作:あゆみ
きっかけがなかったわけじゃない、でも勇気がなかった
ドレスを着るなんて久しぶり……あの、シンデレラの絵本に入って以来。
赤のカクテルドレスに淡雪のようなフェイクファーを首元に巻いて。
会場内は、学術誌の授賞式ということもあり、
いかにも上流階級を匂わせる婦人や、専門メディアで
未夢の勤めている研究所でも度々見かけるIT企業の社長たちが、
上品に挨拶を交わしている。
「素敵ねぇ。○△商事のあの人・・・さっき挨拶したけど、
さ?さいおんじさん?でしたっけ?」
え?私は、一瞬耳を疑った。隣でオバさん達がほんのり頬を染めて見ている視線の先
を辿っていくと、懐かしい人の姿が目に入ってきた。
「彷徨……」
驚いた……彷徨の勤めている会社の主催なのだからいて当然なのだが
本当に彷徨がこの会場にいた。
高鳴る胸の鼓動。湧き上がる刹那の想い。逢いたかった人が目の前にいる。
あたしは、目の前の光景に釘付けになるように見入ってしまった。
3年ぶり……。
入院していたときから数えて久しぶりに見かけた彷徨は、
相変わらず格好良くて、彷徨が発するオーラにひとつの陰りもなかった。
独特の柔らかな雰囲気と、知的に満ちた身のこなし……。
思い描いていた未来予想図通りといった、彼の成長振り。
ますますいい男になっていた。
あたしは、ボーイから渡された飲めないワインのグラスにそっと口付けて、
遠くから眺めていた。
会いたかった人がいる。
ずっと・・・夢見てた人がいる。
ねえ、彷徨……私は、あなたのこと、忘れた日なんてないよ
いつも・・・今も、あなたを想ってる
私のせいで彷徨を壊してしまって出来たあなたと私の距離。
あれから3年か……。
「今晩は。お1人ですか?開演迄の時間、向こうのテラスでご一緒しませんか?」
微笑みながら、近づく男、オールバックにベタベタにまとめて、いかにも金持ちオーラが
出ている人が突如目の前に現れた。
人のことを嘗め回すように見てくる視線。ゾクッと思わず身震いがした。
気持ち悪い。
気持ち悪いのは目の前のこの男の人から注がれる視線なのか
飲みなれていないワインのせいなのか・・・
「いえ、あたしはもう帰りますので、失礼します・・・」
にっこり笑顔で切り替えして、くるりと背を向けて会場から出ようとした瞬間に、
急に後ろから肩を掴まれて、ドキリとした。
「ちょっと!嫌……!私は、そういうのに興味ないの!」
「へえ。残念だな」
柔らかな低い声でくすりと笑う……この声は……。
振り向いてすぐに、薄茶の瞳と目があって、急に心臓を
鷲掴みされたかのようにドクンと鼓動が高鳴る。
「あいつじゃなくて、俺ならどう?」
「か、かなた……びっくり。やだ……」
「相変わらず色気のない声。すぐに分かったよ、未夢だって」
微笑みを湛えて、目の前に立つ彷徨の姿を思わず、頭の先から
つま先まで、眺めるように見てしまった。
彷徨は先ほど私に声を掛けたポマードの男をにらみつけている。
ブラックスーツにお洒落なストライプシャツ、変わらないサラサラの柔らかそうな髪。
整った眉に、すっと通った鼻、均整のとれた顔立ち。全然嫌味じゃない、サラリと
着こなしてる。初めてスーツ姿をみるけど、さすが……。
はっ……これじゃ……私、さっきの男と変わらないじゃない。
「えっと……、久しぶり。彷徨もいたんだ。びっくり」
ようやく声が出て、私は自分自身にホッとした。
「そりゃそうだろ招待したのは俺だぜ?」
「む・・・確かにそうだけど・・・」
拗ねた素振りで私が言うと、苦笑をする。
そして、私の顔を見つめたまま、視線を動かさない。
「なに?人の顔ジロジロ見たりなんかして」
私は可愛くないなと思いながらもぶっきらぼうに言った。
「あんまり綺麗だから、つい……見とれてた」
「やだ……というか、ドレスなんて着なれてないから落ち着かないんだけどね」
見つめられて火照っていく頬。私は上手く目を合わせられずに、俯いた。
「未夢は今、1人でいるの?」
急に私の髪の毛にそっと手を触れて、耳にかけたりなんかするから、その長くて
綺麗な指先の仕草に、ドキリと鼓動を打つ。
私はそのドキドキをごまかすようにさらに可愛くないことを言う。
「彷徨、もしかして口説いてる?やだなー酔っ払ってる?」
「口説いたらダメ?」
「え……だ、ダメって」
少しだけ小首を傾げて、潤んだように見つめる瞳。
甘えるような柔らかな囁きに、胸の奥が微かにときめく
彷徨が言って私の身体を引き寄せ、腰のあたりに両手を添えて見つめる。
あたしは、思わずビクリと肩を震わせた。見つめられてる……
私は少しだけ横へ顔を背けた。
「……ちょっと、何、近いんですけど」
「逢いたかったんだ……、ずっと。どうしたら逢えるかなって思ってた」
「だったら連絡くらいくれてもいいじゃない。携帯だってあるんだし」
