作:栗田
テレビの画面に映っているのは、見慣れたお笑い番組。
最近人気の若手コメディアンが、しきりとギャグを連発している。
面白いのだが、お正月中聞いてきたギャグなので、少々飽きがきていた。
テレビから漏れる観客の笑い声も、なんだか疲れ気味だ。
未夢はぼんやりとその番組を眺めながら、ズズっとお茶を飲んだ。
そうして、ちらりと横に視線を向ける。
そこには、同じ年の同居人・彷徨が、“うるせぇ〜”と体で表すように、テレビに背を向けて座っていた。
そこだけ違う世界のように、熱中した様子でパラパラと本をめくっている。
丸めた背中がまるで猫のようで、未夢は口元だけで笑った。
そんなにうるさければ、自分の部屋で読めばいいのに・・・と思うのだが、最近の彷徨はいつもこうやって、居間の隅っこで本を読んでいる。
ルゥやワンニャーがいて、今以上に騒々しくても、ここにいる。
未夢には、なんとなくだが、その理由が分かる気がした。
嬉しいのだ。
家に、自分以外の人がいることが。
家族がいることが。
少しでも一緒に。
家族の輪の中で過ごし。
自分も家族の一員だと感じていたいのだ。
未夢はふっとテレビに視線を戻した。
たとえば今ここに彷徨がいなくて。
広い部屋で一人きりでテレビを見ているとしたら・・・。
それはとても寂しいことだと、想像がつく。
気をつかってくれてるのかな?と。
また横目で彷徨の背中を見ながら、未夢は思った。
出会った頃は“なんてデリカシーのないやつっ”なんて思っていたが、彷徨は意外と、こういう他人の寂しさを敏感に察知するような所がある。
そうして、表面上は何でもないふりで、言葉には出さずに、そばにいてくれるのだ。
ボーンボーン・・・・・・
居間の時計が午後5時を告げた。
いつの間にかテレビは、ニュース番組に切り替わっている。
「ルゥくんたち、遅いね」
空になった湯飲みを手で回しながら、未夢はぽつりとつぶやいた。
買い物をかねた散歩に、ルゥとワンニャーが出かけたのは、もう2時間以上も前のこと。
さすがに心配になってきた。
「ワンニャーも一緒だけど・・・あの二人だけだと、なんだか心配じゃない?」
返事を返してくれない彷徨の方をちらりと見て、未夢は今度はもう少し大きな声で言ってみる。
オット星人であるという、秘密を持っている二人。
過去の経験からして、うっかりその能力を人の前で使い、秘密がばれそうになったのも一度や二度ではない。
けれど、未夢の心配をよそに、彷徨は未夢のつぶやきなど聞こえなかった様子で、本に視線を落としたまま、振り返ろうとしない。
「遠くのスーパーまで行ってるのかな? 特売のチラシはいってたし」
未夢はちょっとむっとしながら、もう一度、もっと強い声でそう言ってみる。
けれども、今度もやっぱり、彷徨からの返事はなかった。
丸めた背中の向こうで、あいかわらず、一定のペースでページをめくる音が響いている。
未夢は、ぷぅっと頬がふくらませた。
「ねぇ彷徨っ。聞いてるぅ?!」
未夢は膝を畳に擦るようにして、彷徨の元に這っていった。
彷徨の背中を睨みながら、そのすぐ後ろに正座する。
「もぉ! 無視することないでしょ!?」
腰に手を当てて抗議するが、彷徨はやっぱり無言のまま。
微動だにしない背中で、本を読み続けている。
その態度に、未夢はますます腹を立てた。
悔し紛れに彷徨の背中をばんっと叩く。
さすがの彷徨もこれにはまいったのか、顔をしかめながら振り返った。
「って〜なぁ。何すんだよ〜・・・・」
あいかわらずの整った顔を、不満げにしかめている彷徨。
未夢はぷいっと横を向く。
「知らないっ」
子供のように拗ねてしまった未夢に、彷徨はあきれたような顔をした。
小さく息をついて、未夢の頭に手を乗せる。
「いい子だからジャマすんなよ〜。今いいとこなんだから」
「っ! わたしは子供じゃなぁ〜い!!」
なでられた手をぺしっと振り払って睨みつけるが、その仕草はよけいに子供っぽかったかもしれない。
彷徨は余裕の表情で未夢を見て、ふふんと、からかうように笑った。
「子供だろ? かまって欲しくて拗ねるなんてさ」
