作:宮原まふゆ
一番星よ。僕らの願いは無謀でしょうか?
ある日の夕方。
エドワードはプラットホームの木椅子にどかっと腰を下ろし、もうすぐ来るはずの列車を待っていた。
賢者の石についての情報があり、この街にアルフォンスと足を運んだが、収穫は残念なことに無かった。
少しでも有力そうな情報を掴んでは、とりあえずその場所に行って更に情報を集めていく二人にとって、それは根気のいる事だった。
特にあと一歩という時にそれが嘘だと判明すると、二人の落ち込みは相当なものだ。
それでも落ち込むのを奮い立たせ次へと歩き出せるのは、二人の目的が一緒で、それぞれが相手の為に願うことだからだろう。
二人の目的―――――この身体を一刻も早く取り戻すこと。
その為には身体の痛みさえ惜しく無い。そう思っていた。
「早くこねーかな…」
片目だけを開けて、山の向こうから続いている線路を見た。
一向に来ない列車に嘆息を漏らすと、再び目を閉じる。
暑かった8月がもうすぐ終る。
昼間の暑さが僅かに残る生暖かな風が、エドワードの前髪と三つ編みを揺らした。
夜が深ける頃にはヒンヤリとした冷たい空気となり、それは日一日と強まっていくだろう。
エドワードは視線を落とし、機械鎧である堅い右手を少しだけ動かした。
いつもより違和感のある動き。
どうやら機械鎧の一部分に支障をきたしている箇所があるようだ。
いつもならほっておいてでも次の行き先へ向かうところであったが、肝心な賢者の石についての情報が殆どない。今の内に整備したほうが良いとアルフォンスが強く要望したのを渋々了解し、そして今、リゼンブールに向かう列車を首を長くして待っているのだった。
「兄さん。お待たせ」
後ろからアルフォンスの声が聞こえ、エドワードは顔だけを後ろに向けた。
「なにやってたんだ?」
「うん。駅の外にね…その…子猫がいて、ね」
「お前また…」
いったい何度言えば判るんだといった表情でエドワードま眉を顰めた。
「きょ、今日は連れてきてはいないよっ。ほら」
アルフォンスは慌てて腹部分にあたる部品をカパッと開けて、エドワードに見せた。
「ほら。いないでしょ?」
「いないのが当たり前だ。お前は可愛いからってすぐ連れて来るんだもんな」
「兄さんだって好きじゃない」
「そりゃ…でも今は駄目だ。いいな」
「…うん、判ってるよ」
そう返事はしたものの後ろ髪が引かれるのか、アルフォンスは改札口のほうをちらりと見て溜息を小さく吐いた。
優しい弟の寂しい思いを判らずともない。
それでも今は、甘える感情に流されることは出来ないと、固く決心したのだ。
エドワードは流されそうになる心を誤魔化す為に、上半身を両腕を上に上げて背伸びさせ、空を見上げた。
「あ」
エドワードの声に気がついたアルフォンスは、兄の目の先を追うように顔を上げた。
オレンジ色の夕焼けと、その光を背後にくっきりとした影を作り出している山の稜線との間に、薄紫がかった藍色の空がぐるりと地上を包み込んでいるようだ。
その夕映えの中に、小さな光がチカチカと瞬いている。
アルフォンスが懐かしそうに呟く。
「一番星だね」
「ああ」
「小さい頃、僕達が遅くなったときに灯してくれた、ランプの光に似てるね」
「…そう、だな」
エドワードはすっと瞼を細めた。
思い出の中にある、あの暖かな日々を決して忘れることは出来ない。それでも無情にも流れていく時の中で当たり前のように過ごして行く日常。そこに、過去を思い出す余裕は、ない。
だが目まぐるしく流れ去る日常の中でも、ふと時が止まる瞬間がある。
そんな時に限って、アルフォンスの声は容赦なく過去を掘り起こすのだ。
心地よく、そして、残酷に。
「この間リゼンブールに帰った時、ウィンリィがしてくれたよね。同じようにさ」
「後からすっげー怒られたけどな。遅いって」
「お母さんが居た時もそうだったじゃない。僕達泥んこだらけで帰ってさ、毎日怒られてた」
「そうだっけ?」
「そうだよ。忘れっぽいなぁ〜兄さんは」
ふふと、アルフォンスの肩が震えた。
「どうせ」とふて腐れるふりをして、エドワードは身体を横に動かすと、アルフォンスの膝を枕にして寝転がった。
視線の先に見えるは、チカチカと瞬く金の星――――イシュタルの星。
遥か神話の時代。
死んだ息子を甦らせたイシュタルは、冥界の女王の怒りにふれ殺されてしまったという。
そしてイシュタルがいなくなったことで、地上では子供が生まれなくなり、穀物も育たなくなったそうだ。
困り果ては神々は冥界の女王に相談し、イシュタルの夫を身代わりに、9ヶ月間だけイシュタルを甦らせたのだという。
これが、冬の季節の始まりだ。
二人は、母親を甦らせる為、それぞれの身体を失った。
アルフォンスは身体全てを。
エドワードは左足を。そして、弟を助ける為に再び人体練成を行い、右腕を失った。
かけがえのない者を失うこと。それは身体をもぎ取られるのと同じくらい、辛いことだ。
それでも愛する者と再び出会う事が出来るなら、全てを失っても構わないと、誰もが一度は願うだろう。
それだけ取り戻したい、愛しい人、だった。
ひんやりとした風が、ひっそり静まりかえったプラットホームに吹き抜ける。
やがて夏が終り、足早に秋がやって来る。そして、凍えるような長い冬が巡って来る。
規則正しく巡り来る季節。
それなのに。
俺達は、今だ、凍えるような冬の季節の中にいる。
いつか、戻れるのだろうか?
あの幸せで、暖かな日々の中に―――――――。
ピィーーーーーー………
山並みの向こうから、空高く響きわたった汽笛の音。
暫らくすると、白い蒸気をはきながら黒々とした列車がプラットホームに滑り込んで来た。
エドワードとアルフォンスは荷物を持つと列車に乗る。
ガタンと動き始めた列車は、西の方角をめざし走り始めた。
イシュタルの星のほうへ。
END