必要は何処にも無いから…」


未夢が顔を上げると、自分を見つめる彷徨の優しい瞳。

普段なら絶対に見せてくれない優しい表情に、未夢は胸の高鳴りを覚える。

暫くその状態が続いたが、ふと、未夢の目の前でパンと手を叩く音。


「…未夢、大丈夫か?」

「大丈夫だけど…そんなに私が変に見えた?」


我に返った未夢が言った言葉に、彷徨は頷く。

確かに今朝から未夢は何をするにしても上の空であった。

今朝見た夢に原因があるようだ。


「あっ、そうだ。もうお風呂も沸かしたし、ご飯も作ったけど、どうする?」

「うーん…先に飯を食いたいんだよな」

「そう。制服が濡れているみたいだから、早く着替えてないと風邪ひくよ」


そう言って、未夢はタオルを差し出す。

その微笑みがあまりにも綺麗で、彷徨は顔を赤くしながらもタオルを受け取った。

お礼の一つでも言おうとしたが、いつの間にか未夢がいなくなっている。


「アイツ…絶対に何か隠してるはずだ。そんなに俺って頼りにくいのか?」



『ううん、違う。彷徨だから言えないの…』


少し離れた場所で、未夢は泣きそうになりながら呟いた。

声を漏らさないように必死に声を押し殺している。

彷徨が玄関を後にしたのを見届けると、溢れそうな涙を拭いて居間へ向かった。

密かな想いを胸に秘めて―…










「ん…いつの間にか寝ちゃったよ」


誰かに揺さぶられて、未夢は起きた。

まだ寝ぼけているのか、口調がいつもよりゆっくりだし、目も虚ろだ。

その様子を彷徨はクスクスと笑いながら見ている。


「早く起きないと飯が冷めるぞ」

「分かってるけど…もうちょっとだけ寝させて…」


コタツにまた突っ伏し、静かな寝息を立てて眠ってしまった。

そんな未夢があまりにも可愛くて、彷徨はそっと手で頬を抓る。


「痛い〜!離してよ〜」

「駄目。嫌だったら早く起きろ」


頬を膨らませながらも、仕方が無く未夢は起きた。

思いっきり抓られていたのか、頬が赤くなっている。

いつの間にか目の前にはお茶碗と箸が置いてあった。

恐らく彷徨が置いておいたのだろう。


「あーあ、腹減った」

「ごめんね、こんなに遅くなって。もう食べてもいいよ」


未夢がそう言った時には、もう先に食べてしまっていた。

でも、美味しそうに夕食を食べているのを見ると、何も言えなくなる。

とりあえず未夢は、自分が作った夕食を口に入れてみた。


「美味しい…」

「本当に今日のは美味いな。これだとあっという間に皿の中が空っぽになるぞ」

「そう?」


いつもだったら無理をしているような表情をするのだが、今日は全然違う。

未夢はジーっと彷徨を見ていたが、当の本人は何も気づかずに夕食を食べている。


「未夢、寝る前にちょっと俺の部屋に来てくれないか?」

「えっ…何で?」


夕食を食べ終えたのか、食器を片付けながら彷徨は言った。

いつになく真剣だったので、まだ食べ途中であった未夢の動きが止まる。

理由を尋ねると、顔を赤くしながらも話し始めた。


「いや…特に理由っていうのはないけど、とにかく大事な話なんだ」

「だったら今話せばいいんじゃないの?」


そう、本当ならば今話せばいいのだが、彷徨は恥ずかしくて後回しにしてしまったのだ。

そんな事を考えていたとも知らず、首を傾げる未夢が更に可愛くて、顔を真っ赤にする。


「と、とにかく!後でちゃんと来てくれよ」

「分かったから、もうちょっと落ち着いて。後は全部私が片付けるから大丈夫」


彷徨が持っていた皿を半分奪うような感じで受け取ると、未夢はテキパキと片付け始めた。

皿を受け取った未夢の手が僅かに震えていたのを本人だけが知っている。

先程まで二人で夕食を食べていた居間がやけに静かになっていた―…










「一体こんな遅くに何で呼んだのかな?」


風呂から出たばかりで、タオルを肩に掛けながら未夢は言った。

身体がまだ火照っているのか、ひんやりとした空気が心地よい。

何も考えずに歩いていると、あっという間に彷徨の部屋の前にいた。


「彷徨?」


何度か部屋の外から呼びかけたが、返事すら聞こえない。

いや、聞こえていないのだろう。

仕方が無く、未夢はそっと障子を開けて中の様子を窺うことにした。


「眠ってる…。今日は午後まで学校に残っていたから疲れちゃったのかも」


押入れに寄り掛かるように、彷徨はぐっすりと眠っているではないか。

その様子を見て、起こすのは可哀想だと思ったのか、未夢は優しく微笑みながら障子を静かに閉めようとした。


「…未夢?」

「あれ、起こしちゃった?」


まだ完全に障子を閉めたわけでもなかったので、彷徨の声にすぐ気が付いた。