「べ、別に・・・かまってほしいわけじゃ・・・・」
「じゃあ、なんだよ?」
「それはその・・・・」
彷徨にじっと見つめられて、未夢はうっと言葉に詰まった。
かまってほしいわけじゃなくて。
別に・・・ただ・・・、無視しないで受け答えして欲しいだけだ。
普通に、一般の礼儀として、受け答えして欲しいだけだ。
・・・でもそれは結局、
かまってほしいってことかもしれないけれど・・・。
黙り込んでしまった未夢に、彷徨は肩をすくめた。
そうして、もう用は済んだとばかりに前に向き直って、本に視線を戻す。
「たいした用じゃないならあとにしろ。今ちょうど犯人が分かるところなんだからさ」
言うなり、また未夢の存在を意識の外に追いやって、本の世界に集中しだした。
未夢は、もう!と唇をとがらせて、目の前の彷徨の背中を見つめる。
あまりの熱中ぶりに少々あきれてしまうと同時に、ひとり取り残されたような、そんな寂しさを感じていた。
それにしても、彷徨がこんなに夢中になる本ってどんな本なんだろう?
ふと、そんなふうに思う。
彷徨は本当に良く本を読んでいるが、その中身について、未夢は今まで注意を払ったことはなかった。
「犯人って・・・・彷徨、推理小説読んでるの?」
未夢は好奇心に負けて、よせばいいのに、また話しかけた。
「・・・・・・」
彷徨は無言のまま、ページをめくり続けている。
「ねぇ、それって誰の本?」
「・・・・・・・・・」
「そんなに面白いの?」
「・・・・・・・・・」
「私にも読めるかな?」
「・・・・・・・・・」
「もぉ! 答えてくれたっていいじゃないの!!」
未夢は大声で叫んでぷんぷんと怒るが、彷徨はもういっさい耳を貸さないことにしたのか、決して未夢のほうを振り返ろうとしなかった。
未夢は、また背中を叩いてやろうかと思いっきり手を振り上げたが、
ちょっと考えてそれはやめた。
(隠れて見えないものって、余計に見たくなるモノなのよね〜)
そんな風に思いながら、彷徨の背中に向かって、いつも彷徨がやっているように、いたずらっぽくべっと舌を出す。
それからえいやっと、その背中に飛びついた。
おんぶお化けのように、のしかかりながら、彷徨の肩口から膝の上の本をのぞき込んだ。
これなら彷徨だって自分の存在を無視できないだろうし、
彷徨がこんなに夢中になっている本のタイトルが見れると思ったのだが・・・。
抱きついてしまってから、失敗したなと未夢は思った。
彷徨の背中が思ったよりもずっとしっかりしていて、心臓がドキドキと鳴っていた。
だからといって、いまさら離れることはできないのだ。
彷徨の膝から、バサリと本が落ちた。
珍しく動揺したような彷徨の声が、身体を通じて伝わってくる。
「お、おいっ! 未夢っ!?」
「彷徨、よくそんな細かい字の本が読めるね〜。頭クラクラしない?」
頬が熱くなっていたが、未夢は平気なふりをしてそう聞いた。
一方の彷徨も、背中に当たる未夢の柔らかい感触や、自分とは異なるどこか甘い香りに、動揺していたのだが・・・。自分の胸のドキドキが彷徨に悟られはしないかと必死な未夢には、そんなことに気づける余裕もなかった。
彷徨は一度、未夢の方を振り返ろうと首を動かしたが、途中はっと動きを止めた。
未夢はほっと胸をなで下ろす。
今、彷徨に振り返られたら、恐らくはこの上なく真っ赤になっているであろう自分の顔が、ばれてしまうだろうし、至近距離で彷徨と顔を合わせてしまうことになる。
そんなことになったら、ただでさえ高鳴っている心臓が、破裂してしまいのではないかと思えた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
二人ともなぜか無言になった。
言うべき言葉が見つからないのだ。
半分悪ふざけで、くっついたわけなのだが、
悪ふざけではすまない、リアルな互いのぬくもりが、二人から言葉を奪っていた。
静かな中で、時計の音と、自分の心臓の音だけがドクドクと高鳴っているのを、未夢は感じていた。
彷徨にそれが伝わってしまわないかと、心配だった。
どれくらい、そうしていただろう?
