ルゥたちがオット星に帰る2日前。
オレはコンビニで、使い捨てカメラを買った。
離れていく“家族”に。
思い出に。
記念に。
4人の写真を撮るためだった。
まだ早春で。
風が冷たくて。
つぼみの堅い桜の木の下に、4人並んだ。
カメラマンは三太。
少し離れた所で、いっぱしの格好で、カメラを構えている。
隣を見ると、ルゥを抱いた未夢が、泣きそうな顔をしていた。
「笑えよ」と短く言うと、
「分かってる。大丈夫」と目をこする。
そうして口の端を一生懸命あげようとしている彼女は、無理をしているのが見え見えで。
オレは眉をひそめた。
けれど、そこは鶴の一声。
ルゥの「マンマ?」という心配そうな声で、未夢はとたんに笑顔を見せる。
「なんでもないよ。ルゥくん」と答える表情は、本当の母親のもので。
自然とオレの口元も緩んだ。
やっぱり子供の力は、すごい。
ルゥは最強だ。
でもそのルゥも、もうすぐいなくなる。
その時オレは、未夢にこんな笑顔を作らせることができるだろうか?
そんな不安が、心の隅によぎった。
三太が「じゃあ、撮るよ〜」と声を上げた。
オレたちは、あわててカメラに視線を向けた。
分かったもので、小さなルゥもオレ達のまねをしてカメラを見ている。
「はい。ち〜ず」
おきまりの掛け声で、カシャリと一枚。
それから続けて、カシャリ、カシャリと何枚か。
「あ、ちょっと待ってよ〜〜。今、目つぶっちゃった〜」
「だぁ〜い」
「あぁ、ルゥ、動くなって」
「ワンニャーの変身した姿も撮っておきたくない?」
「そうだな。おい!ワンニャー、変身」
「はい〜〜〜。ワンニャー!!☆□△」
そんなこんなで、最初は緊張していたオレたちも徐々に表情がほぐれ、
普段通りの笑顔だったり、むくれ顔だったり。
いい場面が撮れたと思う。
現像は三太が帰り道についでに、出してくれることになった。
オレたちは「できあがりが楽しみだね」と笑いあった。
4枚ずつ焼き増しして、みんなで持っていようと約束した。
けれど、うっかりしていたが。
三太はそのあと、時空のひずみによるごたごたで西遠寺に泊まることになり、“帰り道”で写真を現像に出すことができなくなってしまったのだ。
そのことに気づいたのは、もう全てが終わって、ルゥたちがオット星に帰ってしまったあとだった。
「ごめんよ〜、彷徨〜。オレ、すっかり写真のこと忘れてて〜〜」
「仕方ないさ。オレも忘れてたし・・・。時空のひずみのせいでルゥたちが帰れるかどうかって所だったんだから・・・」
「でもさ〜。お前らにとっては最後の、大切な写真だったのに・・・。オレは、オレは・・・」
「気にするな。お前は時空のひずみから救助船を助けるのに協力してくれた。それで充分だ。写真はオレが預かっておくよ。最後じゃない。きっとまた会おうって約束したから・・・。再会する、その時まで大事にとっておくさ」
それでも申し訳なさそうに。涙まで浮かべている三太に、オレは笑って見せた。
うなだれた肩をぽんぽんと叩いてやる。
今はまだ遠い、その日のことを思って、オレは空を見上げた。
写真などなくたって、オレたちはこの宇宙でつながっている。
そう思った。
ルゥたちが去って、その2週間後。
今度は未夢が、西遠寺からいなくなることになった。
無事に宇宙遊泳を終えた母親と、そのサポートをした父親が、未夢を迎えに来たのだった。
未夢は、一年前のあの日、ここに突然来たときと同じように、カバン一つを持って。すっかり身支度の整った格好で、あの桜の木の下に立った。
このところの暖かさで桜は、だいぶ蕾がふくらんでいて、枝がほんのり赤く染まっていた。
未夢は、感慨深げにそれをじっと見上げていた。
オレはそれを背後から見つめながら、声をかけることができなかった。
ルゥたちがいなくなったあの日から、やはりというか何というか、寂しそうに縁側に座ることが多くなった未夢。
口では大丈夫と言ってはいても、寂しそうな笑顔が、胸に痛かった。
励ましてやりたいと、思ったけれど・・・。やがて、この未夢も自分の前から去ってしまうのだと考えると、オレは何も言うことができなかった。
自分自身の寂しささえ追い払えないのに。
未夢に笑っていろとは言えなかった。
それに・・・。
未夢に対する気持ちも。
まだ、整理がつけられないでいる。
もう数分で、未夢の出立の時間。
でもまだ、未夢は桜の下で動かない。
オレの手にはカメラが握られていた。
三太に撮ってもらったあの最後の4人の写真。
そのインスタントカメラには、まだフィルムが3枚分ほど残っていた。
オレは、その残りで未夢を撮りたいと思っていた。
未夢がここを出て行く前に、彼女が笑顔を撮っておきたいと。
けれど結局、未夢が本当の笑顔を取り戻すことはなく、写真を撮る機会もなく、時間は過ぎて、今日まで来てしまった。
「未夢!」
名前を呼ぶと、未夢が金色の髪を揺らして振り返った。
その瞬間に、カシャリと一枚。
すこし驚いた顔の未夢が、カメラに収まった。
「びっくりした〜。どうしたの? いきなり・・・。そのカメラ、あのときの?」
「ああ。フィルムが余ってたからさ」
笑顔を作って、カメラを掲げてみせる。
オレはうまく、笑えているだろうか?
