作:夏海 嘉凪
人を好きになった瞬間って自分でわかるもの?
それまでは“普通”に思っていた相手が突然。
“好きな人”になったとき。
昔、国語の教科書の中のお話にあった気がする。
その瞬間、“胸の中の実がはじけた”って。
アイツを好きになった瞬間。
私の胸の中の実もはじけたのかな・・・。
****
「ち・・・ちょっと、未夢っ!!どうしたのよ?
アンタが握り締めてるソレ!雑巾だよっ!?」
「・・・え?」
恐る恐る、ぎゅっと握り締めていたものに視線を落とす。
「きゃあ!!」
「・・・変だよ?最近。」
「・・・。」
無言のまま、コクリと頷いた。
自分でも何となくわかっている。
それまで持っていたデッキブラシをななみが壁に立てかけた。
カツン・・・とタイルに木の柄がぶつかる音が響く。
壁一面タイル貼の学校のトイレは音が良く響いた。
「未夢がぼーっとして実験中に爆発なんて起こすから
私はこうしてトイレ掃除させられてるんだからね?わかってる〜??」
腰に両手を当てて未夢の前に仁王立ち。
「うん・・・。ゴメン。」
そう。
今、二人は放課後にトイレ掃除をさせられている。
未夢が今日の化学の実験中に、爆発騒ぎを起こした為の罰だった。
酸素ボンベを用いた実験。
併せて火も扱うので、酸素濃度には十分注意するようにきつく言われていた。
・・・なのに。
未夢は酸素ボンベの栓を締め忘れ、その近くでマッチを擦った。
もちろん、火はボンっと大きな音を立て勢いよく燃え出し、実験室は大騒ぎ。
何とか、担当教師の金九がその場を収めたが
当事者の未夢と、ペアで作業していたななみは長々と説教を受け。
挙句、こうしてトイレ掃除を命ぜられたのだ。
未夢のドジや抜けているところは昨日今日に始まったコトではなかった。
それでもここ1〜2週間はそれに輪をかけてヒドイ。
最初は“何やってんのよ〜”と笑っていたななみや綾も
だんだん笑い事ではない、と本気で心配するようになっていた。
「ねぇ、未夢。何か・・・悩みとかあるんじゃないの?」
真っ直ぐな瞳でそう告げられて、未夢は思わず視線を泳がせる。
心当たりがないワケではない。
「・・・べ・・・別に何も・・・。」
思い切り不自然に視線をそらしながらそう呟く未夢に
ななみは苦笑いを浮かべた。
「何となく・・・わかってるけどね。」
「・・・。」
「西遠寺くんのことでしょ?」
「・・・。」
言葉を返さないまま、未夢はきゅっと蛇口をひねった。
ザ〜っと勢い良く水があふれ出る。
その勢いを抑えようともせずに、
ガシガシと持っていた雑巾を乱暴に擦りあわせた。
水滴が辺りに飛び散る。
「何か、凄くつらそうだけど。」
「・・・そんなこと、ない。」
「そ?」
―・・・嘘。
ホントはツラくてツラくて仕方がナイ。
でも今それを。
その気持ちを一度でも口にしてしまったら
きっともう歯止めが利かないから。
この勢い良く流れ出す水のように。
だから、言わない。
「でもさァ、ウチの学校もイキナリだよねぇ〜。
交換留学なんて、サ。」
「そ、だね。」
「西遠寺くんがあっちに行ってから・・・もう2週間?」
「・・・うん。」
「家、大丈夫?」
「・・・何とか。」
「何か困った事あったら言いなよ?」
「うん。ありがと。」
そう笑顔を浮かべても、
やっぱり何処か寂しげで。
ななみは胸がチクっと痛んだ。
未夢が必死で気持ちを押し殺そうとしていることが
わかっていたから。
でもそれ以上はもう何も言わない。言えない。
きっと無理に聞き出そうとしたら未夢は泣き出してしまいそうで・・・。
*****
ガラガラガラ・・・