ふいに、
肩口から彷徨の胸の前に突き出されていた未夢の手に、彷徨がそっと触れてきた。
未夢は反射的に、びくっと身体をこわばらせる。
彷徨の手は熱を持ったように熱く、大きかった。
すっぽりと包み込まれた未夢の手。
次第に、身体全体にまで熱に浮かされたような息苦しさが広がっていく。
いったいどうしたらいいのか分からなくて、未夢がわずかに指先を動かすと、彷徨はそれを押さえるように、さらに力を入れてぎゅっと握ってきた。
そんなふうに強引に、求めてくるような握り方は初めてで、未夢はその意味も分からず、うろたえる。
それでも、自分からその手を解こうとはせず、じっと息を潜めるように、彷徨の体温を感じていた。
未夢が動かないことに安心したのか。
彷徨は力を緩めて、握っていた手を離すと、今度は指先で、未夢の指に触れてきた。
一本一本、確かめるようになぞっていく、その仕草。
皮膚の表面をそっと撫でるような、淡い感覚が、未夢の全身を駆け巡った。
無言のままかわされる、手と手の、指と指の、会話ようなもの。
頭の芯が柔らかくなって、未夢はうっとりと瞳を閉じる。
視界が無くなれば、余計に感覚は敏感になって・・・。
けれどもそんな、満ち足りた時間は一瞬のこと。
次の瞬間には、彷徨はぺしっと未夢の手を軽く叩いて離していた。
「お前っ、もうちょっと自分が女だってことを自覚しろよ〜〜〜」
「え?」
「っ・・・もういいから! 離れろって!!」
言葉とともに彷徨は、未夢の手から逃れるように、自分から離れていく。
ぬくもりから取り残されて、軽い放心状態で、畳に一人座り込む未夢。
彷徨は少し距離をおいたところから、憮然とした表情で未夢を見つめた。
「しばらくオレに近づくなよっ」
彷徨にしては余裕のない、あせったような口調でそう言い捨てると、
彷徨はまた未夢に背を向けて、座り込んだ。
傍らに落ちたままになっていた本を拾い上げると、もう今までのことなどすっかり忘れた様子でページをめくり始める。
しばらく呆然としていた未夢だったが、そのうち、くしゃっと顔をゆがめた。
全身で拒絶しているような、彷徨の態度が哀しかった。
近づくのが嫌なほど、自分は彷徨に嫌われているのだろうか?
