作:あずま
西遠寺にはクーラーがない。
その理由のひとつに、西遠寺が町を見渡せる高台に建っていることがある。
建物にさえぎられることなく、アスファルトにも熱せられていない風が吹き込んでくるため、暑い夏の間でも扇風機があれば何とかしのぐことができる。
それでも暑いときには庭に打ち水をして過ごす。
夏の日差し。
開け放たれた窓。
打ち水をされた庭を通って吹き込む風と扇風機にうちわ。
そして時に並ぶ、麦茶やすいか―――
これが西遠寺の夏の風景である。
そしてもうひとつ、この西遠寺の夏に加わったものがある。
―――チリーン……
よんでいた本から顔をあげ、彷徨は外を見た。
額を伝う汗をぬぐい、濃い影を落としている庭から視線を上へと持っていく。
チリーン……チリリーン
縁側の上、天井に近いところ。
そこに、吊り下げられた物を見て、彷徨は口をほころばせた。
強い日差しを反射して輝く、柔らかな曲線。
泳ぐ赤い金魚。
チリーン……
静かに広がる、涼やかな響き。
それと同時に感じる自然の風は、扇風機とは違う心地よさを運んでくる。
「今回は未夢に感謝、だな」
―――チリン……チリリーン
彷徨は目を閉じて、その音に聞き入っていた。
その風鈴は今年の夏祭りの日、未夢が買ったものだった。
当日着ていた、新しく買ってもらったという紺地の浴衣は未夢にとても似合ってはいたが、彷徨の頭を痛くもさせた。
自分の恋人が、自分のために着てくれた浴衣―――彷徨にとって嬉しくないはずがない。
「……どうかな?」
そう頬を赤く染めて呟き、自分の様子をうかがっている様子を見ればなおさらである。
だが、それを着て祭りにいくとなれば話は変わってくる。
相変わらず自覚のない、この少女に集まってこようとする虫たちを睨みつけ、牽制し、追い払うという作業の繰り返し。
祭りを楽しむ余裕などない。
そんな中、未夢は彷徨の袖を引っ張るとある夜店を指差した。
「ほら、彷徨!風鈴があるよ〜」
何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを彷徨に向ける。
「きれいだね〜」
「……そうか?」
夜店に並んだ大量の風鈴が一斉に鳴っているその光景は、きれいというより騒々しい。
顔をしかめる彷徨に構わず未夢は風鈴を眺め、そのうちの一つを手にとった。
「おじさん。これくださーい」
「おうっ!いらっしゃい!お嬢ちゃんかわいいねーっ!」
「えっ!そんなことないですよぅ」
ここは年の功と商売根性―――彷徨の険しい視線をものともせず未夢のことを褒め、ついでに200円おまけして風鈴を未夢に手渡した。
未夢はぺこりと頭を下げて彷徨の方に向くと、たった今買った風鈴の包みを差し出した。
「はい。彷徨にあげる」
突然のことに目を見開いた彷徨の手に風鈴の包みを握らせ、その顔を覗き込む。
「だって彷徨、せっかくのお祭りなのに楽しくなさそうなんだもん。これあげるから、元気出して?」
(元気出せって……誰のせいだと思ってるんだよ……)
頭を抱える彷徨を不思議そうに見つめた後、いいこと思いついたという様子で手を打ち合わせる。
にこりと笑って、未夢は彷徨の手をとって歩き出した。
「よーしっ、気前のいい未夢ちゃんがもう一つだけ、彷徨さんにおごってあげましょう!」
彷徨は考えのずれたままの未夢を見つめて、小さくため息をついた。
(こうやつだもんな。仕方ない……か)
そして今度はにやりと笑って、指を折りながら呟く。
「なら、焼きそばとたこ焼きと……」
「ちょっ……彷徨っ!?一つだげだってば〜」
慌てる未夢にべっと舌を出す。
彷徨が未夢の手を握り返し、二人で顔を見合わせて笑ったのだった―――
パタパタと音を立てて、未夢は西遠寺の廊下を歩く。
その腕にはノートとペンケース。
「ねえ、彷徨。ちょっとここ教えてほしいんだけど……」
言いながら障子を開けて、未夢は部屋を見渡した。
(……いない?)
