作:OPEN
夜の10時を過ぎると、もう平尾町にも外に人通りがほとんど無くなる。
見えるのは、家に早く帰ろうとする勤め帰りの人か、これから遊びに繰り出そうという学生くらい。
もっともこの町では後者はほとんど居ないが。
彷徨は家への帰り道を急ぎながら腕の時計を見た。
午後10時10分。
いつもなら風呂に入って一休みしている時間だ。
(もうみんな休んじまってるかな。)
カバンを肩に掛け直すと、心持ち早足になって、シャッターが全て降りている商店街の通りを通り抜ける。
学級委員長に特別手当はないのだろうか、と彷徨は今日一日を振り返って考える。
今学期が終わり、来年度に向けて与えられた予算をどう使うか、代表会議でそれを話し合っているうちにいつの間にか外は暗くなっていた。
もっとも、重要な事はほとんど今日決めてしまったから、もうこんな事はないだろう。
冬の寒さが突き刺すように襲ってくる。
寒さを紛らわす為にも走って帰ろうと決めた。
石段を一気に駆け上がり、西遠寺の門をくぐった所で、彷徨は立ち止まった。
家の中から障子越しに灯りが漏れている。
(まだ起きてるのか?)
ワンニャー辺りが片付けでもしているのか。
彷徨は扉に手を掛けると、大きな音を立てないように注意してそっと開けた。
「ただいま。」
起こさないように小さな声で言う。
返事は無かったが、台所の方からは洗い物をしているような水音と、カシャカシャという音が聞こえてくる。
「ワンニャーか?」
ひょいと中を覗き込むと、流しの前に立っている後姿が目に入った。
ワンニャーではなく、もう一人の同居人。
「未夢?」
「あ、お帰り。」
振り返った未夢は洗い物をしやすいようにか、髪を後ろで一まとめに結っていた。
「まだ起きてたのか?」
「だって、彷徨がまだ帰ってきてなかったから。」
ニッコリ笑う未夢に少し驚いて、
「そんなの、先に寝てても良かったんだぞ?」
「ん〜、まあいいじゃない。彷徨、ご飯まだだよね?あ、それともお風呂先にする?」
何だかはぐらかされたような気がしたが、とりあえず彷徨はさっきから鳴っている腹の虫を大人しくさせるのを優先する事にした。
「じゃ、メシ。」
「はいはい、ちょっと待っててね〜。」
簡潔な答えに頷くと、未夢は台所にとって返した。
程なくしてテーブルに座った彷徨の前に、湯気の立つ夕食が運ばれてくる。
「お、今日はコロッケか。中身は?」
「エヘヘ〜、何だと思う?」
そう言われても食べない内から分かるはずも無い。
未夢は髪を結っていたゴムを解きながら彷徨の正面に座った。
「まあまあ、まずは召し上がれ。」
「・・・頂きます。」
促されるままに箸を取ってコロッケを口に運ぶ。
途端に広がる甘みを帯びた懐かしい味。
「カボチャか?」
「あったり〜、さっすが彷徨。」
彷徨の正面に頬杖を着いて嬉しそうに言う未夢。
なるほど、妙に楽しそうだったのはこれでか、と彷徨は納得した。
「けどこれ、美味いな。ワンニャーが作ったのか?」
「ううん、私。」
「え!?」
箸を持ったまま固まる彷徨。
はっきり言ってワンニャーと比べても遜色ないくらいおいしくできている。
彷徨の反応に未夢は不満げに頬を膨らませた。
「むぅ、何よその『え!?』ってのは。私がおいしいカボチャ料理を作るのがそんなに意外?」
「いや、そういうわけじゃ・・・。」
彷徨はギクリとして目をそらした。
実際、未夢の料理の腕前の著しい進歩は彷徨もとっくに知っている。
ただその進歩具合が自分の予想を越えていたという話だ。
「ふ〜んだ、いいですよ〜。私がおいしい料理を作る事なんて、天地万物全宇宙の摂理に反することだもんね。」
「何もそこまで言ってないって。」
「い〜です、い〜ですよ〜だ。今度作る時は全部ルゥ君にあげるから、彷徨はワンニャーの作ったお〜いしいカボチャコロッケを食べれば〜?」
腕を組んでそっぽを向いてしまった未夢に彷徨はやれやれとため息をついた。
本気ではない、それはこれだけ付き合いが長ければ分かる。
とは言え、ここは自分が謝るのが筋というものだろう。
「悪かったよ、ホントにうまい。また作ってくれよ、な?」
しばらく沈黙が流れた後、目を逸らしていた未夢がクスクスと笑い始めた。
ホッとした彷徨も、つられて笑みを漏らす。
「ま、そこまで言うなら許しましょう。」
「サンキュ。」
「はい、これお味噌汁ね。熱いうちに食べて。」
「ああ。」
差し出された味噌汁を、息を吹きかけて冷ましながら彷徨はふと気付いて、
「なぁ、ルゥとワンニャーはどうしたんだ。」
「ルゥ君はもうとっくに寝ちゃったよ。ん〜と・・・8時くらいかな。ワンニャーは彷徨が帰ってくるまで起きてるって言ってたんだけど・・・。」
「けど?」
彷徨が聞くと、未夢はおかしそうに、
「ルゥ君寝かしつけてる間に一緒に寝ちゃったの。起こすのも可哀想だから布団だけかけてあげた。だから今は二人一緒の布団で寝てるよ。」