ただ、ほんのちょっと彷徨にこっちを向いて欲しかっただけなのに。
彷徨の夢中になっているモノ(本)が、どんなものか知りたかっただけなのに。
未夢は涙のにじんできた眼をあわててぬぐった。
そうして、じっと彷徨の背中を見つめる。
しだいに。
何事もなかったかのように本を読み続ける彷徨の背中に、腹が立ってきた。
こっちがこんなに動揺して、おたおたしてるのに。
彷徨はいつも冷静で、知らんぷり。
なんだか不公平だ!なんて、思う。
未夢はぐしっと目元をもう一度ぬぐって、彷徨の方にまた寄っていった。
誰も見てないのをいいことに、ミニスカート姿なのはこの際無視して、
赤ちゃんがハイハイをするようにして彷徨のすぐ後ろまで行く。
そうして、さっきよりもずっと強くバンッと彷徨の背中を叩いた。
彷徨の背中が、びくっと心底驚いたようの震えた。
「っ・・・おい!」
怒った声の彷徨は、けれども、未夢を振り返ってはくれなかった。
「近づくなって言ったろ?」
ため息混じりで、声だけでそう返してくる。
未夢はきゅっと唇をかみしめて、彷徨の背中に人差し指を立てた。
涙のにじんだ瞳で、黙ったまま、一文字一文字、字を書いていく。
か な た の ば ー か ! !
「・・・・・・バカはどっちだよ・・・ったく・・・」
ちゃんと文字を読みとったらしい彷徨。
舌打ち混じりの言葉が、未夢には余計哀しくて。
ぐすっと鼻をすすり上げて、また文字を書く。
い ぢ わ る ! !
「・・・・はいはい〜。いつまでもそうやって拗ねてろよ」
今度は苦笑混じりでそう言って、彷徨はまた本に視線を落とした。
未夢はむっと頬をふくらませる。
子供扱いされたようで、
また自分を忘れて本の世界に入ってしまいそうな彷徨がイヤで。
前よりももっと力を入れて、ムキになったように、未夢は文字を書く。
れ い け っ か ん ! !
「・・・・・」
三度目は、返事さえ返してくれなかった。
ページをめくり続ける音だけが響く。
未夢は哀しくなって。
腹ただしくて・・・・。
か な た な ん て
か な た な ん て
二度繰り返して、未夢の指が止まった。
彷徨のページをめくる手も、それに気づいて止まった。
無意識に。
一瞬のためらいのあと、未夢が書いたのは・・・・。
ぐるっと。
背中いっぱいのハートマーク。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
彷徨は、ほんの少し目を見開いて固まっていた。
未夢は、自分の書いたものが信じられなくて、呆然としていた。
(わたし・・・いま・・・・・?)
急に恥ずかしくなって、未夢はぱっと彷徨の背中から手を離した。
熱くなった頬を両手で押さえる。
(どうして、こんなこと・・・・・? ・・・・・・彷徨は気づいたのかな?)
もし、何を書いたのか気づかれていたら・・・。
彷徨に合わせる顔がない。
どんな顔をして、彷徨を見ればいいか分からない。
(お願い。気づいてませんように・・・)
赤い顔を両手で押さえたまま、上目遣いで、未夢は彷徨の背中を伺った。
彷徨は背中はじっとしたままで、動く気配がない。
どうやら。
彷徨には未夢が書いたのがハートマークだとは気づかれなかったようだ。
未夢はホッとして。
でも半分、がっかりして。
次の瞬間に、ぶんぶんと首を振る。
なんで自分ががっかりしなくちゃいけないのだ!と、また熱くなった頬を押さえた。
「わ、わたし、ルゥくんたちが心配だから、ちょっとそこまで迎えに行ってくる!」
とにかく今は、この場に、彷徨の近くにいたくなくて。
そんなふうに言い訳して、未夢はあわてて立ち上がった。
そしてそのまま、逃げるように居間を出て行こうとする。
けれども。
「待てよ」
声とともに腕をつかまれて、未夢はつんのめるように立ち止まった。
