作:宮原まふゆ
ももかが西遠寺にやってきたのは、13日の夕方だった。
未夢が学校から帰って来る時間を見計らったかのように、ももかは現れた。
西遠寺の門の真中で、仁王立ちしながら未夢を睨むように見上げている姿に、どうしたのかと未夢が声を掛けようとしたその時、ももかの口が先に出た。
「おばたんっ!バレンタインチョコ一緒に作らない?」
今だにももかから"おばたん"と言わ続ける未夢は、ヒクリと口先を引きつらせた。
いい加減“おばたん”から“お姉ちゃん”と言って欲しいんだけど……。
だが勝気そうなももかの顔を見ると、まだまだなようで、未夢は深い溜息をついた。
ワンニャーとルゥがオット星に帰っていってからも、ももかは西遠寺に度々訪れていた。ルゥの部屋で一人ぽつんとたたずむももかの姿を何度か目撃している未夢は、ただじっと見守るしかなかった。
相変わらず"おばたん"と言われ続けてはいたが、ももかが寂しそうな顔を見ずにすむのならとあえて呼ばせていたのも、その為だ。
未夢の中では今更という諦めもあったが。
だが近頃はその寂しそうな表情も薄れたような気がする。
いつもの明るいももかに戻りそうで、嬉しく思っていた矢先のことだった。
それにしても…。
一体どういうことだろう?
新しい恋人が出来た?
いやいや。
ももかちゃんはああ見えて、一途に一人だけを想う、今時珍しい古風な子だ。
そんな簡単には乗り換えなんてしないはず。
四歳で"古風"という言葉を使うのは、どうかと思うが……。。
それとも料理下手な私をからかいに来たのか?
それならありえるぞっ。
なんたって去年のチョコは彫刻で作ろうとしてたくらいだし。
我ながらあれは失態だったよぉ〜。
でも何故“私”なのだろう?
未夢はももかの行動が理解出来なかった。
「どうして私なの?クリスちゃんならお菓子作り得意だし、私より凄いのを作ってくれるはずよ?一人じゃ食べきれない巨大チョコぉ〜なんて」
クリスならチョコで何を作るだろうと未夢は考えて、だが途中でやめた。
手に取るように判りやすくて、ちょっと恐い気がする……。
クリスの得意な料理はともかく、あの花小町家のキッチンなら一般な素材より、入手困難な素材が勢ぞろいするだろうし、執事の鹿田に頼めば、基本から丁寧に教えてくれるだろう。
しかしである。
「だぁーめっ!クリスお姉ちゃんに手伝って貰ったら意味がないのっ!ここで作らなきゃ意味がないのっ!」
「意味?」
コクンと、ももかは真剣な目で頷いた。
どういう"意味"だというのだろう?
ますます判らない。
ももかが誰にチョコを作るのかとても興味はあるところだが、未夢は内心困ったっていた。
原因は……西遠寺彷徨との喧嘩である。
またしても彷徨とケンカをしてしまった未夢は、明日のバレンタインをどうしようかと迷っていたのだった。
はぁ。
私のほうもどうにかしなきゃならないってのに……。
「なに変な顔してんの?おばたん。一緒に作ってくれないの?作ってくれないなら別に構わないけど」
そう言って、クルリと背を向けて立ち去ろうとするももかを、未夢は慌てて呼び止めた。
「待って待って、ももかちゃん。……ウチでいい?西遠寺ではちょっと……ね……」
「?」
未夢はチラリと西遠寺の母屋を見た。
その困った表情に、ももかは「ははぁ〜ん」と目を細める。
「その様子じゃ、彷徨お兄ちゃんとまた喧嘩でもしたんでしょ?」
「え?なななっなんで判るのっ?!」
「おばたんの顔見れば誰だって判るわよ。相変わらずバレバレ単純過ぎぃ」
「……わ、悪ぅござんしたね……」
苦虫を潰したような顔をしながら、未夢はももかを睨んだ。
日頃から幼稚園児らしからぬ発言をするももかは、時々年齢より遥かに大人っぽい発言をしのたまい、10歳以上離れた年上の未夢を容赦なく子供扱いする。
これではどっちが年上か、判らない。
「ま。チョコ作りを手伝ってくれるなら、お話し聞いてあげてもいいけど?」
おませな彼女らしい、優しい言葉。
未夢は軽く溜息をつくと、ももかに向かって苦笑しながら答えた。。
「……いいわ。チョコ作り手伝ってあげる」
***
ももかが持って来たチョコの材料を、未夢はテーブルへと並べた。
背の低いももかは椅子の上に膝をついて座り、未夢の視線と同じようにし、未夢が用意するのをじっと見つめていた。
服が汚れてはいけないと、ちゃっかり自分専用のエプロンを持って来たももかに、用意が良い事で…と未夢は内心密かに笑った。
「どんなのを作りたいの?」
「うーんとね、おっきなハート型で、お星様がいっぱい書いてあるの。おばたんはどんなの作るの?」
「わ、私はまあ…適当に」
「適当ぉ〜?ダメよっ!そんな風に適当に考えちゃっ!せっかく一生懸命作るんだからっ!素敵なチョコ作らなきゃっ!」
「そ、そう?」
「そうよっ!チョコ一つ一つに相手への愛情を込めて作らないと意味がないのよっ!適当だなんて貰う相手に失礼じゃないのっ!常識なのよっ?!お・ば・たんっ!」
…また"意味"ですか。
貰う相手ってのは彷徨なんですけど…やっぱ適当じゃ駄目なのかなぁ〜。
そうなるとコンビニの安物チョコじゃ、怒るかな?
