作:宮原まふゆ
ポトン、ポトリ、ポトン…。
屋根に降り注ぐ雫が、音を奏でる。
西遠寺家の住人もその音を聞きながら、それぞれの時間を過ごしていた。
今日は雨。
退屈な午後。
「あ、あの〜未夢さん」
障子の向こう側からおずおずと覗きこんだのは、有能な(?)シスターペットのワンニャーだ。
「ん〜なに〜?ワンニャー」
TVの前でお煎餅を食べながら、未夢は上の空で返事をした。
「あの〜…」
言っていいのか悪いのか、ワンニャーはどうしようかと迷っていた。そんな様子に気付き、未夢はTVの画面からワンニャーのほうに振り向いた。
「どうしたの?」
「はい…。本堂の裏にある花の様子が変なんです。ついこの間までそんなになかったのですが、今日見ましたらまた少し変わってるような気がして…。私の思い過ごしだといいのですが…。」
と不安そうな顔をして答えた。
「本堂の裏?花なんかあったかなぁ〜?」
未夢は頬に手を当てて考えた。今の季節に咲く花ってなんだっけ?
そういえば最近本堂の裏に行ってない。
「まあ、とりあえず行って見ようか?ワンニャー」
「はい。宜しくお願いします」
ワンニャーはペコリと頭を下げた。
※※※
未夢とワンニャー、そして途中で未夢に抱き付いてきたルゥくんを連れて、本堂に向かう。
本堂と茶の間のある家を繋ぐ、渡り廊下の途中で、ワンニャーが急に立ち止まった。
「あの…やっぱり、彷徨さんを呼びましょうか?」
ワンニャーが心配げに未夢を見上げた。
「彷徨を?」
「はい。未夢さん恐がりですし、万が一の事があったら…」
ワンニャーは心底恐がってるようだった。その様子に未夢が敏感に反応する。
「ちょっと、何よ何よ〜?!ヤメテよねっ!脅かさないでよねっ!!。ただのお花じゃないの?ワンニャー」
「違うと思うから、相談したんじゃないですかぁ〜」
「ええーっ?!それどういうことよ?」
「はい…得体の知れない者の仕業かと…」
ワンニャーの話しと聞く前に、未夢の足は元来た場所に帰ろうとした。
「きゃぁっ!」
振り向いた途端、未夢の顔に何かが激突し、その拍子で足がもつれて倒れそうになった。
ガシッと未夢の肩を誰かが掴む。
見上げると苦笑いした彷徨の顔が目の前にあり、未夢は慌てて彷徨から離れた。
「なにやってんだよ、お前は。ルゥ、大丈夫か?」
「あいっ!」
無邪気に未夢の腕の中でルゥは微笑む。
「ルゥを抱いてんだから、気を付けろよな。両手塞がってるんだぞ?」
「か、彷徨が黙って後ろにいるからでしょぉー?!」
未夢はカッとなり、彷徨に怒りをぶつけた。
「俺の勝手だろ?俺の家なんだから」
一方、彷徨は面倒臭いといった顔だ。
益々腹が立つ。
「そりゃそうだけど…。だーけーどーねっ!」
「まあ、日常茶飯事だからなぁ〜。お前がコケルのは。」
ニヤリと横目で笑う彷徨に未夢は更にムッとなる。
「そんなにコケテないわよっ!」
白熱しそうな雰囲気にワンニャーがオロオロしながら二人に口出した。
「まあまあ二人とも、喧嘩するほど仲が良いと言いますし…」
「『仲良くない!!』」
と一斉に彷徨と未夢は声を上げて怒鳴った。
(ホント、仲の良い事で……。)
ワンニャーは、二人が本当は仲が良い事をよく知っている。
一緒に暮らし始めた頃はどうなるかと思ったが、時間が立つに連れてお互い心を開いてきたようだ。
二人がいるだけでなんとなく明るい雰囲気なのだ。