机の上に出したままの本。
回り続ける扇風機。
そして、机の向こう側に風にゆれる茶色の髪を見つけてわずかに頬を緩めた。
「なんだ。いるんじゃないの」
またいつもの意地悪かと、頬を膨らましながら彷徨に近づいた未夢は、意外なものを発見することになる。
「……寝てる……」
力が抜けて、未夢は彷徨のすぐそばにひざをついた。
そしてそのまま、彷徨の顔を見つめる。
こんなに近くで、彷徨の顔をじっくりと見る機会などあまりない。
いたずらっぽく輝く瞳はまぶたの下に隠れ、いつも余裕を失わず大人びた表情を浮かべているその顔は、あどけなく幼いものに変わっている。
「なんか、かわいいかも」
そっと手を伸ばし、髪に触れる。
「やわらかーい」
指に心地いいサラサラの髪。
くすくすと笑いながらなでていると、優しい風が吹き抜けた。
―――チリーン……
その音に惹かれて見上げた先にゆれる風鈴。
「彷徨、吊り下げてくれたんだ」
うれしくて、もっと近くで見るために立ち上がりかけた瞬間、彷徨の髪に触れていた手をつかまれた。
「きゃあっ!」
腰に腕を回されるのと同時に未夢は腕を引っ張られ、再び膝をつく。
太ももに柔らかな感触と重み。
呆然と自分の足の上のものを見つめる。
いわゆる―――膝枕。
その言葉が浮かんだ瞬間、未夢は湯気が出てもおかしくないぐらい真っ赤になった。
「ちょっと彷徨っ! 何してるのよっ!」
「いーだろ、減るもんじゃないし」
立ち上がろうにも、彷徨の腕はしっかりと未夢の腰に回されている。
「彷徨〜頭どけてよ〜」
ぐるぐると腕を振り回す未夢に対し、彷徨は目を閉じたまま腰にまわした腕に力を入れる。
「やだ」
「なんでいやなのよぅ……恥ずかしいじゃない」
目を開けて、未夢の目を見つめる。
「気持ちいいし、安心できるから」
未夢の目がわずかに見開かれた。
そして、少し困ったように彷徨をにらみつける。
「……ズルイ」
(そんなこと言われたら、ダメなんて言えないよ―――)
まだ少し赤い顔で、未夢が彷徨の髪に触れた。
少しくずぐったそうに、気持ちよさそうに彷徨が頬を緩める。
(ネコみたい)
未夢の顔にも笑みが浮かぶ。
「いつから起きてたの?」
「未夢が髪なでてる時から」
「……ずっとたぬき寝入りしてたの?」
「気持ちよかったからな」
―――チリリーン……
風に溶けるささやき。
音にあわせて揺れる、二人の髪。
「彷徨〜いるか〜」
突然聞こえたその声に、未夢は慌てて立ち上がった。
ゴンっと鈍い音がした気もしたが、そんなことに構ってはいられない。
ひょいっと庭のほうから顔を出したよく見知った顔に、未夢は引きつった笑顔を向けた。
「さ……三太くん……」
「玄関のチャイム押してもだれも出ないからさ〜声が聞こえたからこっちに回ったんだけど……」
そこで言葉を切り、三太は二人の様子を見比べた。
「な…なに?」
真っ赤な顔をして、どこか慌てた様子の未夢。
「……で、何のようなんだよ?」
痛そうに顔をしかめながら頭をさすり、不機嫌な口調で三太をにらみつける彷徨。
(―――これは、もしかして……)
「俺、邪魔したか?」
「えぇっ!そんなことは……っ!」
「よく分かってんじゃん」
「彷徨っ!」
二人の様子をしばらく眺めていた三太は、何事か思いついたように楽しげに笑った。
「俺やっぱり、今日は帰るよ。またな〜」
「三太くん、待ってってば〜」
手を振りながら、足取り軽く去っていく三太を引きとめようとあげかけた手を、彷徨がつかむ。
恐る恐る振り向いた未夢を見上げて、彷徨がにやりと笑った。
「未夢、さっきの続き」
「えっと〜……」
「いいだろ?ほら」
「…………」
―――チリーン……
吹き抜ける風と静かに響く風鈴の音。
それらに包まれて、未夢の膝の上で気持ちよさそうにまどろむ彷徨と、その髪に指を絡めて幸せそうに微笑む未夢の姿があった。
ちなみに、その日三太が打ったメールに小躍りした少女が二人いたことと、後日、一人の少女が質問攻めにあったことを追記しておこう―――
いかがでしたでしょうか。
私にしては早く書けたな〜と、本人、驚いています(^^;
今回、一番いい思いをしたのは彷徨でしょうね〜。未夢の膝枕、ゲットしてますし。
でも、ある意味、メールを受け取った二人の少女かも(笑)
あの三人、完全に「みゆかなからかい隊」(←ちーこしゃん命名)と化してます。
そして、この小説は南しゃんに捧げます。
3つの中からどれでも、ということだったので「風」で書かせていただいたんですけど……どうでしょう?
ちょっと「風」からずれてしまった気もしますが、許してください(汗)
楽しんで読んで下さると嬉しいです♪
ではでは。