放課後

作:宮原まふゆ









キーンコーン・カーンコーン…………。


授業終了のチャイムが学校全体に響き渡り、今まで静かだったローカが急に騒がしくる。
帰宅する者と部活動に行く者とで慌しく動き回る生徒達。
そんな中、未夢は教壇に立ち、背伸びをしながら黒板の文字を消している最中だった。

(早く終らせて買い物に行かなきゃ。なんでこんな時に日直が重なるかなぁ〜。え〜と、今日買う物はティッシュに卵に…)

すると、後ろから呼ぶ声が聞こえて未夢はクルリと振り向いた。
日直当番で一緒の遥だ。
「未夢ちゃん、ゴメン!今日早く帰らないといけないの。まだ日誌書くのが残ってるけど…いい?」
手を前に合わせて拝むように頭を下げる彼女に、ニッコリと微笑んで答えた。
「うん、いいよ。もう殆ど終ってるし」
「ホント?!ごめんねぇ〜。じゃ!」
ダッシュで教室を出る遥にバイバイと手を振ると、未夢は自分の席に戻って日誌を開いた。

(う〜ん、今日は何にも無い平和な一日だったねぇ〜)
(こんな時、何て書けばいいんだろう…)

未夢は始めのページをめくって、頬杖をつきながら見始めた。
キチンとまめに書いてある者もいれば、簡単に1〜2行しか書いていない者もいる。
皆、一苦労しているようだ。

(あ…)

丁度、開いたページに『西遠寺』と言う名が目に飛び込んできた。
彷徨らしい整然と並べられている文字を見て、思わず微笑んでしまう。
「割と彷徨って字が綺麗なんだよね…。わわっ!こんな事をしてる場合じゃないよ!早く日誌書かなきゃ更に暗くなるよぉ〜っ!!」
慌てて元のページに戻すと、とりあえず書ける箇所を埋めていく。
「光月さん」
「あ、はい」
突然ローカから担任の水野に呼ばれて、未夢は頭を上げて振り向いた。
「あれ?一人?」
「はい。今日急ぎの用事があるからって先ほど帰りましたけど…」
「そう。…悪いけど、光月さんだけでもいいから手伝ってもらえないかしら?明日皆に渡すプリントを作らないといけないの。」
未夢は一瞬困った顔をしたが、直ぐに了解した。
「…判りました」
「助かるわ。それが終ったらでいいから宜しくね」
水野が去った後、未夢はふぅと深く溜息を付くと、再び日誌を付け始めた。

(遅くなるけど…仕方ないかぁ…)


***


「あれ?未夢じゃないか?確か今日は買い物当番なはず…」
職員室に委員会の用事で来ていた彷徨は、水野の隣に未夢がいるのに気がついた。
未夢は両手で大量の紙を抱え持つと、水野にペコリと頭を下げた。
そして紙が落ちないようにゆっくりと職員室を出て行く。
「水野先生」
「あら、西遠寺くん。職員室に用事?」
「委員会の件で…。ところで今、未夢…光月さんに何を頼んだのですか?」
「明日皆に渡すプリントを作って貰おうと思って…。そうだ!西遠寺くんも悪いけど一緒に手伝って貰えないかしら?彼女一人じゃ大変だろうし」
「一人?もう一人は?」
日直は二人なのに…と不思議に思って彷徨は聞いた。
「日直の一人が先に帰ってしまったらしいの。光月さん一人だと大変だから、私も後で行くんだけど…忙しくていつ頃になるか判らないのよ。ここ最近、通学路で妖しい人物が頻繁に現れるって言うし…」
「先生!それ知ってるんだったら、なんで未夢に頼むんですか!女子を遅くまで残すなんて何考えてるんですかっ!」
冷静沈着で有名な彷徨が珍しく声を上げて怒る姿に、その場にいた先生方が驚きの表情で二人を見つめた。
その気配に気づいてか、彷徨は気まずそうに小さな声で謝った。
しかし水野はあっけらかぁーんとした表情で答える。
「忘れてたのよねぇ〜。でも西遠寺くんと一緒に帰れば大丈夫でしょ?」
「あ、あのですねぇ〜。そんなに都合良くいかない時もあるんですよ?先に俺が帰って何かあったら先生の責任ですからね!」
「その時は私が責任持って車で送るわ。でもきっと西遠寺くんが光月さんと帰ると思ったのよねぇ〜」
「…占い師でも…やってたんですか?」
彷徨は目を細くしながら、ジロリと水野を睨んだ。
「惜しい!先生、むかし『未来予想研究会』に入会していたの」
聞いた途端、彷徨がガックリと肩を落した。

