唯一の絆・U

作:珠洲川 琉苡


※兄妹パロ


 ぽつり、と小さな雨粒が頬に落ちた。

 冷たいはずの其れは暖かい空気と中和して、妙に生温い。刹那、背中に走った悪寒が不気味さを醸し出し、彷徨に不安を与えた。


 ほんの数秒の出来事が頭の中で整理されると、彼は無意識にその場から離れ急いで家の中へと入った。


 「未夢? 未夢ー?」


 振り払うように脱いだ靴に構わず、家中をくまなく捜す。年期の入った平屋の家の中で、床板の軋む音と重く早い足音が響く。
 なのに、自分の周り以外何の音も声もしない家は不気味なほど静かで、焦燥感を駆り立てる。

 最後の部屋を覗くと、彷徨は二度深呼吸した後に鍵を持って玄関へと戻った。
 家の中におらず境内でも反応がなかったとすれば、後は寺の外。嫌な予感と言うのは、負のオーラが漂えば漂うほどよくあたり、望ましくない結末をつれてくるものだ。


 玄関の鍵をかけてもう一度声を張り上げ見渡してから、彷徨は静かな寺を飛び出し石段を駆け下りていった。

 次第に強まってきた雨は、真夏の青空から涙のように零れ落ちてくる。





















 夕暮れは好き、でも夕方にかけての“狐の嫁入り”は嫌いだ。



 俺が初めて委員会に入った10歳の時、未夢が元気に生まれて母さんが静かに眠った。
 未夢の誕生を家族で慶んだ数日後、崩れかけていた経過が一気に悪化し母さんは帰らぬ人ってやつになった。
 未夢を3人であたたかく迎えた部屋で、優しい笑みを浮かべながらゆっくり目を閉じていた。


 信じられなくて、信じたくなくて、信じるしかないんだと知らされた。


 「彷徨、未夢と仲良くしてね」


 消えてしまいそうな程に、小さく細い声は今でも耳にこびり付いていて俺の胸を鷲掴む。
 呪縛のようで居て儚い祈りでもある母さんの言葉に、10歳の俺は別れへの恐怖で激しく首を横に振った。


そんなコト言わないで、
死なないで、
いなくならないで、

まだまだ傍にいて。


 子どもの俺は正直“死”なんてよく解ってなかった。でも自然と涙が零れていて、鼻をすすって嗚咽を洩らしていた。

 親父に肩を抱かれ笑ってあげなさいと優しい笑顔で言われた。無理だと首を振ったけど、母さんの顔をもう一度見たら母さんは笑ってくれていて。
 ぐちゃぐちゃの顔で不器用に笑ったが最期、室内に無機質な高い音が長く響いた。



 そのとき、母さん越しに見た窓からは、青とオレンジ色の空に灰色の雲が乗っかって雨を降らしてるのが見えた。

 まるで一人の立会人みたいにこの別れを惜しむ一方で、安っぽい同情の笑顔を向けられたように俺は何故か強く感じたんだ。




 嫌い。

 綺麗な空と雨のコラボレーションなんて不幸の象徴。あの時の空は今でも一番大嫌いだ。






















 「! っ・・・くそ」


 どんどん強まってきた雨の中で、彷徨は膝を水溜りについてしまった。急に脚が重くなり視界が揺らいだ。

 ひざにずきん、と重く鋭い痛みが電流のように走る。
 見てみると、今さっき擦った所とは異なる箇所に内出血を起こしているのが目に入った。
 瞬時に昼間の事を思い出し、悔しげに舌打ちをこぼす。


 寺から出てどれくらい経っただろう。気付けば雨はうるさいほどに強まり、熱かった空気も今は夏にしては涼しい。
 傘も差さず走り回った体は全身ずぶ濡れだが、体の内側は妙に熱い。痛みに耐え切れず両膝をつけた彷徨は、乱れた呼吸を必死に整える。

 通学路や商店街、公園に保育園と中学校。未夢が行きそうな場所は全て行ったが全くもって見当たらない。
 途中、警察と言う文字が浮かんだが、自分の不注意が招いたことを大事にはしたくない。


 「・・・・っくしょー・・」


 膝の痛みはどんどん増してきて、疲労した体を更に追い詰める。
 心当たりは正直もうない。体もそろそろ限界に近く、雨足も強くなる一方だ。


  ・・・俺のバカ!