ついさっきまで喧嘩をしていた二人が、ルゥが笑う度にその笑顔に微笑み返す。
その光景のなんと幸せなことか…。
(仲良くないなんて、ホントは嘘ですよね。未夢さん。彷徨さん。)
「ところで、どうしたんだ?皆して」
彷徨が訝しげに問う。
「あ、はい。本堂の後ろにある花の様子が変なんです〜」
「本堂の花?…って…」
彷徨はおもむろに後ろを振り向いて、床にあったのを拾い上げた。
「これだろ?」
「そっ!それです〜っ!彷徨さんっ!!」
驚いた様子でワンニャーが叫んだ。
彷徨が持っていたのは、雨に濡れた、薄蒼色したアジサイの束だった。
未夢はホッとした表情になった。
これが『もののけ』の類だったらすぐさま逃げていただろう。
「なぁ〜んだ。ワンニャー、アジサイの色が変だって言いたかったの?」
「はい、そうなんです…。でも彷徨さん、この花大丈夫なんですか?。何か病気とかじゃないんですか?それともやっぱり得体の知れないモノの仕業じゃぁ…」
ワンニャーは不安げにアジサイを見つめた。
そんなワンニャーの表情に、未夢と彷徨はチラリと見詰め合うと、思わず微笑した。
「この花は、土に敏感に反応するんだ。土が酸性なら青色に、アルカリ性ならピンクになるそうなんだ。まあ、ワンニャーが心配したのは、その花がそれぞれ違う色を付けるから驚いたんだろうな。きっと」
「そうなんですか〜。不思議な花ですねぇ」
感心した表情のワンニャーに、未夢が得意げにもう一つ教えた。
「別名、『七変化』って言うのよ」
「へぇ〜。珍しいな。そんな事知ってるなんて。未夢にしては」
絶対からかってると思った未夢は、キッと彷徨を睨みつける。
「悪かったわねっ!だってこの花好きなんだもん。ねっ?ルゥくん、綺麗でしょ〜?」
ルゥは未夢の腕に抱かれながら、彷徨の持ったアジサイに触ろうと手を伸ばす。
そんなルゥを見て彷徨は自分の持っていた花のうち、一番小さいのをルゥに渡した。
「ほらルゥ、これがアジサイの花だぞ」
「きゃぁ〜いっ♪」
アジサイを手にしてルゥは心底嬉しそうだ。
「良かったですね〜、ルゥちゃま」
「あ〜いっ!」
未夢は彷徨の持つアジサイを見て、ある事に気付いた。
「ね、彷徨。彷徨のお母さんもアジサイ好きだったんじゃない?」
「そうだけど…。なんで知ってるんだ?」
不思議そうに彷徨が問うと、恥ずかしげに未夢が答えた。
「なんとなくそうかなぁ〜って。それにお母さんのお墓の周りにアジサイの花いっぱい植えてあったもん。お母さんが好きだからって、宝晶おじさんが植えたんじゃないかなぁ〜と思って」
彷徨は少し驚いて未夢を見た。
そして視線をアジサイのほうにやると、懐かしそうにに話し始めた。
「ああ、そうだよ。母さんがいた頃にさ、本堂の後ろに廻ってアジサイを2人で見たんだ。母さんも雨に濡れたアジサイが好きだって言ってたな…」
そんな表情を見て、未夢は微笑んだ。
(ホントにお母さんの事が大好きだったんだね…彷徨って)
「ねぇそれ、お母さんの仏壇に飾るんでしょ?」
「ああ。ついでに玄関の花も変えようと思って、余計に切って来た」
「じゃぁ。早く飾って喜んで貰わなきゃね!」
ワンニャーとルゥはまだアジサイと遊んでるようだ。
二人はワンニャー達を残して、仏間へと足を運んだ。
※※※
シトシトと降る雨音は、静かな部屋にも伝わった。
そんな中、彷徨と未夢の声が響く。