(また妖しげな…占いと似たようなもんじゃないか。そんなの聞いた事もねぇぞ)

「西遠寺くんが一緒なら先生安心だわ。お願いするわね。その後、送りオオカミにでもなる?」
「なっ、なりません!!失礼しますっ!!」
からかうように微笑みながら言う水野に、自分の未夢に対する感情をまるごと知られてるようで、彷徨は慌てて職員室から逃げだした。

「お願いねぇ〜」
ダッシュで立ち去る彷徨の後ろ姿に、水野はのん気にヒラヒラと手を振った。


***


(ったく…水野先生にも困ったもんだ…)

彷徨は廊下で一つ溜息をつくと、急いで未夢の後を追った。
職員室を出て直ぐ四つ角を右に曲がると2階に行く階段だ。
その階段の踊り場に、重たそうにヨタヨタと歩く未夢がいた。
「未夢!」
「え?」
未夢が振り向いた途端、身体が横に動いたせいかザザァーとプリントが流れ落ちた。
「きゃあっ!!!」
「ばっ馬鹿、何やってるんだよ!」
「彷徨が急に声を掛けるからいけないんでしょ!拾うの手伝ってよぉ〜!」
しょうがねぇなぁ〜と言いながら、未夢と一緒に落ちたプリントをかき集めた。
「半分持つよ」
「あ、ありがと」
彷徨は未夢のプリントを半分受け取ると、二人並んで教室に向かった。
暫らくして、彷徨は未夢に言った。
「・・・なあ、お前今日、買い物当番だったよな」
「そう、だけど・・・」
未夢はそっと覗き込むようにして彷徨を見た。
彷徨が不機嫌そうな顔をしたのに気がついたからだ。
何故かは判らないが、多分自分の断われない性分に腹がたったのだろう。
自業自得。
未夢は少しでも彷徨の機嫌を直そうと、必死になって弁解した。
「だっ、だって、水野先生に頼まれたんじゃ断われない…でしょ?」

(何とかして断わることも出来ただろ?)

「ほ、ほらほら、買い物っていってもね、今日中にいるものじゃ…ない…から……ね?」

(そう言って、絶対無理をして買い物してくる奴なんだよな。こいつって)

「とにかく!こんなのちゃちゃちゃぁ〜って出来るって!!」
「『ちゃちゃちゃ』、ねぇ〜…」
「何よ!何か文句ある?」
彷徨の不満そうな声に、未夢はムキになって反抗する。
「このプリント5種類あるんだろ?これをクラス全員の分を作ってホチキスで閉じないといけないんだよな…」
「そ、そうだけど…」
未夢は少し警戒しながらも頷いた。

(判ってないな…こいつ)

「これ、一人でどのくらい時間が掛かるか、未夢判ってるか?」
「……やっぱり、時間掛かっちゃうかなぁ〜……」
はははと自嘲気味に笑う未夢に、彷徨は怒鳴った。
「当たり前だろう!!お前、これ一人でして大変だって判らないか?」
「判るわよっ!それくらい!!でも仕方がなかったって言ってるじゃない!!彷徨の馬鹿っ!!」
負けじと未夢が怒鳴る。
「お前なぁ〜っ!じゃあ帰りが遅くなってもお前平気なのかよ?!」
「平気に決まってるでしょ?いつもの通る道じゃない。それがどうしたって言うのよ」
「だから・・・」
彷徨の口が止まる。

(何を言おうとしてるんだ?俺は)

余計なことなんだろうか?取り越し苦労なんだろうか?
彷徨の心配をよそに、未夢は平然とした顔だ。
『心配なんだ』と一言いえば済む事なのに、気恥ずかしくて言えやしない。