 水を含み重くなった髪をぐしゃりとつかみ、彷徨はもどかしげな表情をあらわにした。
 焦燥感と不安と自分への怒りが入り混じり、瞳が負の色を帯びて揺れる。



 苦しい。


 こんなに心が乱れるのは母親が亡くなったあの日以来だ。言いようのない恐怖と不気味に跳ねる心臓が見事にマッチし、背中がいつも冷たく寒い。

 ぶるっ、と再び背中に悪寒が走った。それはさっきのと良く似ているが、それよりは少し生理的な寒気が含まれていた。
 その所為なのか、焦っていた思考が少し落ち着き、自然と長いため息が吐き出されていた。


  一度帰って家の周りをもう一度調べてから、また降りてこよう。


 ようやくいつもの冷静さを取り戻せたことに安堵し、痛む足をできるだけ気遣いながら、けれど足早に自宅へと歩き出した。


 帰り道も、彼の目は自然と道の左右を飛び交っていた。
 よくよく考えればいるはずのない人様の玄関先、さんざん捜した公園、人が多い大きな道路に商店街。



 雨が耳障りな音を立てて降りしきる中、重く汚れた衣服に構わず彷徨はひたすら未夢を捜した。


 「――・・」

 「・・・?」


 ようやく石段の下までたどり着くと、上のほうから叫びのような誰かを呼んでいる様な音が聞こえた。
 雨の所為で高い音としか解らない。もしかすると知り合いが尋ねてきたのかもしれない。


 彷徨は適当に髪をはらい、服の皺と汚れをある程度直してから膝の痛みを我慢して石段を駆け上がった。
 今日ほどこの石段を鬱陶しく思ったことはないだろうと自身に問い、二度と同じような目に遭わないことを仏に祈った。

 時折走り抜ける激痛に何とか耐え、次第に大きくなってきた声に半ば無理矢理に速度を上げる。
 門を抜け声の方を見ると、そこにはうずくまった未夢がいた。


 「未夢!」


 玄関先で膝を抱え肩を震わせて泣いている姿に、彷徨は安堵以上に不安と心配が混ざった熱い矛盾したような感情に襲われた。

 駆け寄り両の肩に手を置くと、ここでようやく未夢は豪雨の中から走ってきた兄を認識した。


 「かな、に・・」

 「バカ! どこ行ってたんだよ! 俺から離れるなっつったろ!」


 バケツをひっくり返したような豪雨の中、玄関先で必死な声が反響する。自身の心の乱れを伝えるかのように、肩に置いた手は自然と力んだ。
 普段、表情がそれほど変化しない彷徨だが、今となってはまるで別人のよう。

 ずぶ濡れの髪は重たく顔に張り付き、片目は完全に隠れている。穏やかでない色が片目に宿っているのに未夢は気付くと、兄に会えた安堵を180度返され恐怖へと変貌した。


 「うっ・・・っく、ひ、っく、・・うわあぁぁぁぁぁん!」

 「・・・・あ、」


 妹の久しぶりに聞く大きな泣き声に、兄の表情が冷静さを取り戻す。
未夢は一人だった緊張を兄の姿で打破できたが、まさかの怒声に一度止まった涙が限界だと言わんばかりにあふれ出して今度こそ止まらなかった。

 ついつい感情が高ぶってしまったことを、彷徨は冷静さを取り戻す中で悔いた。


 改めてみると、未夢の顔と足元には泥が飛び散っており、両腕には小さなかすり傷や汚れがついている。水色のワンピースはすっかり濡れて水がしたたりおち、ピンクのサンダルは泥だらけになっていた。
 一体、どこで何をすればこんな姿になれるのか。疑問と呆れでため息がこぼれる。

