チリーン・・・チリーン・・・
・・・風鈴、か。
もうすっかり夏なんだなァ・・・。
蝉時雨がしきりのこの頃。
彷徨や未夢の夏休みも2週間目に突入。
もうそろそろカレンダーも8月に変わろうとしていた。
うだるような暑さに、
草木もどことなくぐったりしているように見える。
何処までも続く、
真っ青な空に大きな入道雲。
スーパーたらふくの前で
電柱に寄りかかっていた彷徨は、
何気なく空を仰いだ。
ただ何もせず、外に立っているだけで
額にじんわりと汗が滲んでくる。
「ふぅ〜。今日も暑いねぇ〜。」
未夢が両手に二つ、パンパンになった袋を抱えて
スーパーの入り口から姿を見せた。
「おっせーなァ。何やってたんだよ!」
口ではぶつぶつと言いながらも、
彷徨は素早く駆け寄って未夢の両手から袋を受け取る。
「だって、混んでたんだもん。
文句言うなら一緒に中にいれば良かったじゃない!」
そう言うと未夢はいつものように頬をぷくっと膨らませた。
「・・・。」
彷徨にしてみてもこんな炎天下の中、
ボーっとバカみたいに未夢の買い物が終わるまで
外で待っていたかったワケではない。
最初は未夢に付き合ってカートを引いて
店内を回っていたのだ。
ただ、“お、お若い奥さん!コレどうだい?”だの
“あら、見て〜。カワイイカップルねぇ〜”だのと
威勢の良い鮮魚コーナーのオジサンや、
お喋り好きそうなオバサンの好奇の目に耐えられず
途中で「外で待ってる」と言って未夢にカートを押し付けた。
・・・やっぱり来るんじゃなかった。
ワンニャーのやつ・・・。
重い荷物で両手を塞がれ、頬を伝う汗も拭えない。
暑さでイライラする。
自然とそのイラつきは家でゴロゴロと寝そべっているであろう
ワンニャーに向けられた。
元々、今日の買い物当番はワンニャーなのだ。
オット星から地球に来て初めての夏、ということも
あってかこの暑さになかなか馴染めないようだった。
『も゛う゛、ダメでず〜。未夢ざんと彷徨ざんでお買いもの
お願いじまずぅ゛〜。』
そう言って、≪今日の買い物リスト≫を二人に手渡した後、
扇風機の前で寝転んで動かなくなってしまった。
「ワンニャーもあんな暑苦しい毛皮があるからいけないのよね。
モコモコしちゃって見てる方も汗が出てきそうだもん。」
未夢が両手で顔をパタパタと扇いでいる。
「・・・まぁな。」
・・・あァ、もう暑くて話すのも面倒くさい・・・。
チリーン・・・チリーン・・・
・・・また聴こえた。
「あ〜。風鈴の音聴くと、ちょっとは涼しい気分になるよねぇ。」
「そうか?俺は今は全然・・・。」
・・・それよりこの荷物、片方持って欲しいんですけど。
そんな彷徨の思いに未夢が気付くはずもなく。
「ね、そういえば西遠寺に風鈴って無いよね?
そういうの、ありそうなのに。ちょっと意外。」
「・・・あァ。」
「ね〜、聞いてんの?そのやる気のない返事っ!」
「・・・あァ。」
彷徨のその返事が余程気に食わなかったらしく
未夢の足音がやたらと大きくなった。
・・・昔は毎年、飾ってたんだけど。
「あ、そうだっ!ね、彷徨は先に帰ってて!
私ちょっと忘れ物があるから!」
そう言うと、未夢はくるりと踵を返し
今来た道を駆け足で引き返した。
「・・・え?おっ、おい!待てよ!」
慌ててその背中に呼びかけても駆け出した未夢には届かない。
「・・・マジかよ。・・・っつーか何でこんなにこの袋重いんだ?」
一度持ち直そうと、二つの袋を地面に置いた。
彷徨だって非力なワケではない。
・・・なのに、この荷物はかなり重い。
スーパーから此処まで歩いてきただけで
手の平がじんじんと痛む。
・・・まさか。
嫌な予感がしてチラリと袋の中を覗いてみた。
米、醤油、味噌、味醂・・・。“大物”ばかりだ。
・・・クソっ!ワンニャーのやつ!