「こんなんで、いいなか?彷徨」
「いいんじゃないか、それで」
仏壇には大輪のアジサイが左右に置かれて、一際目立っていた。
そっと仏壇に置かれた瞳の写真が、嬉しそうに微笑んでるように見えた。
「嬉しそうだね…彷徨のお母さん…」
未夢は今の気持ちを、そのまま彷徨に伝えた。
彷徨は何も言わないが、表情がとても優しかったので、未夢は細く微笑んだ。
(言葉なんて、今はいらないよね………)
暫らく二人はその場に立って、写真に写っている女性の微笑みを見つめていた…。
※※※
夕方。
彷徨は本堂の裏に来ていた。
何する訳でもなく階段に座り込み、ジッとアジサイを見つめる。
朝から降っていた雨も止み、雨雲も遥か遠くに去っていた。
境内の景色全体がオレンジ色に染まり、そして、徐々に移り変わっていく景色をただ呆然と眺めていた。
ギシッ。
床の軋む音に気付き、振り向くと、未夢が申し訳なさそうに立っていた。
「ご、ゴメンね。…お邪魔、だったかな?」
「別に。なんだよ」
未夢はそっと彷徨に近づくと、コトンと隣に座った。
彷徨は少しビックリしたが、何も言わずに黙っていた。
「綺麗だね…アジサイ」
「うん…そうだな」
たったそれだけの会話がとても優しく感じて、このまま時間が止まればいいのにと二人は思った。
「こうやって、彷徨が小さい時も見たの?」
「ああ。オヤジと一緒の時も見たんだろうな」
「じゃぁ、彷徨のおばあちゃんや、ご先祖様とかも見たのかもしれないね」
突拍子もない未夢の言葉に、彷徨は思わず苦笑いしたが、否定はしなかった。
むしろ懐かしさを感じて、彷徨は空を仰いだ。
「そうかもなぁ〜」
「きっとそうだよ。だってこんなに綺麗なんだもん。大切にしないとね…」
未夢が彷徨に向かって微笑む。
彷徨は急に立ち上がると、そのまま階段を降りた。そしてアジサイが咲いている群れのほうに近づく。
「?」
未夢が不思議そうな顔をして彷徨を見てる中、彷徨は手を合わせてアジサイに向かってお辞儀をすると、その中の小さなのを1本取った。
「彷徨?」
再び未夢の元へ近寄ると、彷徨はそのアジサイを差し出した。
「今日のお礼だ」
「え?でも私何も・・・・」
おろおろする未夢を急かすように、苛立った声で言う。
「いいからっ!ほらっ、早く受け取れよっ!」
そう言った彷徨の顔は真っ赤になっていた。
「うん…。ありがと…」
未夢のほうも真っ赤になる。
しかし、それは赤く染まった夕暮れのせいかもしれない。
だからお互い見詰め合っていても、そんなに違和感を感じなかった。
ただ。
今を大切にしたいと思った。
ずっと、このままで―――――。
※※※
「未夢さぁ〜ん、彷徨さぁ〜ん」
遠くでワンニャーの声が聞こえる。
突然現実に戻された二人は、暫らく見詰め合っていた事に気付き、パッと顔を逸らす。
「わ、わ、ワンニャーが呼んでる。い、い、行かなきゃ…」
「そ、そ、そ、そうだな。お、お、俺も…」
未夢が急いで立ち上がる。
彷徨も階段を上ろうとして、上を見上げると、再び未夢と眼が合った。
そして、すぐさま眼を逸らす。
(やだッ…まともに見れないよぉ〜…)
(困った…なんでこうなるんだ?)
さっき以上に頬を染めながら、二人は茶の間の方へと戻って行った。
『ダレノセイデ、ソマッテイルノ?』
『ドウシテ、ソマッテルノ?』
風に揺れたアジサイが、優しく二人を見つめていた――――――。
END