「俺が誘っても、あんたは行かないって言うでしょ」
「どうして?」
「ずっと着信拒否されてた・・・」
切なげに睫毛が心細く揺れて、彷徨の綺麗な瞳が揺らぐ。
私は自分のしていたことに、少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ。
「未夢が離れていったのは、俺が頼りないからだと思った・・。
だから、安心して未夢が俺の隣にいられるようにちゃんとしようと思った。
今日の授賞式が一応そのひとつのけじめ・・・。」
「かなた・・・」
「3年も掛かっちゃったけどな・・・」
「わかった・・・私が悪かった。ごめんなさい。」
「ずっと逢いた・・・。」
「でも……とにかく、離れてよ」
「離したくない……、やっと逢えたのに」
ふわりと抱きしめて、耳元で熱く囁くように、唇を押し当てたり
なんかするから、私は眩暈がして倒れそうになってしまった。
「……ずるいよ、彷徨」
「……何が?」
「あたしのことなんて、忘れたようなフリして、今になってそういうこと言って
からかってるんなら、やめてよ」
「からかってなんかないよ。忘れられるわけないし・・・ずっと逢いたかった」
「うっ・・・でも、ほら3年も経っているしさ彷徨も新しい彼女とかいるんじゃない?」
「いないよ?」
「うそ。だってあちこちで熱い視線を送られてるよ?」
「いないよ。俺は未夢じゃないと駄目なんだ。」
「調子いいこといって・・・それに・・・私に新しい人がいたらどうするのよ。」
「いるの?俺以外の奴が・・・」
彷徨の表情が曇って。本当に悲しそうな顔をするから私はとっさに謝った。
「ごめん。嘘。いません・・・」
「信じてもらうには、どうしたらいい?」
「んーそうだな。ここでキスしてよ、そしたら信じてあげる」
はは。っと空元気で私が言うと、彷徨は、思いもしない言葉が返ってきた、という顔をした。
冗談だよ……、って言おうと思ったのに、その声は、いとも簡単に塞がれてしまった。
柔らかなキスの感触に包まれ、あたたかな吐息が伝わり合う。
周りのノイズがまるで遠くに聞こえる。背中に回された腕に支えられて
私は、いつの間にか、精一杯に背伸びをしていた。
溶けそうなくらい心地のいい彷徨ののキスが甘くて、
身体の奥が痺れていた。
時が経って、大人になった彷徨のキスは私の知っている少し乱暴なキスではなくて
大切なものにそっと触れるようなキスだった。
「これでいい?信じてくれた……?」
「ばか・・・ほんとは、あたしもずっと……」
彷徨が間近で見つめて、私の頬にそっと掌を添えて、微笑むから・・・
胸の高鳴りが、苦しいほど響いて、声が上ずる。
冗談だよ・・・とも言えなくて、こんな状況で嘘もつけなくて・・・。
「逢いたかった……んだから」
言って、すぐに涙が目尻に溢れてきて、視界がぼやけて見えた。
「キスしたら素直になるんだな、……ほんと意地っ張り」
少し悪戯っぽく含み笑いして、私のおでこに軽く口付ける。
あたしの涙をそっと指先で拭って、優しく撫でるように髪の毛をさらう。
そのまま、優しく抱きしめられ、あたしは、これ以上ない胸の高鳴りに
酔いしれて、すがりつくように彷徨の背中に腕を回した。
「授賞式が終わったら、一緒に帰ろう」
「え、帰ろうって……」
「もう離したくない……、未夢のこと、自分のものにするまで安心できない」
「えっ///……」
「そういう経験、まだだろ?」
「そういう問題じゃないの」
「じゃあ、どういう問題?」
「うっ……」
「ほら、言えない……恥ずかしいとか、そういうのは受け付けない」
「ずるいよ///彷徨はずるい・・・」
そんなやり取りにさえ、思わず笑みが零れる。
甘い恋のやさしい痛みが、胸の奥に広がっていく。
「肝心なこと聞くの忘れてた……未夢の気持ち」
聞かなくても分かるじゃない……こんなにときめいて胸が震えるくらい
痛いくらいあなたに会いたかったのに……。
「見透かしたようなこと言うくらいなら、私の気持ち、全て見抜いてよ!」
彷徨が好き……。
ずっと好き・・・。
答えは、背伸びして、そっと彷徨のの耳元で小さく囁いた。
ほんのり色づく、彷徨の頬。その瞬間、強く……強く、抱きしめられた。
もう離さないでね。離れたくない・・・。
何処を探しても あなた以上の人なんていないよ
だからもう1度、ここでキスして―― 溶けるほど、眩暈がするほど、もっと……。
2008/1/1 あゆみ
久しぶりのリーマンです。
感覚が・・・。もどってないかな(苦)
むぅ・・・ いつものてんやわんやに比べるとシリアスモードかな。
たまにはね・・・いいかなってね。
時代の流れ通りに書かないのが天邪鬼あゆみということで。
いずれ点のストーリーが繋がればいいなぁ・・・