振り返ると、座ったままの彷徨が、いつの間にかこっちを向いていて、じっと、真剣な顔をしてこちらを見上げている。
未夢は反射的にかぁっと赤くなって、眼を泳がせた。
彷徨は視線をそらさない。
「さっきの・・・・最後のやつ・・・・・なんて書いたんだ?」
「し、知らないっ。ただの丸よ! 丸」
未夢は上ずった声で答えた。
やっぱりばれてなかったんだ〜とほっとしながら、彷徨の探るような視線に冷や汗が出てくる。
「・・・ふぅん?」
明らかに信じていない、疑っているような彷徨の声に、未夢は“まずい!”と思って、つかまれたままだった腕を振り払おうとした。
「とにかく、離してよ! 私はルゥくんたちのところに・・・」
「いやだ!」
一言で一蹴されてしまった。
声の強さに驚いて彷徨を見つめると、彷徨はどこか必死な目つきで未夢を見上げていた。
つかまれた腕が痛い。
いつもと違う彷徨に、未夢のほうが立ちすくんで動けなくなってしまった。
彷徨はちょっと気まずげに視線をそらす。
「・・・・・・お前ばっかり、ずるいだろ?」
少しの沈黙のあと、ぼそりとそう言った彷徨に、未夢は「え?」と首をかしげる。
次の瞬間、つかまれた腕をぐいっと引き寄せられた。
「せっかくだからオレにもやらせろ」
「ちょ、ちょっと〜〜」
未夢は倒れ込むように、彷徨の前に座り込んだ。
“あぶないでしょ?!”と未夢が抗議する前に、彷徨は未夢の背後にまわり込んでしまった。
あっけにとられた未夢は、それでも、彷徨が何をしようとしているのか、そこで気づいた。
伝言ゲーム。
今度は未夢の背中に、彷徨が何かを書こうというのだ。
「髪、前によけとけよ」
命令口調の彷徨に、未夢は唇をとがらせるが・・・。
さっき自分が強引に彷徨の背中に文字を書いた手前、イヤだとは言えない。
きちんと正座し直して、後ろに垂らしたままだった髪を、指示通り、耳の後ろから自分の前面に持ってきた。
「・・・・変なこと書かないでよね」
「さぁなぁ♪」
やけに楽しげな彷徨の声に、未夢は顔をしかめた。
これは、からかって遊んでいるときの彷徨の声だ。
どんな悪口を書かれるのだろう?と、未夢は身構えて体を硬くした。
彷徨の指が触れてくる。
背中の一点に、熱が集まったようだ。
少しだけ気遣ったような、撫でるような触れ方がくすぐったくて、未夢はちょっと身をよじった。
ば か み ゆ
「むむぅ! そりゃあ優等生の彷徨さんに比べたら、私はバカですよ〜だ!」
悪口を書かれると予想はしていても、頭にくるものだ。
背中で彷徨は、くすくすと笑っている。
が き く せ ー や つ
「むっ! 同じ年でしょ!!」
「精神年齢だよ」
「彷徨の方が子供っぽいじゃない!」
「・・・・そういや、さっきからなんか書きづらいなと思ったら、ブラの線がジャマなんだな」
「っ!!」
未夢はかっと赤くなって、反射的に胸を押さえて振り返る。
「ばかぁ!」と、彷徨に向かって腕を振り上げるが、それはあっけなく彷徨に受け止められてしまった。
彷徨は余裕綽々といった感じで笑っている。
「ほら見ろ! そういうとこがガキなんだって」
「! ばかぁ〜〜! えっちぃ〜〜!!」
「はいはい。落ち着いて落ち着いて。まだ続きがあるから、前向こうね、未夢ちゃん♪」
酸欠状態で怒る未夢の両腕を掴み、彷徨はまた、また前を向かせた。
肩を押さえられたまま、また背中に文字が書かれていく。
お せ っ か い ま じ ん
「・・・・・・・・」
は や と ち り だ い ま お う
「・・・・魔王とか、魔神とか、いったいなんなのよ〜!」
「でも本当のことだろ? お節介焼きの早とちり屋さん」
「・・・・・・・・」
嫌みではなく、本当に楽しそうに笑いながらそう言われて、未夢は何も言えなくなる。
いったいなんだってこの人は、こんなに楽しそうに自分をいじめるのだろうか?
