心のドア 〜ウォーター・ボーイUより〜

作:宮原まふゆ











意地っ張りなあたしを、あんたの不器用な手で受けとめてよ。





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 ほんの少しだけ涼しくなった夏の夕暮れ。

 あたしと泳吉は自転車を手で押しながら、帰り道をゆっくり歩いていた。
 泳吉はあたしの横を歩きながら、しきりに「良かった良かった」と連発している。
 あたしは呆れながら無視してたけど、永吉のあまりにも嬉しそうな横顔にこっちまで嬉しくて、いつの間にかあたしも笑っていた。

 泳吉が興奮してるのも無理はない。
 今日、永吉はシンクロの競技を皆に披露し大喝采を浴びた。
 今まで学校中から除外され続けていたシンクロ部が、やっと皆に認められたのだ。その嬉しさと成功に、満面の笑顔とともに泳吉の目からは涙が溢れていた。
 あたしは永吉の涙に、ほんの少し、ドキリと胸が鳴った。

「ねえ…」
「ん?なに?」

 泳吉がニコニコと笑いながら、あたしを見た。
 
「あ――――、やっぱ、いい」

 泳吉の笑顔に言葉を失う。
 あたし、栄吉になにを言おうとしたてたんだろう……。
 なんだかそんな自分が恥ずかしくて、逃げるように歩く速度を早めた。

「なんだよ、言い掛けてさ。気になるじゃん」

 慌てて泳吉があたしを追い掛けて、あたしの自転車の後部座席を掴んで無理やり止めた。
 泳吉とあたしの自転車が軽くぶつかって、カシャンと響いた。

「なに?」

 彼の瞳がまっすぐあたしを見る。
 ―――でも、やっぱり、言葉が出ない。
 
 彼の笑顔が今度は困った顔になり、右手で自分の髪を乱暴に掻く。
 濡れていた髪が、夏の日差しで乾いてパサパサだ。
 そして、プール独特の消毒液の匂いがあたしの鼻を掠めた。

 あたしが少しだけ顔を上げると、泳吉は素早く気付き「どうした?」と、のめり込むように近寄った。
 目のやり場に困って、視線を外したまま口を開く。

「あのさ・・・」
「ん?」
「・・・・・・」
「なんだよ。お前らしくないぜ?」
「・・・ちょっと、それどういう意味よっ!?」

 あたしはムカッときて彼を睨んで怒鳴った。
 誰のせいで言えないと思ってるのよ。
 頬を膨らませて口を尖らせたあたしを、泳吉は安堵したようすで目を細めながら微笑んだ。

「え?・・・や、どういう意味って・・・言われても・・・」

あたふたと狼狽してる泳吉を、さらにあたしは詰め寄った。

「あたし、怒った顔ばっかりしてないわよっ?!」
「そうか?俺と話す時はいっつも恐い顔しか見せねーじゃん」
「それはあんたが悪いんでしょ?!いっつも馬鹿なことしかしないし」
「ひっでぇ〜」

「馬鹿だと思われても、あの時は一生懸命だったんだよ」と、泳吉は唇を尖らせた。

 判ってるよ、あたし。全部知ってる。
 いつも一生懸命で、キラキラ眩しくて、そんな泳吉がとても羨ましかった。
 そしていつの間にか、泳吉の姿を目で追っているわたしがいたんだ・・・・・・。

 あたしは泳吉の奮闘ぶりを思い出し、クスクスと笑った。
 すると泳吉は、ふんわりとという表現がとても似合う笑顔で、あたしにこう言ったのだ。

「そっちのほうが、お前らしいよ」

 あたしはアングリと口を開けた。きっとあたしの顔はとってもアホ面だっただろう。
 泳吉はしてやったりと言ったふうに、口先をニッと上げた。そして自転車に乗ると、カラカラと音を立ててあたしから離れた。

 ボサボサの髪が、風で気持ちよさげになびいてる。
 自転車を漕ぐ度に、彼の白いシャツが左右に動く。
 いつの間にか逞しくなった泳吉の広い背中に、あたしは一瞬見惚れてしまった。


 眩し過ぎるのよ、あんたは。

 だから、何も言えなくなるのよ――――――・・・・・・。


 泳吉は途中で自転車を止めて、クルリと振り向いた。
 どうやらあたしの様子が心配になったらしい。不安そうにこちらを見ている。
 子供みたいで笑ってしまう。

 あいつには、まだあたしの本心は言わないでおこう。
 言わないけど、これだけは言っても良いよね?
 いつか、自分の胸の中にあるドアを叩いて、素直な自分をあんたに見せるから。
 その時は、あんたの不器用な手で受けとめてよ。


 今はまだ―――――このままで。





 あたしは大きく深呼吸して、泳吉に向かって叫んだ。

「今日っ!」
「ん?」
「良かったねっ!」
「・・・サンキュ!」

 泳吉は力強く頷くと、天高く腕を振り上げて、笑顔でVサインをした。
 舞い上がりそうになる嬉しさと鼓動の高鳴りを胸に、あたしは泳吉に向かって走って行った。







END




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