作:杏
「彷徨! 手、見せて!」
家に着くなりそう言われて、俺は未夢に無言で左手を差し出した。
「そっちじゃなくてっ…ほら、やっぱり! ……ワンニャー!」
「……大したことないって」
袖を引っ張ってポケットから引き出された右手に、未夢の声が強くなった。問答無用でワンニャーの前に座らされる。
「……痛い?」
ワンニャーが手当てしてくれているそばで心配そうに未夢が見つめるのは、俺の右手の人指し指と中指。
帰り際の校庭で、こっちに向かって飛んできたサッカーボールを咄嗟に弾いたせいで、二本の指が少し腫れていた。当たりが悪くて、突き指したらしい。
「…痛い」
「ご、ごめんね、わたしのせいで…」
未夢のボールではないのに、しゅんとして俯いてしまった。ボールの行く先にいたのは未夢の方で、だからこそ手を出さずにはいられなかった。
「ウソウソ、平気だって。 サッカー部の奴らが悪いんだろ、未夢のせいじゃねーよ」
「確か来週は球技大会でしたよね? それまでには治ると思いますが…」
「―――あっ! やべっ、忘れてた!」
「忘れてたじゃないわよっ! 悪化したらどーするの、彷徨は見学!」
両手を腰にあてて、口元を曲げた未夢が迫る。
「…俺のエントリー数、知ってるだろ? そんな訳にいくかよ」
「う……っ」
自分で言うのもなんだけど、俺と三太の肩にうちのクラスの順位がかかってるのは、未夢だってわかっているはず。俺らは時間が許す限りのほぼ全ての競技に、一緒にエントリーしている。
言葉を詰まらせた未夢がまた、俯く。俺に出来ることは…さっさと治すことしかなさそうだ。
「大丈夫だって。 それまで無理な練習は控えるし」
「……。 控えるだけで、練習しない訳じゃないんでしょ? それでなくたって右手じゃ生活するのにも…」
「何とでもなるよ、1週間くらい」
「手伝えることは手伝うから、何でも言ってね?」
「じゃーしばらくの食事当番は頼むなー。 さすがに包丁は持てないから」
白く巻かれた手を小さく上げて居間を出る俺を、未夢は眉を下げたまま、申し訳なさそうに見上げていた。
◇◇◇
「彷徨さぁ〜ん! ご飯ですよぉ〜!」
今日の当番は未夢とワンニャーが揃って引き受けてくれたらしく、自分の部屋で宿題に苦戦していた俺は台所から呼び付けられた。
何とでもなるとは言ったものの、字を書くのは思ったより難しくて、歪む文字に苛々しながらいつもの倍の時間をかけて課題をこなしていた。
「ぱんぱ!」
「ほらほら、早く座って! 何から食べる?」
すでにみんなが揃って食事が並べられた居間では、いつも俺の向かいにいる未夢がなぜか隣を陣取っている。
手には俺の茶碗を持って、これは…何事だ?
「はいっ、あーんしてっ?」
「ぱんぱ、あ〜〜〜〜んっ!」
「……はぁっ!?」
思わず声を上げた俺の口に、一口分のご飯が放り込まれた。
「だってお箸使えないでしょ?」
「で、ですから、スプーンとフォークを出しますよぉ、未夢さん〜?」
苦く笑うワンニャーが俺に目を合わせた。…なるほど、自分が俺の世話をするときかなかったらしい。気持ちは有り難いけど、これはいろいろと無理がある。こいつは何も考えちゃいないだろうけど。
「…いいから、箸よこせっ! 自分で食うから!」
未夢から箸を取り上げて、無事な左手でそれを扱ってみせた。
「えっ、左手で、お箸使えるの?」
驚いた未夢が、同じように左手に箸を持ち替えてみる。
「…あ、あれ?? お箸って、どーやって持つんだっけ?」
「…ヘタクソ。 こーだって」
やったことのないことをすると、普段どうやってるのかわからなくなるよな。さも当たり前のように左に持った箸で焼き魚を解すと、未夢もワンニャーも同じ表情を並べて覗きこんだ。
「すごいですぅ〜! 骨までキレイに分けられて…」
「どこまで器用なのよ、彷徨…」
「俺、元々こっちだから」
「「え??」」
また同じ顔。こいつら、ホントよくシンクロするよな。
「元々左利きなんだって。 オヤジに矯正させられたけど」
「そーなの!?」
「小さい頃の話だからさすがに字は書けないけど、箸とか、…そーだなぁ、物投げるとか、ハサミとか、左でも余裕で使えるぞ?」