未夢にはさっぱり分からない。
「分かったら、前向いてじっとしてろって」
もうどんなこと書かれたって、怒らないし、動揺しないぞ〜と、未夢は心の中で決意する。
きっと、何の反応もせず受け流せば、彷徨だって未夢をからかうことをやめるのだ。
身構えた未夢の背中に、彷徨の指先が触れる。
み ゆ な ん て
み ゆ な ん て
そこで指が止まった。
動揺しないと決めたはずなのに、未夢の心臓は意志に反して、どくどくと鳴り始めた。
さっき、自分が書いたときと同じ。
いったい、彷徨はこのあと、なんて書く気なんだろう?
背中に全神経を集中させる未夢。
彷徨の指が未夢の背中の中央に止まった。
そして・・・・。
いつまでたっても動かない指の感触に、未夢が首をかしげたとき。
ふわりと。
温かいものに全身を包み込まれた。
力強く、自分の身体に回された腕がある。
息がつまりそうなほど、そんなふうに抱きしめられるのはもちろん初めてで、未夢は混乱する。
「ちょちょっ! 彷徨!?」
身じろぎしようとしたら、よけいに強く抱きしめられた。
首筋に吐息がかかる。
全身が、かっと燃えるように熱くなった。
沸騰する頭の隅で、やっぱり彷徨は大きいな、などと思う。
自分が抱きついたときと違って、未夢の身体はすっぽり、彷徨という存在に包み込まれている。
それを感じながら徐々に、未夢はうっとりと、身体の力を抜いていった。
そのタイミングを見計らったかのように、彷徨がつぶやく。
「だって、お前の背中小さいしさ」
「え?」
「お前がくれたのと同じくらい、おっきなハートが書けないだろ?」
ただでさえ、すぐ耳元で聞く彷徨の声にクラクラしている未夢は、それこそ、心臓が飛び出そうなほど驚いた。
効果的な爆弾投下。
分かっていないふりをして一番いいタイミングでバラすんだから、この人は始末に負えない。
「きき、気づいてたの?」
「オレ、背中の感覚も優秀だから」
「・・・・なによ、それ」
少々呆れ気味に未夢がつぶやくと、彷徨はくつくつと笑った。
その振動が、ダイレクトに未夢にも伝わってくる。
くすぐったい感覚。
それは、すごく恥ずかしかったけれど・・・。すごく心地よかった。
「・・・あれってさ・・・・・・」
「ん?」
「あの意味って・・・・・・?」
どこか、恐る恐ると言った感じで、問うてくる彷徨。
未夢は、視線を泳がせた。
「あ、あれはね・・・えっと〜・・・ただ、なんとなく、ね・・・ん〜と・・・・・・」
あせりながら、うまい説明の言葉を探すが、見つからない。
何しろ自分でも無意識のハートマークだったのだから、本当は説明しようがないのだ。
背中で彷徨がクスリと笑った。
「・・・・・・知ってる」
「え?」
「本当は、聞かなくても知ってる。ハートの意味なんて、子供でも知ってるもんだぜ?」
「ハートの、いみ・・・?」
「あのハートはさ、Loveってことだろ?」
「ら、ららら・・・らぶ・・って・・・・っ」
ドクンっと、未夢の心臓が跳ね上がる。
Loveという言葉にうろたえながら、心のどこかで、見抜かれてしまった、と感じていた。
とうとう、気づかれてしまった。
・・・気づいてしまった、と。
「違うのか?」
「えと・・・その〜・・・・・・」
顔が異様に熱くなっているのを感じながら、未夢はしどろもどろになる。
混乱していた。
ようやっと。
自分でも、たった今。
気づいたばかりの気持ち。
それを、いったいどう説明したらいいのか・・・。
あせって、おろおろして。
ゆでだこ状態で「あの・・・その・・・」とジタバタし出した未夢を、彷徨は落ち着けというように、ぎゅっと力が込めて抱きしめてくれた。
思わず息を止めた未夢の耳元に、低いささやき声。
「オレも、同じ意味だから」
「・・・え?・・・・・・・」
「お前のより、おっきいハートだからな」
「かな、た・・・・・・?」
混乱に次ぐ混乱。
あまりに予想外のことに、頭が真っ白になっていた。
えっと〜、だから・・・。
同じ意味ってことは、Loveってことで・・・。
彷徨も私のこと・・・。
って・・・え? えぇええ〜〜〜???
