優しく暖かい日差しが心地いい午後。
一台の黒い大きな車が西遠寺の石段の前に止まった。
すっかり春らしくなってきたこの頃。
風に乗って運ばれた桜の花びらが、車の上にひらひらと舞い落ちる。
「鹿田さん、ありがとう」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
車から降りた一人の小さな少女、ももか。
ももかは鹿田ににっこり微笑むと、逸る気持ちを抑えながら一歩ずつ石段を上った。
背中には、ピカピカの新しいランドセルを背負って・・・。
◇◆◇◆◇◆
石段を上り終えると、ももかはすぐさま母屋へと向かった。
少しどきどきしながら玄関で呼び鈴を押す。
すると、はーいという声が微かに聞こえた。
奥からの足音が段々と近づいてくる。
そしてしばらくすると玄関の戸が開いた。
「ももかちゃん、いらっしゃい」
そう言って出迎えたのは未夢だった。
すでに高校は春休みに入っている。
そのため未夢は日中はほとんど彼氏である彷徨の家、つまり西遠寺で過ごしていた。
そしてももかも、ルゥがいなくなって数年経つ今でもこうしてたまに遊びに来ている。
玄関に立ったままにっこりと笑っているももか。
未夢が不思議そうに首をかしげると、くるっと後ろを向いて見せた。
「あっ、ランドセルじゃない!」
「えへへ。おばたんたちに見せたくて持ってきちゃった」
嬉しそうなももかに、つられて未夢も笑顔になる。
私も小学校に入るとき、すっごく嬉しかったな。
こんな風にランドセルを背負うのが楽しみで楽しみで・・・。
「おい、玄関で何やってんだ?」
「あっ、彷徨!」
なかなか戻ってこない未夢にしびれをきらして、彷徨も玄関へとやってくる。
「見て、彷徨!ももかちゃんのランドセルだって!」
「はいはい、いいから二人とも中に入れ」
「「はーい」」
彷徨に言われ、未夢とももかは声をそろえて返事をする。
そのタイミングに彷徨はもちろん、当人たちも驚く。
「・・・お前らって意外と気が合うよなぁ」
彷徨の言葉に、未夢とももかはお互いに多少複雑な表情をしながら居間へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
居間では彷徨がつけっぱなしにしていたテレビの音が響いていた。
テーブルの上には、二人の分のコーヒーと未夢の読んでいた雑誌が無造作に置かれている。
ももかはその場に行儀よく座ると、ランドセルをおろす。
未夢はテレビを消すと、ももかの隣に座った。
「入学式はいつなの?」
「あさってよ」
「そっか〜、楽しみね。私も小学生の頃に戻りたいなぁ」
「おばたんには小学校なんてもう当の昔の話なんじゃないの?」
「・・・・・っ」
ももかの言葉に、未夢の表情が引きつる。
こういうズバっとしたモノの言い方は昔から本当に変わっていない。
私だってまだ高校生よ?
そりゃ、確かに小学生だった頃は昔だけど・・・。
やっぱり小学生から見たら高校生なんて『おばさん』なのかなぁ?
