作:あゆみ
―――愛してる。
ぼんやりとネオンの灯る暗闇の世界を見つめていた。
眩い程の煌きは、エンゲージリングにこそ敵わないものの、絶好の夜景だ。
ベッドから上体を起こして、ふと、隣に居る未夢へ目をやる。
「……どうしたの?」
俺につられて、未夢もそろりと起き上がる。
素肌のままの胸元を隠すようにして俺を見つめた。
「眠れなくてさ……、色々思い返すことあって」
言いながら、ブランケットを引っ張り、未夢の体ごと抱きしめる。
「仕事で疲れてるのに、引越しの手伝いなんか、平気?」
「……平気。そんなんじゃなくてさ。それに、おまえのことに関して苦痛になる
ことなんか何もないよ」
額にキスを落として、ぎゅっと抱きしめる。
「そもそも、彷徨彷徨がどうしてもって言うからだもんね」
私は悪くないんだったと、茶目っ気たっぷりに言う未夢。
「………そうだけどさ」
俺は思わず苦笑する。
「………ずっと、こうしていたいのに」
未夢が、珍しく甘えるように、俺の胸へ額を押し当ててくる。
「寂しくなった?」
未夢の髪を撫でながら問う。
「うん………、また離ればなれになっちゃうって思うと」
未夢が、ふうっと溜息を零した。
「…………俺は、ずっと側にいるよ。今は距離が離れてるかもしれないけどさ」
「………うん」
「………あったかいな」
抱きしめた未夢の肌のぬくもりが、あたたかくて。
それが俺をホッと安心させた。
東京の六本木にあるマンションの部屋。
まだ一緒に暮らし始めたわけじゃないけど、そこは俺たちの新居ともいえる場所。
3日前に、未夢が今まで住んでたマンションからここへ引越しを済ませたばかり
だった。俺はあと2年、卒業するまで、ニューヨークから戻ることは出来ないから。
「…………必ず、大切にするから」
見つめる未夢の瞳に、母親の去り行く面影を重ねた。
同時に思い出すのは、パリの墓地で初めて見た父親の涙と、未夢が墓の上に
乗せたエンジェルスノーのブーケ。
「…………彷徨彷徨、」
「俺を置いて………、先にいなくなったりするなよ」
ぎゅっと抱きしめる腕が、知らずと強まる。
まるで子供のように寄りかかり甘える俺を、細い腕が抱きしめ返してくる。
「………いなくならないよ。私達は、ふたりでひとつ、でしょう?」
キスをした。
何度も、キスをした。
漏れていく吐息に、誘われるように深いところまで求めて。
「……………まって………、また………?」
未夢の白い首筋へ唇を寄せた。
やわらかな胸の膨らみを掌に収めて。
桜色に色付く蕾を、口に含ませて、なめらかに愛撫する。
「…………………っ」
そっと這わせた太腿からその先。
さっきの名残でまだ濡れている泉へと、指を滑らす。
「………………もう、だめ………」
その俺の手が、未夢に止められる。
「どうして……?」
「……………今は、こうして見つめていたいの」
限られた時間の中だから……と、時計を仰ぎ見る。
明日にはまた、離れなければならないから。
抱きたい気持ちが膨れ上がるのを、仕方ないなと、キスで済ます。
その代わり、ゆっくり味わうように舌を絡めて、呼吸を乱すほど激しく求めた。
「………………ふっ……」
甘い息遣いに、虚ろ気な未夢の瞳。
高揚する気持ちを煽るようにして、やわらかい唇を甘く噛む。
「………いいの? キスだけで」
息遣いを間近に感じる距離で、そっと問う。
未夢は、迷う心を見せながらも、もういちど、コクリと頷いた。
「…………ずるいな、俺の方が、根負けしそうだった」
「…………もうっ」
真っ赤な顔した未夢が、上目で軽く睨む。
そんな表情が、なんだか可愛くて、ふっと笑いが込み上げてきた。
「何笑ってるの」
「……可愛くて、おまえのそういう顔」
「………からかうの、やめて。いっぱいいっぱいなんだから」
「あい」
ゆるく離れた間で、見つめ合う瞳が揺れる。
俺はその瞳を見て、だいぶ前の過去を思い返していた。
「………なあに?」
たまらずに、未夢が訊いてくる。
「………未夢を抱きしめてると、なんで安心するのかって、今、分かったんだ」
「え?」
「初めて、南の島で抱きしめたときにも……少し思ったんだけどさ」
そんな昔のこと、と、未夢が不思議そうな顔をする。
そのまま逸らさずに見つめ続けていると、ぱっと顔を赤くして俯いた。
「なに、見つめちゃって……」
「俺の母親に、少し似てるとこあるなって」
「ええ?どこが?写真、見せてもらったけど、すっごく美人だよね、やっぱり
彷徨彷徨は、お母さん似だなーって思った。お父さんにも似てるんだけど、
どっちかと言うとね」
「人は、海に帰るんだよ」
「え?」
「母に抱かれてこの世に産まれ、母なる神に抱かれ天に召されていく。
