Milk 作:宮原まふゆ

(この作品は、2002年12月から2003年1月にかけて開催された「Little Magic Da!Da!Da! Special Christmas」の出品作品です)


寒い日には温かなホットミルクを飲もう。
凍えた月の色に似た、白いミルクをカップに注いで。













テーブルの上に置かれた一つのカップ。
そこに温めたミルクを注ぎ入れると、フワリと白い湯気と、なんとも言えない甘い香りが顔に立ちこもった。
カップを口元に近づけて、フーっと息を掛ける。
そしてゆっくりと一口、喉に流し込む。
その途端に冷たかった身体が溶けるように温かくなり、胸が熱くなるのを感じた。
深く吐息をすると、身体中が抜けるような脱力感が襲い、肩が自然に落ちる。

(美味し…)
(あれ?今何かを思い出したような……)

心の片隅、記憶の欠片。
懐かしいような、とても新鮮なような…・。
突然湧いて出たデジャヴは、それ以降現れようとはしなかった。

窓ガラスがカタカタと鳴く。
北風が急に強くなったようだ。
風は激しく唸り響いてくるというのに、部屋の中はシーンと静まっているようで、まるで大きな空間に閉じ込められているような気分になる。
そんな感覚が嫌で、俺はは再び暖かなミルクを飲み込んだ。



「ホットミルク飲んでるの?彷徨」
台所のドアからヒョコッと未夢が現れる。
真夜中の1時。
お子様はとっくに夢の世界へと行ってる時間だ。
未夢がこんな真夜中に起きてくるのも珍しい。
「珍しいな、未夢も起きたのか?」
「うん。だって風が強くって…それに寒いし眠れなくって…。彷徨も?」
「ああ。今夜はやけに冷えるしな。身体温めようと思ってさ」
「ミルク残ってる?」
「ああ」
じゃ貰うねぇ〜と言ってミルクを自分のコップに注ぐと、未夢は俺の正面に座った。
両手でカップを持つと、深くミルクの香りを吸い込んでゆっくりと吐く。
「いい香り…」
フーっと何度か息を掛けると、コクリと飲む。
その様子を俺はボンヤリと見ていた。
「美味しい……そう言えば、彷徨ってよく飲むよね?ホットミルク」
「そうかな?」
「甘いのが苦手そうな彷徨さんには珍しい〜と思ってたのよね」
「別に甘いのが苦手とかじゃなくって、口に合わないだけだ」
「ほぉ〜。それにしちゃこのミルク結構甘いと思うんだけど?」
「別にいいだろ?好きなんだから」
「あ、やっぱり好きなんだ」
フフと未夢が笑う。
湯気が立ち込めて、未夢の顔がフワッとシルクがかったようにぼやけた。
悪かったな、と言ってカラになったカップを持って立ち上がると、まだ残っているミルクを全て注ぎ入れた。
「これは昔オヤジが飲ませてくれたんだ」
「おじさんが?」
「ああ。俺が小さい時に何かあると必ず飲ませてくれたんだ…。今は作ってはくれないけどな。その癖なのかな?時たま無償に飲みたくなるんだ。特にこんな寒い日にはな」
「ふーん…。おじさんがねぇ〜。ねえ、彷徨。その時のこと覚えてる?」
未夢はテーブルに両肘を付いて頬に手を当てると、緑の瞳をキラキラ輝かせた。
いかにも興味津々な顔をして。
「んー……、なんとなくな……」
聞かせて聞かせてと、せがむ未夢に苦笑いしながらも、なんとなくその表情が可愛くて、しょうがないなと呟いた。


そして俺は未夢に話し始めた。
小さいころの話しを――――――。



***



俺が物覚えをする前には、もう俺の側に母親はいなかった。
気がついた時には俺とオヤジの二人暮し。
当然成長するにつれて疑問が湧いてきて、よくオヤジを困らせたものだった。

(何故僕にはお母さんがいないの?)
(みんなはお母さんがいるのに、僕だけお母さんがいないの?)

その度にオヤジは涙を流して、俺の口をそれ以上言わせないようにした。
家も庭も広過ぎて、そんな中でのたった二人だけの生活は余りにも寂し過ぎる。
夜中になると更に寂しさを増し、オヤジの布団に潜り込んだのを覚えている。
その度にオヤジは、
「男の子が簡単に泣くんじゃない。我慢じゃ我慢じゃ」
と背中を撫ぜてくれた。
何故我慢しないといけなかは判らなかったが、オヤジの暖かな温もりと背中を撫ぜる優しいリズムにいつのまにか深い眠りに落ちていって、結局は言えずじまい。


小さいことはそれで良かったのかもしれない。


成長する度に人は大人になるとよく言ったのもだ。
だが子供の時は何も判らなくて、時として残酷な言葉を放つ時がある。
何気ない一言。
それを純粋無垢にいうから厄介だ。
また大人も子供に対して残酷な言葉を付きつける。
何でも判ってると言った素振りを見せて。
ホントに判ってるのだろうか?
見えない心の傷を「何でも知ってる」と簡単に言う大人に、俺は小さい頃から心底軽蔑のまなざしで見ていたような気がする―――――。


