作:日秋千夜
「…こんな時間に,何やってんだよ?」
急に背後から声をかけられて,未夢はびくっと肩をすくめた。
「……彷徨?」
おそるおそるふり返ると,上半身を起こした彷徨と目が合う。
寝起きらしく,少しとろんとした眠たげな瞳。
「起こしちゃった?ごめん…」
未夢はバツの悪そうな顔をして彷徨に謝った。
時計の針はすでに12時を回ろうかというところだ。
彷徨を起こさないようにと,電気を点けずに懐中電灯の灯りだけで
動き回っていた未夢だったが,そのちらつく光が却って災いしたらしい。
「ごめん……辞書だけ借りたら,すぐに出て行くつもりだったんだよ〜」
小さな声でもう一度謝る未夢。
「……辞書?」
「うん。わたし,学校に置いて来ちゃったみたいなんだよね。
英語の宿題出てたの忘れててさ」
「…あ〜,そういやあったな。何,まだやってなかったのか?」
「だ,だから忘れてたんだってば。提出明日だし,今からやるんだよ〜」
情けなさそうに弁解する未夢のそばで,彷徨は両腕を高く上げ,
ん〜っと伸びをした。
その伸ばした手で,部屋の電気を点ける。
突然の明かりにまぶしそうに顔をしかめながら,彷徨は本棚の英和辞典を
掴み,未夢に差し出した。
「ほら,これだろ?」
「う,うん。ありがと…。起こしちゃって,ほんとごめんね。
じゃ,おやすみなさい…」
何度目かの「ごめん」をつぶやいたあと,未夢は彷徨の部屋から出て行く。
そのまま静かに戸を閉め,歩き出した。
すると,閉めたはずの扉が再び開く音がした。
「……?」
ふり返ると,そこにはまだ少し眠そうにあくびをする彷徨の姿があった。
自分の肩に手をやり,ゆっくりと回しつつ,彷徨が少しぶっきらぼうに言う。
「どうせもう,目覚めちゃったからな。終わるまでつきあってやるよ」
「…ありがと」
思いがけない彷徨の言葉に嬉しさを抑えきれず,未夢は顔をほころばせた。
◇◇◇◇◇◇
「さ,ぱっぱっとやっちゃわないとね〜」
ばらばらっとちゃぶ台の上に勉強道具が広がる。
目覚まし用にと,二人分のお茶を入れた後,未夢は宿題に取り掛かった。
ちゃぶ台の角をはさんで右側に,彷徨が本を片手に座っている。
「英語の歌の和訳なんて難しいよね〜。それに,みんな違う歌でしょ?
誰かの写すってのもできないし」
「ああ…まあな。それに,『教科書を訳すみたいにじゃなく,
できるだけ感情を込めて訳してこい』ってのが結構難しかったかなぁ」
読んでいた本から目を上げて,彷徨が答えた。
宿題のプリントとにらめっこしていた未夢が,ふと問い掛ける。
「彷徨はこれ,いつやったの?」
「あぁ,宿題出た日に」
「えっ?すごい,早かったんだね」
「オレが当たってたやつ,偶然三太と同じのだったんだよ。
だから手分けしてやった。結構早く終わったぞ」
彷徨は未夢の方を向いて,少し自慢げに笑ってみせる。
その様子を見て,未夢が少し頬をふくらませる。
「え〜,ずる〜い。全員違うわけじゃないなんて知らなかった。
わたしも誰かと一緒にやったらよかったなぁ〜」
「……って,そういう話してるヒマないだろ?早くはじめろって。
寝る時間なくなるぞ」
「わ,わかってるよ〜」
彷徨に促されて,ようやく未夢はプリントに目を落とした。
部屋に静寂が訪れる。
聞こえるのはさらさらというシャーペンの音と,時計の針が
時間を刻む音だけ。
そんな時間もつかの間,シャーペンの音が止み,再び未夢が
彷徨に話し掛けた。
「ねえ,guessってどういう意味だっけ?」
「…『推測する』,とか『…だと思う』,って意味だろ」
「あ,そっか……」
また静かになる部屋。
と,
「ね,be not enough to 〜って,どういう意味だっけ?」
「……『〜するのに十分ではない』じゃなかったか?」
「ああ,そうだっけ……」
未夢は再びプリントに目を落とし,シャーペンを走らせる。
しばらくうつむいたまま,和訳に没頭する。
3度目に未夢が彷徨の方を向いた時,じっとこちらを見つめる彷徨と
目が合った。
「……な,なに??///」
「おまえさ……オレに聞いてばっかだと,辞書借りた意味ないだろ」
「だ,だって…彷徨に聞いた方が早いんだもん」
私辞書引くの苦手だし,と口の中で呟いて,うつむく未夢。
