カチッ…カチッ……。
夏の昼下がり。
窓ガラスに小さなモノが二つ当った音が聞こえた。
未夢は二階の窓を開けて、キョロキョロと訝しげに周りを見渡していると、下から掠れた声が聞こえて来た。
「おい、未夢こっちだ」
「彷徨?」
しっ…と、彷徨は指を唇にあてて「大きな声だすな」と囁く。
「コンビニ、行かないか?」
「いいけど。窓からじゃなくて、電話すればいいじゃない」
「面倒なんだよ。それにお前のおばさんに掴まりそうでさ…」
彷徨が困った顔をして、肩を竦めた。
自分の娘と、親友の息子が恋人同士という事で、未夢の母親である未来はかなり喜しいらしく、彷徨が未夢の家に遊びに行くと、必ず彷徨を捕まえて未夢の事を聞き捲くるのである。
質問攻めにあう彷徨にとって、それはかなり困ったものであった。
「デートはどこに行くの?」ならまだしも、「好きになったのはいつ?」とか「キスはしたのかな?」とか、さらには「結婚とかも考えてるの?」とか、自分達がまだ考えた事のない未来予想図を、これでもかと思うくらいに容赦なく訊き捲くる。
未夢が入ると更にハイテンションになり、「結婚式はウエディングドレスにする?それとも白無垢がいい?」と、まるで明日にでも式場を予約しそうな勢いだ。
そして、未来が自分の昔の思い出にうっとりと浸っている間に、素早く退散する未夢と彷徨なのである。
「…判った。ちょっと待ってて」
未夢は、そっと窓を閉めた。
そして薄手のカーディガンを取り、部屋の扉を音が立てないように閉める。
ゆっくりと階段を下りて、渡り廊下をそろり、そろり、と忍び足で玄関へと向かう。
チラリと居間を見ると、未来は昼ドラを食い入るように見ている最中であった。愛し合う二人が運命の波に巻き込まれ、一旦は離ればなれになったが再び再会して…という、いかにも奥様連中が好きそうな話に未来もまんまと嵌まっているようなのである。
(今なら大丈夫かも…)
靴を履いて玄関をゆっくりと閉めた。
「大丈夫だったか?」
彷徨が未夢の側に掛け寄る。
「うん。今、昼ドラに夢中になって見てたから。それより何を買うの?」
「嘘」
「う、嘘?」
「なんかさ…会いたくなった」
パチクリと瞬きした未夢は、徐々に頬が赤く火照ってくるのをどうしたらいいか判らずに、おろおろと慌てた顔をした。
「な、何よそれ。急に、会いたい…だなんて、い、いつでも会えるでしょ?」
「そうだけど。でも俺は今なの」
強引な彷徨の言葉に、未夢は体中の熱が湧きでてきそうな感覚に襲われた。
ただでさえ暑いというのに…と、未夢は少し困った顔をして彷徨を睨んだ。
「…なんか我侭」
「お前に関しては、な」
カッと今度は本格的に熱を帯びた。
それを見た彷徨は、にやっと笑った。
「彷徨ぁーっ!からかったわねぇーっ!」
手を振り上げて抗議した未夢の側に、彷徨はもういなく、既に階段のほうにいた。
「大声出すなよ。バレだらまた質問攻めだぞ」
と、舌を出して未夢を威嚇する。
「もーっ!許せなーいっ!!」
あくまでも小さな声で地団太した未夢は、慌てて彷徨を追い掛けて行った。
***
とりあえず二人はコンビニでアイスを買った。
コンビニから出た途端、むあっとした熱い空気が二人を包む。
近くの木々からはセミの声が聞こえ、更に暑さをあおり立てているようだ。
キラキラと葉の間から揺れ動く木洩れ日が、眩しいほどの光りを放っていた。
相変わらず言い合いをしながら歩く未夢と彷徨であるが、周りから見れば仲の良いカップルそのものだ。
クスクスと自分達が笑われているのを感じて、未夢は恥ずかしそうに彷徨の横で俯き小さくなった。
「ん?どうかしたか?」
「…皆見てる…」
「そうか?」
彷徨はこんな事に関しては全く気にしない質である
堂々としていると言えば聞こえは良いが、何にも気にしないとなれば無頓着としか言いようがない。
未夢はジロッと彷徨を睨んだ。
「少しは気にしなさいよね!ただでさえ彷徨凄く目立つのに」
「俺が?目立つ?なんで?」
「なんで…ってその……」
彷徨は世間一般から言う、所謂『美少年』だ。
それは未夢が転校してきた頃から変わらない。彷徨の周りには必ず女の子達が側にいて、うっとりする表情で彷徨を見つめていた。
だか肝心の彷徨はそれに気がつかず、平然とポーカーフェイスを取っている。
未夢と付き合うようになっても、その癖は変わらないようである。
「俺ばっかりじゃないだろ?未夢だって目立ってるぞ」
「へ?私が?」
キョトンとした未夢の目の前に彷徨が立ちはだかると、すっと前かがみになって顔を未夢に近付けた。
「アイス」
「あ、アイス?」
(アイスが…何?)
未夢は自分の持っているアイスに、視線を向けたその時である。
未夢の鼻を彷徨は予告無しにペロッ舐めた。
「きゃあああああああああああああああああっっっ!!!」
(なななっ!何今のっ!舐めた?私の鼻、舐めた???)