その身は灰になり風に乗って、その魂は母なる海へと還っていく。
ようするに、人間はみんなマザコンってことかな」
聖書の一部分を要約したものを思い返す。
「マザコンって……」
未夢は、戸惑うように呟いた。
「極端に言えばだけど。でもそういう縁っていうものは、存在すると思うんだ。
おまえに出会って、こうしている今も、その先の未来も……そういう縁で
繋がってるのかなってさ」
「………うん。私も、同じこと思ってた。初めて彷徨彷徨に出会って好きに
なって……、今までのこと振り返っててね、あのヴァイオリンの音色に誘われる
ようにして惹かれたこと、とか、ニューヨークに追いかけて行ったときに、風に
なって聴こえた声とか……」
「風になって聴こえた声?」
インスピレーションを感じて、思わず聞き返す。
「”この恋を信じて”って……、聴こえたの。風が吹いたときにね、ふっと心の中に
入り込んでくるように。すっごく不思議なんだけど、でもあれは絶対に声だった……」
遠い目をして未夢が言う。
「………この恋を信じて、か」
未夢のマンションに立ち竦む俺の心にも、あの時、同じように風が吹いた。
止まっていた時間が、ふっと動き出すかのように。
泣き出しそうになった空にも、聴こえてきた。
母親の声が……。
――――彷徨、ここに連れてきてくれてありがとう。
そう未夢がそっと声をかけてきた時。
……ありがとう、彷徨。
過去の残像や、鼓膜に記憶された声だったのかもしれないけれど。
「……今だから言えることかもしれないけど、彷徨彷徨のお母さんの声だったん
じゃないかなって思う。もうここに存在しなくても、その魂は母なる海に還るん
でしょう?」
未夢が言いながら、左薬指に触れる。
ダイヤモンドの両脇に彩るアクアマリンに目を留めた。
―――本当に好きな人が出来て、その人を愛して、一生を共にしたいと
思えるようになったら、その人に渡してあげるのよ
母親の最後に聴いた声を、思い出す。
―――お母さん、あなたに謝らなければならないことがある。
俺は、あの時、本当のことを言えなかった。
けれど、あなたの言うように、本当に好きな彼女に渡すことが出来たから。
今度は、ここにいる彼女と、一生を共にすると約束する時にまた、会いに行く。
「………キレイだよね。もちろんダイヤモンドも素敵なんだけど、私はこの
両脇にあるアクアマリンが好き。いつもね、彷徨彷徨みたいだなーって思って眺め
てて……。それからね、お母さんの愛情がすっごく伝わってきて、見るたびに
胸がいっぱいになるの」
照れたように喋り出す未夢。
甘い息遣いが、俺の胸にくすぐったく伝う。
「俺みたいだって、どんな?」
そういう未夢が可愛くて。
もっとその続きを聞いてみたくなって、問い返す。
「………うっ、見つめられると、困っちゃうんだけど」
「………教えて?」
髪の毛の影になって隠れてしまう未夢の表情。
俺は、頬にかかる髪を手でよけて、見つめた。
「…………透き通るような表面からは想像出来ない程の深い愛情を知る海。
きっとそんな風にして愛されてきた彷徨彷徨だから、私のことをこんな風に
愛してくれるんだなって。あ、こんな風にって……えっと、ヘンな意味じゃなくって
だから、その……やだ、私何ひとりで言ってんだろ」
照れながら、たどたどしく言う未夢が、たまらなく愛しくて。
説明のしようのない想いが、胸にこみあげてくる。
「…………未夢」
「は、はい?」
「…………愛してる」
やさしく抱き寄せて、そっとキスをした。
やわらかくてあたたかな温もりが、唇に触れる。
ただそれだけで、こんなにも満たされていく。
「…………うん………私も、愛してるよ」
未夢が、縋るように、俺の首の後ろへと、腕を回してくる。
その細い腕を、華奢な身体を、壊れてしまわないように、そっと抱きしめた。
「………未夢」
「………うん?」
「…………ありがとう」
………俺を好きになってくれて。
そして、おまえのことを好きになって、良かった。
今ここにふたりでいられること、すげー幸せだって思う。
普段、うまくそういうことを言えない俺だけど、シンプルになら表現出来る。
変わり行く季節、景色、空。
その中で、変わらないのは……。
たったひとつの恋。
『……この恋を信じて』
――EVERLASTING
『……ずっと想いは変わらないから』
――AND I LOVE YOU
『……愛してる』
「…………愛してる」
ずっと、これからも、おまえのこと、愛してる。
ふたつでひとつ。
ふたつのアクアマリンに支えられたひとつのダイヤモンド。
それは、これから輝き続けるふたりの未来だと、信じて。
そして向かう心、たったひとつのこの恋を、信じて。
〜Fin〜