そんな未夢を見て,やれやれといった様子で彷徨は小さく溜め息をつく。
「……で?何がわかんないの?」
「……え」
「お前が1人でやってたら,オレもいつ寝られるかわかんないしな。
ほらっ,さっさと終わらせて寝るぞ。次,なんだ?」
「……うん。じゃあ……」
彷徨にわからない単語を聞きながら,未夢は少しずつ宿題を
完成させていった。
◇◇◇◇◇◇
「……できたぁ〜〜〜〜っっ!!!」
やがてかなり夜もふけた頃。
西遠寺に未夢の嬉しそうな声が響いた。
レポート用紙を片手に,飛び跳ねて喜ぶ未夢。
「おい,あんまり騒ぐと,親父たちが起きるぞ?」
声をひそめて彷徨が未夢をたしなめる。
「あ,そうだった。つい嬉しくて……」
はたっと現在の状況に気付いて,未夢は声のボリュームを落とす。
そのまま小さな声で,未夢は彷徨に心からのお礼を言った。
「や〜,ありがとう彷徨。彷徨のおかげで,すごく早く終わらせられたよ〜」
「……いや,まだ終わってないぞ」
「??」
予期せぬ彷徨の言葉に,未夢は首をかしげる。
「……?終わってないって…??」
「だってオレ,まだその訳聞かせてもらってないもん」
「えっ!?これ,読むのっ?!」
恥ずかしいよ〜と手をジタバタとさせる未夢を,彷徨がジト目で睨む。
「あったりまえだろ。手伝ってもらっといて,聞かせないつもりか?」
「う〜〜っ。…………わ,わかったわよ〜」
しぶしぶ同意する未夢。
彷徨は待ってましたとばかりに頷いて,読んでいた本を机の上に伏せた。
「よ〜し,じゃあ聞かせてもらおうか。で,まず曲名は何て言うんだ?」
「…8 days a week」
「エイト・デイズ・ア・ウィーク??」
首をかしげる彷徨。
「ふ〜ん,聞いたことあるようなないような…。ま,いいや。
はい,いってみよ〜」
絶対に笑ったりしないでね,と何回も念を押してから,
未夢が訳を読み始める。
その澄んだ声が室内に響いた。
――――――――――――――――――――――――――――
あなたの愛がいるの,ねえ,知ってると思うけど
あなたにもいるんだといいな,
わたしの愛がこんなふうに
抱きしめて そして愛して ぎゅっと抱いて 愛してほしい
ほかにはなんにもないけど,一週間に8日 愛してる
――――――――――――――――――――――――――――
(……/////////////。
こ,これってかなり恥ずかしいかも…。これじゃまるで,
わたしが彷徨に告白してるみたいじゃない??///////)
読み進めるにつれて,未夢の顔がどんどん真っ赤になっていく。
赤くなってるのを悟られまいと,自然と顔がうつむいてしまう。
(ど,どうしよう…最後まで読まないとダメかなあ…///////)
じっと未夢を見つめる彷徨の視線を感じて,余計に顔が上げられない。
うつむいたまま,小さな声で未夢の朗読は続く。
――――――――――――――――――――――――――――
毎日あなたを愛してる 寝ても覚めても想ってる
これだけはほんとにほんとのことなんだけど
いつもあなたのことだけ愛してる
抱きしめて そして愛して ぎゅっと抱いて 愛してね
ほかにはなんにもないけど,一週間に8日 愛してる
――――――――――――――――――――――――――――
―――ガタッ。
急に物音がした。
未夢が驚いて顔を上げると,―――その時はもう,彷徨の腕の中に
すっぽりと収まってしまっていた。
「えっ…やっ,な,なんで……??!!//////」
「…だってお前,こうしてほしいって言っただろ?」
頭のすぐ上から,彷徨の声が聞こえる。
そのあまりの近さに,未夢の胸がどくんと高鳴る。
「ち,違…っ!!こ,こ,こ,これは歌詞だってば〜〜/////」
「だ〜め。もう,今更言っても遅い」
身じろぎしようにも,しっかりと抱きしめられてしまってるので
それもできず。
ドキドキしすぎて,呼吸が止まりそうになる。
これ以上ないくらい顔を赤くして,未夢が黙ってうつむいていると,
耳のすぐそばで,彷徨が小さく問いかけた。
「……いやだった??」
「えっ…?」
少し不安げな彷徨のその声に,ぎゅっとつぶっていた未夢の目が
自然と開いた。
ふと,未夢の瞳に,肩に回された彷徨の手が映る。
指先が少し震えてるのがわかった。
(彷徨…緊張してる……?)