(どうしようもない・・・)

「・・・時間の無駄・・・さっさと行こうぜ」
「ちょ、ちょっと、待ってよぉ〜っ!!」

怪訝そうに見上げる未夢の視線から逃げるように、彷徨は歩き始め、未夢は慌てて彷徨について行った。



***


明るかった教室も時が経つにつれて暗くなりつつある。
学校の明かりも次第に消えて、残るは職員室と2年1組の教室のみとなった。
窓から見える景色は赤く染まった夕焼け空だ。

「やっと終ったよぉ〜。今何時?彷徨」
「5時過ぎだな」
彷徨が教室の壁に掛かっている時計を見て言う。
「うわぁ〜!。どうりで暗いはずだよぉ〜!!早く帰ろう彷徨。ちょっと待っててコート着るから」
「ああ」
未夢は急いで茶色のコートに手を通し、フワフワした白いマフラーをクルリと首元に巻いた。
その頃になると、彷徨の機嫌も少しは良くなっていた。
ホッとした気持ちと、やっと帰れるという喜びが、未夢を元気にさせた。
机の横に掛けていたカバンを取ると、すでに帰る用意をしていた彷徨の側に急いで行く。
「お待たせ〜。行こ彷徨」
「おう」


二人が職員室に行くと、水野はまだ机に向かって何やらノートに書き込んでいる最中だった。
「水野先生、プリント終りましたよ〜」
未夢が声を掛けると、水野はペンを止めて、振り向いた。
「ありがと、光月さん。助かったわ。西遠寺くんもありがとね」
「いえ…」
素っ気無く彷徨が答えたのを見て、水野は少し口元を上げて微笑んだ。
「プリントは先生の机の上に置いてますけど…良かったですか?」
「いいわ。それにしても……光月さん、いいわねぇ〜」
「は?」
突然、突拍子も無い言葉を水野に言われて、未夢は面食らった。
水野は相変わらずニコニコ顔だ。何を考えているか判らない。
未夢と彷徨は目を合わせて小首を傾げた。
すると、水野は未夢にちょいちょいと手招きをした。
「?」
水野は怪訝な表情で近付いた未夢に、そっと耳元でささやいた。
「知ってた?光月さん。西遠寺くん、貴方にこの仕事を頼んだって私が言ったら、『女の子を遅くまで残らせて何考えてるんですか!』って先生に凄い剣幕で怒ったのよねぇ〜」
「ええ!?」
未夢は自分の声が余りにも大きかったと思い、慌てて口を抑えた。
チラリと彷徨を見る。
怪訝そうに見る彷徨と目が合い、未夢は慌てて視線を水野に戻した。
「フフ。光月さん、ちゃんと『女の子扱い』してもらってるのね。」
「『女の子扱い』って…」
彷徨は誰でも優しいから、私だけじゃないとは思うけど…と、未夢は苦笑いした。
「あら。そんなにいないわよぉ〜。怒ってくれるってことは、心配してくれてるっていう証拠じゃなぁ〜い。その人の為に怒ってくれたり、言ってくれたり・・・誰にでもするもんじゃないわ。大切な人だから言うんだと先生思うな。西遠寺くんにとって光月さんは大切な人なのよ。きっと。ああ〜羨ましいわ先生」
と、水野は夢を見るように、深くゆっくりと溜息をした。
未夢は再び彷徨を見た。

(大切な…人…?そうなのかなぁ…)

未夢の顔が真っ赤にしているのに気がつき、これは自分の事を言われてると思った彷徨は、慌てて二人に割り込んだ。
「先生!もうコイツいいですか?!」
「いいわよ、ねぇ〜」
「え?あ…はは…」
ニッコリと未夢に向かって微笑む水野に、未夢はなんと答えたえらいいか判らずに曖昧に微笑んだ。
「では帰りますんでっ!失礼致しますっ!!」
彷徨は未夢の腕を掴むと、強引に引っ張りながら出口に向かう。
「あ、西遠寺くん」
途中で呼ばれて、彷徨はピタリと立ち止まると、不機嫌そうに水野を睨んだ。
「…なんですか?」
ニコニコ、ニコニコ。水野が微笑む。

