ひとぉーつ…ふたぁーつ…みっつ…………
小さい頃。
夜空を見上げては、訳もなく星を数えていた。
チカチカと瞬く星達。
笑っているような星達に、私はときおり憎くて堪らない時があった。
あの頃の感情からしたら、嫉妬感に近いかもしれない。
それでもこうして星を眺めながら数えていると、少しでも近づけるような気がした。
何に?と言われても困るけど…。
その頃の私は、いつもシクシクと泣いていた。
お母さんがいなくて。
お父さんもいなくて。
ガランとした家が、とてもとても恐くて。
たった、一人ぼっちで。
無性に心細かったことだけ、覚えてる。
夕映えが落ちて、藍色に染まった空に、星が一つ。
その場所がどこだったか、今は覚えていない。
ただ自分の家より大きくて、とても古びた家だった。
広くて長い縁側で膝と抱えながら、私は両親を待ち侘びていた。
頬には涙の跡。
泣き過ぎたせいで瞳は真っ赤だ。
「星を数えてみろよ」
私に、そう教えてくれた男の子が昔いた。
泣いてる私の側に、ずっといてくれた、小さな男の子。
ぶっきらぼうな言い方にカチンと来た時もあったけど、それでも側にいて言葉を交わす内に打ち解けて、寂しさも薄れていった。
ひとぉーつ…ふたぁーつ…みっつ…………
一緒になって数えていく内に、自然と安らかな気分になっていった。
不思議。
涙も、もう出ない。
「な。嫌なこと忘れちゃうだろ?」
「う、うん…」
彼は私を覗き込むようニカッと笑う。
私はどきまぎしながらも、コクリと素直に頷いた。
「お前、すっげー泣き虫だな。そんなんだと目が溶けちゃうぞ?」
「溶けないよぉ〜」
「ならなんだよ、お前の目の横にあるのは」
「う…。だ、だって…」
またジワリと涙が出る。
彼は不意に私の頬を指で摘むと、フニッと引っ張った。
「なっ!何するのよぉーっ!」
頬を膨らませて怒る私を面白しろがって、更に指をプニプニと動かす。
「いひゃいってぇぶぁ〜!」
「あはは」
彼は大きな声で笑っていたが、痛そうな私を見てやっと指を離してくれた。
「意地悪っ」
「じゃあ、もう泣くなよ」
一変して優しい笑顔。ドキン…と、鼓動が一つ高鳴った。
「も、もう泣かないもん!」
私はお返しにと、彼に向かってべーっと舌を出した。
きっと、私を気遣ってくれたんだね…。
それがとても嬉しくて、その後にっこりと笑ってみせた。
自然に、お互いくすくすと笑い合った。
隣にいた男の子の手が、不意に私の手の甲と重なった。
はっとするほどの暖かい手に、私は驚いて顔を上げた。
へへ…と照れ臭そうに笑う彼。最初は目を丸くして凝視していたけど、暫らくしてその笑顔に答えるように、私も小さく微笑んだ。
暖かい温もりが「側にいるよ」と教えてくれる。
小さい手がこんなにも心強い。
私にとって、この小さな手が『あの時』の全てだった。
握り締められて、私は横に座る男の子をチラリと見た。
彼はどこまでも高い夜空を真っ直ぐに見つめ仰いでいる。
私はそんな彼を見て、痛そうに目を細めた。
(…この子も、私と同じなのかな―――――……)
手を繋いで、一緒に空を見る。
小さい私達には余りにも広大で、その深く蒼い夜空に吸い込まれそうで、少し恐くなったけど、それでも彼と一緒なら良いかなと思った。
ずっと、このまま見ていたいなと思った。
一緒なら、恐くない。
ぶっきらぼうで、意地悪で。
だけど優しかった男の子。
笑った顔が印象的で、いつまでも一緒にいたい――――大切な男の子。
ひとぉーつ…ふたぁーつ…みっつ…………
遠い過去。
遠い思い出。
そんな思い出も、時が立つにつれて薄れていき、記憶の底へと封じられた。
ただ。
頬に感じた空気の冷たさと、手の平の温もりだけが、片隅に残っていた―――――。
◇◇◇
「なにしてんだ?」
後ろから彷徨の声が聞こえた。
私は柱に背をもたれながら、振り向きもせずに答える。
「別に。星見てるだけ……」
「ふーん…」
そう言うと、彷徨は私の隣に座った。
それが当たり前のように。
最近。
縁側で一緒になって、夜空を見ることが多くなった。
会いたい…。
ただそれだけの感情が、私をこの場所に誘う。
彷徨もそれが判っているのか、何も言わずに隣に座ってくれる。
私も判ってるから、何も言わない。
ただ彼の優しさが心地よくて、嬉しかった。
草むらのどこかで鈴虫が、秋の名残を惜しむかのようにリリリ…リリリ…と小さく鳴いている。
近くて遠い、小さな記憶をふわりと呼び起こすように。
「綺麗だよね…」
「ああ…」
こんな時の彷徨は言葉少なげだ。
柔らかく目を細めると、再び夜空を見上げた。
星はチカチカと光り瞬く。
それはまるでモースル信号のように、カチカチ・チカチカと自分達に語りかけているように見える。
何億光年と離れた星達のメッセージは、とても儚げで切ない……。
「あの星の渦の中に、ルゥくん達の星があるんだね…」
「遠いな…」