「そういうもんかなぁ」
「…おばたん、チョコあげるのはじめて?」
「ううん。パパには何度かやってるけど、彷徨には一回目だけ。義理もいいとこだけどね…」
「ふ〜ん。…おばたんって、つまらない人生送ってるのね…」
ピキッ。
どぉーせっ恋愛経験不足だわよっ!しかも4歳時に恋だの愛だの判ってたまるもんですかっ!
未夢はキリリと歯を噛み締めた。
彷徨と恋人同士となってからも、なんら普段と変わることなくて。
他のカップルはあんなに仲が良さそうなのに、自分達は喧嘩ばかりしてて。
今回の喧嘩だって、他人から見れば単なる痴話喧嘩のようなものだ。
皆から「仲が良いね」と言われれもピンと来ないし、そうかな?と疑うしかない。
未夢からしたら喧嘩などせず、楽しく笑いあったり、時には甘えたりするのが、本当の恋人同士じゃないかなと思う。
自分達とは正反対だ。
……でも。
一番の問題なのは、彷徨の前で素直になれないって事なんだけどね……。
彷徨のクールさに反抗するかのように、怒りでヒートしまくる自分。
ムキになって、胸奥にある本当の言葉も上手く伝えられない自分。
もう少し、素直さが自分にあったら…と、未夢は自分自身を悔やんだ。
未夢は悩みを打ち消すかのように、ももかを急かした。
「それよりチョコチョコっ!板チョコを買ってきたんでしょ?それを細かく刻んで火にかけなきゃ!はいお鍋、これにチョコ入れてねっ。包丁は使ちゃ駄目だからおろし板でいいよね?簡単だし。」
「判ったわ」
未夢はももかの作業を守りながら、材料を集めた。生クリームやココアにトッピング類、型やボール、未夢の部屋からはラッピング用の紙とリボンを。
ももかが作ったサラサラのチョコを、未夢が焦げつかないように温め、そして同時に温めておいた生クリームの中に入れてよく混ぜ溶かす。
ももかは一つ一つの作業を、興味津々な眼差しで見つめていた。
「へぇ。こんな風にチョコって作るんだ」
「もっと凝れば色んなのが出来るわよ。…っていっても、私も勉強中なんだけどねぇ」
「ふ〜ん…それって、彷徨お兄ちゃんの為?」
未夢は手に持っていたボールを落しそうになり、わたわたと手を動かして辛うじて防いだ。
「ちっ、違うわよっ!…自分の為よっ!」
「照れなくてもいいわよ。今更だし」
「……」
……今更って…なにが今更なのよ……
別にイチャイチャなんてしてないけどな………
ボールに入っているチョコを、ハートの型にゆっくりと入れる。
そしてそれを冷蔵庫にいれて待つのだが、固まるまで多少時間が掛かる。
固まるのを待っている間に、未夢はももかにホットチョコを作ってあげた。
二人で一緒に飲む。
「甘くて美味しーっ!」
「良かった。寒い日にはこれが一番よねぇ〜温かいし」
ふわふわと白い煙が立ち込めるホットチョコを、蒸気した頬で美味しそうに飲むももかを見ながら、先ほど気になっていた事を口にした。
「…ねえ、ももかちゃん」
「なあに?おばたん」
「…このチョコ、誰に渡すの?」
すると、ももかはサラリと答えた。
「ルゥによ」
「え?ルゥくんに?」
「うん。それにワンニャーや彷徨お兄ちゃんにも。あ、おばたんにもお礼にあげるよ」
「で、でもルゥくん達は……」
――――オット星に帰っていったんだよ?
だが未夢はそれを言葉にはしなかった。
判りきったことを改めて言ったって、ももかに辛いだけだ。
それにしても、ももかはどうやって遠く離れたオット星にチョコを渡すのだろうか?
時空のひずみで?