「絵にならない被写体でも、何にも撮らないよりましだろ?」
「悪かったわね! 絵にならなくて!」
思わず出た憎まれ口にぷくっとふくれる未夢。
けれど、その拗ねた顔は長く続かなくて、すぐにぷっと吹き出した。
オレも笑い出す。
懐かしい感覚。
おかしい。
こんな直前になって、普段の笑顔が戻っている。
そしてオレははっとした。
チャンスだと思って、カメラを構える。
だが。
カシャリとシャッターを切った。
ファインダーの向こうの未夢の顔は、もう、寂しそうな、泣き笑いに変わっていた。
「彷徨とも、離ればなれだね」
「・・・ルゥたちと違って、同じ地球上だろ?」
「それでも・・・毎日会えなくなるね」
「会おうと思えば、いつでも会える」
「・・・・寂しくなるね」
ファインダーから顔を上げた。
未夢は今にも泣き出しそうに、瞳を潤ませてオレを見ている。
そんな目で見るな。
こっちが切なくなる。
オレはカメラをおろした。
何も言えずに、ただ未夢を見つめた。
胸の辺りが、苦しかった。
未夢はそんなオレから視線をそらし、また桜を見上げた。
「これが咲くの、見たかったんだけどな」
「咲いたらまた、見に来ればいい」
「・・・・・・・・・」
未夢は黙り込んでうつむいた。
その両手がぎゅっと握りしめられている。
長い髪に隠されて、表情がうかがえない。
オレはたまらなく不安になった。
「未夢?」
呼びかける。
返事が返らない。
春風が、俺たちの間を駆け抜けた。
未夢の髪が舞い上がる。
思いつめたような、虚空を見つめる。
未夢の瞳が見え隠れする。
急に怖くなった。
このまま未夢の姿が、かき消えてしまいそうで。
「未夢!」
強く呼びかける。
未夢がゆっくりとこちらを向いた。
泣き笑いの顔に、もうどうしようもなくなった。
こいつを。
離したくないっ。
「オレ・・・・未夢が好きだっ」
春風に浮かされたような、告白。
未夢が目を見開いている。
「いつの間にか・・・好きになってた」
つぶやきながら、苦い笑いが浮かんだ。
これから離ればなれになるというのに。
口にしない方がいいだろうと思っていたのに。
どうしようもない思いというものが。
突き動かされる瞬間が。
あるということを初めて知った。
今さらだけれど。
「だから・・・。だから桜・・・・咲いたら見に来い・・・」
こんな時に。
何、言ってるんだか。
自分でも情けなくなって、次第に声の力がなくなる。
だって、どう告げたらいいか分からないのだ。
こんな、息苦しいほどの感情を・・・。
未夢は固まったままだった。
そりゃそうだろう、いきなりだし。
オレは自嘲気味に笑って、うつむいた。
ふわりと。
空気が揺れる感触がして。
うつむいた先の地面に、未夢の足先。
はっと顔を上げれば、いつの間にか、未夢がすぐ目の前に立っていて。
何とも言えない。真っ赤な顔をしてオレを見上げる未夢。
そして、そのまま。
オレの胸に倒れ込んできた。
しっかりオレの背中に手を回して。
抱きついてくる。
柔らかい感触。
甘い香り。
頭が真っ白になった。
「ばかばかばかばか! もっと早く言ってよねっ」
オレの胸に顔を押しつけて、そう叫んで。
肩をふるわせる未夢に。
カメラをばさっと取り落として、オレはゆっくり腕をまわす。
知らなかった。
ただ細くて柔らかくて。
それだけのことで、こんなにふわりと、幸せな気分になるんだな。
「うん。ごめんな、未夢。遅くなって・・・・」