自分で買い物に行かないからと、
今日に限って普段は買わない“大物”ばかり
リストに加えていたに違いない。
そう考えると益々、イライラが募る。
・・・あ〜・・・暑い・・・。
チリーン・・・チリーン・・・
風鈴・・・何処に閉まってあるんだろ・・・。
*****
*****
「ねぇ、かあさん!アレ、出してよ!」
「?・・・あぁ、“アレ”ね?」
庭先で洗濯物を干している瞳のスカートを
彷徨がグイグイっと引っ張った。
突然、“アレ”と言われて戸惑ったけれど
今日は7月21日、海の日。
西遠寺家の軒先に風鈴が飾られる日だ。
洗濯物を干し終えると瞳は寝室の押入れから
小さな箱を取り出してきた。
「ほら、彷徨の風鈴よ。」
中から出てきたのは小振りの風鈴。
薄い水色の金魚の飾りが付いている。
これは彷徨がまだ赤ん坊の頃に
宝晶が何処からか買ってきたものだった。
「早く、吊るしてよぉ。」
「はいはい。」
彷徨がニコニコと満面の笑みを浮かべて
瞳をせかす。
チリ・・・ン・・・
約一年ぶりに軒先に飾られた風鈴は
去年と変わらない音を立てながらゆらゆらと揺れた。
「彷徨の風鈴は良い音色ね。」
彷徨はこの風鈴の音が大好きだった。
出来れば、一年中こうやって飾っていたい。
それでも瞳は
“風鈴を飾るのは夏の間だけにしましょう”
と優しく彷徨に諭した。
“風鈴の音は、夏にひと時の涼を私たちに運んできてくれるのよ”と。
二人の間では風鈴は
7月21日の海の日に飾り、8月31日に仕舞う事になっていた。
瞳は風鈴を仕舞うときに必ず
“今年も素晴らしい音色をありがとう。また来年も宜しくね”
そう風鈴に向かって告げるのだ。
彷徨は風鈴の音色も好きだったが、
その風鈴の音色を聞きながら
瞳と縁側で涼むことが大好きだった。
団扇をゆっくりと扇ぎながら
優しく微笑む、母・瞳の姿。
西遠寺に毎年、響いていたその音色がパタっと止んでしまったのは
瞳が亡くなって初めての夏からだった。
******
******
ガラガラ・・・
「〜っっ!!オイ、ワンニャー!!!」
何とか石段を上り終え、
玄関先に乱暴に袋を置く。
下を向くと、汗が雫のようにぽたぽたと落ちた。
「おかえりなさ〜い。
あれっ、未夢さんはご一緒ではないんですか?」
ワンニャーが呑気に団扇を片手に出迎える。
「あァ、何か忘れものがあるからって・・・・
・・・ってそれより何だよ!この買い物は!
重いものばっかりじゃねーか!!」
あまりの暑さで普段は何てことない些細なことでも
イライラしてしまう。
「す・・・すみません〜〜っ!!」
その彷徨の形相にワンニャーもただただ平謝り。
「・・・ったく。」
はぁ〜っと盛大な溜息をついて、
洗面所へ向かった。
「今日の彷徨さんは何だかコワイですぅ〜。」
ワンニャーは彷徨が玄関先に置きっぱなしにした
2つの袋をずりずりと引きずりながら台所へ運ぶ。
「・・・それにしても重い。頼みすぎました・・・。」
*****
・・・まだ手がじんじんする。
未夢は未夢で途中でいなくなるし・・・。
汗だくになった顔を冷たい水で洗って
Tシャツを取り替えたら幾分かは涼しくなった。
イライラとしていた気持ちも一緒に
何処かへ吹き飛んだようだった。
「きゃ〜いっ!」
「あっ、ダメだってば!ルゥくんっ!」
・・・未夢?帰ったのか・・・。
チリーン・・・チリーン・・・
・・・?