「うん…遠いね…。でもまた突然現れるかもよ?時空のひずみを使って」
「大勢来ても困るけどな」
少し眉を寄せて渋い顔をする彷徨。
苦笑いしながら「だよねぇ〜」と同感したが、心の中ではそれも楽しいかなと思っていたりする。
大分免疫がついたのかもしれない…。
暫らくして。
彷徨の視線に気付き、すっと目をやった。
「何?」
「い、いや…」
何か言いたげな彷徨に、私は疑いげに首を傾げた。
すると、彷徨は私に突拍子もないとこを言い出した。
「…お前さ、結構こうやって星や月を眺めるの好きだよな」
「そ、そうかな…。彷徨だって好きでしょ?」
ほら、こうやって見てるじゃない、と付け加える。
「まあな…でもこれお前の影響だぜ?」
「え?嘘?」
「嘘なもんか。…お前がその…綺麗だって言ってじっと見ているからさ、どうかなって…」
彷徨は上を見上げながら、ぶっきらげにそう言った。
横顔だけしか見えないけれど、確かに耳が赤く染まっている。
(照れてる…可愛い……)
そんな私も、頬が染まるほど照れまくっていたのだけれど。
夜風が二人の髪を撫ぜ揺らす。
私は気持ち良さそうに、肩に掛かった髪を後ろに掻き上げて、ふぅ…と吐息を付いた。
確かにパパとママは宇宙に憧れて、小さい頃から夜空を見ていたような気がする。
ママから手を引かれて、パパから肩車されて、まるで子守唄のように宇宙を語ってくれた両親。
そして興味深げに聞いていた自分…。
だけど。
それがきっかけ…とは、どうしても思えない。
胸の奥で僅かに残っている、"なにか"。
(なんだろう…。とても大切なこと、忘れてるような気がする……)
「なあ、未夢」
彷徨の声が、静かな夜のしじまに響いた。
「星って幾つあるか知ってるか?」
またもや突拍子もない彷徨の問いに、私はキョトンと目を丸くし、そして軽く睨んだ。
「………・それって、私が理数系弱いのを知ってて言ってるの?」
(星なんか数え切れないくらいあって、未知数だってそれくらい誰だって知ってるわよっ!!馬鹿っ!)
案の定、彷徨はさらりとからかう。
「そうだったなぁ〜。お前、両親の頭脳は受け継がなかったんだったなぁ〜」
「どうせっ!私の頭は全くと言っていいほど継いでないわよっ!」
頬を膨らまし、私はプイッと背を向けた。
くくく…と、彷徨の笑う声が後ろから聞こえて来る。
腹が立つったらありゃしない。
彷徨は笑うのを止めると、苦笑いまじりに言った。
「別にそういう意味で言ったんじゃないんだ」
「じゃあどういう意味なのよぉ」
低い声で私は上目で彷徨を見た。
「小さい頃にさ、星って幾つあるんだろうなぁ〜って、数えたことないか?」
「小さい…頃?」
(そういえば…あったような・・・・・・…)
私は彷徨がゴロンと横たわる姿を、何気なく見つめた。
「この間さ、未夢とこうやって夜空を見た時にふいに思い出したんだ…」
「何を?」
「一緒にこうやって夜空を見た、女の子をさ」
「え?」
思わず声を上げそうになるのを、喉元ギリギリで止める。
彷徨が小さい頃の思い出話しをするなんて珍しい事だ。
(なに驚いてんのよ…小さい頃の話しじゃない…女の子か…女の子…ね…)
何故こんな時に言うんだろう・・・と、私は困惑げな表情で彷徨の話しを聞いた。
「そいつ、会う度に泣いててさ、いつも気になったたんだよな…」
「い、いつもって…よく西遠寺に遊びに来てた子なの?」
「よくじゃないけど、何回か来たのを覚えてるんだ。その度に泣いててさ…なーんか強烈に覚えてるんだよな…」
「ふ、ふ〜ん…そう…」
なんとなく。
なんとなくだけど……嫌な気持ち。
私は曖昧な返事をして視線を下に落とした。
たかが小さい頃に知り合った女の子。
されど小さい頃の彷徨を知っている女の子。
その時間を共存出来ない今がとても悔しくて、彷徨の記憶にある顔も知らない女の子にさえ嫉妬してしまう・・・。
(……馬鹿だなぁ…私ってば……)
「そいつ泣き虫なわりには結構強がりでさ、泣いてんのに『泣いてないよぉ〜』って口を尖らしてんだ。目にいっぱい涙が溢れてるってのにさ」
懐かしそうに語る彷徨の横で、私は益々肩を落とし、膝に手を置いてきゅっと拳を作る。
「……その子」
「ん?」
「その・・・か、かわい…かった?」
我ながら恥ずかしい事を言ってるなと思う。
言ったそばから思いっきり後悔した。
でもしょうがないじゃない?・・・・・・気になってしまったんだから・・・・・・。
彷徨は起き上がると、ニッコリと憎らしい笑顔を私に見せた。
「ああ、すげー可愛かった」
「そ、そう…」
「縁側で膝を抱えて小さくなってさ……なんとなく……」
次の瞬間。
彷徨の意外な言葉に、私は我が耳を疑った。
「未夢に似てた」
「へ?私に?」と、ビックリした表情で彷徨を見上げた。
まさか自分がその女の子と『似てる』なんて言われるとは思わなくて、私の心臓はバクバクと音を立てた。
それって…私も…ってこと?
