作:あずま
夕飯の買出しに行った帰り道のことだった。
彷徨と『みたらし』青年に変身したワンニャーが荷物を持ち、ルゥを未夢が抱いている。
いつものように他愛もない話をしながら歩いていると、未夢がふと足をとめた。
「ねぇ彷徨! あれ見て、あれ!」
未夢がはしゃいだ様子で指差した先にあったのは一枚のポスター。
「……蛍祭り?」
それは2、3年前から隣町で開かれているイベントだった。
町の人に自然に親しんでもらい、環境保護の意識を高めようとの趣旨で、その町にあるホタルの飼育・研究施設を一般に開放するのである。
「ホタルって何ですか?」
不思議そうなワンニャーに、未夢が説明する。
「ホタルってね、ぴかぴか光ながら飛ぶ虫なんだよ〜」
きれいなんだよね〜とうっとりとする未夢に、ワンニャーも興味津々といった風で話を聞く。
「ね、彷徨。行ってみようよ!」
はしゃぐ未夢に対し、彷徨はいやそうな顔をした。
「やめとけって。人が多いばっかりで、情緒も何もないぞ」
「えーっいいじゃない!私見たことないし…ルゥくんもホタル見たいよね〜?」
「マンマ!きゃ〜いっ!」
「私も見てみたいですね〜」
あっという間に未夢はルゥを味方につけ、ワンニャーとともに彷徨に向き直る。
「彷徨〜っ」
「パンパっ」
「彷徨さ〜んっ」
(…………)
多勢に無勢。
期待いっぱいの目で見つめられて、彷徨が白旗を揚げるまでそう時間はかからなかった。
「あーもう分かったよ! 行けばいいんだろっ、行けばっ!?」
彷徨の言ったとおり、祭りの会場であるその施設には長蛇の列ができていた。
しかし、祭りといっても、屋台が出ていたりするわけではない。
施設を通り抜けながらホタルを見るだけなので、あまり待つことなく施設内に入る。
人が歩くのに必要最低限の光量で照らされたその場所で、未夢は息を呑んだ。
たくさんの、淡い緑の光。
それらが織り成す光の乱舞。
幻想的なその光景。
「きれい……」
もちろん自然の中で見るものはこれとは比べ物にならないのだろうが、それでも、未夢ははじめてみるホタルに見入っている。
それはワンニャーも同様だったようで、目をきらきらと輝かせながら、飛び回るホタルの向かって手を伸ばす。
「きれいですぅ〜。来てよかったですね、ルゥちゃま」
「きゃあっ!」
はしゃぐ3人を眺め、彷徨は口元に笑みを浮かべた。
ルゥが、ワンニャーが―――何よりも未夢が楽しそうに嬉しそうにしているのを見るのは、最近彷徨を温かい気持ちにさせてくれる。
「ほら、行くぞ。はぐれんなよ」
「うん!」
こくん、とうなずいたものの、どうしても飛び回るホタルに目を奪われる。
あまり前を見ることなく歩いていた未夢は、そのまま誰かの背中にぶつかってしまった。
「ごめんなさいっ!」
頭を下げて謝って、前を見た次の瞬間、未夢は顔をこわばらせた。
先を歩いているはずの、見慣れた背中がない。
「……彷徨?」
返事はない。
「ルゥくん? ワンニャー?」
襲ってくる心細さ、寂しさ、不安―――人はいっぱいいるのに、感じるのは圧倒的な孤独。
さっきまでは優しさを感じさせていた蛍の光も、何故だか寂しく冷たい。
もう一度周囲に目を走らせ、うつむく。
ぶつかって、はぐれてからそんなに時間は経っていない。
道は一つしかないのだから、追いかければすぐに追いつけるはずだというのに、動かない足。
(―――どうして……?)
「彷徨ぁ……」
望んだ声は、得られなかった。
「未夢?」
「彷徨さん、どうしました?」
突然足を止めて振り返った彷徨を、ワンニャーが不思議そうに見やる。
彷徨は周囲を見渡して呟く。
「……未夢がいない」
「えぇっ?!」
ワンニャーも慌てて周りを見るが、やはり、未夢の姿は見えなかった。
「未夢さん、どこに行っちゃったんでしょう……?」
「マンマぁ……」
今にも泣きだしそうなルゥの頭に手を置いて、その顔を覗き込む。
「大丈夫だ。未夢はすぐ戻ってくるから……」
「パンパ」
大きな目に涙をいっぱいに溜めたルゥを軽くなでて、彷徨は二人に背を向けた。
「ワンニャー、ルゥを頼むぞ」
「えっ?彷徨さんどこへいかれるんですか?」
肩越しに振り向いて、にやりと笑う。
「大きな迷子を迎えに行って来るんだよ」
人の流れを避けて、隠れるように未夢はしゃがみこんでいた。
幼い頃の記憶がよみがえる。
(大丈夫……もうすぐパパやママが迎えにきてくれる。「未夢〜探したんだぞ〜?」って言いながら、暖かい手で頭をなでてくれて。きっと、きっと……)
「――――未夢っ!」
呼ばれて、ゆっくりと顔をあげる。
(パパ! ママ!?)