「ただいま〜・・・。」
ガランとした広い家に響く音。
呟いた言葉に返事が返ってくるコトはない。
この時間、ワンニャーとルゥは買い物に出かけている。
―・・・
「あ〜あ。」
部屋に入るなり乱暴にカバンを投げ下ろした。
ドサっと壁にぶつかってその拍子に中身が飛び出す。
今日、少し焦げてしまった教科書・ノート・・・。
それと一緒に飛び出してきたのは。
「・・・あ。」
小さなクマのキーホルダー。
以前、彷徨が“遊園地みやげ”と言ってくれたモノ。
一体どんな顔をして買ったのだろう、と考えると笑えるけど。
彷徨がいなくなってから、お守り代わりに持ち歩いている。
何となく。
彷徨が傍にいてくれる気がして。
「投げたりして・・・ゴメンね。」
そっと拾い上げて撫でてみる。
「・・・まだ、あと1ヶ月半もあるよ・・・。」
突然決まった、交換留学の話。
何でも、アメリカの何とか州・・・にある学校とウチの中学が姉妹校らしく。
今年から、毎年お互いの学校から優秀な生徒を一人選んで
2ヶ月間留学させる・・・とか。
そしてその今年の「優秀な生徒」に選ばれちゃったりしたのが
彷徨なワケで。
最初は嫌がっていた彷徨も校長先生と水野先生には敵わなかった。
渋々、承諾して2週間前に日本を出発。
・・・そして今に至る。
私だって、最初は「せいせいするわ〜」とか言っちゃって。
のんきに構えていたんだけど・・・
一日、また一日と過ぎていく度に何となく寂しくなって。
あの見送り方は、まずかったなァ〜・・・とか、
ちゃんと電話はしてね、って言えば良かった・・・とか。
思うことはイロイロ。
出発の朝に大喧嘩してしまったのが一番、イタイ。
いつもと同じ、今考えるとクダラナイ事だったのだけど・・・。
だから、彷徨が向こうに行って2週間。14日間。
一度も声を聞いてない。
ワンニャーやルゥくんには“無事着いた”っていう電話はあったけど
私には代わらずに切れてしまった。
・・・まだ怒ってるのかな、彷徨。
“後悔先に立たず”。
良く言ったモンよね。
私にはピッタリな言葉だわ。
「はぁ・・・。」
盛大な溜息。
「未夢さん、また溜息ですか?」
「〜っ!ワンニャー!!」
いつの間に帰ってきていたのか、
開けっ放しの襖の前には両手にスーパーの袋も抱えたワンニャーと
その背中ですやすやと眠るルゥが立っていた。
「全く、そんなに気になるなら連絡してみたらいいのに。」
「・・・気にならないっっ!!」
「素直じゃないですね〜、未夢さんは。」
「うるさい〜〜!!」
未夢のその大声で目を覚ましたルゥが、
驚いて顔を歪めた。
「ま・・・まんまァ・・・」
「あ〜、泣かないで〜ルゥくん!ゴメンね〜!!」
「ルゥちゃま〜!!」
急いでワンニャーの背中からルゥを抱き上げる。
彷徨がいない今、ルゥに本気で泣かれると
大変なのだ。
しっかりと胸に抱いて静かに身体を揺らすと
ルゥはまた、すぅっと眠りについた。
「はぁ、良かった・・・。」
「気をつけて下さいねっ、未夢さん!」
「はぁい・・・。」
ワンニャーにそう言われて思わずしゅんと項垂れる。
「・・・彷徨さんがいなくて寂しいのは皆、同じですよ。
ワタクシも、ルゥちゃまも。“家族”ですから。」
「・・・うん。わかってる。」
*****
家族って一人欠けただけでこんなに寂しいモノなんだね。
彷徨がいない、食卓。
いつもと同じゴハンのはずなのに・・・
何だか物足りないよ。
いつもと同じ学校、教室。
いつもいる人がそこにいない。
傍にいる人がいない。
何かが、足りない。
何だか、ココロの端っこが欠けたみたいに。