でもあれはどこに行くかも全く判らないし、そのひずみさえも現れるのは突然で、どこに現れるかも皆目つかない。。
ももかもルゥ達がどうやってこの地球に来たのか、何度も説明しているから判っているはずだ。それでも何故、ももかはチョコをルゥに渡したいというのだろう……?
未夢は訳が判らなかった。
ももかの中で、まだルゥはこの場にいると思っているのだろうか?
あの頃の想いのままでチョコを作っているのなら、それはかなり切な過ぎる――――。
すると、ももかはクスッと笑った。
「おばたんが言いたいこと判るよ。何故帰って行ってしまったルゥにチョコを作るのかってことでしょ?」
「…うん」
「バレンタインには好きな人にチョコを渡すのが常識でしょ?だからちゃんとこの日にはルゥの為にチョコを作ってあげなきゃって思ったの。大好きなルゥに、いくら遠く離れていても私の気持ちは変わってないよって」
「遠くにいても?もう…会えないかもしれないんだよ?」
「だって、人の気持ちって簡単には返られないじゃない。今もわたち、ルゥのこと大好きだもん。だから、一生懸命ルゥにチョコを作ってあげたいの」
「『ここじゃなきゃ意味がない』って言ったのは、その為?」
「うん。本当はルゥに、ちゃんと食べて欲しいんだけど、…今は無理だから。せめてこの西遠寺でルゥの為に作ってあげたいな…って」
ああ、そうか。
だから――――……。
「…良い子だね、ももかちゃんは」
へへ…と、ももかは照れ臭そうに笑った。
今でもこんなにルゥを想ってるももかを、未夢はいじらしいと思った。
どうにかしてももかちゃんが作ったチョコを、ルゥの元へ届けてあげたいと心から思った。
無理だと判っていても、思わずにはいられなかった。
ももかにはちゃんと"意味"があった。
全て、大好きな人の為に、だった。
大好きな人の為に、今自分が出来ることを、一生懸命心をこめて。
大好きな人の為に、特別な日に想いを伝える。
たとえそれが、決して伝わらなくても――――……
それに引き換え、今の自分はどうだろう?
ルゥやワンニャーはこんな自分を見てどう思うだろうか?
「相変わらず素直じゃないですねぇ〜」と、呆れたような声が聞こえてきそうで、未夢は思わず視線を下に落とした。
ももかの素直さが、今の未夢には羨ましかった。
「おばたんはどうするの?」
ももかの突然の質問に、未夢は驚いた顔でももかを見た。
「え?」
「彷徨お兄ちゃんに、あげるの?チョコ」
「………」
「?」
ももかは不思議そうに小首を傾げた。
そして、未夢を下から覗き込みながら、小さな声で聞く。
「彷徨お兄ちゃん…好きじゃなくなった?」
思わず未夢はフルフルと頭を強く振った。
「…ううん。好きよ。前よりずっと、好きだよ」
いくらケンカしたって、いつだって好きって気持ちは変わらないよ。
ももかの前で素直な気持ちを言えた自分を、未夢は少し驚いた。
これも恋愛をしている二人だからだろうか?
彷徨を好きにならなかったら、ももかともこんな恋愛話などしなかっただろう。
「だったら、ちゃんと今の気持ちを伝えなきゃ。なんたってバレンタインは自分の心を素直に相手に伝える日なんだから、明日は女の子にとって特別な日なのよっ?!誰だって素直になれる特別な日なんだからねっ!」
ももかの得意げな態度に、未夢はクスッとっと笑った。
まさかこんな小さな子供に教えられるとは思いもしなかったけど。
誰だって素直になれる、特別な日、か……。
「そうね。素直な心を伝える日だものね」
「そっ!で、あげるの?彷徨お兄ちゃんに」
「…うん、あげる。ちゃんとあげるよ」
そしてその時に、ゴメンって素直に彷徨に謝ろう。
素直な心で、彷徨に今の気持ちを伝えよう。
だって、彷徨はいつだって側にいてくれるんだから……。
彷徨がどんな顔でチョコを受け取るか、未夢は想像するだけでなんだか楽しみになって、自然に口元がほころんだ。
こんな気持ちになれたのも、ももかのお陰だと、未夢は感謝した。
すると。
横に座っていたももかが、訝しげに未夢を見上げていた。
「なにニヤニヤしてんの?おばたん」
「ん〜別にぃ〜なんでもないよぉ〜」
ももかは小さな肩を上げて、溜息を一つした。
「…思い出し笑いって、歳をとるごとに多くなるのよね…」
ピキッッ!!
くそぉ〜っ!折角女の友情が持てたと思ったら、これだ。
でも…まあ、今日だけは特別に許してあげるよ。
出来あがったチョコを嬉しそうに見つめるももかに、未夢はそう心の中で囁いた。
Fin