目を見開いて固まっている未夢に、彷徨は背後でため息をついた。
「やっと気づいたか、ばか」
「だだ、だって〜〜。しし、しんじられない〜〜」
「お前、鈍すぎ」
「だって彷徨、いっつも私のことからかって…」
「お前、反応が単純でかわいいしさ」
「・・・かわっ・・・・!!」
「それに・・・・・・。怒ってるときは、オレのことだけ考えてるだろ?」
「っ!」
未夢は口をぱくぱくさせた。
あんまりのことに、声さえ出ない。
それで今まで、さんざんからかわれていたのかと思うと、疑問が解けると同時に、顔が熱くなる。
そりゃあ確かに、怒ってるときは、その相手のこと…彷徨のことで頭がいっぱいになって、他のことなど考える隙間はまったくないのけど…。
「・・・お・・・怒ってないときだって、彷徨のこと考えてるもんっ」
叫んだあとで、ぷいっと横を向いた。
体中が熱い。
体温が上昇しすぎて、死んじゃうんじゃないかと思うくらい。
後ろの彷徨が息を飲むのが分かった。
だって、ずるいのだ。
急に、何の予告もなしに、こんなことをするなんて。
それに・・・。
「それに・・・絶対、私の方がおっきいハートマークなんだからね!」
どうだと言わんばかりの、精一杯の未夢の告白。
本当に、冗談じゃない。
二人きりのこの状況で、自分をほおっておいて、本なんかに夢中になっていた彷徨なんかより、絶対に自分の方が彷徨のことをたくさん好きだと、真っ赤な頬をふくらませながら、未夢は思う。
気持ちの大きさで負けるわけがないのだ。
だが実は彷徨の方だって、本を読むふりをして、まったくその内容が頭に入らないくらい、未夢のことを考えていたのだが・・・。
今時珍しいほど恋愛ベタで、修行不足な未夢にはそんなこと分かろうはずもない。
しばし呆然としていた彷徨だが、そのうちぷっと吹き出した。
「そうか。おっきいか」
「そうよ!」
「でも、やっぱりオレの方がお前にめろめろだと思うぞ〜」
反論しようとする口を開きかけた未夢の目尻に、彷徨の前髪が当たった。
頬に、温かくて柔らかい感触がかすめる。
「こんなこと、したくなるくらいな」
「〜〜〜〜〜」
言いかけた言葉は、すっかり頭から飛んで、
未夢は、今キスされたばかりの頬を押さえて、真っ赤になって固まった。
さてさて、すっかり放心状態の未夢。
背中で彷徨がぼそっと
「これでもう遠慮する必要はなくなったわけだよな」
とつぶやいたのにも、気づかない。
背中の伝言ゲームから、思いがけず、気持ちを確かめることができた幸運に、彷徨は幸せそうに微笑む。
やっと手に入れた。
もう離さない。
抱きしめたぬくもりを、彷徨はしっかりと抱え直した。
二人から離れた所には、すっかり忘れ去られた推理小説が一冊。
名探偵が犯人を指摘するのは、当分先の話になりそうだった。
2004年、宮しゃんのお誕生日祝いに贈呈したもの。
伝言ゲームでらぶらぶあたっく♪
・・・読み返してみて、すげー甘いや、と思った。(笑)
2005.02.24 栗田