「そっか。」
彷徨は微笑んで味噌汁を一啜り。
そんな彼を未夢はしばらく見ていたが、「そう言えばさ、」と話を振ってきた。
「今日は何だったの?何か話し合いがあるってことしか聴いてなかったけど。」
「学校の予算案。校長があんなだから俺達がしっかりしないと。」
「・・・まあ、あの校長先生だもんね・・・。」
当てにされていないこと一目瞭然の台詞である。哀れ校長。
「けど校長が『サルを主題にした出し物をやってくれれば予算は年間無制限です!』なんて言い出すもんだからそれで大騒ぎになってさ・・・。」
「あはは、言いそうだよね〜校長先生。」
「だろ?」
手を口に当てて楽しそうに笑う未夢を見ながら彷徨はふと、二人で夕飯を食べるのはすごく久しぶりだな、と思った。
「ごちそうさま。」
「はい、おそまつさま。」
「さて、風呂にでも入るか。」
「もう、そんなすぐに入ったらお腹に悪いよ?そうだ、ちょっと待ってて。」
未夢は立ち上がって台所に向かう。
何かと彷徨が腹をさすりながら待っていると、持ってきたのはホットココアだった。
「お、ナイスタイミング。」
「ふふ〜ん。準備いいでしょ。」
「ああ。決してあっためてあったのを忘れてたワケじゃないんだろ?」
「・・も、もちろん。」
平然とココアを啜る未夢だったが、その額に汗が流れたのを彷徨は見逃さなかった。
(やれやれ。)
少し苦笑いを浮かべながらも、口に広がる暖かさと甘さにはつい頬が緩む。
寒い所に長い時間居たからだろうか。
こうやってゆっくりと美味しいものを食べるのは、とても心地良かった。
「甘いな。」
「まあココアだからね。」
微笑みながらカップを傾ける未夢。
帰れば迎えてくれる、暖かい部屋
自分の為に頑張って作ってもらった美味い食事。
そして・・・。
(こいつも、かな。)
どうしてこんな時間まで起きていたのかは分かる。
待っていてくれたんだろう、遅く疲れて帰ってくる自分を。
「甘いなぁ・・。」
ポツリと、ごく自然に言葉が漏れた。
「?そんなに甘かった?砂糖そんなに入れてないんだけどなぁ。」
「いや、ココアじゃなくて。」
首を傾げる未夢に彷徨は笑って首を振る。
「じゃあ何?」
「・・いいよ。何でも。」
実際、彷徨にはどうでも良くなってきていた。
お腹いっぱいになった途端に睡魔が襲ってくる。
(眠い・・・。)
「お〜い、こんな所で寝ないでよ。」
コツンと未夢が軽く彼の頭を叩く。
「ほら、寝るんだったらお風呂入って。その間に洗い物済ませちゃうから。」
「このままでいい・・・。」
「だ・め!」
ぐいっと彷徨を引っ張り上げて、トンッと背中を押す。
「ほら!いってらっしゃい。」
「・・頭がボンヤリする。」
「熱いお湯浴びればいいでしょ!はい、さっさと行く!」
「はいはい。」
訂正、ここだけは甘くなかった。
彷徨はふらふらしながら風呂場に向かった。
熱いシャワーを浴びて彷徨が出てきた時、もうテーブルは綺麗に片付いていた。
皿はちゃんと流しにしまわれ、テーブルはちゃんと布巾がけされ。
そしてそれをやった当の本人はと言えば。
「おいおい・・。」
机に突っ伏してスヤスヤと眠り込んでいる未夢に思わず脱力する。
(ここで寝るなって言ってたの誰だよ。)
呆れながらも未夢に近寄った。
「おい未夢、未夢!」
「く〜〜〜。」
(ダメだこりゃ。)
とりあえず部屋まで運ぼうと決意する。
足と背中に片手ずつ回し、ひょいっとお姫様抱っこで抱き上げる。
「んっ・・ん。」
抱き上げた拍子に、甘い寝息が漏れる。
彷徨はなるべく聞かないようにした。
部屋につくと、なるべく起こさないようにそっと布団に乗せた。
毛布をかけてやろうとした拍子に、真正面から寝顔を見てしまう。
(幸せそうな顔しやがって・・・。)
焼け付くような感覚が胸に湧き上がる。
ぐっと自分の胸を鷲づかみにすると、彷徨はかがみ込んだ。
衝動に従って、未夢の肩に手を掛け、顔を彼女に近づけて・・・。
しばらく間が空いて、ようやく視線を彼女から引き剥がした。
ふうっと息を一つ吐いた。
立ち上がって、部屋を後にする。
「おやすみ。」
やっとそれだけを言って、そっと扉を閉めた。
甘い空気に一度慣れると、元に戻れなくなる。
だからできれば、そういう雰囲気に浸りたくなかったんだけどな。
あの声も、気持ちも、すごく甘くて、いつまでもそこに居たくなる。
そこんとこ、ちゃんとわかってるんだろうな、あいつは。
「別にいいんじゃないか?」
翌朝、三太に何となく打ち明けたら、そんな答えが返ってきた。
「いいってな。そう言うけど・・・。」
「難しく考えすぎなんだよ、お前。」
言いながらポンポンと彷徨の肩を叩く。
こいつにはそんな悩みがなさそうで、彷徨はちょっと羨ましかった。
「大体お前は昔っからそういう雰囲気に慣れてないからそう思うんだよ。帰ってきて、お帰りなさい、って言ってもらえりゃ嬉しいだろ?」
「・・・。」
慣れてない?