(…嫌な予感…)

「送りオオカミにはならないでね♪」
「だっっ・・・!!なりません!!」
彷徨は大声で言うと、慌てて職員室の扉を思いっきり閉めた。

(マジで何考えてるか判んね…)

隣にいた未夢に今のを聞かれただろうと思い、チラリと見た。
未夢も彷徨をチラリと見る。
視線と視線が合った途端、二人とも頬がカァーっと高潮してパッと視線を外した。

(マジで…困るよ…)

「あ…あのな…、今の…」
「うん…。あはは、送りオオカミだって。一緒に住んでるって言うのに送りオオカミにはならないよねぇ…。水野先生にも困ったもんだよねぁ〜ははは」
恥ずかしさを誤魔化すかように、ぎこちない笑いを繰り返す。
「……そ、そうだよ…な……」
彷徨は妙な寂しさを覚えた。
その寂しさがなんなのか彷徨は判らなかったが、未夢が真っ赤な顔をしながら否定したので、あえて何も言わなかった。

(送りオオカミか…。未夢が一緒に住んでなかったら、どうなってたんだろな…)

隣に並ぶ未夢は、とても近くて、あと数センチ手を伸ばせば手が届くのに、それさえも出来ない自分が、何故か情けないほどもどかしいと思った。
(近すぎるってのも、問題かもな…)
と、苦笑いをして。
「あのね…さっき…水野先生がね…」
未夢がぎこちなく隣の彷徨に言う。
「ああ。なに余計な事を吹き込まれたんだよ」
また不機嫌になった彷徨に、未夢は慌てて否定する。
「違う違う、そんな別に大したことじゃないよ」
「じゃ、なんだよ」
「……えっとね、ちゃんと『女の子扱い』されてるって……」
「は?」
「…そうなの?」
「え?」

(ちょっ、ちょっとまてぇーーーーーっっ!!なんだよこの急展開の内容はっ!!)

彷徨は困惑した表情で未夢を見た。
『そうなの?』って言われても、今直ぐ答えるには余りにも急過ぎる。

(そ、それは確かに、未夢は他の女子とは違うとは思っていたが、それは別に他の女子と違うからと思ってやってる訳じゃなくて……、その未夢は…特別であって、特別じゃなくて……、そ、その…なんだ…………)

彷徨は何と言って良いのか判らずに頭の中は大パニック状態。その間、未夢は此方を見てじっと答えるのを待ってるのだ。

視線が痛い――――。

「そ、それは…単なる誤解で…」
「誤解なの?」
途端に寂しげな表情になる未夢に、慌てて否定する。
「ちっ!違うっ!!そうじゃなくって…。お、お前も一応は女の子だし…それにオヤジが預かってる大切なお客さんだからな」
「そっか…そうだよね・・・おっかしいね、はは・・・」
と、未夢は手を頭に当てて苦笑いをした。

もう少し気の聞いた言葉を言えないものかと思ったが、それが彷徨にとって精一杯だった。
そして少し寂しげな未夢を見ては、心がズキンと苦しくなるのだ。

(何故だろう…何故こんなにも苦しいんだろう…)

いつもは冷静な自分が、未夢の一言だけでこんなにも戸惑ってしまう。
未夢の表情一つだけでこんなにも狼狽してしまう。
情けないと感じながらも、最近はそんな自分が好きだったりするのだ。

振り払うように未夢が明るく言う。
「でも『一応』ってのは余計じゃない?」
上目使いで見る未夢を見てると、思わず茶化したくなる。
「一応じゃなかったらなんだよ。女じゃなかったのか?」
「もう!そうじゃなくって!!」
頬をプックリと膨らまして怒る未夢に、彷徨は声を上げて笑った。
そして、未夢もクスクスと笑いはじめた。


自分に向けられた、自分だけの為の笑顔。


(あんな顔をされたら、送りオオカミにもなれやしない)

(いつか、自分が素直な気持ちになれたら・・・)

(それまでは、おあずけかな・・・)


未夢の後ろ姿を見ながら、溜息をついて笑った。




END



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