嗚咽を漏らし続ける未夢の、頭をなでてやる。
あと少ししか時間がないとか。
これから離ればなれで、どうするのかとか。
そんなことが頭をよぎったが。
今はそんなことより何よりも、幸福感で胸がいっぱいになっていた。
未夢が顔を上げた。
間近で合わせる瞳に、照れくさくてお互い笑う。
ほんのり赤く頬を染めて、「私も好きよ」と未夢が小さくつぶやいた。
言葉以上に、ふれ合った温もりと鼓動で、気持ちが伝わっている。
夢うつつの、瞬間。
ずいぶん遠回りをした。
あきらめようともした。
けれど、遅かれ早かれ。
たどり着く先は、同じだったような気がする。
未夢もオレも。
お互い以上のパートナーなど、きっと見つけられない。
「桜、咲いたら一緒に見てくれる?」
「ああ」
「散ってしまっても、遊びに来ていい?」
「うん」
「夏休みには、ずっとこっちにいていい?」
「もちろん」
「いつか・・・また一緒に暮らしたいな」
未夢の発言に、ちょっと目を見開いた。
・・・その意味が分かって言っているのだろうか?
おそらく。まだ少し幼いところのある彼女は、そんなに深い意味を考えもせずに言っているのだろうが・・・。
「ああ。そうだな・・・。いつかまた、一緒に暮らそう」
オレはちゃんと、“そういう意味”を込めて答えた。
未夢は本当に嬉しそうに笑った。
あんまり油断してると、足下から食っちまうぞ。・・・とは、オレは言わなかったけどね。
遠くで未夢を呼ぶ声が聞こえる。
幸福な時間は瞬く間で。
オレは、名残惜しげに未夢の体を離した。
未夢は一歩後退して、オレと真正面から向かい合う。
「じゃあ、行くね」
「ああ」
「きっとすぐ、また会えるよね」
「もうすぐ咲くからな」
「咲いたら、連絡ちょうだいね」
「電話するよ」
「・・・じゃあ」
「・・・うん」
言葉を交わしながら、離れがたく。
しばらく見つめ合っていた。
それでも未夢は、もう一度自分を呼ぶ母親の声が聞こえると、「今行く〜〜」と答えて。
彷徨に小さく手を振って、背中を向けた。
後ろ姿に、何とも言えない寂寥感がつのる。
未夢の背中が泣いているように見えた。
オレも目の奥がつんとした。
気持ちが通じ合っても。
たとえ、わずかな間でも、やっぱり離れるのはつらい。
吹き抜ける風が冷たかった。
カサカサ揺れる下草の間に、先ほど落としたカメラがぽつんと転がっている。
オレはしゃがみこんでそれを拾った。
残っているのは最後の一枚。
カメラを構える。
去っていく未夢の後ろ姿をファインダーでとらえて。
「未夢!」
呼ぶ声が、空気を駆け抜ける。
髪を揺らして振り返り。
カメラを構えたオレを見た瞬間。
未夢は笑った。
カシャリ。
シャッターを切った。
最後の一枚に収まったのは、
オレが欲しかった。
最高の笑顔の未夢だった。
そして今。
満開の桜の下。
花吹雪が舞い踊る中で、オレは数枚の写真を眺めている。
4人で撮った写真。
驚いた顔の未夢。
泣き笑いの未夢。
そして、キレイな笑顔の未夢。
それぞれが色鮮やかに、そのときの記憶をよみがえらせる。
きっとこれからも、未夢はいろいろな表情を見せてくれるだろう。
その一瞬一瞬の変化を、逃さず、しっかりとこの瞳でとらえていきたいと思う。
一番近くで、見守り続けたいと思う。
「かなたぁーーーー!!」
待ち望んだ声に、オレは顔を上げた。
ちょうど、まるで今手にしている写真から抜け出してきたような笑顔の未夢が、桜吹雪の中を駆けてくるところだった。
|