そうだったっけ?
彷徨はしきりと首を捻ってみる。
「んじゃさ。こう考えりゃいいじゃん。」
三太は一本指を立てた。
「寒い外、木枯らしの吹く中を、帰ってくれば光月さんがあの可愛い声で『お帰りなさい(はあと)、あなた♪』とか言ってくれる。だからそれを励みに頑張ろう、とかさ。」
「・・誇張表現が多いぞ。あいつは(はあと)なんて付けないし、『あなた』なんて言わない。」
「例えだよ例え!気にすんなって!」
どんな例えだよ、と思ったが、確かにそういう考え方もある。
あの甘い空気と、あいつが出迎えてくれるのが、頑張った自分へのご褒美だっていうんなら。
それを励みにして頑張ろう。
それくらいはいいはずだ。
「ひゃ〜〜〜遅刻寸前〜〜〜!!」
後ろから聞こえてきた声に二人は同時に振り返る。
机に倒れこむように息を整えながら、飛び込んできた未夢は友人に挨拶を交わしている。
「あれ?お前ら一緒に出たんじゃねーの?」
「俺は今日日直だったから早く出た。」
「あ、そーだ彷徨!」
未夢の声が二人の会話に割り込んできた。
「おはよー光月さん!」
「あ、おっはよ三太君。ね、彷徨。昨日わたし・・・もしかしてリビングで寝ちゃった?」
「ああ。」
答えた彷徨に恥ずかしそうに、
「やだ・・・ゴメンね迷惑かけて。運んでくれたの彷徨だったんだ。」
「運んで・・・。」
目を丸くする三太に彷徨は頭を抱えそうになった。
まったく、少しは人目ってものを考えて欲しい。
「助かったよ〜彷徨がベッドまで運んでくれて。あのまんまだったら風邪ひいて・・む、むぐぐ〜〜。」
いきなり口を塞がれ手足をバタつかせる未夢を抱えて、彷徨はその場から離れる。
「悪い、三太。俺ら先に次の教室行くわ。」
「ああ。いってらっしゃ〜い。」
ニヤニヤしながら手を振る三太。
手の中では未夢がまだジタバタ暴れている。
「ちょっと、何なのよ〜!いきなり女の子に対して・・・。」
「じゃ女の子らしくもう少し慎み深くなれ!」
「あ〜!男女差別!問題発言だよ、今の!」
「お前から先に言ったんだろーが!」
廊下に引っ張りだそうとする彷徨と、逃れようともがく未夢。
それを見ながら、三太はやれやれと肩を竦める。
「お前もたいがい甘いって。」
さっき聞いた内容を思い出して、三太はそうポツリと呟いた。
同好会の皆様、大変ご無沙汰しておりました。
部活や授業でとにかく忙しかったのですが、最近ようやく時間が取れるようになったので、久々に投稿させて頂きました。
長々と長文を書き連ねてしまうという自分の欠点を出来るだけ補ったつもりですが・・・上手くいったかはドキドキものです。
テーマが「甘党さん」ということでそれにちなんだものにしてみました。
外から寒い中を帰ってくると、誰かが迎えてくれるのがすごく嬉しいと思いませんか?
ましてや、彷徨くんは未夢ちゃんに迎えてもらえるわけですからねぇ(邪笑)
可愛らしく甘い声、柔らかくて甘い空気、そして美味しい料理。
そういうのに迎えてもらえるのが、人間、一番の褒美なんじゃないかなぁと最近思うようになりました。
彷徨君はそれら全てに迎えてもらえるんですよね〜
羨ましいぞコンチクショウ(笑)
まあ皆さんも、外から疲れて帰ってきた時くらい甘い空気に浸ってみるのも良いのではないでしょうか。
次回作ですが、おそらく「クルセイダーズ」の続編になると思われます。
もういい加減進めなきゃですね(汗)
では最後に、読んでくださってありがとうございました♪