パクパクと口を動かして慌てふためく未夢を尻目に、彷徨は平然とした表情で、悠然と自分のアイスを舐め続ける。
「アイスを鼻に付けながら歩くお前も、かなり目立っていたぞ」
オマケにその悲鳴もな、と彷徨はニッと微笑む。
絶対わざとしたとしか思えない。
未夢は自分の周りだけが2〜3度上昇しているように感じて、クラクラと目眩がしそうだった。
熱くて堪らない。
それもこれも彷徨が自分をからかうからいけないのだと、未夢は頬を膨らませて抗議した。
「だったら舐めずに拭きとるとか、一言言うとかにしてよぉ〜!恥ずかしいじゃないっ!」
「いいんだよ」
「良くなぁーい」
彷徨は未夢の顔を少し困った表情で見ると、はあ…と小さく溜息をし、怒り捲くる未夢の頭をポンと二回軽く叩いた。
***
未夢は気がつかなかった。
その雑踏の中で、数人の男の視線が未夢に注がれていたのを。
コロコロと絶え間なく七変化する未夢の表情に、男達は目を奪われていた。
「すっげー可愛い…」
雑踏の間からそんな声が彷徨の耳に飛び込んで来た。
チラチラと周りを見渡すと、未夢を見ながら呆然と立ち尽くす男が数名目に入った。
(こいつは俺のだ!)
彷徨は威嚇するかのように、無言で睨む。
しかし相変わらず未夢は隣で、頬を真っ赤に染めてムキになって自分を怒っている。そんな表情も周りから見たらとてつもなく可愛いのだ。
しかも鼻にアイスを付けたまま…無防備というしかない。
自分には「少しは気がつきなさいよね!」と怒る未夢だが、未夢も相当なものがあると彷徨は思う。
『可愛さ余って憎さ百倍』とはこの事を言うのだろうか?
別に苛めたくはないのだが、無償に苛めたくもなるのも事実で、自分でも呆れてしまうくらいだ。
だが他の奴らに未夢の可愛さを知られていくのは、もっと腹ただしい。
彷徨はおもむろに未夢の前に立ちはだかった。
「俺ばっかりじゃないだろ?未夢だって目立ってるぞ」
「へ?私が?」
顔を上げて目を丸くしながら、不思議そうに小首を傾げている。
キョトンとした表情に、今にも抱き締めたくなる。
(こいつ…必死になって押さえてる俺の身になってくれよな…)
「アイス」
彷徨は少し不機嫌そうに言った。
「あ、アイス?」
視線が横を向いた瞬間、未夢の鼻についたアイスをペロッと舐めて奪った。
「きゃあああああああああああああああああっっっ!!!」
案の定。
未夢は顔を真っ赤にしながら悲鳴を上げた。
思わず笑いたくなるのを彷徨は押さえて、平然を装った。
未夢を見る視線を早く消したかった。
諦めて欲しかった。
未夢は俺のものだと、叫びたかった。
***
彷徨は無理やり未夢の手を握り締めると、強引に引っ張り歩き出した。
周囲の視線が気になり、この場から直ぐに立ち去りたいのは、未夢も彷徨も同じであった。
だが、未夢は慌てて彷徨の手を引っ張った。
「か、彷徨っ!ちょ、ちょっと待って…」
「恥ずかしいんだろ?」
「そりゃそうだけどっ!でもこれも恥ずかしいんですけどぉ〜?!」
「自業自得」
(そして俺も…)
「何か言った?」
「別に!」
未夢はそっと彷徨を覗き込むと、微かに頬が赤くなっているような気がした。
ポーカーフェイスを気取っている割には、行動は大胆で、でも時折見せる彼の照れ臭い表情が、未夢を少し安心させていた。
(可笑しな彷徨…)
未夢はふっと目を細くし、柔らかく笑った。
セミの声が、まるでシャワーのように鳴き続けている。
青い空に大きな入道雲が、気温の高さを物語るように高くそびえ立っていた。
夏の暑さもまだまだこれからだ。
「ねえ…家に帰ったらバレてるかな…」
「かもな。」
「かもな…って良いの?」
「しょうがねーだろ?一緒に居たかったんだし…」
「もうっ!また私をからかってるわね!そうは問屋が許さないわよ!へへーんだっ!」
未夢は自慢げに彷徨を睨んだ。
ふ〜ん…と、彷徨は目を少し細くして未夢を見ると、繋いでいた未夢の手を離すと、その手を未夢の腰にするりと廻し、自分のほうへ体を寄せた。
一瞬の出来事に、未夢は「え?」と驚きの声を上げた。
いきなりな彷徨の行動に、未夢は動揺を隠せず、あたふたと視線を泳がす。
(ななな、何?)
「あれ、嘘じゃないぜ」
耳元で、少し大人っぽい低い声で呟かれ、未夢はカッと再び頬を真っ赤に染めた。
そんな未夢を見て、彷徨は腹を抱えて爆笑した。
「かーなーたぁーーーーーーーっっ!!!」
夏の空に未夢の声が響き渡った。
明日も暑くなりそうな予感が、空一面に広がっていた。
END
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