「ほぇ〜〜〜〜〜地球では利き手矯正器具というものがあるのですか…」
「…いや、器具はないけど、何でも右でするように躾けられたってゆーか」
ワンニャーの言葉にどんなモノを想像したのか知らないけど、一間あけて未夢がケラケラと笑い出した。
その未夢にルゥもハテナを浮かべたような顔で、つられて笑う。
「でも今時はあんまりいないよね? もっと昔の世代なら…」
「まーな。 あんなオヤジの考えることなんてわかんねーよ。 俺はどっちも使えるから、かえって助かってるけどなー」
「ふぅん…? なんか、ズルいですなぁ〜。 器用な上に、両手使えて…もしかしたら、包丁だって、使えちゃうんじゃない?」
「…未夢並みに繋がったやつで良ければ」
「何ですとぉ〜〜〜? わたしのはちゃんと切れてますよ〜〜だっ」
「あぁ、悪い悪い! 形が揃ってないだけだったなー」
頬を膨らませた未夢に、俺は愛しさを隠して肩を揺らす。きっと何もかもわかっているワンニャーは、そんな俺たちを全く気にすることなく、ルゥに離乳食を与えていた。
「…もぉ、何にも手伝ってあげないっ!」
そう言いながらも俺の行動を逐一気にかける未夢に、せっかくだから、何か甘えてみようかとも思ったけど。
そもそも子供の頃から甘えることをあまりしてこなかった俺には、何を頼んでいいのかもわからなかった。
「あ、彷徨っ! お風呂行くの? ワンニャー呼ぼうか?」
「いーよ、ルゥ寝かしてるんだろ?」
自分が手伝えないとゆー自覚があってほっとした。こいつなら、…こーゆー場合に限り、躊躇なく髪洗ってあげよーか、とか言い出しそうで。
「…そっか、じゃあ、上がったら呼んでね? テーピングしてあげるから」
「おー」
出来るのか?って言いかけたけど、なんとか飲みこんで。背中を向けるまで口元が緩むのを堪えたつもりだけど、それが出来た自信はなかった。
◇◇◇
(…痛いは、痛い…な。 まぁ…球技大会までには治るだろ…)
頭から被ったタオルを両手でわしわしと動かす。
左手だけで頑張ってみたものの、乾く気配のない髪にだんだん腹が立ってきて、その指だけは極力動かさないようにしながら、俺は居間で髪を拭いていた。
「――!??」
「ダメじゃない、無理しちゃっ!」
後ろに未夢の気配を感じて、振り返ろうとした矢先に頭上のタオルが勝手に動いた。
「このくらいやってあげるわよ、じっとしてて?」
斜め後ろから降ってくる柔らかい声。俺の後ろで膝立ちしているらしい未夢は、俺がやるより優しく手を動かす。
ホントにこれで乾くのかと少々疑問に思いながらも、心地よくて俺は目を閉じた。
「彷徨の髪、柔らかいね〜」
「…おまえほどじゃないだろ?」
「そう? サラサラで、全然絡まないし。 わたしの方が高いシャンプー使ってるのに。 彷徨のお得用の方がいいのかな?」
「さぁ…使ってみれば?」
「え〜〜?? 同じシャンプーの香りさせてたら、クリスちゃんが毎日暴走しちゃうよ」
乾かなきゃいーのに、治らなきゃいーのに、なんて。思わずにはいられなかった。
長編の前に、短編書き上げました。
思い付きで構成いらずだから、短編は楽(^^*
前作が思った以上に長くなってしまったので、短編書きたいな〜とはずっと思ってたのです。
左利きのAB型って、個人的に最強な気がします。超がつくほどの天才肌。(な気がするだけ)
シンデレラの回で、一瞬だけ左でカップ麺な彷徨くんのシーンがあるのです。
フォークだったし、その後では持ち替えたようでしたが(^^;
…あ、左。と思ったのをネタにしましたw
原作読んでた頃から、なんで左利きじゃないんだろうと、なんとなく思ってたんです。
なんでって?理由は特にないですが。自分が左利きだからかな?
残念ながら天才肌でも、何かひとつの秀でたモノもないのですが(TxT)
久々の一人称。一人称って会話が続くと、情景を入れるタイミング逃しちゃうんです。(私の場合。)
一人称だからこそ、その本人が喋ってると入れにくいところが多々出てくるというか。
難しいです…(-"-;
長編もオール一人称でいけるように、いつかはなりたいものです。
お読み戴きありがとうございます。次回作もよろしくお願いします♪