「おばたん、その頃好きな男の子とかいたの?」
「う〜ん、仲のいい子はいたけどね」
「それは聞き捨てならないセリフだな」
「えっ」
未夢が振り向くと、そこにはももかのためにジュースを持ってきた彷徨がいた。
その表情は不機嫌・・・というか拗ねた子供のようだ。
「やだ、彷徨聞いてたの?」
「聞こえたの」
「で、でも子供の頃の話だよ?」
「でも戻りたいって言ってただろ。今より小学生の頃の方がいいって訳だ」
「ち、違うってば。・・・今が一番楽しいですっ!」
「ふふっ、二人ともホントラブラブね」
目の前の二人を見て思わずくすくすっと笑うももか。
小さなももかの前なのに、つい独占欲を表に出した彷徨は気まずそうに未夢から視線を逸らす。
未夢も急に恥ずかしくなって、顔が熱くなっていくのを感じた。
「そっ、それにしてもももかちゃん、もう小学生なんて早いよね〜」
「おばたん、話逸らしてない?」
「そ、そんなこと・・・」
態度があまりにもわかりやすい未夢。
今度は彷徨が助け舟を出した。
ももかにジュースを渡しながら言う。
「俺はこの二年、それなりに長かったと思うけど。どう?ももかちゃん」
「・・・・・・」
彷徨の言葉に、ももかは黙って頷いた。
正直、ももかにとっては本当に長い二年間だったのだ。
大好きだったルゥとの別れ。
それは思った以上にももかには大きな出来事だった。
幼稚園から帰ったら真っ先に西遠寺へ行くのが日課だったももか。
ルゥのいない寂しさは、他の友達や未夢たちといても簡単に埋まるものではなかったのだ。
そんなももかの気持ちを彷徨はよくわかっていた。
ルゥがいない寂しさをももかと同じ、いやそれ以上に未夢が引きずっていたから。
人前では気丈に明るい、でも心ではどこかまだ受け入れられない。
・・・だから時折寂しげな表情をする。
そんな所が未夢とももかの二人はよく似ていた。
「・・・あたし、ルゥを忘れなくてもいいよね?」
「えっ?」
「ルゥのこと、ずっと大好き。もし、他に好きな人ができてもルゥは特別なの」
もう会えないかもしれない。
赤ちゃんだったルゥは、自分のことなんて覚えてないかもしれない。
それでも、ルゥとの思い出はももかにとって大事な大事な宝物なのだ。
忘れることなんかできない・・・それがももかが二年間で出した結論。
「・・・いいと思うよ、それで」
そっとももかの髪を撫でながら彷徨がそう言うと、ももかはにっこりと笑った。
それからしばらく他愛無い話が続いた。
未夢たちの高校のこと。
ももかが小学校に入るための準備に母親と久しぶりに出かけたこと。
クリスがお祝いにお手製のバッグをくれたこと。
散々いろんなことを話しつくした頃、ももかは帰ると言い出した。
窓の外はまだ明るいが、時計の針はすでにもう夕方の5時を指している。
「ももかちゃん、送ろうか?」
「いいの、まだ明るいし。もう子供じゃないんだから!」
「はいはい」
ふられてしまった彷徨に、隣にいた未夢はくすっと笑う。
「じゃあ、気をつけてね。ももかちゃん」
「うん。ありがとう『未夢さん』」
「えっ・・・」
「いい忘れてたけど、今日からは『おばたん』はやめることにするわ。小学生になったらもう人のこと言えないもん。じゃあまたね〜」
玄関を勢いよく飛び出していくももか。
突然の出来事に、未夢はぼーっとしたままももかの後ろ姿を見送ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「しっかし、すごいな。下には下がいるってことか?」
「・・・・・・」
「なんだよ、嬉しくないのか?『おばたん』卒業」
ももかが帰った後、再び居間に戻った二人。
未夢はあれから俯いたまま何かを考えているようだった。
「嬉しいけど・・・ちょっと複雑かな」
「実は『おばたん』って呼ばれることに愛着湧いたとか?」
「そんなんじゃないけど・・・ただ、幼稚園児のももかちゃんとはお別れだなって」
「まあ、そうなるな」
自分では早かったと思っていた時間。