結局やっている事は未夢と同じというわけだ。

少しでも気を抜くと眠ってしまいそうな状態である。


「ほーらっ、起きなさい。私を呼び出したのは誰よ」

「…もう少し寝させてくれ…」


問答無用、と言わんばかりに、眠ってしまいそうな彷徨の目の前で手を叩いてみせる。

あまりにも大きな音だったのか、吃驚して目が覚めたようだ。


「今度は起きたよね?」

「ああ…」


こういうのを天使の微笑みというべきか、それとも、悪魔の微笑みというべきか。

彷徨はどちらでも可愛いと思ってしまっているので、どちらでも構わない。


「ところで、話って何なの?」


未夢がそう訊ねた瞬間―

突然の出来事であった。

少し強引ではあったが、未夢の腕を掴んで、自分の方に引き寄せたのだ。

そして、未夢を優しく包み込むように抱きしめる。


「彷徨!?」


未夢は抱きしめられた瞬間、何があったのか分からなかった。

抱きしめられていると分かると、今度は暴れたが、それを彷徨が許すわけがない。

更に強く抱きしめ、これ以上強く抱きしめたら一つに溶けてしまいそうなぐらい強く。


「…今日見た夢と何か似てる」

「どんな夢を見たんだ?」


彷徨が着ている服をギュッと掴むと、未夢は呟いた。

必死になって顔を隠そうとしていたが、誤魔化せない。

首まで真っ赤になっているのだから。


「…誰かに抱きしめられた夢。真っ暗な中、誰かに抱きしめられたの。今みたいな感じに」

「もしかして今でも怖いのか?」


コクリ、と未夢は頷く。

優しく背中を擦ってやりながらも、彷徨はその“誰か”に嫉妬していた。

それと同時に、独占欲も生まれる。


「未夢、」


優しく呼びかけると、そっと未夢の柔らかい唇に軽く啄ばむように口付けた。

時間では一瞬であったが、二人にとっては長い時間と感じる。

名残惜しそうに唇を離し、未夢と真正面に向き合う形となった。


「未夢、一度しか言わないからよく聞いてほしい」


いきなりキスをされたということもあってか、未夢は顔を真っ赤にさせている。

顔を隠そうとしている未夢を真っ直ぐ向かせると、彷徨は顔を近づけた。

誰も近づけない世界で一番近い距離で、小さく囁いたのだ。


「好きだ―」

「っ…」


その言葉を聞いた瞬間、未夢の頬を一筋の涙が伝う。

これは夢ではないか、と思いながら。

でも、彷徨は顔を赤くしながらもいつになく真剣だった。


「先に言われちゃったね。…でも私、凄く嬉しい。こうやって彷徨が言ってくれるなんて思ってなかったから」

「今年のクリスマスは聖なる記念日だな」


彷徨の言葉に、苦虫を潰したような顔をする未夢。

どうやら今日がクリスマスだということを忘れていたようだ。


「ごめんね…」

「いいよ。未夢が傍にいてくれれば俺は何も望まないから」


未夢の目にうっすらと浮かぶ涙を指で優しく拭いてやる。

そう、プレゼントなんていらない。

ずっと、ずっと、未夢が傍にいてくれるだけで幸せになれるのだ。


「本当にいいの?後で後悔しても知らないから」

「ああ…分かってる」


未夢を包み込む、彷徨の力強いけど優しい腕。

確かな温もり。

大好きな人と一緒にいられる幸せ。

そう感じているうちに、未夢はいつの間にか眠ってしまった。


「もう寝たのか?」


彷徨の腕の中で、安心したようにスヤスヤと安らかな寝息を立てて未夢が眠っている。

本当ならば傍にいたかったが、起こさないように抱き上げると、自分の部屋を後にした。

廊下はヒンヤリとしていてとても寒い。

しかし、彷徨は心も身体も温かかった。

未夢の部屋の障子を開け、予め敷いてあった布団にそっと身体を下ろしてやる。

毛布を掛けてから部屋を出ようとしたが、彷徨はある事を思い出した。


「未夢、おやすみ」


そう言ったと同時に、頬に口付けた。

聖なる夜に交わしたあのキス、未夢はちゃんと覚えていてくれるだろうか。

優しく微笑むと、彷徨は静かに障子を閉めた。

聖なる夜に生まれた奇跡を、二人は一生忘れる事は無いだろう。


「Merry Christmas!」


何処かでそんな声が聞こえた。


Fin

はい、クリスマス小説です。
短編とか言っておきながらもすごーく長いです。
今回はある意味初挑戦ということで、原作をネタにしています。
気が付いたでしょうか?
一番苦労したのは…女心(笑)
同性なのにめっちゃ苦労しました。
それでは、よいクリスマスをお過ごしを。
そして、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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