 わんわんとリミッターが外れたように泣く小さな体を、優しく、且つ温まるように抱きしめた。
 それは未夢をあやす時の動作でもあり、乱れて不安定だった彷徨の心をなだめるものでもあった。

 背中をぽんぽんとたたき、冷たい髪を撫でる。


 「・・ごめんな、未夢も怖かったんだよな」

 「うわああぁん、うぅー、っく、ひぐっ」


 精一杯泣き叫び、不器用に嗚咽を洩らしながら未夢は小さく数回頷いた。
 抱きしめた体は自分の体温よりも低く、長い間豪雨の中座っていたのだと知らされた。


 胸に強く抱き寄せ、護るように優しく包み込む。


 「・・・なぁ未夢。どうして家から出ちゃったんだ? 兄ちゃん、いつも寺からは一人で出るなって言ってるだろ?」

 「っく、・・・・に、あげ、・・・くて」

 「? なに・・?」

 「ひ、っぐ・・・・かな、にぃはー」

 「・・うん」

 「い、つもー・・いい子、で、っく、えらい、からぁ」

 「・・うん」

 「み、ゆは、お花、あげよ・・と、してぇー」

 「・・・・ん、わかった」


 途切れ途切れの返答は予想外にも優しく温かく、兄想いなものだった。

 両親があまりいないにも係わらず、家事や自分の相手をしてくれている兄を驚かし褒めてあげようと、妹は家の裏にある雑木林で花を探していたらしい。
 だからといって無断で敷地の外へ出たのは正直いただけなかったが、それよりも遥かに自分を想ってくれていた妹への愛情が勝る。


 彷徨は一度苦笑し静かな笑みを浮かべると、もう一度頭を撫でて背中を優しく叩いた。
 それに応えるかのように、未夢も震える両手をぎこちなく首元まで動かしぎゅっと、しがみつく。

 唇からは半分本能的に漏れる泣く声で気持ちを伝え、震える腕と手からは声でも足りないほどの気持ちを補うように伝えてくる。
 何度も何度も背中をさすり、安心できるよう泣き止めるよう、優しく声をかける。


 「大丈夫、兄ちゃんいるからもう大丈夫だよ」

 「・・ひっく、うぅ、・・・か、なに、ぃー・・・」

 「うん」


 涙が目尻から流れるほど瞳に溜め、口を頼りなく歪ませ不安定な声音で呼ぶ。

 不安はもうないはずだが、今度は安堵から涙が頬を伝っていき玄関のコンクリートを濡らしていく。


 「ほら未夢、もう大丈夫だから泣かない」

 「うう、っく、うー・・・」

 「兄ちゃんもう怒ってないし、もう未夢を一人にしないから・・・な?」

 「っ・・・うん」

 「ん、いい子だ」


 優しく笑って覗き込むと、未夢は小さな手で涙を拭い小さく唇を噛み締め頷いた。
 もう一度抱きしめて頭を撫でてやると、首に回された腕が今度は強くしがみ付いてきた。

 その感触に、彷徨は苦笑いを浮かべる。


 「・・・・あ、かなにぃ、虹!」


 振り向いてみると、いつの間にか雨は小降りになっていて、青と少しのオレンジが混ざった色の空に虹が架かっていた。



 いつか見た、青とオレンジの空から降る雨――“狐の嫁入り”はこの上なく不気味で怖かった。それは今でも変わらない。


 けれど、今見ている“狐の嫁入り”が怖くないのは、あの日と違い今日は何も失わなかったから。
 根拠などどこにもないが、それでも彷徨が安堵の表情で“狐の嫁入り”を見上げるには十分すぎる理由だった。

 鮮やかな虹に小さく笑みをもらすと、彷徨は未夢の手を握った。


 「――さ、ご飯の用意するか」






サイト閉鎖にともない移行しました、第2弾の後半。
情景と泣き声が脳内に浮かんでくるのを目標に頑張りましたが・・・。

お気に召していただければ幸せです。


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