しかし、思い出そうとしたらすごく遠いような気がした。
『おばたん』と初めて言われた日。
ルゥたちの秘密がばれた時。
一緒に過ごしたたくさんのイベント。
そして、ルゥと別れた日から今まで。
ももかは確実に成長してきた。
見た目も、そして心も。
「ももかちゃんも、ちゃんとルゥ君への気持ちの整理つけたのね」
「みたいだな」
「・・・私は、結局彷徨に頼っちゃったね」
ずっと引きずっていた優しい思い出。
私は後ろを振り返ってばかりいた。
寂しくて、苦しくて、そこから抜け出せなかった。
でも、彷徨がそばにいてくれたから、私は今こうして笑えてる。
『俺はずっとお前のそばにいるから』
『あいつらとの楽しい思い出を涙色に染めるなよ』
あの時言ってもらった言葉。
今も心に残ってる・・・。
未夢は隣に座っていた彷徨の肩に、寄り添うように頭をくっつける。
それに気づくと、彷徨はそっと未夢の肩を抱いた。
「お前に迷惑かけられるのにはもう慣れたよ」
「ひどっ・・・何よそれ!」
「お前の場合はすぐ一人で抱え込んで悩むから。だから頼られるのも、こうやって甘えられるのも俺には大歓迎ってコト」
自分一人で悩まないで欲しい。
一人だなんて思って欲しくない。
いつでも、俺はお前のそばにいるんだから。
「何だか子ども扱いしてない?」
「だって子供みたいなもんじゃん。目離せないし」
「そんなことないもん!私だってもう高校生なんだから」
「じゃあ」
彷徨は未夢の方を振り向くと、唇を塞いだ。
突然のキスに未夢は顔を真っ赤にして驚く。
「ほら、適応力がももかちゃん以下」
「か、彷徨がいきなりあんなことするからでしょ?」
「お前が無防備なのが悪い。それに大人の女はこんなことじゃ動揺しないんじゃないの?『未夢さん』」
「・・・っ、どうせ私はまだ子供ですよ〜だ」
すっかり拗ねてしまった未夢の頭を、彷徨はそっと撫でる。
そして未夢の体を両腕で優しく包み込む。
「それでも本当は子供じゃないから心配なんだよ」
「彷徨?」
「クラス別れたら、あんまりお前のこと気づいてやれないだろ?」
「あっ・・・」
一瞬、未夢の表情が歪む。
高二になる今年、未夢と彷徨はそれぞれ別のクラスになる。
未夢が文系、彷徨が理系に進んだからだ。
そして別の道へ進むことで、大学も、さらにはその先も道は別れていく。
隣の家に住んでいても、恋人同士であっても。
これから先、一緒に過ごせる時間はどんどん減っていく・・・。
未夢はそっと彷徨の胸に顔を埋めると小さく口を開いた。
「彷徨、一緒に頑張ろう」
「えっ」
「私も彷徨といる時間が減るのはすごく不安。でも、うまく言えないけど向いてる方向は違っても一緒に成長していきたいなって思ったの。まだ、きっと私は彷徨を頼っちゃうけど・・・これからは彷徨も私のこと頼って?」
「未夢・・・」
「二人で頑張ろう?」
「ああ、そうだな」
彷徨がそっと離れると、そこにはにっこりと微笑む未夢がいた。
その時、彷徨は自分が思っていた以上に未夢が成長していることに改めて気づいた。
その笑顔は、無理して作った笑顔じゃなくて。
未夢の強ささえも感じるような、そんな笑顔だった。
もう、守るだけじゃなくて。
本当にお互いがお互いに必要な存在になれるんだな、俺たち。
「さて、そろそろメシ作るか。お前もこっちで食べるだろ?」
「うん。今日もパパたちは遅いみたいだし」
「よし、じゃあ支度するか」
彷徨が立ち上がると、未夢も一緒に立つ。
そしてそのまま二人はキッチンへと向かったのだった。
出会いと別れ。
喜びと悲しみ。
涙と笑顔。
すべてが未来の自分を作る糧になる。
人は様々な思いを抱えて成長する、強くなっていく。
前を向いて歩いて行こう。
・・・あなたと一緒に。
風が運ぶ春の匂い。
人を新たな気持ちにさせてくれる匂い。
『はじまり』の匂い。
街がピンク色で染まる頃。
また私たちの新しい季節が始まる・・・。
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