作:宮原まふゆ
夜のしじまに、ふと目が覚めた。
ベット脇の窓がやけに明るい。
チカチカと痛む目を擦りながら、未夢は二階の窓から外を見ると、
小さな月が蒼い夜空にふわりと浮かび、全ての景色を煌々と優しく照らしていた。
(月の…光?)
だがこの明るさは、家の下のほうから照らされているようだ。
視線を移すと、西遠寺の縁側が目に入った。
明るさの原因は、彷徨の部屋から洩れた光りだった。
(彷徨…まだ起きてるんだ……)
視線を壁に掛けてある時計に目をやる。
午前1時過ぎ。
少し躊躇ったが、ベットから出ると、机に置いてあった携帯を取った。
ツルルルッ、ツルルルッ
二回コールしただけで、繋がる携帯。
耳元で、少し低めの彷徨の声が優しく響く。
「どうした?未夢」
「まだ起きてたの?」
「ああ、今読んでる小説が面白くてさ」
「ふ〜ん…」
未夢は少しがっかりした表情で、頭を垂れた。
もしかして待ってた?
なんて、淡い期待をしてしまった。
彷徨のことだからと判ってはいたものの、それでも『何か』を期待してしまう。
(馬鹿だ…私ってば……)
「珍しいな、お前がこんな夜更けに電話するなんてさ」
「う〜ん…なんかね、妙な時間に目が覚めちゃって…」
「もう寝てたのか?」
彷徨の含み笑いに未夢はカチンときた。
「“もう“で悪かったわね。“もう”でっ!彷徨こそもう寝たら?一時過ぎてるよ」
「え?…うわ、マジかよ」
どうやら読書に熱中し過ぎて時間を忘れてしまっていたらしい。
未夢はやれやれ…と少し呆れた表情で溜息をついた。
(しょうがない彷徨さんですなぁ〜)
「起きて外みたら彷徨の部屋に電気が付いてて…最近多いんじゃない?眠れないの?」
「こう暑くちゃ寝てらんねーだろ?クーラーないんだし。お前は良いよなぁ〜自分の部屋にクーラーあるんだからよ」
「へへ…心地よく寝ておりますぅ〜」
羨ましげな彷徨に、未夢は少し自慢げ笑った。
8月に入ってやっと梅雨明け宣言のニュースが流れ、夏らしい暑さになった。
雨続きの夏もジメジメして嫌だが、こうも暑くなると返ってあの時の涼しい空気が恋しくなり、涼しい場所を求めたくなる。
人間とは勝手なものだ。
彷徨は夏休みになると、時折光月家に遊びに来ていた。
受験勉強の為…とは口実で、短に暑さを逃れたいからだ。
一応は勉強をするものの、ただ“それだけ”のことである。
未夢としてはそんな彷徨に少し苛立ちを感じていた。
「彷徨ってば、こっちで勉強終ったらすぐゴロンって寝ちゃうんだもん…。夜眠れないはずだよぉ〜」
「しょうがねーだろ、すげー涼しくてさ、眠たくなるんだからよ」
「でも少しは…つ、付きあっ…欲し…い…のに・・・・・・・・」
「ん?なんだって?」
「あっ!なんでもないなんでもっ!ははは…」
「…ふ〜ん…」
(墓穴掘った…)
自分で言っときながら、顔を赤くするなんて…と未夢は情けない顔で頭を下げた。
あのクーラーが効いた部屋なら、彷徨以外の人でも眠たくはなるだろう。
それでも側にいるんだからと、思ってしまう。
それ以上のことを期待してしまう。
(折角の夏休みなんだし二人で・・・・・・・・・・・って!何考えてるのよ!私ってばっっっ!!!)
腕を左右にバタバタさせて動揺を隠し…てるつもりのなのだが、到底隠してるとは思えない。
当然彷徨から突っ込まれた。
「お前、なにジタバタしてんだ?」
「へ?」
「窓見てみろよ」
そう言われて、窓に顔を向けた。
すると、縁側に足を投げ出して座っている彷徨が、携帯を片手に此方を見ていた。
タンクトップに単パンと、ラフな格好だ。
彷徨が手を振るのにつられて、軽く手を振る。
「外のほうが涼しいな」
「そう…」
未夢は携帯を耳元にあてながら、妙な感覚を覚えていた。
彷徨の声は耳元で聞こえてくるのに、姿は家の向こう。
目の前に彷徨がいるのに、手に届かない。
当たり前なのに、二人の間にある空間がやけにもどかしい…。
「こっち…来るか?」
「……え?」
一瞬全てが固まってしまったように感じだ。
(こっち…って、彷徨のほう…にだよね?え?え?)
固まったまま、じっと彷徨を見た。
彷徨も未夢をじっと見ていた。
“待っている”と、言っていいかも知れない。
先ほどまで遠くにいた存在が、途端に近くなる。
いつもなら平気で向かっていたはずだ。
だが、今日は…今夜は何故かが違っていた。
未夢の口からは声が出ず、その場に突っ立ったまま動けない。
どこか、違う。
なにかが、違う。
それは彷徨の熱い視線が、物語っていた。
真っ直ぐに見つめる瞳が、未夢を捕らえて離さない。
オレ ノ ソバニ コイ――――――
どうしよう…と、迷っていたその時、彷徨の声が耳元で聞こえた。
「あ…やっぱ俺寝るわ。明日用事があるんだった」
未夢はキョトンとした表情で、オウム返しする。
「え?よう…じ?」
「ああ。わりぃな、未夢。じゃあ、おやすみ」
「あ、うん……おやすみ……」
携帯を閉じてすくっと立ち上がると、彷徨は未夢に向かってまた軽く手を振った。
未夢は手を上げたまま、彷徨が部屋に消えるまでじっと見つめていた。
障子がゆっくりと閉められ、そして未夢は深く溜息をついた。
(矛盾ばっかり……)
未夢の戸惑っている様子が伝わったのか、それとも本当に用事があってかどうかは、本人の彷徨に聞かないと判らないが、、未夢は心の中で『ゴメンね』と繰り返していた。
申し訳ないなと思ってる自分もいれば、正直ほっとしている自分もいるのだ。
パチンと携帯を閉めて、ベットに入る。
目を閉じてじっとしてると、ふと彷徨の顔を目に浮かんで来た。
『こっち…来るか?』
彷徨の声が耳元で離れてくれない。
(あの時、素直に『うん』と言っていたら……)
(そのまま彷徨と側にいたら……)
寝返りをうち、目を開けると、窓からさし込んでいたのは優しい月の光。
もう彷徨からの部屋の光りではない。
未夢はまた一つ、溜息をついた。
………あなたの声を聞いた夜は、とても眠れそうにない――――。
END