だけど“可愛い”と言われても、知らない女の子と比較されたら、素直には喜べない。
「へぇ〜。…私に似てるってことは、かーなーりの美人さんですなぁ〜」
「美人さんでしたなぁ〜。なんせ俺の初恋ですからなぁ〜」
「はっ、初恋っ?!」
素っ頓狂な声を張り上げた私に、彷徨はくくくっと肩を揺らし、仕舞いには大声を張り上げて笑いだした。
「あははははっ!」
「なっ…なんで笑うのよぉ〜っ!」
「だって…おま…っ、…相変わらず……だなって……くははっ」
(いったいなんなのよ…)
口を尖らせて彷徨を恨めしそうに睨みつけた。
彷徨はやっと笑うのを止めたかと思うと、横目でチラリと私を見てこう言った。
「お前だよ」
「何がよ」
「だから、その女の子が」
「は?」
「だーかーらっ!泣き虫で強がりで美人さんな女の子がお前だってことっ!」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
「……………え、えええっっっ!!!」
「お前、ぜんっぜん覚えてないだろ?」
コクコクと頷く。
全くと言っていいほど、記憶にございませんっ!
「ここでお前と二人で星を見ていたってのも」
「全然知らないよぉ〜」
「まあしょうがないか…。俺も最近になって思い出したんだもんなぁ」
と、照れ臭そうに頬を指でポリポリと掻く。
そんな彷徨を見て、私も恥ずかしくなって頬がカァーっと火照りはじめた。
(…私、彷徨と小さい頃、この縁側で一緒に座ってたんだ―――――)
私は何気なく周りを見渡した。
床に貼りめぐらされた黒びかかった木目の模様。
長い柱に刻まれた無数の傷。
屋敷の中央にある、小さな岩や木々で作られたこぢんまりとした中庭。
そして。
あの頃ときっと判っていない、優しい視線の、その存在……。
(大切な記憶だったのに・・・何故忘れちゃったんだろう・・・・・・・・・?)
「やっぱり…私って頭悪い」
「どうしてだ?」
「彷徨との思い出、忘れちゃうんだもん。なんか凄く悔しい……」
「俺だってつい最近……って、お、おい、未夢…」
驚いて狼狽する彷徨を尻目に、私は彷徨の肩に頭を乗せて体を寄せた。
少しでも思い出したくて。
「…えっとね、こうやったら思い出すかなぁ〜…なんて」
「へぇ…」
と曖昧に答えた彷徨の腕が、私の体に廻され引き寄せた。
彷徨の匂いと温もりでいっぱいになる。
いっぱいいっぱい感じたくて、私も彼の体にぎゅっとしがみ付いた。
空を見上げると、チカチカと瞬く数え切れない星達がいる。
数年前。
私も彷徨と一緒にこの星達を見つめていた。
小さい私と小さい彷徨が、一緒になって見た夜空。
あの頃の記憶は私の記憶の中にはないけれど、
時が経っても変わらない星達の記憶には、私達の姿は残っているのかな?
あったらいいな…。
ずっと、ずーっと忘れないでいて欲しいな――――………
「…忘れない」
私は彷徨を見上げて、微笑みながら誓った。
「もう忘れない。彷徨との思い出。ずっと忘れない」
すると、彷徨は空いていた手を私の頬に当てると、真っ直ぐ私を見つめて囁いた。
「じゃあ、絶対忘れないようにおまじないしてやるよ」
そう言うと、彼はそっと親指で私の唇をなぞった。
それを合図に私は目を閉じて、彼からのおまじないを受け止めた。
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:
:
余談。
「本当に初恋だった?」と言った私に、彼はからかうようにこう言った。
「ガキの頃の感情なんて判らないよ。でもさ、
―――お前を好きになって"初恋"ってやつが判ったような気がするよ・・・・・・・・・」
END
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