わたしと同じなんだ。
そう思ったら,胸のドキドキが少し収まったような気がした。
耳まで真っ赤になったまま。
本当に小さな,小さな声で,彷徨に応える。
「…ううん。
ううん,いやじゃないよ。なんか・・すごく暖かい。す,すごくね……
気持ちいい/////」
「……オレも」
しばらくじっとその体勢のまま,互いの鼓動を確かめる。
とくん,とくんというリズムに,ドキドキ感とはまた別の,
温かく愛しい気持ちが湧き上がる。
顔を上げた未夢の瞳と,優しく見下ろす彷徨の瞳が出会った。
「……////」
そっと,未夢がまぶたをおろす。
ゆっくりと彷徨の顔が近付いて―――――
「―――――――――で,ここで暗転と。
ん〜,我ながらすごく良い出来じゃない?
この詩読んでたらもうアイデア膨らんで膨らんで。
今度の劇は恋愛系やってみよっかな〜,な〜んて思っちゃったり。
ほら,タナカとユミっていいキャラだったし。他の話でも使ってみたいよねっ。
ってわけで,今度演劇部で上演しちゃおっかなぁ,とか思ってるんだけど,
どう思う???
……って,あれ??西遠寺くんと未夢ちゃん,なんか固まってない???
そんな真っ赤な顔しちゃって,どうしたの??
あっ,どこ行くのよ,西遠寺くん!!授業始まるよ〜??
あっ,未夢ちゃんも?!
お〜い,二人とも〜!!!…なんだろ?どしたんだろイキナリ…」
一気にまくし立てていた綾だったが,ギャラリーの突然の逃亡により
1人取り残されてしまった。気を取り直して,次の英語の授業のために
宿題のプリントをカバンから出す。
提出前の最後のチェックをと,綾は昨夜書き上げた訳に目を通す。
「やっぱいいよねぇ〜。ビートルズって,さすがだわ〜……」
――――――――――――――――――――――――――――――――
一週間に8日,わたしはあなたを愛してる
一週間に8日って言っても,私の気持ちを表すには全然足りないの
抱きしめて そして愛して ぎゅっと抱いて 愛してね
ほかにはなんにもないけど,一週間に8日 愛してる
一週間に8日。誰がなんて言ったって,一週間に8日。―――――
――――――――――――――――――――――――――――――――
綾の宿題と未夢の宿題の詩が同じだったことは、彷徨と未夢だけの秘密。
end
こんにちは。さららです。
李帆さんのサイトにプレゼントしてた作品を少し改良して載せてみました。
わたしにしてはラブ度高めです(?)。
あ,ちなみに中で使用してる曲は,かのBeatlesの「8 days a week」
で,日本語訳は奥土祐司さんと江国香織さんのを参考に,適当にアレンジ
して作りました。
曲聞いたインスピレーションで書き上げてしまった話なので,
細かいところで???ってところがあるかもしれませんがご容赦を。
作者自身は大変楽しんで書けました(^-^)
また機会があったら,原曲も聞いてみてくださいね〜。