その音は縁側の方から聴こえる。
「未夢?何やってんだ?」
「あっ、彷徨!見て〜。カワイイでしょっ♪」
いつの間にか帰っていた未夢がニコニコと笑顔を浮かべて
人差し指で示すところへ彷徨は視線を向けた。
急に顔を振り仰いだせいで、
夏の強烈な日差しが瞳に飛び込む。
反射的に目を細めて見た先には。
「風鈴?さっきコレを買いに行ったのか。」
西遠寺の軒先には、
赤い金魚の飾りがついたものと。
青い金魚の飾りがついたものの2つが吊るされていた。
「やっぱり夏はコレだよね!音色を聴くだけで
なんだか癒されるよ〜。ね、ルゥくん。」
未夢がルゥを抱いて縁側に腰掛ける。
「・・・だからって何で二個なんだよ。
普通、風鈴ってのは一つ飾るモンじゃないの?」
「だって、赤と青のどっちが良いかなァって迷ったんだけどさ。
決められなかったんだよねぇ〜。」
そう言って頭を掻きながらあははと誤魔化し笑いを浮かべた。
チリーン・・・チリーン・・・
チリーン・・・チリーン・・・
爽やかな風が西遠寺を駆け抜けると共に、
風鈴の合唱が始まる。
「あ〜いっ!ぱんぱ、まんまぁ!!」
ルゥがそれぞれの金魚を指で示して
嬉しそうに手を叩いた。
どうやら鯉のぼりのように
青を父親、赤を母親、だと思っているらしい。
「ふふっ。ルゥくん、アレが彷徨でこっちが私?」
「あ〜いっ!」
未夢の言葉にルゥがニコニコと右手を挙げる。
その様子を柱に寄りかかりながら見つめていた彷徨は
急に何かを思い出したように、奥の和室へと入っていった。
「彷徨〜?」
「ちょっと待ってろ!」
ワケが分からず、未夢は小首を傾げながら
ルゥと顔を見合わせた。
******
和室に足を踏み入れると、
ひんやりとした空気が身にまとわり付いた。
あまり日が当たらないここは
他の部屋と比べると随分涼しい。
彷徨は一瞬、躊躇したものの
押入れの扉に手をかけた。
・・・ギッ
ゆっくり開くと、木が軋む音がした。
「あった・・・。」
すぐに瞳に飛び込んできたのは見覚えのある茶色の箱。
上面には母親の字で“彷徨の風鈴”と記されている。
・・・かあさん、出す時期は少し遅れたけど今年はこの風鈴、使うよ。
静かにココロの内でそう思って。
彷徨は箱の上蓋を開けた。
何年かぶりに目にする薄い水色の金魚の風鈴は、
昔と全く変わらない姿で箱の中にキチンと納まっている。
そっと丁寧に風鈴を取り出すと、
箱の蓋を閉じ、元あった場所へと戻した。
「・・・今年も宜しくお願いします。」
何気なく小さな声で呟いた瞬間
・・・チリーン・・・
風鈴は僅かに音を響かせた。
―・・・・・・
「彷徨、何してたの〜?・・・アレっ?風鈴!」
縁側に戻ると、未夢とルゥが先ほどと
同じように二つの風鈴を眺めている。
彷徨は手にしていた風鈴を手早く
青の風鈴と赤の風鈴の間に吊るした。
「・・・よし。ルゥ、この水色のやつはルゥだぞ。」
そう言って彷徨は未夢の膝の上からルゥを抱き上げる。
「あ〜いっ!!」
ルゥの満面の笑みを見て
自然と彷徨と未夢の顔にも笑顔が溢れ出した。
・・・チリーン・・・・・チリーン・・
・・・チリーン・・チリーン
青い金魚の風鈴と。
赤い金魚の風鈴の真ん中に並んだ
少し小さめの水色の金魚の風鈴。
少しづつ音色の違う“家族の風鈴”は。
柔らかい風が通る度に美しい和音を奏でだす。
・・・この年から毎年夏になると西遠寺には、
3つの風鈴の温かい音色が響くようになった。
*****
「あ、彷徨さん。ご機嫌が直ったようですね〜。」
ようやく荷物を片付けて呑気にワンニャーが
縁側に顔を覗かせた。
「ワンニャー、もう動いて平気なの?」
買い物に出かける前にはあんなにぐったりしていたはずなのに
今はピンピンしているワンニャーを見て
未夢が不思議そうな表情を浮かべる。
「あ・・・。」
「俺が帰ってきたときも普通に動いてたしな。
ま、いいよ。明日からしばらくはワンニャーに買い物行ってもらうから。」
「う・・・。」
二人の冷ややかな視線を
その暑苦しい、モコモコの毛を纏った全身に浴びて、
ワンニャーはすごすごと台所へと引き下がった。
・・・チリーン・・・・・チリーン・・
・・・チリーン・・チリーン
「何なんでしょう、アレは。・・・うるさいですねぇ〜。」
ワンニャーに地球の、日本の夏の風情を理解しろ
と言ってもそれは無理な話だった。
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