まっすぐに駆け寄ってくるのは、一人の少年。
いつも余裕を失わないその顔に、わずかな怒りと安堵の表情を浮かべている。
「こんなところで何やってんだよ」
はぁ、と大きくため息をついた彷徨は、相手から何の反応もないことに気づいて首をかしげた。
「……未夢?」
呼ばれて、はっとした様子の未夢に再びため息をつく。
「目、開けたまま寝るなよ」
そんな彷徨の言葉にも、未夢は反論ひとつしない。
ただ呆然と彷徨を見つめ、呟いた。
「……彷徨?」
「なんだよ?」
「……彷徨だよね?」
「……ほかの誰に見えるって言うんだよ?」
不機嫌そうに答える彷徨を見つめて、未夢はじんわりと温かい気持ちが体中に広がっていくのを感じた。
(彷徨だ……)
不意に泣きそうになって、未夢は慌てて顔を伏せた。
「……ほら」
伸ばされる腕。
目の前に突き出された右手と彷徨の顔とを交互に見比べる。
「……だから、手!」
(手?)
首を傾げてしまった未夢に、彷徨は差し出していた手をさらに伸ばして未夢の手を捕まえた。
「え?ちょっ……彷徨!?」
未夢が驚きの声をあげるのにも構わず引っ張り起こすと、そのまま歩き出した。
彷徨に掴まれたままの手と前を向いたまま振り返らない彷徨に、未夢は慌てていた。
(どうしよ〜!?)
彷徨の手は大きくて少し冷たくて―――
離してほしいと思う気持ちと離してほしくない気持ちとが未夢の中でせめぎあう。
恥ずかしさと安心感と、もうひとつの思い。
それがなんなのか、未夢には分からない。
分かっているのは、自分が真っ赤になっていることと心臓が自分でもわかるくらいバクバクと音を立てていること。
しかしその原因が分からない。
そんな戸惑いのなかで気づいたのは、自分の手が彷徨につかまれているということだった。
それは彷徨の意思ひとつでこの手が失われてしまうことを意味していて、何よりも未夢を不安にさせた。
(失いたくない……離れてほしく、ない)
未夢がわずかに手に力をこめる。
彷徨の体がびくりと震えたのが分かる。
途端に、自分の行動に後悔する。
振り払われるのが、彷徨の手が離れてしまうことが怖くて未夢はぎゅっと目を閉じた。
しかし、いつまでたってもぬくもりは離れていかなかった。
小さく笑う気配を感じてすぐ、逆に強く握り返される。
驚いた未夢が彷徨を見たけれど、その後ろ姿からは表情をうかがうことはできなくて―――
それでも、しっかりとつながれた手から伝わってくる思いがある。
それがなんなのかはまだ分からない。
顔に感じる熱も原因不明のバクバクも収まってはいない。
それでも未夢は小さく、幸せそうに微笑んでいた。
「マンマっ!」
「未夢さん! 彷徨さん!」
突然聞こえたその声に、反射的に未夢の手は彷徨の手の中から引き抜かれた。
「ルゥくん!」
そのまま、今にも飛んでしまいそうなルゥを必死に抑えているワンニャーの元へと走る。
彷徨はそんな未夢を見送って、自分の手に目を落とした。
小さくて柔らかくて温かい手。
未夢を引っ張り起こすためにつかんだその手を離し難くてそのまま歩き出したものの、いつ振り払われてしまうかと不安でしょうがなかった。
けれど、未夢は握り返してくれた。
はじめは驚いたけれど、耳まで赤くして俯いたまま、かすかに震えている未夢を見て自然と笑みが浮かんだ。
未夢も自分と同じような不安を感じてたんじゃないか、と思うと嬉しくて、愛しくて。
(まさか、とは思ってたけど、しょうがないよなぁ)
薄々気づいていた感情をはっきりと自覚して、彷徨は苦笑した。
「彷徨ーっ!」
蛍火に囲まれて笑顔で自分を呼ぶ、どこまでも鈍感な少女に答えながら考える。
今はルゥのものになっているその手を自分のものにするためにしなければならないこと。
「とりあえず、虫除けはしっかりしておかないとな」
西園寺彷徨―――彼の苦労ははじまったばかり。
読んで頂いてありがとうございましたm(_ _)m
とりあえず設定としては、未夢と彷徨が付き合っていない…それどころか、未夢には自覚すらないという状況です。自覚がないだけで症状は出てるんですけどね。
私にとって、彼女はひたすら鈍い人ですから、自分の気持ちに気づくまでにも時間がかかっただろうな、と思ってたらこんな感じになってしまいました(^^;
ガンバレ!彷徨!(笑)
そして今回、ルゥくんとワンニャーを初めて書きました。
書いてて楽しかったんですけど、あんまり文章中に出てきてないんですよね。
特にルゥくんをもっと動かして、ほのぼの家族的なところも作りたかったんですけど…
次の機会でがんばります。
この小説は流那しゃんへささげますv
「初夏のほのらぶみゆかな」ということだったんですけど…ほのらぶ、なのかな…コレ(汗)
こんな感じになってしまいましたけど、気に入っていただけたら嬉しいです(^^;
ではでは。