参観日。
俺はこの行事を心底恨んだ。
後ろにはクラス全員の母親達がズラッと並ぶ。
キツイ化粧の匂いが部屋中を包み、変な違和感を覚えた。
生徒達は母親が来てるかどうかワクワクしながら後ろをキョロキョロと見て探す。
母親と眼が合うと、手を振って微笑んでいた。
俺はそんな様子を横目で見たが、意地でも後ろを振り向こうとはしなかった。
そこには俺を見ていてくれる人はいない……。
たまにオヤジが来てくれたが、女性のなかにポツンとオヤジがいるのも恥ずかし過ぎる。それでも窓ガラスから除き込むように見てるオヤジを見ては、嬉しさで一杯になった。
だがそれでも俺が求めているのは違っていた。
そんな自分が愚かに思えて、俺は意地になって真っ直ぐ黒板を見続けていた。


そんな参観日が来る前に、美術の授業で先生からの提案があった。
「今日はお母さんの顔を書きましょう」
最悪。
順番に白い画用紙が配られる。
真っ白い画用紙が俺の目の前に立ちはだかる。
(書けと言われても……)
なかなか書こうとしない俺を不思議に思ったのだろうか?隣にいた子が俺に話しかけた。
「彷徨くん、書かないの?」
「う…うん…」
「どうして?」
「……」
そんな様子に周りの皆も気がついたようだ。
俺の机の周りに集まって各々聞いてくる。
「せんせーい、西遠寺くん絵書いてないです」
「なんで書かないんだよぉ〜」
「いいだろ!別にっっ!!」
強がって見せる俺に、一人の生徒が言った。
「お前のお母さん、いないからだろぉ〜」
俺は何も言えず黙り込むと、周りの生徒が騒ぎ始めた。
「いないんだって」
「ええぇ〜、どうしてぇ〜?」
「皆いるのに、何で西遠寺だけいないんだよ」
言いたい放題喋りまくる生徒に包まれて、俺は孤独感を感じて必死になって耐えた。
(あっちへ行っちゃえっ!みんなどっかへ行っちゃえっっ!!)
心の中でそう願いながら。
先生は俯いている俺を肩に手をやると、騒いでいる生徒に怒鳴った。
「静かにしなさい!みんな席について絵を書きなさいっっ!!」
「「はぁ〜い」」
先生の言う事に従い、それぞれの席に戻っていく生徒達。
ホッとしたのも束の間、俺の隣にしゃがみ込んで、先生は残酷にもこう言ったのだ。



「仕方がないから、お父さんの顔を書きましょうね」









オマエノ オカアサン イナイカラ――――。
シカタガナイカラ――――。










何度も何度もリピートされる声。
何故か耳から残って離れなようとしてはくれない。
胸が苦しくて堪らない。
肩が徐々に震えてくる。
それでも我慢しないといけないと言ったオヤジの言葉を思い出し、太ももに震えていた手を置いてギュッと力を込め続けていた。



結局。
俺の前に置かれた画用紙は、真っ白のままだった――――。



***



俺は授業が終ると一目散に学校を飛び出した。
これ以上あの息苦しい教室にいたくはなかった。
一刻も早く抜け出したかった。





開け放たれた、玄関の扉。





バラバラに置かれた、靴





放り投げられた、ランドセル。






母親の写真が置かれてある、仏間。





写真に写る姿はいつも笑顔だ。
だけどそれは動かない。
だけどそれには温もりがない。
俺にとって本当に欲しいのは・・・・・・・・・本当に欲しいのは!!
俺はその仏間に倒れ込むと、せきを切ったように大きな声で泣き叫んでいた。
拳にぐっと力を込めて、畳をドンドン叩いた。
今まで我慢してきた思い全てをぶつけるかのように。
悔しくて。
悲しくて。
自分が余りにも惨めで。
意味もなく泣き叫んでいた。
心で何度も叫んでいた。


(何故?何故―――――)


泣いて。
泣いて。


そしていつのまにか、泣き疲れて。
どれくらい時間が立っただろうか?
気がついた時、俺の背には柔らかな毛布がそっと掛けられていた。



***



毛布を持ったまま、そっと台所を覗く。
「…お父さん…」
「起きたか?ちょっと椅子に座って待ってろ」
流し台に向かって、振り向きもせずに宝晶は俺に言った。
俺はいつもの席に座ると、オヤジの背中を黙って見ていた。
(何を作ってるんだろう?)
暫らくすると甘い香りが鼻に付いてきた。
不思議そうに見つめていると、オヤジがコトンと俺の前にカップを置いた。
「ホットミルクだ。飲め」。
カップには白いミルクがユラユラと揺れ動き、白い湯気が甘い香りと共に立ち込めている。
ゆっくりと香りを吸い込み、ふぅ…っと吐く。
躊躇うようにチラリとオヤジを見て、一口飲む。
温かいミルクが喉もとを通り抜けて、胸を通っていく。
身体中の力が解き放たれたようで、俺は深く吐息を付いた。
(あったかい……)
「美味しいか?彷徨」
「…うん…」
「そうか、そうか」
微笑む宝晶を上目で見ながら、俺はまたコクコクと飲む。
空になったカップをテーブルに置く。
「まだ飲むか?」と言った宝晶に、コクリと素直に頷くと、宝晶はカップを取りミルクを注ぎ入れる。
「ほれ」
次は手渡しで渡されて、俺は両手で受け取った。
再び飲み始めると、宝晶が懐かしそうにポツリと言った。
「このホットミルクはな、母さんがワシによく作ってくれたもんだ」
「お母さんが?」
「そうじゃ。ワシがまだ若い修行の身であった時にな、辛い時や悲しい時があった時にワシがなぁーんにも言わずとも黙ってこのホットミルクを作ってくれたもんだ。これを飲むと今までの辛いこともふんわり和らいで、心から温まるようでなぁ、ありがたくて感謝しながら飲んだもんだ……」
「……」
正直言って俺は驚いていた。
オヤジが母親について語ってくれたのは、これが始めてだった。
いつもなら俺が母親の事を聞くと直ぐ泣く癖に。
多分……俺が泣いていたのを聞いていたのだろう………。
「暖かいじゃろ?」
「うん」
「暫らくすれば冷たくなった身体も暖かくなる。みんな暖かくなるんじゃ」
「うん」
俺は瞳から込み上げてくる涙を隠すように、ミルクを飲みながら瞼を閉じた。





母さん―――――。
俺、もう大丈夫だと思う。
また同じような辛いことあるかもしれないけど、
きっとがんばれるよ。
もし辛いことがあったら、このミルクを飲むよ。
冷たくなった心を温めるために……。





次の日、俺とオヤジはホットミルクの飲み過ぎでお腹の調子を悪くし、二人でトイレを奪い合った。
そしてその日から俺は『お父さん』と呼ばずに『オヤジ』と呼び始めた。
強くなる為に。
ささやかな自分への強がりに。
だが暫らくしてそんな強がりも消えて、自然に呼ぶようになったけれど。



***



コトンと置かれた空のカップ。
そのカップを両手で包み込むように持って、未夢が微笑む。
「おじさん、優しいね……」
真面目に言う未夢に、俺は照れ臭くなった。
「だけど今でも相変わらず母親のことになると泣くしさ、ホント勘弁してくれよぉ〜って感じなんだけど」
「それだけ愛してるってことじゃない?」
「そ、それはそうだけど…さ……」
「いいなぁ〜。私もそんな風に愛されたいよぉ〜」
うっとりとした表情で頬杖を付く。
両親の話を未夢に話したことを、俺は少し後悔した。
妙に照れ臭さ過ぎて、俺は慌てて立ち上がった。
「もういいだろ!カップ片付けるぞっ」
「あ、私が洗うっ」
サッと彷徨のカップを奪い取ると、未夢は流し台に立ち、蛇口をひねってカップを洗い始めた。
俺は出しっぱなしにしてあったミルクのビンを冷蔵庫にしまい込む。
水の音を横で聞きながら、俺はおふくろのことを考えていた。
おふくろはどんな思いでオヤジに渡していたのだろうか?
暖かなミルクを、何も聞かずに、何も言わずに―――――。
「あのね、彷徨……」
「ん?」
「……判るから……」
未夢は振り向きもしない。
「私も…似たようなこと、あったから……」
細い後ろ姿。
そんな未夢の後姿が母親の姿と一瞬ダブって見えたようで、俺は右手で目を擦った。
「でもきっと…頑張れるから……」
暖かな雰囲気に包まれる。
まるで今まで飲んでいたミルクみたいな温かさ。
「…サンキュ…」
未夢が柔らかく微笑む。
まるでミルクみたいだなと彷徨は思った――――――。









寒い日には温かなホットミルクを飲もう。
凍えた月の色に似た、白いミルクをカップに注いで。
僕の苦しみも、
君の寂しさも、
きっと溶かしてくれるから。
白い湯気が僕を包んで、
甘い香りが君を包んで、
全て溶かしてくれるから。
辛いことも、
かなしいことも、
白く温かなミルクと一緒になって。
みんな、みんな、
一緒になって一つになって――――――。







END

反則?(笑)
いやいや、一応この小説は冬小説なんで私的にはOKなんだ〜。(ほほほ)
だってクリスマス企画に「なんでもOKだよん」と書いてるも〜ん♪
今回は彷徨の小さい頃のお話し。
彼の小さい頃って結構辛いことが多かったんじゃないかなぁ〜と思ったの。
オマケに宝晶が何故かお気に入りだったりします。(笑)
彷徨と宝晶の、父子の繋がりをホンの少しでも感じて貰えたら嬉しいな。
BGMは槙原敬之の『MILK』(タイトルそのまんま使いました)
歌詞にも「男は簡単に泣くんじゃない」とあるんだよ。
とってもふんわりとする曲なんです。

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